第4話 新たな仲間
「これって、ちゃんとアルバイト代は出るのでしょうね、組長」
「も、もちろんです。突然のお願いでやすから、割増料金で」
「じゃあ、通常の八割増しね」
うっ、と詰まった伊佐神は、それでも「では、契約成立ということで」鼻にかかったバスボイスでうなずく。
みやびは伊佐神が乗って来たマイバッハの後部席で、ニンマリと微笑んだ。
二人はエアコンの効いた車内でシートに身をゆだねている。
「そ、それとですねえ」
言いにくそうに続ける伊佐神。
「なによ」
みやびは冷たい声を放った。
助手席に座っていた派手なストライプ柄のスーツを着た若い男が、顔をしかめてみやびをにらむ。眉間にしわを寄せ、チンピラが因縁を吹っかける時の表情だ。
伊佐神は組を解散したあと、組員たちを立ち上げた会社に正社員として迎え入れていたのである。この若い男も、前職は正真正銘の極道であった。
男は現在総務部車両課配属を拝命しているが、身についたクセが抜けていない。ヘッドレスト越しに、みやびを脅すように片眉を上げる。
伊佐神はすかさずその男の左頬を、グウで殴った。
「てめえ、大切なお客人に対して、なんて面しやがる!」
みやびと二人っきりの時とは別人のようなドスの効いた口調で怒鳴った。
「へ、へえ、すいませんです、社長」
男は大事な親に、見知らぬ小娘がなめた口調でため口をきくためにらんだのだが、裏目に出た。なぜ殴られたのかが理解できない。
伊佐神は声のトーンを変えずに、みやびに謝罪する。
「す、すいません。後できつくお灸をすえますんで、どうかお許しを」
「指でも摘めさすのかしら。それともコンクリートで固めて海の底、が定番かな」
みやびは楽しそうに視線を助手席の社員に向けた。とても女子高生が口にする言葉ではない。しかも見つめる両眼が、切れ味最高のナイフのように光っているのだ。
男の顔からスーッと血の気が引いた。もしかして自分は、トンデモナイお方にメンチを切っちゃったのか、と。
伊佐神はすぐに両手をふった。
「と、とんでもございませんっ、みやびさま。
わたくしたちはヤクザじゃあ、ありません。きっちり納税している、一般市民でございますからして」
「なーんだ。まあいいけど。で、なにさ」
伊佐神は前部シートの社員たちに見えないように冷や汗をふきながら、言った。
「あ、あのう、わたくしはこう見えてもですね、企業のオーナーでして。つまり組長ではなくて、ですねえ」
「そうそう、ごめん、社長だったよねえ。しゃ、ちょ、う」
「へ、へえ」
口元をとがらせて、しゃちょー、しゃちょー、と繰り返すみやびに、伊佐神は苦笑いするしかなかった。
~~♡♡~~
五千五百シーシーを超える排気量のマイバッハは夕暮れに染まる町中、N市高速を走っていた。N市の北部を東西方向に流れる
みやびは後部シートで、退屈そうに教科書を開いていた。
「数学でやすか。何やらお難しそうですなあ」
伊佐神は横からのぞきこんだ。
助手席の社員はそれを聞き、先ほどの穴埋めとばかりに口をはさんだ。
「でも、社長。社長はあの天下の東大を出ていらっ」
ゴキッ! 骨と骨のぶつかる音。再び伊佐神に、左頬をグウで殴られた音である。
「口数の多い野郎だ。左遷するぞ」
「す、すいやせん! 社長」
男は腫れ上がった頬を押さえて、涙目で謝罪した。
「社長、そろそろ到着します」
運転席からドライバーの主任が、バックミラー越しに伊佐神を見る。
「よし、適当なところで停めろ。用事が済んだら携帯電話で呼ぶ。それまでどこかで飯でも食って待機していてくれ」
伊佐神は白いスーツの内ポケットから財布を抜き、数枚の札を渡した。
「えっ、こんなに?」
助手席の社員は驚いた。
「もしかしたら残業になるかもしれねえ。時間外の手当だ、とっておけ」
「し、しかし」
