最終話 青春はネバーエンド

最終話 青春はネバーエンド 1/6

 運命の日。

 叢雲亮次むらくもりょうじがそう表現した〈あの日〉西暦一九九六年六月一日。この日を境に、亮次だけではない、多くの人の運命が変わってしまった。

 もし、もしもこの日、亮次が〈向こう〉に行くことがなければ。〈向こう〉で怪物相手に不覚をとることがなければ。瀕死の重傷を負うことなく、亮次が〈向こう〉から無事生還することができていれば。多くの人は今とは違う人生を歩んでいただろう。叢雲亮次が、あの日、命を落とすことがなければ。


 蜂のような怪物の針に腹部を刺し貫かれた亮次は、隊長に救出されて地球に戻った。亮次の容態を診た研究所所属の医師は、難しいだろうと口にしていたが、その表情には諦めの色がはっきりと見て取れた。亮次の伯父、叢雲業蔵ごうぞうが甥の身柄を自分が引き取ると言ってきたときも、どのみち助からないのだから、せめて遺族の好きにさせてやろう、という気持ちがあったに違いない。

 亮次は意識を失ったまま、ヘリで叢雲業蔵の研究所に運ばれた。研究所は町から離れ、周囲を荒れ地に囲まれた辺鄙な土地にあった。ここは、それから十年も掛からずに周辺道路が整備され、東都学園高校が建設されることになる。


 叢雲業蔵は亮次を研究室に運び入れてベッドに寝かせると、傷の治療を開始するでなく、頭に何かの装置を取り付け始めた。その装置から伸びるコードは大きな機械に繋がれており、その機械の横には骨格標本のような、人の姿を模した物体が仰臥していた。それは、叢雲業蔵が開発した人造人間アンドロイド。業蔵がスイッチを入れると、瀕死の亮次の頭に装着された機械を通して、亮次の〈自我〉や〈心〉と呼ばれるものを、この鋼鉄の体に移植する作業が開始された。

 それと同時に、村雲業蔵は亮次の〈肉体〉のスキャンを始めた。人造人間に〈被せる〉外皮を作るためだ。


 一日も掛からずに無機質な人造人間は、叢雲亮次その人と変わらぬ外見を得た。外見だけではない。その人造人間は亮二の頭脳、記憶、心、すべても得ていた。亮二に瓜二つの人工皮膚を被せられた冷たい機械の体。今やそれが叢雲亮次と呼ばれる存在に成り代わっていた。

 ベッドに寝かされた、かつての亮次。その〈肉体〉はとうに冷たくなっており、顔にハンカチが掛けられていた。


 亮次の〈新しい体〉には、村雲業蔵によりあえて腹部に傷がつけられており、その上に物々しく包帯が巻かれていた。あくまで「重傷から生還した」というていを装うためだ。研究所の職員たちに、何より、亮次本人に対して。

 新たに〈叢雲亮次〉となった存在は目を覚ました。起き上がるときに顔を歪めて腹部を押さえたのは、業蔵が入力した〈痛みのプログラム〉の効果に過ぎない。業蔵は涙を流しながら亮次を抱きしめた。

 亮次には〈向こう〉で怪物にやられて意識を失ってからの記憶がなかった。業蔵は説明する。「名医を呼んで手術を行い、奇跡的に一命を取り留めた」という偽りのストーリーを。亮次がそれを疑うはずはない。自分が生前の意識を移された〈人造人間〉と化していることにさえ気が付くことはなかった。業蔵が亮次にそれを告げなかったのは、甥に与えるショックを考えてのことだったのだろうか。


 約十日の間を置いて、業蔵は亮次連れて研究所へと戻った。

 所員たちは元気な亮次を見て驚きと喜びの声を上げたが、誰よりも驚いていたのは所属の医師だったろう。その日、業蔵は一旦亮次と一緒に帰り、数日後、再び訪れてから二人は研究所に常駐することになった。


 亮次の体は食料を必要としない。形だけ〈食べる〉ことは可能だが、あとで内部に溜まった食料を取り出さなければならない。その手間を省くため、業蔵は亮次に「傷に障るのでなるべく食物は口にしないように」と言い含めていた。ある程度の水分であれば、体内の熱で蒸発させてしまえるため問題はない。亮次はこの言いつけを守り、以降ほとんど食べ物をとることはなかった。

 亮次は搭載された〈生活プログラム〉により〈眠気〉を自覚させられ、一定時間のシステムスリープを経たのち〈起床〉するよう行動づけられていた。亮次の体を維持するための〈充電〉は、システムスリープ中に業蔵の手により行われていたことは言うまでもない。

