03 Killoa Heart-少女-

 僕たちセブンス警備隊の前に現れた純白の巨竜アイラムとそれを追って漆黒の巨竜に変身した男サドゥイ。

 僕は咄嗟の判断でアイラムを操って、サドゥイを退けることに成功した。

 だけどその直後アイラムは人間の女の子の姿になって、意識を失ったまま目を覚まさなくなってしまった!


「スウケさん、どうなんです?」

「驚くよ。この見た目でも、確かにこの子は竜だね」


 アイラム、そして捕虜として捕まえたサドゥイを連れてきたことで生じたバタバタがようやく落ち着いたころ、船内で唯一、竜の医療に心得があるスウケさんがアイラムを診てくれた。


「この姿でも魔力はそのままだし、体の構造も竜の体を強引に人の型に押し込めたような感じだし」

「あの、そういうことじゃなくて」

「分かってるさね。容体だろう?」


 ベッドに横たわるアイラムと、その体に触れながらいろいろ確かめるスウケさん。それを見ながら何もできない僕のこのもどかしさ!


「私もこんな子は見たことないからね、確かなことは言えやしないが。人間でいう、まぁ貧血みたいなもんさ」

「貧血、ですか」

「人間のそれよりちょっと症状は重いがね。普通の竜もたまになる。ようは魔力の供給が追い付いてないのさ。体も額も大分熱を帯びている。無理をしてたんだろうね」

「治るんです?」

「しっかり休めば、1時間ほどで供給が追い付く。いや、この子の場合はもっと早いかもしれないね」


 すぐ治るならよかった、呼びかけても全く反応を示さない様子は、正直かなり不安を感じていたんだ。


「イニ、頻繁に額のタオルを替えてやって。一応数分おきに魔力の循環をチェックして、極端な増減があれば知らせるんだ」

「はい!」


 イニさんの返事を受けて、スウケさんは笑って「任せたよ」と言って立ち上がる。


「スウケさんは?」

「まだ竜を戻してないし、あの捕虜、自分の竜も連れてきたからね。3匹も。いっぱいなのさ」

「僕は、何かできることありますか? その」

「あるさ、まずは船長に怒られるっていう、重要なタスクがね」


 休憩室を共に出て、スウケさんは船の後方に向かいながら僕にそう言った。


「この子を助けるためだったんですよ」

「命令違反は命令違反だろ? 絞られるんだね」


 スウケさんは一瞬振り返り笑いながらそう言うと、再び歩き出した。


「仕方ない、イニさん後は任せます」

「任されます。終わったら戻ってきてくださいね。この子のそばに、ヨエクくんがいてあげるべきだと思うから」

「はい、うまく切り抜けます」


 アイラムのことはイニさんに任せて、僕はブリッジに向かった。ブリッジでは船長、先輩、ブリッジクルーたちだけがいた。


「ソキアバさんたちは?」

「ソキアバさんとギアビはあのサドゥイってやつの監視中だ。そっちはどうだった?」

「一時間ぐらいで目が覚めるって話でした」

「ひとまずはって感じか」

「そうですね、そうです」


 入り口近くにいた先輩と軽く話をしてから、僕と先輩は、航空士のニムさんと話をしていた船長の傍に寄った。船長は会話を打ち切って僕たち二人の方を振り返る。顔は、やっぱり怒ってる。でも怒鳴りかかりそうなのを押し殺して、深呼吸した後僕たちに話しかけてきた。


「俺は正論しか言いようが無いし、お前らの言い訳は理想論でも結果オーライである以上、平行線になっちまうし、そんなことに労力を使いたかぁない。だが、俺が怒る理由は、分かるな」

「責任の取れない博打を打ったことは、反省はしているつもりです。でも、ガイストの空で勝手をやらせていいわけじゃないでしょう」

「それをやりたいなら、大人しく正規軍に入れってことだ。お前がここに来た自分の意思と、お前の意思を受け入れた大人たちの、その意味を考えろと言っている」

「それは、分かってはいるんですけれど」


 船長の言っていることは分かっている。僕が正規軍ではなく、一警備隊にいるのは僕のわがままなのだ。祖父や正規軍の偉い人達、警備隊の人達の協力があって、僕はここにいる。だから僕が勝手をすれば、それは流石にわがままが過ぎると受け止められるのは然るべきことであり、そのことを分からないほど僕は子供ではないのだけれども、アイラムのことに関してみれば、そんな事情は僕の中ですっ飛んでいた。