多すぎる残業代に、苦しそうな表情をする。
「あっ、いらないなら、アタシが貰ってあげる」
ハンドルを切りながら、主任は助手席の男に囁く。
「おい」
「へえ」
「多賀専務から、くれぐれも社長をお守りするように、と言われているんだぜ」
「それはむろん、承知しておりますけど」
伊佐神は彼らのやり取りを聞き、言った。
「社長命令だ。呼ぶまでどっかで待っていろ、いいな」
以前の組織では、親の言うことは絶対である。黒でも白と言われたら、白なのである。今でもそれは変わっていないようだ。
「へーい」
前部シートの二人は、口をそろえて返事をした。
~~♡♡~~
セーラー服姿のみやびと、パナマ帽に白いスーツの伊佐神は、交通量の多い国道から奥へ入った裏通り界隈を歩いていた。雑居ビルやアパート、商店が並んでいる。
夕陽がまだ完全沈みきっていないため、歩くだけでも汗ばむ。
「こんなに早くお仲間が見つかるなんて。ねえ、みやびさま」
車内とは打ってかわって、伊佐神は手をもみながら甲高い声で言った。
「仲間ねえ。いまだに信じられないけど。でもアタシも実際に、雍和を三匹葬ったからなあ。
しゃちょー」
みやびは歩きながら訊く。
「別に仲間なんて集めなくても、アタシひとりで充分じゃん。自慢するわけじゃないけど、アタシの実力、見てくれていたでしょ」
伊佐神は、立ち止まった。
「みやびさま、それは違いますぜ。
確かにみやびさまはお強い。わたくしも、しかとお力を拝見いたしております。しかしあの雍和たちはまだ序の口にもなってねえ、生まれたての赤ん坊でさあ。
もっと大きく成長した雍和でも、みやびさまが槍をお使いになれば葬れると思いますが」
いつになく真剣に話す伊佐神の言葉に、みやびは聞き入った。
「しかしです。大量の『超雍和』が出現したら、みやびさまおひとりで戦うには限界がございます。
わたくしも微力ながらお手伝いしたいが、なーんの力も持ってやしねえ。
くやしいが、わたくしには雍和の出現予知と、神に選ばれた戦士のみなさまを見つけ出すことしかできねえんです」
「そーんな深刻な顔は似合わないわよ、しゃちょー。ようは、アタシが仲間とやらと組んでダブルスで戦えばいいのでしょ。
ちゃっちゃっとやりましょ。
あっ、でもその仲間とファイトマネーを折半、なんて言わないでしょうね」
みやびは薄目で、伊佐神の顔に視線をはわす。伊佐神は声のトーンを一気に上げた。
「だ、だいじょーぶデス! ハイ。お約束のお手当は、きっちり現金払いでございますーっ」
「おほほほっ、なら問題なしね」
「みやびさま。お仲間の件なのですが、実は今から訪ねる方以外に、あともうおひとり捜さないといけないのです。
みやびさまと合わせて、お三人のお力が必要なのです。わたくしの予知に間違いがなければですが」
「三人か、いいわ。
ただし、センターはアタシ! この千雷みやびがチームのセンターよ」
左手を腰に当て、右手人差し指で天を指すみやびの姿に、伊佐神はハハーッと拝むように腰を直角に曲げた。
~~♡♡~~
「で、この廃屋にいるのね?」
「い、いえ。廃屋ではなく、れっきとしたマンションでございます」
二人は狭い路地に立ち、三階建てのマンションを見上げる。
みやびの言葉ではないが、マンションは築三十年以上軽く経っているようで、錆びた鉄筋が壁の端々から飛び出ている。しかも米国スラム街の建物のように、スプレーによる壁の落書きがいっそうのこと荒んだ状況をものがたっていた。
各階は十室で、ほとんどの部屋のカーテンは閉じられている。
伊佐神はみやびにうなずく。
マンション真ん中に設置されたエントランスホールに、二人は入っていった。
薄暗い玄関ポーチには錆だらけの個別郵便受けがあり、広告類や郵便物がそれぞれに無理矢理詰め込まれている。