 同時に業蔵は亮次の腹部の傷にも手を加えていき、徐々に〈治癒〉していくように見せていった。プログラムの作用により、亮次の感じる痛み、痛みにより制限される体の動きも、〈治癒〉が重ねられるにつれ改善されていった。


 甥の命を救い、業蔵は錬換れんかん武装兵士の開発も順調に進め、何も問題はないまま時間は過ぎていく。それが崩れたのは、八月四日の深夜のことだった。

〈向こう〉へ行く衝動を抑えられない亮次が無断で〈遺跡〉へ向かったのだ。目的は当然、〈遺跡〉を稼働させて〈向こう〉へ行くこと。

 業蔵は焦ったことだろう。それだけは絶対に阻止しなければならない。理由は明白だ。〈遺跡〉は生物しか通さない。生物以外のものがあの透明な円柱に入り〈遺跡〉を起動、転送させたら粉々に砕け散ってしまう。人造人間アンドロイドとなった亮次が〈転送〉されたら……

 業蔵は先回りをして〈遺跡〉の機能を停止させ、亮次の説得にあたった。だが、亮次は聞き入れない。業蔵は、ここでも亮次の体のことを告げなかった。未開の世界を踏破する甥の夢。それが永遠に叶わぬ夢となったということを知らせたくなかったのだろう。その判断は正しかった。あのタイミングで亮次が自分の体の秘密を知ったとしたら。果たして正常でいられただろうか……


 亮次の〈機能を停止〉させた業蔵は、亮次と、開発中だった錬換武装兵士の資料一切を持って研究所を脱出した。業蔵は〈遺跡〉いや、自分の両親が作り、山中に遺棄した〈肉体転送装置〉から手を引くことを決意していた。いつか生まれた星に、リヴィジョナーの襲撃を受け、イーヴィルの群れに蹂躙された故郷の星に帰ることを夢見て、業蔵の両親が建造した〈肉体転送装置〉から。業蔵は自分の両親の故郷に行くことよりも、甥の命を優先したのだった。

 自分の研究室兼自宅に着いた業蔵は、すぐに荷物のまとめにかかった。自分と亮次の不在を知ったならば、〈組織〉がすぐにここに来ることがわかっていたためだ。

 めぼしい研究資料を灰にすると、業蔵は機能を停止させた亮次と錬換武装兵士の資料だけを持ち、他のすべては残したまま研究室を去った。ある日、自分の脳内に宿っていることを知り、記録媒体に移して離れの地下室に封印した〈もの〉もそこに置き去りにされた。業蔵の両親がこの星、地球に辿り着いたとき、母星から彼の母親の脳内に入り込み、ついてきたもの。〈リヴィジョナー〉は業蔵の母親が新たな生命を宿すと、母体から、生まれてくる乳児の脳内に住処を移していたのだった。

 業蔵は、若き日に過ごしていた北海道に移り住んだ。


 北海道の、かつて住んでいた家に業蔵は住み始める。機能を回復させた亮次にも、すべてを話して聞かせた。亮次は不思議なほど素直にその現実を受け入れた。自分は本当は死んでいたということ。今の自分は人造人間アンドロイドの体を得ていること。業蔵と亮次は北海道に逃げてからも錬換武装の研究は続けていた。武装を装着する被験者は亮次が務めた。

 錬換武装の研究が完成に近づくと、亮次は自分も外で働きたいと言い始めた。北海道に来て以来、二人に組織の手は一度も及んでいない。あれから十年以上が経ち、遺跡が稼働を停止したことで組織は解散されていた。現在の地球人の科学力で〈遺跡〉を再稼働させることは不可能だ。

 一応の処置として〈橋広利はしひろとし〉と名前を変え、勤め先の近くにアパートを借りて、亮次は〈HDソフト〉に務めることになった。

 亮次は念のため、完成後も微調整を続けていた錬換武装兵士〈ディールナイト〉と〈ディールガナー〉の外見データを、およそフィクションのものとしか思えない〈ビキニアーマー〉に変更していた。信憑性を高めるため、亮次は会社の人間にもそれを見せ、自分が担当していた開発中のゲームキャラクターをこれに変更すると語った。