「そんな話じゃないんですよ。こいつ、一目惚れですよ。だろ?」

「ちょ、先輩!」

「一目惚れ? あのアイラムってのにか?」


 何を言い出すんだ先輩! 確かに僕は、竜の姿をしたアイラムに一目惚れをした、アズールと言うものがありながら。それは事実だ。そして、そのアイラムに助けを求められたのだから助けたのだというのも事実だ。事実だけど、それを今ここで言うなんて!


「船長も竜石の干渉で聞こえてたでしょうけど、助けを求められたから、助けたってだけですよ。僕は、そんな、一目惚れとか」

「いいのか? アズールに妬かれるぞ」

「僕はアズール一筋です!」


 僕をからかって先輩は笑っていた。ああもう、自分に彼女がいるからって!


「ったく、面倒ごとを増やす奴だ。で、あのお嬢さんは無事だったのか?」

「スウケさんの話だと、貧血みたいな状態だと。魔力が回ってなくて」

「あれでやっぱり竜なのか?」

「そうらしいです」

「はぁ、一警備隊で背負える話の規模じゃあなくなっちまってるな。人に変身する竜など」

「あの捕虜のこともありますからね、どうするんです?」


 僕たちの仕事は、あくまでセブンス領空の警戒活動が役割だ。僕がそれを逸脱した行動をとっておいて偉そうなことは言える立場では全くないのだけれども、謎の少女に捕虜、警備隊がどうにかできる次元の話ではとっくにないのだ。


「お前にゃ悪いが、レンジャーズに声をかけた。捕虜とアイラムはあそこに引き渡す」

「まぁ、そうですよね。正規軍じゃ、面倒なことになりますから」


 レンジャーズ、正式にはコールズ・レンジャーズ。元幕僚長である僕の祖父が退役後、セブンス防衛のために自ら率いた部下を始め基地、兵器を接収し立ちあげた、つまるところコール家の私設軍だ。

 正直、祖父が人員やら何やらを正規軍から根こそぎ引き抜いたことはガイスト全土の防衛に関わるとても大きな大きな事件で、正規軍からも本島政府からも訴えられて世界的な大問題になったんだけれども(そして今でも係争中なんだけれども)、本島の煩わしい様々がしがらむこともない分、こうした面倒ごとにも対応してもらいやすいのは事実だ。僕個人としては、ちょっと不本意ではあるのだけれども、それもまた言えるわがままではない。


「もう話はついたんです?」

「報告はして、俺たちは一旦セブンスに戻ることに決めた。警備は代わりの部隊を出してもらい、詳しい話は本島ですることにしてる」

「将軍も来ますかね?」

「お前が来るんだから、来るだろうさ」


 まぁそうだろうな。将軍とは、僕の祖父のことだ。現役時代から慣れ親しんだ呼称であるせいか、退役した今でも周囲には将軍を呼ばせている。実の孫である僕に対してですらだ。


「イセ、島までは40分ぐらいか?」

「43分ちょっとですね」


 船長は操舵を担当するイセさんに島までの時間を確認する。40分か、その間にアイラムは目を覚ますだろうか。それだけじゃない、気になることはまだある。


「ザンクト・ツォルンは嗅ぎつけてきますかね?」

「何かあったことは気づいているだろうし、混乱には乗じたいだろう。だが、正規軍にバタつきがないと分かれば無理はしないだろうさ」

「僕が言うことじゃないですけど、博打打ちがいるかもしれませんよ」

「そのためのレンジャーズだろ」

「そうですけど」


 船はセブンスに向かって加速していく。僕は先輩の顔を見ながら声をかける。


「心配性だって思います?」

「間違っちゃいないとは思うがな」


 先輩は僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。またこの人は。


「話を戻すが、お前らの処罰は考えちゃいない。だが、命令違反は命令違反だからな。続くようなら考えるぞ」

「結果オーライが続くとは、僕だって思ってませんよ」

「口答えできるうちは、処罰せずに済みそうだな」


 船長は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。まだまだこの人の頭痛の種になってしまいそうで申し訳ないなと思うけど、僕だって僕の信念で動きたいと思うし、そのための覚悟は持っているつもりだ。


