18 Imbalance Scale-取引-

 警備隊の隊員として生きていく、そういう未来図を描いていた僕の人生は、この数日で大きく様変わりをした。戦争の渦に飛び込んだ中で僕は、敵も味方も、多くの大人たちの駆け引きによって世界を動かしているのだと言うことをいやでも実感させられた。

 でも、その世界を忌避したところで、何も変わりはしない。だとすれば僕のするべきことは一つだった。その世界に飛び込んで、駆け引きでも何でも、勝ち切ってみせる。セブンスのために、レンジャーズのために、そしてキロアのために、アズールのために。僕は、自分のすべきことをするために、ここへ来たのだ。


「ついたわ」


 セニカ叔母さんの車に乗せられて僕たちがたどり着いたのは、ガイストの首都フライハイト。その中心に位置する議事堂だ。ここでこれから、正規軍幕僚長トゥイアメ・バルトロメウを待ち受けることになる。


「どう? 実際来て見て。少しは政治に興味持ちそう?」

「いや議事堂なら学生時代に見学に来ましたし。そういう感じで来ているわけじゃないですから」

「そうね、今日はある意味、今までで一番の戦いだものね」


 にやにやしながら僕を見るセニカ叔母さん。いやー、楽しんじゃってこの人は。こっちは修羅場だっていうのに。


「ヨエクくん」

「キヌアギアさん」


 後続の車からキヌアギア議長も降りてきて、ともに議事堂を見上げる。


「戦争屋の俺が、こんなところに来るなんてことは、思ってやいませんでしたがね」

「正規軍に残っていれば、いずれ来ていたのではありませんかね」

「まぁ、場合によっては有り得もしたかもしれませんがね」

「緊張なさいます?」

「関係は薄くとも元上司ですからね、緊張というよりは、厳しいあの頃のことを思い出してしまうくらいのことで」

「トゥイアメ幕僚長は厳しい方でしたか?」

「厳格な方ですよ」

「賢くて厳格。好きな方ではありませんね」

「警備隊で好き勝手やっていたというヨエク暫定司令にとっては、不得手でしょうな」

「そして、キヌアギア議長にとっても。でしょう?」


 キヌアギアさんは乾いた声でははっ、と笑った。僕はこの人も手の内が見えないところが見えないあたり、苦手だなと感じているのだけれども、それでも不信感を持ってはいない。多分、この人のどこかに僕は、将軍の面影を重ねているのかもしれない。


「ほらほら、レンジャーズのツートップさん。もう一方、役者さんがご到着よ」


 セニカ叔母さんに言われて、僕たちはその場に到着したもう一台の車の方を見た。中から現れたのは、セブンス首長エイブラハム・ウェイブだった。


「首長!」

「ヨエク、元気そう……でもないだろうが、まぁ思ったよりも元気だな」

「……首長は、その、どこか体の具合でも……?」


 僕は無遠慮にそう聞いてしまった。つい、聞いてしまったのだ。前に会った数日前まで、首長は杖などついていなかったのに、今日は車から降りてきてから杖をついていたのだ。


「いや何。ザンクト・ツォルンの対応で少し疲れているだけでな」

「ご無理はなさらないでくださいよ」

「年寄扱いするなよ。まだ俺も耄碌する年齢でもないしな」


 首長はそう言って二カッと笑ったけど、顔を見ても、やっぱりそうだ。少しばかりやつれている。疲れ、そうかもしれない。でも、それ以上に、影響を与えているものはある筈だ。首長と将軍は、自ら腐れ縁と称するほど、長い時を過ごしてきた盟友だった。共に過ごした時間は孫である僕は勿論、娘であるセニカ叔母さんや、子飼いの部下だったキヌアギアさん以上に長いはずだ。


