第10話 三人目の仲間は、オカマ

 みやびと珠三郎が天白川で待機しているころ。

 

 伊佐神は単独で、『女子大小路じょしだいこうじ』と呼ばれるN市の歓楽街を歩いていた。N市民は中区さかえ四丁目の飲み屋街をこう呼んでいるのだ。

 乗ってきたソフトバイクは、自転車バイク専用コインパーキングに停めてある。


「みやびさまと珠三郎さまは、大丈夫かな。まあ、お二人揃っていらっしゃるんだ。今夜はお任せするとして」


 伊佐神は丸いサングラスに黄色いスーツ姿で立ち止まり、目の前のビルを眺めた。サラリーマンや、年配の酔客が通り過ぎていく。


「さあ、行こうか」


 伊佐神は独りつぶやき、雑居ビルの中へ入っていった。

 ビルのエレベーターに乗りこもうとした。


「ああん、待ってえぇ」


 ハイヒールがアスファルトを駆ける音が響いてきたのだ。伊佐神は狭いエレベーターの箱に入り、「開」のボタンを押し続ける。親切心であった。

 強烈な香水の匂いとともに、派手なショッキングピンクのミニドレスをまとった女性が乗りこんできた。


 エレベーターのドアが閉まる。


 はあはあ、と息をつきながら、このビル内にあるお店のホステスであろうか、女性は伊佐神に熱い視線を送ってくる。


「すみません、ありがとうございます」


 伊佐神を見つめる女性の顔には、青々とした髭の剃り跡が、ファウンデーションの上からでも充分わかった。

 伊佐神の顔から一気に血の気が引いていく。親切心を抱いたことを思いっきり悔いた。


「あら、オニイさん、イケメンじゃない。ワタシの好みよぅ。ねえ、一杯やるお店は決めてらっしゃるのかしら」 


 伊佐神より背丈の低いオネエさんは、ノースリーブドレスからのぞく両腕がボディビルダーのような筋肉でおおわれているのを強調してくる。

 伊佐神はのけぞるように、急いで目的の階のボタンを押した。


「あら、六階なのね。ぐーぜん、ワタシのお勤め先も六階よ」


 伊佐神は引きつった表情のまま、悪夢のような数秒を過ごさなければならなかったのであった。


 チーン。エレベーターのドアが重そうな音をたてて開く。


「こっちよ、こっち」


 オネエさんはエレベーターを降りるやいなや、ガシッと伊佐神の腕をつかむ。筋肉で膨れ上がった腕をからませ、歩き出したのだ。


「あ、あのあの、オネエさん、わたくしゃ行くお店が決まっておりましてっ」


 伊佐神は抵抗をしめそうとしたが、あっさり却下された。


「いいじゃない、少しだけよん。せっかく密室で二人っきりの間柄になったんだからん」


 甲高い声とは裏腹に、オネエさんの絡めた上腕二頭筋がさらに盛り上がった。

 廊下をはさんで、数件のスナックやバーの看板が並んでいる。オネエさんは一番奥の扉の前で立ち止まった。


「ここよ」


「エッ?」


 黒い鉄製の扉には、『ナーティーズ☆エンジェル』と書かれた妖しげなネオンライトが灯されていた。

 オネエさんは扉を開けると、男の太い地声で叫ぶ。


「はい、一匹捕獲ーッ! お席ごあんなーい」


 伊佐神を突き飛ばすように店内に放りこんだのである。


~~♡♡~~


 伊佐神の座らされたL字型ソファには、両サイドから妖怪が取り囲んでいた。いや、妖怪ではなく、四人のオネエさんたちであった。

 いずれもロングヘアを緑色や青色に染め、真っ白に塗られた顔面には開閉の音が聞こえるつけまつ毛、いまどきの女子には流行らない真っ赤なルージュをひいた唇。

 色鮮やかなドレスのスパンコールや、首に巻きつけたネックレスが、店内の薄暗い照明に光っていた。


「ほんとに、いい男じゃなーい」


「わたしの操、捧げてしまおうかしら」


「ボトル、早く持ってきてー」


 口々にしゃべる男のオネエさんたちは、伊佐神の肩や膝を湿っぽい手でなであげている。


 伊佐神はまん丸のサングラスの下の両眼を固く閉じたまま、もはや悪臭と化した香水に悪酔いしそうであった。


 目を開けてしまったら永遠にこの悪霊どもに憑りつかれる、と真剣に思っていた。口の中で「悪霊退散っ、悪霊退散っ」と念仏まで唱え出す。


 ナーティーズ☆エンジェルはゲイバーの老舗であり、ステージまで設置されている店内は思ったよりも広い。

 この類のお店にしてはまだ早い時間帯らしく、客は伊佐神の他はいなかった。


寡黙かもくなお方ねえ」


 伊佐神を引きずりこんだオネエさんが、頼んでもいないのにトレイにウィスキーボトルと水割りセットを乗せて、カウンターから出てくる。


「わたし、チーママのシオリコでーす。よろしくぅ」


 筋肉オネエさんはソファに腰掛け、名刺を分厚い胸元から取り出した。

 そっと片目を開きながら、伊佐神は囁くように小声で言った。


「あのう、こちらのお店のママは? たしか、ナーティさまと」


「いやだっ、オニイさん、ママが目的なのぉ」


 シオリコの横に座る、エラの張ったオネエさんが甲高い裏声で返す。


「ママはねえ、もうすぐよ。ほら、来た来た」


 お店のドアが、ガシャリと音をたてた。伊佐神は薄目であった両眼を、一気に開いた。


「みなさまー、おはようー!」


 野太い裏声が響き渡り、巨大なゴリラが立ちはだかっているではないか。目の当たりにした伊佐神は、恐怖心から思わず悲鳴をあげそうになった。


 身長は少なくとも百九十センチを超えていそうだが、横の広がりも半端なかった。相撲取りか、プロレスラーのような体形。肩まで伸ばした真っ黒なロングヘアに、大玉西瓜のような巨顔。

 目元を強烈にアピールしたアイシャドウ。太く大きな唇には真紅のルージュ。特注と思われる漆黒ベルベットのロングドレスを着こなしたママ、ナーティ白雪しらゆきが地響きをたてるように入ってきたのであった。


つづく

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