「この後捕虜に話を聞くが、お前も来るか?」

「命令じゃないのでしょう? アイラムの傍にいてあげたいんです」

「イニが見てるんだろ」

「僕の感情の問題です」

「それを、一目惚れっていうんだろ?」

「だから、そうじゃないですって!」

「まぁいいさ。いてやれ」

「はい、ありがとうございます!」


 僕は船長にお礼を言うと、ブリッジを後にした。そしてアイラムのいる休憩室にすぐ戻る。


「早かったですね」

「ありがとうございます。アイラムの様子は?」

「変わりないですよ、ヨエクくんがいてあげれば、早く目を覚ますかもね」

「まさか」

「お姫様は、王子様のキスで目を覚ますものでしょう?」

「からかわないでくださいよ」


 イニさんは僕の3つ上、先輩と同い年で、スウケさんのサポートができるぐらいすごく優秀な人なんだけど、ちょっと子供っぽいし、ちょっとロマンチストで、こういうところはちょっと心配だ。そういうところは嫌いではないのだけれども。


「島に戻るの?」

「そうですね、アイラムと捕虜はレンジャーズに引き渡すって」

「捕虜はともかく、この子はいいんですか? ヨエクくんとして」

「仕方ないですよ、そういうのは」

「じゃあ、今はちゃんとそばにいてあげなきゃ、ってとこですね」

「そうですね、そうです」


 休憩室の椅子に座って、ベッドに横たわるアイラムを見つめる。イニさんに言われて水を替えたり、熱を確認したりする。

 こうして大人しく寝ている姿を見ると、さっき見たあの竜とこの子が同じだとは思えないし、でも寝ていてもにじみ出る気高さと言うか、美しさと言うか、かわいさと言うか、そう言うのは感じることが出来てやっぱりあのアイラムはこのアイラムなんだなと思ったりもした。

 純白のショートヘア―。白髪って言っちゃうとアレだけど、どっちかっていうと銀のように品のある光を放っている。肌の色も白い。小柄でまだ幼さを残すその体からは、やっぱりあの竜だったんだって実感は湧かないな。

 しかも、人間の姿でもその体は竜に近いっていうのは、僕にはちょっと理解できない。竜の体の構造とかちゃんと勉強して知ってるけど、外見じゃあ僕には判断できない。どう見ても人間だものな。スウケさんには、その違いが分かるんだろうな。僕ももっと勉強しなきゃいけないって感じがした。

 長いような短いような数十分が過ぎた頃、アイラムの変化に先に気付いたのはイニさんだった。


「ん、気が付いたかも」


 僕もすぐに気が付いた。アイラムの手がピクリと動いて、頭を軽く動かした。意識が戻ったんだ!


「アイラム、聞こえますか? 分かりますか?」


 イニさんが声をかける。アイラムは「ん……」とかすかな唸り声を上げてゆっくりと目を開ける。そしてゆっくり口を開く。


「ここは……?」

「セブンス警備隊の監視船です。ヨエクくんがあなたを保護したんですよ」

「セブンス……あ、私……」

「無理をしないで」


 体を起こそうとするアイラムに対して、イニさんが体を押さえて再び寝かせる。アイラムの声は小さいものだったけど、あの頭で響いていた声にそっくりだった。やっぱりあの声はこの子の声だったわけだ。そりゃあ、そうなのだけれども、まだちょっと信じ切れていなかった。


「わかります? ヨエクくん。あなたを連れてきたんですよ」

「さっきはゴーグルをかけてたから。声で分かりますよね」


 僕はアイラムに顔を近づけて声をかける。竜の体では人間は小さく見えただろうし、僕もゴーグルをかけていたから分からないかもしれないけど。


「あなたが、私に乗った人?」

「乗った人? ヨエクくんどういう意味」

「アイラム、誤解が過ぎる言い方ですよ!」


 いやまぁ、確かに僕はアイラムに乗ったけど! 乗って操ったけど! 言い方がずるいよ!


