第10話:「やっぱり毛お姉さまは天才ですね」

 その後、奇跡的に林彪は平静さを取り戻し、理性を失ってしまったクレイジーサイコレズから精鋭軍人の水準まで戻ってくれた。

周恩来はこの期を逃さず、彼女に今回の作戦の詳細な説明を行うことにした。

「気になっていたんだが、どうして我が方はこうも軽武装なんだ?」

 林彪は周恩来から説明を聞く前に、まず二人にそんな質問をした。

「兵力が不足している状況下で、その戦力差を埋めてくれるのは装備だ。なのに我々には個人携帯のライフルや槍ばかりだろう、これは一体どうなってるんだ? 装備の選定をするのは後方で枕を高くしている高官どもだってことは分かってはいるが、前線で敵を殺し、また命を犠牲にすることになるのは、私が手ずから育てた兵士たちなんだぞ」

「お前の言いたいことは分かっている…」周恩来は林彪の感情的な部分を意外に思いながら答えた。「だけど、まず僕たちの話を聞いてから結論を下してくれ。もし今回の作戦が順調に進めば、犠牲を出さずに任務を達成できるかもしれないんだ」

「どうするって?」

「これを見てくれ」毛沢東は地図上の東江を指さした……「現実問題として、我々は北面からの進攻は不可能、しかも恵州は他三方を東江に囲まれている。つまりどうするにしても、東江を渡らなければならないということだ」

「お姉さま、それは私も了解しているところです。一般的な戦法から言って、我々がいるこの位置から射程の長い野戦砲を使って間断なく敵軍を牽制しつつ、同時に工兵に木橋を設置させた上で、最終的にその橋を使い全軍を侵入させるしか…」

毛沢東は同意を示すように頷いた……「大筋はそれで間違いじゃない」

 「ではどうして…?」

「まさに東江の存在がそれなんだ」代わって口を開いたのは周恩来だった。「東江は天然の河川で、街を護るために人工的に整備された河じゃない。もしここに軍隊が短時間に渡河できる規模の橋を架けるとして、一体どれだけの時間が必要になるか分かるか?」

 「それならまず仮組みしたものを事前に用意して…」

周恩来は右手を伸ばし、林彪の言葉を遮った。

「それに、僕たちには野戦砲と橋の代用を同時に担ってくれる代用品があるんだ。そいつが届けば、僕たちも敵を攻撃できるんだよ」

「代用品?」

 林彪が声のトーンを落とした時だった。天幕の外から喧騒が伝わって来たかと思うと、一人の女性兵士が飛び込んで来たのだ。

「ち、長官に報告します! 東江に軍艦が現れました!」

「軍艦? どういうことだ! そんなものがあるなんて聞いてないぞ! まさか敵の秘密兵器か?」

 林彪が動揺する様子を見ながら、周恩来は得意げに腰に手をあてながらいった…

「待ってくれ。誰が敵の船だなんて言ったんだ?」


 三人が川岸に戻ってみると、軍艦から放たれた砲が無慈悲に敵方の野戦砲陣地を蹂躙している様子がみてとれた。

言ってしまえば多少なりとも射程が長く、威力もまあまああるという程度でしかない冏軍の野戦砲では、より長い射程を持つ軍艦の砲には太刀打ちできようもなかった。一台、また一台と敵の野戦砲は軍艦の射撃によって潰されて行った。

野戦砲陣地を守備していた冏軍は、まさか軍艦が現れるなど想像していなかったこともあり、瞬時に混乱に陥ってしまった。指揮系統を失ってしまった兵士たちはあちこちに逃げようとしたものの、軍艦からの猛烈な砲撃から逃れる術はなく、炸裂した砲弾に直接やられるか、或いはその衝撃波で倒されるかのどちらかによって、血の海の中に倒れて行った。負傷を免れた兵士たちも河に飛び込んで逃亡を図るか、甚だしきに至っては市内へと逃げ込もうとしていた。

「これは……これが、お前たちが言っていた代用品ってやつなのか?」

周恩来は軍艦を指さしていった……「中山艦だ。元々は永豊號という名だが、国母である中山女史を記念して改名された。西方列強の持つ艦と比べればとても強力とは言えない船だが、冏軍を相手にするぐらいならお釣りが来ると言ってもいいだろうな」

「配られた資料に全くそそられなかったのも……あ、まさか、あれが我々の軽武装の原因というわけか?」

 「そうだ。今回の作戦で陸軍が採用したのは軽火器で、軍用車両一台だって用意しなかった。だけどそれは、作戦予算をあの中山艦で使うための弾薬と燃料捻出に回すためだったんだ」

「つまり、最初からお前の作戦は海軍に今回の作戦に参加させることに重点が置かれていたというわけだな! こ、こんなことが通っていいのか! これでは我々陸軍が海軍の添え物のようではないか!」

「もしこの作戦がお前の敬愛するお姉さまの口から出て来たものだって知っても、まだそんなことが言えるか?」

「お姉さまはやはり天才だな!」

「てのひら返し早すぎるだろ!」

 傍で立ち尽くしていた毛沢東は、二人が見ているものと同様な光景を見ている中で、見る見る内に顔から血の気が引き、全身から震え出した。彼女は手が真っ白になるほど強く握りしめて耐えようとしていたが、傍から見れば、意味のない抵抗のようにしか映らなかった。

 周恩来は毛沢東の異変に気付くと、林彪と共に彼女の元へと駆け寄った。

「お姉さま! 大丈夫ですか?」

「これが……これが戦争か……」

「啊……」

この時、周恩来は毛沢東が初めて戦場を体験していたことに気付いた。

 周恩来や林彪のような軍人と違い、毛沢東は彼の書記となる前は政治組織の中で頭角を現し初めていただけの、いわば一介の市民に過ぎなかったのだ。

 彼女も今回の作戦実行前には幾らか覚悟を固めてはいたものの、実際に砲撃を目の当たりにすると、表向き平常心を保っているようでいて、その実戦争という名の残酷な現実を前に、一介の市民、一人の女の子として、耐えがたい衝撃を受けてしまっていたのだ。

 「……そうだ。これが戦争だよ」しかし、周恩来は彼女のその変化から目を逸らさなかった。「僕たちは普段のらりくらりとしているようだけど、この機会に、君は目を見開いてよく見ておいた方がいい。これが、僕たちが身を置いている時代なんだ」

「私たちの……時代……」

 毛沢東は周恩来の言葉を繰り返すだけで、返事もせず、ただ呆然と岸辺を見詰めているばかりだった。まるで、目の前の光景を深く自分の脳内へと刻み付けるかのように。

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