「その、将軍のことは」

「ヨエキアはいつだって、命のやり取りをしてきていた。むしろ今まで生きてこれたのが不思議なぐらいにな。こういうことはいずれ起こると思っていたさ」


 寂しげなその返事に、僕は次の言葉を躊躇った。


「ほら、感傷に浸ってる場合じゃないわよ、エイブおじさんも、ヨエクも、議長さんも」

「分かってるさセニカ。しかし、お前は強いな」

「だって私は、パパの娘ですもの」


 そう言ってにやりと笑ったセニカ叔母さんに、僕は恐怖すら感じた。感情が無い訳じゃない。悲しくないはずはない。だがそれ以上にセニカ叔母さんにとって将軍の死は、実の父の死は、自分の地位と名誉を手にするためのチャンスとして、明確に位置付けて、それに徹して行動をしているだけなんだ。追悼式典を通じて、コール家の、そして自分の価値を高めるために動いている。明確な目標と、ヴィジョンが見えている人間の行動だ。


「君の叔母さんは、恐ろしい政治家になりそうだ」


 さすがのキヌアギア議長も、僕の耳元でぼそりと呟いてきたので、僕はそれに苦笑いをするしかなかった。


「将軍の娘ですから」

「そして、君もまた将軍の孫なわけですがね」

「それはそれ、これはこれです」


 僕たちは少しでも緊張を紛らわすために、そんなことを言いながら議事堂の中へと入っていく。通されたのは議事堂の中に存在する会議室のうち、大きめの部屋だった。


「トゥイアメ幕僚長も間もなくお見えになります。お座りになってお待ちください」


 セニカ叔母さんの秘書であるシウバさんに促されて僕らは会議室の席に座る。僕とキヌアギアさんが前に座り、セニカ叔母さんとエイブラハム首長は部屋の隅の椅子に座る。


「私たち政治屋はあくまで今日この場のセッティングとおぜん立てがお役目。後はあなた達二人の腕の見せ所ってこと」

「僕ら二人の、ではありませんよ。レンジャーズという組織の、です。その力をトゥイアメ幕僚長には感じていただくわけですから」


 これは駆け引きだ。レンジャーズが如何にトゥイアメ幕僚長にとって魅力的な組織であるか。それをアピールする準備は出来ているし、あまり心配もしていない。大事なことは、ガイストの防衛において、レンジャーズが正規軍とは別に存在し続けるその意義を感じさせ、それをトゥイアメ幕僚長に任せるメリットがどうあるのか、提示すること。そのために、こちらも出血サービスの覚悟だ。


「幕僚長がいらっしゃいました」


 シウバ秘書の言葉を聞いて、キヌアギア・ネレイド議長の表情が引き締まる。その表情は、まさに臨戦時のものだ。そうだな、これは戦いなのだ。

 僕とキヌアギアさんは立ち上がり入口近くまで歩み出て幕僚長を迎え入れる。


「すまない、お待たせしてしまったかな」

「いえ、我々も今来たところです」


 僕が手を差し出すと、入ってきた紳士――トゥイアメ・バルトロメウ正規軍幕僚長はそれに応え、僕たちは握手を交わした。


「初めまして、若き司令官殿。ガイスト軍幕僚長トゥイアメ・バルトロメウだ」

「コールズ・レンジャーズ暫定司令ヨエク・コールです。お見知りおきを」

「ヨエキアさんの孫と聞くが、なるほど似ている。キヌアギア・ネレイドも久々だな。5年前にやめた時は副師団長だったか?」

「その時は既に師団長でしたよ。そして今は幕僚会議議長です」

「幕僚会議議長か。けったいな役職だな。ヨエキアさんの任命か?」

「まぁ、そんなところです。さ、挨拶はこれぐらいで。どうぞお座りください」

「そうだな」


 キヌアギアさんがトゥイアメ幕僚長を席へと誘導する。立っていた僕らもそれぞれの席へと座る。僕らの周りにはキヌアギアさん配下の幕僚たちが、トゥイアメ議長の周りには正規軍の幹部たちが、セニカ叔母さんとエイブラハム首長の周りには各党の職員がそれぞれ脇を固めている。昨日の最初の幕僚会議の時も、海千山千の大人たちを相手にしたわけだけど、レンジャーズは言ったって自分の組織の偉い人達相手だ。いざとなれば彼らは僕の味方だ。でも、今この場は違う。正規軍は、まさに今裁判で争っている相手だ。そして同時に、共にガイストを守る同士でもある。そのトップが目の前にいる。絶対に敵にまわしてはいけない相手と、今僕は戦わなきゃいけない。