 組織は解散していたが、錬換をはじめとした叢雲博士の超技術を諦めきれない一部残党は、新たな組織を結成して業蔵と亮次の捜索を継続していた。

 二〇一一年のこと、北海道に〈組織〉の残党が足を踏み入れ、〈HDソフト〉に出入りする亮次を目撃した。アンドロイドであるがゆえ、亮次の外見は十数年経過してもまったく変わっていなかった。組織の人間は密かにHDソフトと亮次のアパートに入り込み、〈ディールナイト〉と〈ディールガナー〉のデータを目撃した。が、ここで亮次が外見を〈ビキニアーマー〉に変更していたことが功を奏した。組織の人間は、これが〈錬換武装兵士〉だとは露とも思わず、ゲームのデータと思い込みスルーしていたのだ。


 それから四年が経った二〇一五年。亮次は事故に遭った。その現場を業蔵が目撃していたのは僥倖ぎょうこうだった。亮次を自宅に連れ帰った業蔵は、損傷した亮次の頭脳から今までの記憶が失われていることを知った。応急の対応プログラムを入れ、亮次に退職願を提出させて会社を辞めさせた業蔵は、亮次の頭脳に新しい記憶を植え付け、顔も変え、まったく別の人間として生きさせることを決意する。亮次の頭に業蔵は、自分の若い頃の記憶を移した。亮次の外見に相応しい二十数年の人生を新しく組むとなると、その量は膨大なものとなる。業蔵は自分の記憶を与えるしかなかった。北海道で生まれ育ち、病弱な少女、白石祥子しらいししょうこに淡い恋心を抱いた業蔵の青春。その思い出は、そっくり甥の亮次に受け継がれた。亮次への措置がすべて終わると、業蔵は姿を消した。


 亮次は、業蔵の記憶を植え付けられた新しい人間として目を覚ました。業蔵は新たな名前の記憶も与えていたのだが、亮次は自分の名前を「叢雲亮次」と認識した。記憶の深いところに植え付けられた自分の名前を忘れることはなかったのだろう。亮次は、もうひとつ〈生前〉の記憶を持って生まれ変わっていた。それは、〈自分がアンドロイドであること〉この強烈な記憶は失われようがなかったのかもしれない。

 目覚めてから数ヶ月後、亮次は自宅に地下室を発見する。業蔵が封印した錬換武装兵士、ディールナイト、ディールガナーとの出会いだった。


〈組織〉解散後、所属員だった神崎雷道かんざきらいどうはその才覚を現し、一角の人物となっていた。同じく元組織の人間、敷島誠しきしままことを配下に入れ、神崎は残党の新組織とは別に、独自に叢雲業蔵と亮次の行方を追い、錬換武装の捜索も続けていた。

 業蔵が残した資料の中から、錬換武装の固有パターンを解析していた敷島は、ネット上に捜索の手を広げ、錬換武装のパターンが検知されたなら、即座にそれを奪う罠を仕掛けることに成功していた。ある日、その罠が作動した。

 亮次の目の前から、錬換武装が次々にネット上に散逸していく。亮次の手元には〈スペードシックス〉と〈ハートツー〉二つの錬換武装が残っただけだった。

 敷島にも誤算は生じていた。ネット上に出現した錬換武装は、敷島の予想よりもはるかに数が多く、しかも武装プログラムはすぐに自分たちの本来の居場所である〈二次元クラウド〉に逃げ込んでしまい、敷島が回収できたのはその中のわずかだけだった。敷島は「錬換武装プログラムはすべて異次元に散逸してしまった」と神崎に報告した。その頃、すでに敷島は〈組織の残党〉と手を結んでいたためだ。


 それから数ヶ月後、神崎は、ある町で怪物と謎の戦士による戦闘行為が行われたという知らせを耳にする。その戦士は、地面やコンクリートから武器を生成して戦うという。それこそが叢雲博士の残した錬換武装兵士〈ディールナイト〉に違いないと神崎は確信したことだろう。その町こそは、かつて叢雲博士の研究室があった町。しかも、怪物と謎の戦士の戦闘が頻繁に行われる東都学園高校こそは、その叢雲博士の研究室跡地に建設されていたのだ。神崎は金を積み、東都学園理事長の椅子を手に入れた。

〈ストレイヤー〉と呼称される怪物は、叢雲博士が錬換武装の研究時代に構築した、二次元クラウド内にほぼ無尽蔵に供給される半永久機関によって生み出される電力を糧に動いていた。神崎に先立って、錬換武装のパターンを追って来た亮次が東都学園のある町を訪れる。そして、二〇一六年四月二日、亮次は東都学園で尾野辺翔虎おのべしょうこと出会った。

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