「はは、なんて大丈夫ですよヨエクくん、私も話は聞いてますから」

「イニさん、驚かさないでくださいよ!」

「私、船長とスウケさん呼んできますね。色々大事な話もあるだろうし」

「僕は」

「ヨエクくんは、そばにいてあげてください。ね」

「そうですね、わかりました」


 イニさんは部屋を出ていく。そんな彼女を僕が目で追っていた時だった。


『ヨエク、ヨエク・コール、この声が聞こえますか?』


 頭の中で響く女の子の声。アイラムの声だ! 僕はアイラムの方に振り返る。


『聞こえて、いるのですね』

「さっきさんざ喋ったじゃないですか」

「……いえ、まさかこんなに、すぐ見つけることが出来ると思わなくて」


 じっと僕を見つめるアイラム。目と目が合う。白い肌に映える、紅い瞳。幼さも感じるけど、力強さも凄く感じる。強い決意のこもった、迷いのない目だ。

 なんて思いながらも、アイラムの言葉の意図にも思いを巡らせる。見つけることが出来る? この僕のことを? あ、そう言えば確かさっきアイラムは言っていたな。


「そうだ、僕を探していたって。どういうことなんです? 僕はあなたを知らない」

「正確には、竜の声が聞こえる人を探していたんです。私の力になってくれる人を」

「あなたの力に? 僕がですか?」


 アイラムはこくりと頷いた。僕が彼女に力を貸す? 何をしようとしているのかは知らないけど、何かできることがあるだろうか? もしかしてさっきみたいに戦うのに自分を制御できる人間を探していたとか? いやでもあれは僕が勝手に言い出して勝手にやったことだ。アイラムにそのつもりは無かったはずだ。


「えっと、大事な話なら船長たちが来てからにしましょう。僕一人で聞く話じゃないかもしれないし」

「できれば、あなたと二人で話をしたいのです」

「うーん、それであれば、後で聞きますよ。まずはあなたに聞きたいことが色々あるからね」

「そう、ですね。分かりました」


 アイラムは少し不満そうな顔をしたけれど、大事な話を僕一人で聞くわけにはいかない。船長、スウケさんたち大人の意見と感想も聞くべきだ。

 数分後、イニさんが船長、スウケさんを連れて戻ってきた。船長はアイラムの前に立ち手を差し伸べた。それを見てアイラムはゆっくりと体を起こして船長と握手をする。


「この船の船長をしている、ジョナサン・ウェイブだ」

「ジョナサン、古い時代の名ですね」

「ん? ああ、親父の趣味でな」


 自分の名前に対する指摘をされて、船長は少し驚いた様子を見せた。ずっと変わった名前だと思っていたけど、ジョナサンって旧時代の名前だったのか。旧時代では一般的な名前なのだろうか。


「なんて呼べばいい? アイラムでいいのか?」

「それで構いません」

「始祖竜の名だな。あんたがそうなのか」

「いえ、名と力と姿を受け継いでいるだけで、始祖竜たるアイラムそれ自身ではありません」

「まぁ、そりゃそうか。そりゃそうだわな」


 船長は独り言のようにそう言った。


「ちょっといいかい? 多分、私が話を聞くのが早いだろう?」


 そう言って前に出てきたのはスウケさんだ。


「スウケ・オオトリだ。この船で召喚技師、竜の面倒、管理、機械メンテナンスを担当している」

「お一人でやっているのですか?」

「みんなの力を借りちゃいるがね」


 スウケさんもまたアイラムと握手をする。スウケさんは竜関連の技術でもスペシャリストだけども、それ以外にもあらゆることをこなす完璧超人だ。僕もあまり言えた方じゃないけど、本来こんな一警備隊にいる様な人じゃない。そして、そんな人と付き合ってる先輩も本当にすごいと思う。


「早速聞くけど。話はなんとなく聞いたし、あんたの体少し見させてもらったけど、もしかしてあんた、真竜かい? あのサドゥイってやつも」

「ご存知ですか?」

「一応ね。見るのはあんたが初めてだ」


 真竜? 名前は聞いたことがあるぞ、確か今の時代に一般的に使役されている竜とは別の系譜で、巨大な力を持つ竜だ。始祖竜アイラムはその真竜のうちの一体だと言われていたんだっけ? じゃあ普通の竜の3倍あるあの巨竜が真竜だっていうのか?