「しかし、良く集まったものだな」


 トゥイアメ幕僚長は僕たちを舐めるように見ながらそう呟いた。


「長年の盟友にしてガイストのかつての重鎮に、愛娘にして新進気鋭の代議士。長年目をかけてきた子飼いの部下にして現レンジャーズの最高幹部。そして……後継者として、スペシャル・チルドレンとして育てられた孫。……ヨエキアさんの蒔いた種が、芽吹いたというところか」


 言われた通り、確かにこの場には将軍ヨエキア・コールに関わっていた人間が一堂に会している。そしてそれは、将軍の腹心の部下だったトゥイアメ・バルトロメウ幕僚長自身も含めてだ。

 僕は小さく息を吐いて、トゥイアメ幕僚長に話しかける。


「トゥイアメ・バルトロメウ幕僚長。挨拶は先ほどまでとさせていただき、早速、単刀直入にこちらのお願いを申し上げさせていただきたいのですが」

「聞こう」

「昨晩、我々は一人の英雄を失いました。そしてそれは、セブンスを、そしてガイストを守るという我々コールズ・レンジャーズの使命と意義が、脅かされた瞬間でもありました。我々は、その使命と意義を果たすのに、未熟であることを思い知らされました。ですが、その使命と意義を、我々は放棄するわけには参りません。現状を整え、成熟させていく必要があります。そして我々は、それを成し遂げるためには自分たちの力だけではなく、外から新たな力を得ることも辞さない覚悟です」

「ヨエク・コール暫定司令。単刀直入にとは自ら言った言葉だ。願いに言い訳は無用だ」

「では申し上げましょう。我々コールズ・レンジャーズは、トゥイアメ・バルトロメウにコールズ・レンジャーズの次期司令官の職務をお任せしたい」


 トゥイアメ幕僚長の周りの幹部たちは、少しばかり表情が変わってお互い顔を見合わせたりしていた。だが、慌てた様子は見受けられなかった。幹部ですら、だ。トゥイアメ幕僚長に至っては、表情も姿勢も変えることなくそのまま僕を見続けていた。間をあけてはいけない、と思った僕は言葉を続けた。


「セブンスは、ガイスト、いや延いては世界中の資源供給における重要度は、供給側である我々よりも、需要側である本島の方々の方がむしろご理解いただけているものと思っています。その防衛にレンジャーズは今や欠かすことは出来ません。レンジャーズをより強固なものにすることが、ガイスト全体の防衛の要点となり、世界の安寧への道だと考えております」

「ヨエキアさんの思想を否定するつもりはない。が、肯定もできない。立場上な」

「察します」

「つまるところ、レンジャーズが防衛に不可欠、というところを否定するつもりは無いが、しかしだとすれば、創始者たるヨエキアさんが不在となり、そして組織内に後継者の適任もいなければ、更に私を後継者だと考えているのなら。レンジャーズは解散し、ガイスト軍に接収されるのが筋じゃないのか? 元々君らは、我ら軍の人間だったわけだから」

「通すべき筋は一つではありません」

「ではヨエク暫定司令、君の考える筋とは何か聞きたいな」

「ヨエキアの信念です」

「信念で、島が守れると?」

「信念は島を守るためではありません。島を守るのはレンジャーズであり、レンジャーズを守るのが信念です」

「君は哲学者かね?」

「哲学はお嫌いで?」

「哲学では、島は守れないからな」

「では幕僚長は、何が島を守るとお考えで?」


 僕の問いに、トゥイアメ・バルトロメウ幕僚長はにやりと笑った。


「人だ。信念も、兵器も、禍根も、戦争も、もちろん組織も、戦術も、希望も、島も、自由も。 全て人が作り出した。人が作り出したもので攻められれば、人が作り出したもので守るしかない」

