第6話 悶絶する元極道
真夏の太陽がすこぶる元気に燃えている。どこからでもかかってきなさい、と言わんばかりに輝いている。
外回りの営業職にとって、一年間で最もツライ季節であった。社内では上司に叱られ汗をかき、お得意先でも怒られ汗をぬぐい、外回りではこれでもかと太陽の嫌がらせに汗をしたたらせる。
お昼すぎ、N市
かなりのスピードで、狭い片側一車線を飛ばしていた。ドライバーは右腕を窓の開いたドアに乗せ、左手のみでハンドルを切っている。
プアアッ、パパパーッ、けたたましいクラクションを響かせた。前方を走る乗用車をあおりだしたのだ。
乗用車の速度は決して遅くはないのだが、軽自動車はクラクションを鳴らし続ける。
何ごとかと、乗用車を運転している男性はバックミラーで後方の軽自動車を確認した。
ハンドルを握っていたのは、一般善良市民ではなかった。間違いなくその筋関係者と確信できるスタイルであったのだ。
ピカピカに剃り上げた坊主頭に、黒いサングラス。黒いカッターシャツの胸元をはだけ、金色のネックレスを光らせている。
後部座席にも、ひとり座っているようだ。
乗用車の男性は関わらないようにと、左のウインカーを出しながら減速した。
すぐ横を対向車線にはみだしながら、肌色の車が追い越していく。
「ちんたら走ってんじゃねえよっ」
坊主頭は横目で乗用車に罵声をあびせる。声はかなり若い。二十歳になるかならないかといったところだ。
坊主頭の若い男は、名前を
「アニキ。ちがった、課長代理」
猿渡は顔を斜め左に傾けながら、後部の狭いシートで腕を組み、大きく脚を広げて寝息をたてている男に話しかけた。
課長代理と呼ばれた男、
リーゼントヘアを、全開の窓から入る風になびかせている。
こちらは黒いスーツに真っ赤なカッターシャツを着ており、銀地ラメ入りで昇り龍の絵柄のネクタイをはめている。
二人は伊佐神興業株式会社の、金融商品営業部の社員であった。
「午前中の債権回収営業でお疲れッすね。鼾までかかれてら。しかし、この色の車ってどうよ? これが社用車ってなあ。どう考えても違和感あるぜ。
いくら今は一般企業に鞍替えしたっていってもよう。肌色のポンコツ軽自動車じゃあ、相手になめれちまうつーの。
やっぱ黒のベンツか、せめてクラウンだろ」
猿渡は独りつぶやいた。
ふと前を向いた瞬間、素早くブレーキを踏み急減速させた。
ギャギャギャッ、と擦り減ったタイヤが悲鳴をあげる。目の前を、五十シーシーの奥さま用ソフトバイクが走っていたのだ。
「うわあっ、痛たたっ」
シートベルトをしていなかったリーゼントの菅原は、頭をしこたま前部シートのヘッドレストにぶつけ、軽い脳震盪をおこした。
バイクに乗っているのは、男性であった。
中学生が自転車通学でかむるような白いヘルメットを頭にのせている。頭部がでかすぎるのか、ヘルメットに収まりきっていない。
黄色い鮮やかな上下のスーツ姿で、両足を膝から踵までピタリとくっつけて乗っている。
「気色悪いオッサンだぜ」
猿渡はクラクションを派手に鳴らした。ところがバイクの男性は気づかないのか全く反応せず、道路標識の法定速度を厳守して走っていく。
「聞こえねえのかよう! どけっ、こらっ」
猿渡は窓から顔を出し、怒鳴った。しかし、いっこうにバイクは速度を上げないし、道をゆずろうともせずに真ん中を法定速度で走行し続けている。
「ううっ」
後部席の菅原は汗をしたたらせながら、うめいていた。
肌色軽自動車から、不快なクラクションが鳴り響く。
猿渡は前方を走るバイクの男性が、左腕を直角に曲げるのを目にした。
握っていた手のひらから、中指を一本だけピンッと立てた。
ピクッ、猿渡の額の血管が浮かぶ。
「ふぁ、ファック、ユウ?」
バイクの男性は次に親指だけを立て、それを下に向けた。
「じ、地獄へ、落ちろおだあぁ」
ぷつん。猿渡の血管が切れた。
バイクがハザードランプを点滅させ、道路の真ん中でゆっくり停車した。
「いててっ、おい、どうしたい?」
菅原は額を押さえながら問うた。
キャキャキーッ、軽自動車を急停車させると、猿渡は勢いよく車から飛び出していく。
「おうおう、くぉら、おっさん! エエ度胸やないか。わしらをカタギと思っとんかいや。極道に喧嘩売るたあ、命いらんのかいっ」
猿渡はバイクにまたがったままの男性を威嚇し、胸倉をつかもうと正面にまわった。
「おーい、どうした」
菅原は後部席から顔を出した。
初めて持った部下が、ドスの効いた声で恫喝している。猿渡は元暴走族で、行儀見習いとして伊佐神興行株式会社の金融商品営業部営業課に配属されたばかりなのだ。血気盛んな年頃である。
菅原は、部下が道路の真ん中で因縁をつけている相手を、じっと見つめた。
その顔から、スーッと血の気が引いていく。
「ア、アアアアアッ」
発作のような声を絞り出し、菅原は車から転がり降りた。
猿渡はバイクの男性の横に立ったまま、サングラスの下の眼を見開き、オオオッと口を大きく開いているではないか。
その股間が、しっかりと男性に握られていたのだ。
バイクの男性もサングラスをかけていた。まん丸なダークグリーンのレンズが、太陽光を反射している。わざと剃り残した無精ひげの口もとは、真一文字に結ばれていた。
菅原は震えを抑えるように両肩を抱き、よろよろと歩み寄る。
「オゲゲーッ」
猿渡は悲鳴を伴い後ろにひっくり返った。男性が思いっきり力をこめて猿渡の股間を握り、離したのだ。
それを目で追いながら、菅原は貧血状態の様相で男性の前へ駆け寄り、九十度に腰を折り曲げた。
「す、す、すいやせんでしたあ! 社長!
こいつはまだ行儀見習いで入社したばかりの小僧で、社長のお顔をも存じ上げっ」
途中で、男性はいきなりグウで菅原の左頬を遠慮なく殴った。ボキュッという音とともに、菅原はスローモーションフィルムのように宙を舞っていく。
バイクの男、伊佐神興行株式会社代表取締役社長、伊佐神藤吉は口を開いた。
「いつまで極道気取りでいやがるんだっ。一般社会人なら、交通法規は遵守せよ!」
鼻にかかった低音の声で高らかに言い放ち、バイクの右ウインカーを点滅させる。
後方を目視するとアクセルをまわした。きっちり閉じた両足を幾分左に傾けながら、走り去って行くのであった。
つづく
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