「真竜って、実在するんですか?」

「私も信じがたいがね。人間の姿に変身出来、強大な魔力と巨大な肉体を持つ、真の竜たる存在。事実目の前に現れたのだから、実在するってことだろう? 私よりも、あんたたちの方がその目で見てきたんだろう」

「そうでしたけど」

「でも、まぁ真の竜だなんて言い方は適切じゃないんだろう? アイラム。ユナイトの方から飛んできたそうじゃないか。だとしたら、あんたがいたのはニューストン竜研じゃないのかい?」


 ニューストン竜研? 聞いたことない名だ。でも、その名を聞いたアイラムが驚いた表情を浮かべて、しばし考える様な表情を浮かべた後小さくうなずいた。


「何なんです? ニューストン竜研て」

「その名の通りさ。竜の研究を行っているラボラトリーでね。ユナイトにある。……真竜の研究をしていたはずだけど、まさか実現できていたとはね」

「アイラムはそこから逃げ出してきたんです?」


 言葉の途中で僕は、聞く相手をスウケさんから振り向いてアイラムに切り替えた。


「はい、スウケさんはすでにお察しのようですが……私はニューストン竜研で……作られた真竜です」

「作られた!?」


 作られた、ってどういうことだ!? アイラムの姿は確かに人間姿でも、純白の髪に真紅の瞳は人間離れしているけれども、作られたって!


「真竜、なんていうのは後付けの呼び名だったんだよ」


 スウケさんが驚いた表情を浮かべる僕たちを見ながら、説明を始めてくれた。


「旧時代から今に移る過程で、先に完成したのは召喚技術。正確には転送技術と、それを応用した異世界との交信技術だった。その過程で異世界の竜の存在を知った人々は竜を呼び寄せようとしたけど、最初はうまくいかなかった。転送できても、竜は地球環境になじめず短命だった。そこで竜を研究し、人と竜を組み合わせた、この世界に適応できる”真の竜”を生み出そうとしていたのが、真竜計画ってわけさ」

「人と、竜……じゃあ、アイラムも元々は!」

「はい、私も、人間……でした。最初は」


 そんな、そんなことがあるっていうのか、この世界に! 人を、竜に変えてしまう研究だなんて! 僕はかっとなりそうなのを必死で抑え込んだ。

 でもその時見たアイラムの表情は、一瞬で僕の中で最も忘れられないものの上位に一気に食い込んだ。悲しそうで、悔しそうで、自分の存在を呪うような、憎むような、そんな表情。こんなかわいい女の子が、こんな表情をするだなんて。


「でも、結局竜をこの世界に適応させる方が早くて、真竜計画は数人の実験を終えた時点でとん挫したと思ってたんだがね。まぁいいさ。それで、竜研から逃げ出してきたのかい?」

「いえ、竜研を恨んでいるわけではないです。許せないこともありますが、私自身への仕打ちと、私の行動に因果はありません」

「それじゃあ、何だって竜研を逃げ出したんだい?」

「これ以上、竜研に私のことを利用させないためです。彼らの知的好奇心を満たすだけの研究材料として過ごす程度のことであれば、私はそれでも構わないと思っていました。でも、彼らは変わってしまった」


 さらっと無茶苦茶なことを言っているけど、きっと小さいころから研究所で過ごしてきたから、ちょっとそのあたりの感覚にずれがあるんだろう。そんなアイラムでも、許せないと感じ逃げ出すほどの出来事っていったい何なんだ。


「竜研は、竜の研究を進めるうちに、竜こそ人の上に立つ存在と考えるようになりました。そして始祖竜の名と力を受け継いだ私を利用して、真竜に変身出来る人間を増やし、人類を支配する準備を整え始めたのです。始祖竜である私には、真竜に変身する力を他人に分け与えたり、奪ったりすることが出来るんです。でも私のその力を、そんなことのために利用させるわけにはいかないと考えたんです」


 おいおい、おいおい! なんてことだ、今日日人類支配を目論む組織が存在しているだなんて! 旧時代じゃないんだぞ! 資源戦争を経て、思想戦争に突入するのか? 歴史は繰り返すってわけか!?