「仰る通りです。島を守るのは人であり、その人をまとめたのが組織であり、その組織を束ねるのはまた人であり、人が組織を束ねるのは信念であり、その信念もまた」

「人が作った」

「ヨエキアの信念が、我々組織には血のように通っています。僕が信念と答えた、その理由です」

「君の考えは分かった。君と私とでは、見えているものが違うようだ」


 呆れている、という口調ではないが、感心してるって感じでもない。客観的に事実と感じたことを述べただけだろう。


「だが、筋という意味では理解できるものではあるし、それを、信念を守るために、ヨエキアさんの後継者として私を指名したと言うことであれば、なるほど私は悪い気はしない」

「お引き受けいただければ、勿論相応の待遇はご用意させていただきます」

「君の一存で決められることかね」

「決めるのはオーナーである我が父ソウグ・コールです」

「……確認するが、つまりレンジャーズで一番偉いのは誰なのだ? 君か? 君の父か? キヌアギアか?」

「それを決める権限を、あなたに託すという話をしているのです。トゥイアメ幕僚長」

「なるほど、責任を押し付けたくなる理由も分かった。確かにそんな状況を押し付けられる相手など、折れる指は一つしかないな」


 トゥイアメ幕僚長は笑ってそう言った。

 これでいい、うちの状況の悪さはやや誇張するぐらいでさらけ出せばいい。レンジャーズ接収のメリットを低く見せ、かつレンジャーズ再建自体は必須である、そう思わせる必要がある。ここまでは、手ごたえを感じている。トゥイアメ幕僚長は、僕たちの依頼に興味を示している。悪く思っていない。ここまでは順調だ。だが、ここまでは順調に決まっている。こじれさせるところじゃないのだ。問題はここから。


「ご興味を持っていただいて幸いです。改めて伺います。レンジャーズ次期司令官の職務、お引き受けいただけますか?」

「確かに、興味は持ったし、引き受けることはやぶさかではない。が」

「ご不満が?」

「お互いの立場を配慮の上での申し出なら、喜んで引き受けるんだがね。ここまでは、台本通りと言ったところなのだろう?」

「お気づきで」


 動揺する必要は無い。ここまではお互い分かっていたことだ。冷静に、話を進めればいい。


「私がレンジャーズの司令官となって、ガイストにどんなメリットがある?」

「セブンスがガイストにとって重要拠点であることは、これも我々より本島の方々の方がご理解なさっていると思います。フィフスを実効支配するザンクト・ツォルンは勿論、海を挟めばノアが、大洋の向こうにはユナイトがいます。ここを守れるのは、ヨエキア・コール以外に誰がいますか?」

「堂々巡りだな。それはつまりさっきの筋の話に戻ってしまう。話すべきはそこではない、だろう?」

「では、メリットがあれば、のんでいただけると?」

「それも堂々巡りだ。我々にとってのめる条件は、レンジャーズの接収。それに尽きる」

「それはつまり、レンジャーズを維持し、トゥイアメ幕僚長に来ていただくだけのメリットを、正規軍、あるいはガイスト本島に提供できれば、その天秤が釣り合えば成立する取引でもあると、そういう解釈をしても?」

「釣り合う天秤があるのならな」


 僕はキヌアギア議長の方をちらりと見る。トゥイアメ幕僚長はおそらく、こちらが何を提示してくるのか見定めようとしている。いや、この場合はトゥイアメ幕僚長自身というより、彼の周りにいる幹部たちが、と言った方が正確だろうか。

 キヌアギアさんは僕に代わって話し始める。


「二年前、地上から資源エレベーターを利用してあらわれたザンクト・ツォルンによって、フィフス襲撃が開始されました。フィフス全土で展開された約一年に及ぶ戦争は、結果としてガイストの撤退によって一旦の収束を迎えました。世界でもトップクラスの武力を持つガイスト軍が、大方の予想に反して敗北したのです。何故でしょうかね」