郵便受けには紙に書いた住人の名前が貼ってあったりなかったりで、伊佐神は目的の号室を確認した。住人名は貼ってはなく、郵便物らしき物も差しこまれていなかった。
「三〇一号室で、間違いないと思われます」
伊佐神は小声で告げた。
「気味の悪い建物ねえ。化け物が出てきてもおかしくない不気味さだわ」
エレベーターの設置はなく、蛍光灯の切れたホールの奥に階段がある。
しーんと静まりかえる階段を、二人の靴音だけがやけに響いていた。
三〇一号室の玄関前には、汚れたダンボール箱や黒い不透明のビニール袋が無造作に積んであった。
何やらすえた悪臭がたちこめている。下駄箱式の長い廊下から外の景色が見えるが、臭いは風に乗ることなく澱んでいた。
みやびは片手で鼻と口をおさえ、整った眉をしかめる。
「なにこれ、ゴミ溜めじゃない。ちょっと、ホントにこんなゴミ屋敷に、アタシの仲間になるべくチョーカッコイイ男性が住んでんのぉ?」
伊佐神はサングラスをかけた顔を、ゴミからそむけるようにみやびに言った。
「たしかに、ここで間違いじゃありません。ただ、みやびさま」
「なにさ」
「男性であることは、間違いねぇんですが、カッコイイかどうかは」
「エエーッ! しゃちょー、どういうことよっ」
みやびは大声で叫ぶと同時に、伊佐坂のスーツ胸元を両手で締め上げた。
「自分で言うのもなんですけど、アタシはもうじきグラビアモデルから、テレビや映画に引っ張りだこのチョー売れっ子スーパーアイドルになるのよ!
いや、まだ予定だけど。
そんなカワイくって素敵なアタシの仲間は、とーぜんクールな美形に決まっているでしょ!
身長と体重がほぼイコールで、おかっぱヘアに銀縁眼鏡、年中アニメキャラのTシャツ、よれた安いジーンズに汚い黒い革靴、肩から下げたバッグにはアイドルの顔写真入りウチワとペンライト、人と交わるのが苦手なくせにネットの書き込みは熱心で、サラダ油をストローで吸いながら何にでもマヨネーズかけて食す。
って、そんなキモーイのじゃなくて。
身長一メートル八十九センチ、体脂肪率八パーセント以下、髪は少し長めで前髪が知的な額に少しパラリ、彫が深いのに笑うとえくぼがかわいくて、それでそれで」
伊佐神は尋常ではない力で締め上げられ、首の頸動脈がくっきり浮かんでいる。
「く、く、くるしい、落ちる、おちる、意識が遠のいて、きた」
あと十秒も締られていたら、伊佐神は完全にブラックアウトしていたであろう。
ガチャリ。
三〇一号室の重たい鉄製の玄関ドアが、細く開けられた音。
みやびは、ハッとして伊佐神の胸元から手を放す。伊佐神はストンと尻からくだけた。
隙間のあいたドアから、囁くような声がみやびに届いてくる。
「もしかして、みやびちゃん? ですか? 月刊ティーンレディの専属モデル、千雷みやびちゃん」
みやびは驚いて、営業用の声のトーンに素早く切り替えた。
「あん、イヤだ、ご存じなんですかぁ、アタシのこと」
みやびは右手人差し指を口元に持っていった。このシーンだけ見れば、なるほどキュートな仕草が一層かわいさを引き立てているのは間違いない
ガッチャーン、と玄関ドアが勢いよく開かれた。
「アー、本物ダァ! みやびちゃんだ、みやびちゃん!
ボク、ずっと大ファンなんですーっ」
開け放たれたドアから転がるように登場したのは、おかっぱヘアに度の強い銀縁眼鏡、アメコミのヒーローをプリントしたTシャツに膝の出たジーンズをはいた、体脂肪率五十パーセント以上の、まん丸な若者であった。
喉をうるおしている最中なのか、ストローをさしたサラダ油のペットボトルを持ち、嬉しそうに満面笑みを浮かべていた。
つづく
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