「レンジャーズに話をして正解だったな。俺たちの手に負える話じゃない」


 確かに、もしも世界を支配しようとする輩が襲って来れば、一警備隊である僕たちでは限界があった。


「私が逃げ出したことで、竜研の計画は停滞します。ただ、真竜がこれ以上増えないというだけで、戦力が整い次第攻勢に出る可能性はあるかもしれません。私をもう一度捕まえようとするかもしれません」

「ユナイト政府に掛け合うべきか?」

「聞いてもらえるでしょうか?」

「まぁ、親父に話してみてだな」


 船長は少し渋い顔をしながらそう言った。それを見てアイラムは不思議そうな顔を浮かべたが、すぐはっとした表情に変わる。


「ウェイブ、もしかしてエイブラハム・ウェイブですか?」

「ん? ああ、エイブラハムは俺の親父だ。知っているのか?」

「教養として。竜研でも、そのあたりのことは教えてもらいましたから」


 船長の父であるエイブラハム・ウェイブは50年以上前、まだ10代だったにもかかわらず、同年代や大人たちを巻き込んでガイスト成立の旗手となった組織の中心人物の一人だ。その功績によって若いうちからガイストの要職を歴任して、今は本島を離れてセブンスの首長を務めている。というか、セブンスも彼によって作られた島だ。すでに歴史の教科書にも名が載っている人物だから、アイラムが知っていてもおかしくはない。


「親父が、エイブラハム・ウェイブが動けば、少しはユナイトも話を聞いてくれるだろうさ」

「そのあたりの話も、島に戻ってから将軍とした方がよさそうですね」

「ああ、親父にも将軍にも、やってもらうこと考えてもらうことありそうだ」


 しかし、本当にとんでもないことに巻き込まれてしまったぞ。まさか竜研なんて組織があって、そんな古臭い野望を抱いて暗躍していただなんて! あのサドゥイって人も、そのためにアイラムを追いかけてきていたんだな。


「船長、間もなくセブンスに到着します」


 不意に聞こえてきたのは、スピーカーからの声だった。通信オペレーターのケリアさんの声だ。


「アイラム、続きは島で、落ち着いてから話をしよう」


 船長はアイラムにそう告げるとブリッジの方へ向かっていった。


「さて、と。私も竜のことがあるからね。アイラムのことはヨエク、任せたよ。イニ、手伝ってくれ」

「はい!」


 スウケさんと、イニさんも休憩室を後にして、この場には僕とアイラムだけが取り残された。


「そう言えば、竜研ってどの島にあるんです?」

「竜研があったのは、ユナイトのフィフスです。私の生まれた島でもあるんです。だから、故郷以外の島に来るのは初めてです」

「そうだったんですね」


 アイラムの表情は、さっきと違ってどこか嬉しそうだった。今まで来たことない土地に、不安と、それ以上の期待で胸を膨らませる、来年相応の女の子の表情だった。


「その、さっきはごめんなさい」

「えっ?」

「僕も初めての実戦で、ちょっときつい言い方をしてしまって」

「あれは、私の方こそごめんなさい。あなたを危険な目に合わせてしまった。私の甘さです」


 しまった、せっかくの明るい表情をまた暗い表情にしてしまった! 僕はなんてバカなんだ! 守りたいのは、この子の笑顔だろう!


「あの、アイラムって、竜としての名前なんでしょう?」

「え? ええ」

「それで構わないって言っていたけれど。本当は、普通の、人間の名前があるんでしょう?」

「……」

「アイラム?」

「あ、ごめんなさい。ずっと、そんなこと聞かれなくて。自分の名、名乗るのも久々だなって」


 アイラムははにかみながら笑顔を見せてくれた。まいったな。やっぱり、かわいいぞ! アズールってものが、僕にはあるのに、僕は!


「私の名前は、キロア。キロア・ハートです」

「じゃあ僕も改めて。ヨエク・コール。よろしく」

「はい!」


 そうして僕たちは握手を交わした。柔らかくて、ちょっと冷たくて、でも優しい彼女の手。僕は、やっぱり思った。この子を、キロアを守りたいって。


「島に着いたら、島を案内しますね。ア……キロアに、この島のこと、好きになってもらえるように」


 竜研によって竜に変えられてしまった少女、始祖竜アイラムことキロア・ハート。

 その竜研は竜による世界支配のためにキロアのことを利用しようとしている。

 そしてキロアを守りたい、と言う僕の単純な思いが、僕を戦いに駆り立てることを、僕はまだ知らなかった。

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