「当時ガネイシア内戦に兵力を割き、地上でも戦線を維持していた。フィフスを防衛し続ける利益が我々には無かった」

「とは仰ってますが、そんなわけはないでしょう。フィフスに価値がないのなら、ザンクト・ツォルンは襲ってきたりしない。ザンクト・ツォルンは、元々地上のテロリストと目されている。資源を得るのなら資源基地を襲えばよかった。フィフスを襲わずとも資源基地を支配下に置けば、フィフスへの供給は絶たれ結果としてガイストに与える被害は同等のものだったはず。しかし、リスクを冒してでも彼らはフィフスを手中に収める必要があった。それは軍事的に重要拠点だったからではないですかね?」

「彼らの価値と、我々の価値と、君らの価値は同じではない」

「そう、同じではない。ガイスト軍は、フィフスという拠点よりも別のものを優先した。ガイストは一年の戦争で消耗しすぎた。これ以上兵を失ってまで、維持する必要があった。そういうことではないですかね?」

「聞きたいことがあるなら、それを聞けばいい」

「では聞きましょう。ガイスト軍がフィフスから手を引いたのは、ザンクト・ツォルンが真竜の運用を本格的に始めたから。違いますかね?」


 それは、僕たちが事前に仕入れていた情報を総合した結果だった。何故正規軍が真竜の存在を隠したのか、その真意は分からない。あるいは確証がなかったのかもしれないし、むやみに不安を煽らないための措置だったのかもしれない。とはいえ、我々レンジャーズもザンクト・ツォルンと対峙して、彼らが真竜を有することが明るみになった今、翻って考えてみれば、世界有するの軍事力を有するガイスト正規軍が、テロリストに屈する理由などもはやそれしか見当たらないのだ。

 真竜相手では、普通の竜では太刀打ちできない。戦ったところで、いたずらに兵力を消耗するだけ。相手が一匹だけなら魔力切れを待つことも真竜相手の戦いでは有効だけど、それが何体も現れれば。一体で戦況を変える驚異の存在が、魔力切れを見越して入れ替わりで攻めてこられたら。戦線など維持できやしないだろう。

 話を聞いたトゥイアメ幕僚長は、静かだった。だが、動揺している素振りも見られない。キヌアギア議長に続いて、僕も言葉を続ける。


「おそらく諜報で得ている情報かと思いますが、我々レンジャーズも既に三体の真竜を有しています。真竜の研究は元々ユナイトでされており、勿論ユナイトは真竜の技術を有していますし、ノアのオークニー騎士団は現在ザンクト・ツォルンに下り、団長のワッハ・オークニーもまた真竜の力を有していて、その力がいつノアに渡ってもおかしくはありません。ヤシマもまたかねてより竜の研究が盛んであり、真竜の研究もすぐユナイトに追いつくでしょう。かつて戦闘機が竜に敗れたように、今戦場はまさに竜から真竜への転換期を迎えています。そして、ガイストは今その状況に、取り残されているのではないでしょうか」


 僕の言葉をトゥイアメ幕僚長は黙って聞いていた。果たして、僕がこの話をすることを正規軍は予想していたのだろうか。どうであれ、ここまで話せば、こちらの提案はある程度予想がつくはずだ。


「その話はつまり、我々ガイスト軍に、真竜の技術を提供すると?」

「我々レンジャーズはセブンス警備隊と関係が深く、セブンス警備隊には【アトリ】出身の研究者がいます。そのつてで、我々レンジャーズと【アトリ】もまた協力関係を結ぼうと考えています」


 【アトリ】の研究者とはもちろん、スウケさんのことだ。そして、【アトリ】との協力関係の強化も、ここに来るまでの間に話をしていたことだ。スウケさんというパイプがあるのだし、僕自身だって【アトリ】の関係者であることに違いはない。利用しない手はない。そして【アトリ】は元々ガイスト正規軍から独立した機関だ。現在もガイスト正規軍とのつながりは深い。


「【アトリ】を通じて、真竜の情報を我々に流すと言うことか。確かに、真竜は我々ガイスト軍は有していないし、対策のために情報は欲しいところ。諜報部や【アトリ】の研究者が情報を集めているが、やはり生きた情報を得ることが出来ることは確かに非常に大きな価値がある」


