2

 魔王の部屋を退出したキルリアはヴァツェルに連れられて、城内を歩いていた。

 夜のためか、石造りの城内は静まり返っている。あれから何日経ったのかヴァツェルに聞くと、実に十日が経っているという。キルリア自身、よくあそこで十日も保ったものだと驚いた。そのまま、見覚えのある石の冷たい廊下にでた。

 この城は、外から見ると、丘の上に立つ。しかし、内部は、地下にある洞窟につながり、地上部分は複雑に入り組んでいる。知らない者には、迷路のようにしか見えないだろう。それでも、キルリアには、手にとるようにわかる。5年間暮らした城だ。知らないところはないくらい、知り尽くしている。だから、すぐに、自分が連れて行かれる場所も見当が付いた。

 暗い廊下を抜けて、やがて、突き当たりにある部屋の前に出る。

 そこはかつての自分の部屋だった。

 ヴァツェルが、鍵を開ける。

 5年ぶりの部屋は、全く変わってなかった。定期的に掃除は入っていたようで、思ったよりも綺麗だった。そのくらい部屋に入って、キルリアは立ち尽くした。

「ここで休むようにだと。俺の部屋は変わってないから、何かあったら知らせろよ。着替えは後で持ってくる」

 そう言って、ヴァツェルは部屋に明かりをともして、出て行く。扉を閉める音のあと、鍵をかける音がした。

 その間、キルリアは動かなかった。部屋を見つめたまま、じっとしていた。

 見ているだけで、いろいろな事がよみがえる。5年前のあの日、キルリアはこの部屋で〈光〉に出会った。

 そして、ここを抜け出した。

 その日のことを、キルリアは鮮明に覚えている。



あの日、外には丸く明るい月があった。

疲れ果ててベッドに横になったまま、窓の外の月をぼんやりと眺めていたのだ。

 あの頃、キルリアに味方する者は、周りに誰もいなかった。はじめの頃は、酷い扱いに毎日泣いていたが、5年も経つと泣くことすら、ばかばかしくなった。

 だから、あの頃には、もう、自分の心を殺すことにも慣れていたのだ。あの時も、何も考えず、何の希望もなく、ただ月を見ていた。

 そうしたら、突然、月がぼやけたのだ。

 驚いて、目をこすり、もう一度、月に目をやったときには、もう、そんなことはなかったが、変わりに、雪のような白い光のかたまりが、一つ、部屋の中に降ってきた。それは、部屋の中に入ると、突然、光を増し、目を焼くほどの閃光を放った。咄嗟に、腕で目を庇ったキルリアは、その光が、10才ほどの少女になるのを垣間見た。強い光がおさまると、そこには確かに、あわ白い長い髪を波打たせた少女がいた。

『あなたは……誰?』

 キルリアの問いに、少女は色素の薄い目に何の表情を持たせる事なく答えた。

『私は〈神〉に仕える〈光〉。あなたに頼みたい事があります』

『頼み……?』

 〈光〉は、無表情のままうなずく。

『〈闇〉が、戻ろうとしています。〈闇の使者〉をとめてください』

『……〈闇の使者〉?』

 わけが分からなかった。しかし、少女は構わず続ける。

『時間がありません。頼めるのはあなただけ。二百年前の再来とならぬように』

『どうしたらいいの……?』

 そう聞いたキルリアに〈光〉はその方法を告げた。

 しかし、キルリアは逃げた。5年間暮らしたここを飛び出し、学院に潜り込んだ。全てから逃げたかった。光と闇の事も、国と国の戦いも、定められた宿命も、全てを忘れたかった。変えたかった。

 けれど、運命を変えることはできなかった。

 忘れることさえできなかった。

 五年をかけて、キルリアは、逃げても無駄なことを悟った。

 それが運命だ。ただ、受け入れるしかない。

 溜め息を付いて、キルリアは、そのままベッドに直行した。上着のローブだけを脱ぐと横になる。服は、十日前から着替えていないので、かなり汚れてはいたが、それが気にならないほど、キルリアは疲れていた。

 ヴァツェルに、逃げなかった理由を聞かれた時、キルリアは、自分の中に答えを見つけた。〈光〉が訪れた五年前には分からなかったが、今では、はっきりと分かっていた。

 もう、逃げていることはできない。嫌でも、全てを終わらせなければならない。それが、唯一、自由になれる方法だ。

 ずっと、冷たい地面にいた事もあって、キルリアは、ゆっくりと眠りの底に落ちていった。

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