 そこまで言ってトゥイアメ幕僚長は一つ考える様な仕草をする。そして表情を変えることなく、僕を鋭い眼光で見つめながら短く言い放ってきた。


「いらないと言ったら?」

「……え?」

「真竜の情報。我々には不要と言ったら、この話は破綻かね」


 真竜の技術が不要? 何だ、どういうことだ? 何故そんな話をする? まさか、正規軍は既に真竜に対抗するための手段に目途がたっているのか? そうだとすれば、この取引は破綻することになる。……いや駄目だ動揺しちゃダメだ。それが真意だろうとただの揺さぶりだろうと、動揺が相手に伝わるようなことがあれば、こちらの手の内の少なさを明かしてしまう。冷静に対処を、しなければ。そう思っても、その一瞬、咄嗟に言葉を絞り出すことが出来なかった。せめて表情には出ないようにしなければ。そう思いながら僕は僕はちらりと横のキヌアギア議長を見る。彼は一瞬目をつぶり静かに息を吸い込むと、絞り出すように静かに呟いた。


「ユピテル計画」


 かすかな声で言ったその言葉は、それまで全く動かなかったトゥイアメ幕僚長の眉を、僅かだが動かした。なんだ、ユピテル計画って! そんな情報、僕は聞いていないぞ!


「図星ですかね?」

「我々には計画がある。話せることはそれだけだよキヌアギア・ネレイド」

「スペシャル・チルドレン計画に真竜計画。やれやれ、どうにも過去の遺物にすがる方々ばかりで困りものですがね。しかし、もし本気で、ユピテル計画をお考えなら、アレをどうにかしたいのなら。我々の申し出を断ることなんか、なおのことできやしないのではないのですかね?」

「どういう意味だ?」

「お分かりになりませんか? 我々が有する三体の真竜。内一体は、今ここにいるヨエク・コール暫定司令なのです。つまり彼は、スペシャル・チルドレンであり、真竜であるということです」


 そうキヌアギアさんがそう言った瞬間もなお、トゥイアメ幕僚長の表情は大きく変わることは無かった。が、その周囲にいた側近たちはざわついた。

 僕はこの状況を呑み込めていなかったが、多分今、トゥイアメ幕僚長が墓穴を掘ったのだろう。もう一度キヌアギア議長を見る。彼は僕を見て小さく頷いた。合図だ。これはチャンスなのだと。分からないなりに、答えを手繰り寄せていく。


「お渡しするのは真竜の運用データだけではありません。実際に僕自身が真竜に変身して、【アトリ】で取得できる記録は全て、【アトリ】を通じてあなた方正規軍にお渡しします。例えばそう、僕自身の健康状態や、変身でかかる負担、心身への影響。スペシャル・チルドレンである僕に、どの程度まで影響が出るのか。それは、きっと、スペシャル・チルドレンの運用にも大きな意味を持つのではないでしょうか。あるいはその、あなた方の計画にも」

「ふむ。……技術部としての意見を聞きたいが?」


 トゥイアメ幕僚長は後ろを振り返る。側近がこちらに聞こえない小さな声で耳打ちをしている。


「なるほど、確かに、真竜とスペシャル・チルドレンの合わせた情報ならば。正規軍にとっても十二分に価値のある情報かもしれないな」

「ご検討いただけますか?」

「いや、我々の計画は既に目途が立っている。その情報が我々にとって、いやガイスト軍にとって、私と交換条件になるものではない」

「はっきりと仰る」

「事実だからな」


 それでも取引に応じないのか? ユピテル計画とはなんだ? その計画で何故、フィフス奪還の目途が立っている? いやフィフス奪還だけの話じゃない。周辺の島々が真竜を戦力として運用していく中で、真竜の情報を欠くことはあまりにリスクが高すぎるはずだ。だとすれば、ユピテル計画とはその差を補って余りあるほどの、計画だとでもいうのか?

 いや待て落ち着いて考えろヨエク・コール。大切なことは「ユピテル計画とは何か」を考えることじゃない。それが何であれ、真竜の情報と、トゥイアメ幕僚長を交換条件にすることが、釣り合っていないと言われているのだ。ならどうする? 価値を、対等にすればいいのだ。

 分かっていたことだ。真竜の情報提供は切札。先に切ったが、手札はこれだけじゃない。手繰り寄せろ、ヨエク・コール!


「釣り合わないのは、何故でしょうか」

「私に聞くかね」

「仰っていただけるのなら」

「言えることはあまりないが、私は退役が近い。だが、退役しても私には次の仕事がある」

「その次の仕事を、レンジャーズに変えろ、と言っているだけなのです。我々も」

「だからそれは交換条件には」

「そうならない。我々が提示しているのは、あなた方正規軍にとって、一切のリスクを背負わせない提案なのです。お分かりになりませんか」


 じっと、トゥイアメ幕僚長の目を見据える。僕は、ぎゅっと手に力を込め、息を吐き出す。畳み、かける!


「そもそもヨエキアがセブンスにレンジャーズを組織したのは、ユナイトとノアを警戒し、ガイスト最西端のこの島の防衛意義を考えてのことです。そして、ガイスト正規軍では守れないと感じていた。一つは、承認プロセスの煩雑化による判断の遅さ。もう一つは、敗北時の信頼低下のリスク。これを背負ったままではガイストは守れないと踏んでいた。故に、正規軍から切り離し、その全ての責をその一身に負うことを選び結成されたのが、コールズ・レンジャーズなのです」

「レンジャーズの理念はいい。だが、レンジャーズの独立は我々正規軍の混乱と弱体化を招いた」

「招いても、戦いの最前線に立つのがレンジャーズであるのだから、問題ないと踏んでいたのでしょう。だが、誤算が起きた。晩年のヨエキアは嘆いていました。自らの判断と勘の鈍さを。果たして敵はセブンスではなく、フィフスに現れた。最悪のテロリストとして」


 フィフスに現れたザンクト・ツォルンによって、ガイスト正規軍の信頼は落ちてしまった。コールズ・レンジャーズはセブンスを守るための組織として、フィフスににらみをきかせることは出来ても、攻めることは出来ない状況が作られてしまった。


「レンジャーズは、セブンス防衛のための組織です。それは変えられません。しかし、幸い我々は民間組織です。コール家の私兵集団です。セブンス市民の平和のためなら、我々は如何なる手段も辞さない。守るための組織で、有り続ける必要は無い」

「……フィフスを、レンジャーズが奪還しようというのかね」

「我々が動くことで、正規軍は北西の防衛で手を汚す必要が無くなるわけです」

「だが、その手柄は、我々軍のものではない」

「軍のものではありません。その手柄を手中に収めるのは、トゥイアメ・バルトロメウ。あなたです」

「私に、ザンクト・ツォルンを下せと?」


 そうだ。レンジャーズはセブンスを守るための組織。その事実は変わらない。だが、セブンスを守るためなら、フィフスだって自ら奪還すべきだし、その困難を乗り越えるすべを持つ人間を招聘できるなら、惜しみなく招聘すべきなのだ。


「フィフス奪還を終え、ノアとユナイトに対して戦力の誇示を成し遂げれば、改めてどこへなりともお行きになればいい。余生を閑職でお過ごしになればいい。ですが、ザンクト・ツォルンの脅威は既に、国難です。本島だセブンスだなどと言っている場合ではない。ガイストの安寧はいつ脅かされてもおかしくない。だが、正規軍はフィフスで一度敗走をしている。計画が整ったところで、奪還への道筋に世論がどこまで後押ししてくれるでしょうか。それならば。この大事な時期に、目の前に先人が残した都合のいい道具があるのに、使わない手がありましょうか?」


 レンジャーズを使うことのできる、将軍ヨエキア・コールのなそうとしたことを果たせる人間は、そう多くはない。ガイストの平和のために、誰が何をやるべきかは、見えているはずだ。


「なら問うが」

「何でしょう?」

「君の暫定司令という役職、おそらくヨエキアさんの任命によるものだろう?」

「お察しの通りです」

「何故、ヨエキアさんは君を暫定司令に任命した? 私は、ヨエキアさんに長く仕えていたから、あの方の考えていることは大体想像がつく。何の意味もなく、君を暫定司令に任命などしないだろう」

「それは僕が」

「君が、レンジャーズの後継者にふさわしいとヨエキアさんが考えたからに他ならない。と、私は思うがね」


 押しが甘かったのか? 手を変えて矛先を僕自身に向けてくるなんて。そんなに拒否することもないだろうに!


「将軍ヨエキアにも、あなたにもそう思ってもらえることは光栄ですが。ただ」

「ただ?」

「……ヨエキアは17で、軍を動かしたりなどしませんでしたよ」

「ふふっ、ははっ。そうだな、ヨエキアさんとて17の時は、ただの新兵だった。17で巨大な組織をうごかそう、世界を変えようなどという酔狂な狂人は、私は一人しか知らないな。ねぇエイブラハムさん?」

「ここで俺に話を振るなよ」


 エイブラハム首長は少しばかり迷惑そうに苦笑いしながら答えた。


「それを望む声はなかったわけではありません。僕自身がレンジャーズを背負って立つ。それもまた解決策ではあるとも確かに考えました。ただ、将軍ヨエキアのスペシャル・チルドレンであるこの僕が座るべきなのは、司令室の椅子ではなく、竜の背中であると、僕は考えています。……僕は、今の僕にできる範囲で、最大限ヨエキア・コールを継ぐもの……【コラテラル・コール】を目指します。これは、今の僕らの合言葉です。そして、あなたもまた、【コラテラル・コール】としてのお力を、発揮いただきたい」


 僕の言葉を受けて、トゥイアメ幕僚長は静かに目をつぶって考える仕草を見せた。僕は唾を呑み込み、じっと彼を見つめた。やがてトゥイアメ幕僚長は後ろを振り返ると、側近に告げた。


「防衛省に話があると伝えてくれ。それであちらも理解できる」

「その件なら軍を通さずとも、私が取り次ぎましょうか? トゥイアメ・バルトロメウ幕僚長殿?」


 そう言って声をかけたのはセニカ叔母さんだった。急に来たな、この人は。


「ふふ、はははっ。なるほど。私はどうにも、コール家の人間には弱いらしい。では君から責任を持って、防衛省長官に伝えてほしい。任されてくれるね、セニカ・トラスト・コール上院議員」

「任されて」


 そう言ってにやりと笑うと呆気にとられる僕を見て声をかけてきた。


「ほらほら、何を呆けているのヨエク」

「えっ?」

「分かるでしょう、この勝負、あんたたちの勝ちよ」


 そう言われて僕は、トゥイアメ幕僚長を見る。彼は静かに頷いた。その周りの側近たちは、残念そうにしながら戸惑っていた。そうして僕はようやくキヌアギア議長の方を振り向いて、その安堵の表情を見た瞬間、僕は自然と笑顔がこぼれたのに気が付いた。キヌアギア議長の差し出された手に気付き、僕はそのままぎっちりと固く握手をかわした。


「ヨエク暫定司令」

「はいっ」


 不意にトゥイアメ・バルトロメウ幕僚長に呼びかけられ僕は少し驚きながら彼の方を振り向いた。


「その若さで、その度胸は流石と言ったところだね」

「いえそんな。生意気を言って大変失礼を」

「いや、互いの立場がある。気にすることじゃない。それに、まだこれは私がコールズ・レンジャーズの次期司令官を受ける方向で検討する、という段階だからね。君にとっても私にとっても、本当の交渉はこれからだからね。お手柔らかに頼むよ」


 笑顔を浮かべながらそう言うトゥイアメ幕僚長に、僕は静かに、大きく頷いた。

 僕たちコールズ・レンジャーズとガイスト正規軍の政治的取引は、ガイスト周辺の島々を巻き込む大きな動乱の引き金になることは、僕たち自身だって気づいていた。だからこそ僕はこの結果を活かすためにも、既に視線は次へと向いていた。

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