第3話 みやびはアイドル志望
N市
祖父も大学で教鞭をとっていたが、定年退職しており悠々自適の生活を満喫していた。祖父は千雷家に婿養子として入り、祖母と契りを交わしてすでに半世紀経つ。
祖母が婿養子をとったには、大きな理由があった。
祖母は四百年以上の歴史を持つ宝蔵院流槍術本家の直系子孫として、このN市で武道場を持ち、七十歳を超えた現在も多くの弟子を持つ師範なのだ。
宝蔵院流槍術は、
約四百五十年前に
鎌槍を活用した槍術は「突けば槍
みやびは幼少時より祖母の手ほどきを受け、弱冠十七歳にして師範代免許皆伝の持ち主である。もちろん異例中の異例、常人には真似のできない速さだ。
しかし本人は槍術については、アイドルになるための訓練としか考えていないのであった。
アイドル。
そう、みやびは正真正銘、アイドルの卵なのである。
みやびは高校生になってすぐに、N市の繁華街で雑誌モデルとしてスカウトされた。
小顔ですらりとした日本人離れした体型、万人受けする笑顔、愛らしさの中にキラリと光る女性の魅力が受け、みやびがティーン向けの女性雑誌で表紙を飾るようになるのに時間はかからなかった。
多くの芸能事務所がぜひウチの専属にと、道場に併設された自宅にスカウトマンが押し寄せた。
生真面目な両親が顔をしかめる中、一家の大黒柱たる祖母が一声「みやびなら、大丈夫しっかりおやんなさい」と後押ししてくれたのである。
みやびはモデルとしての知名度を上げながら、もっと全国区の表舞台で活躍したいとの希望を持ち、アイドルになることを志した。
祖母はそれについても反対はしなかった。
ただし、モデルからアイドルになるためにかかる費用は自分で工面することと、大学には必ず進学し学問を修めること、という二つの条件をつけたのだが。
したがってみやびは高校の勉強はもちろん、アイドルになるための修業と、寝る暇もないほど多忙な日々を送っていた。
まさか不定期のアルバイトに時間を割かれるなんて、思ってもいなかったのだ。
あの日までは。
~~♡♡~~
「みやびー、今からみんなでお茶しにいくけど、どうかな」
学校はまもなく夏休みである。
週末の下校時間。クラスメイトたちは芸能界に片足を踏みこんでいる友人を、好奇の目ではなく級友として接してくれる。
またみやびも決して驕らず(祖母の戒めもあるが)、普段は世間一般の女子高生として生活するように心がけていた。
追っかけの男性ファンは多いが、イベント以外では遠くからみやびの姿を見守るだけという紳士協定がネットを通じて結ばれていることを、当の本人はまったく知らない。
これもみやびの人柄を現すエピソードとして、密かに語られていた。
「ごめーん、ミキ」
みやびは校門で級友に両手を合わせた。
「今日はN駅のスタジオで、ダンスのレッスンなんだ」
「あ、そうなの。オッケイ、オッケイ、がんばっといで」
みやびはもう一度謝ると、ひとり校門を出て地下鉄の駅に向かった。
この季節は夕方でも陽差しが強い。みやびは片手でひさしをつくり、歩き出した。校門前は交通量の比較的多い国道である。歩道には学校帰りの学生や、営業のサラリーマンが汗をかきながら歩いている。
みやびが何げなく車道に目をやると、ハザードランプを点滅させた黒塗りの大型外車、ベンツ・マイバッハが路上駐車しているではないか。
ハッとしたみやびは、その横を知らん顔で通り過ぎた。
見るからに、一般人の乗る自動車ではない。通行人たちは迂回するように、歩道の隅を歩いていく。
みやびが通り過ぎた直後、後部席のドアが開く音がする。
チッ、と祖母に怒られそうな舌打ちをすると、みやびは通学鞄を胸元に抱え走り出した。地下鉄の駅を通り過ぎ、途中で脇道をすり抜けて学校の裏手へまわる。
かなりの速度で走った。
「ま、待ってく、くだ、さーい!」
息の切れた甲高い声が、後方から聞こえてくるではないか。
みやびは走りながら、すばやく周囲を見回した。高校の裏手は静寂な住宅街である。すれちがう通行人がいないことを確認し、みやびは立ち止まった。
「ひ、ひーっ、心臓がーっ」
はるか後方から、真っ白なスーツにパナマ帽、サングラスを半分ずらし、よれよれと走ってきているのは伊佐神であった。
伊佐神は、はあはあと口を開け、ようやくみやびに追いついた。謝るように膝に手をのせ、流れ出る汗を胸元の絹のハンカチーフでぬぐった。
「わかせん、いやいや、みやびさま。わたくしにお気づきになられていらっしゃるのに、走っていっちゃうんですもの」
伊佐神は、ずれたサングラスを指先でもどしながら、みやびを見上げる。
みやびはふり向きもせず、言い放った。
「組長がどんな自動車に乗ろうとご勝手ですけど、学校の前で待ち伏せするなんて! クラスメイトがもし見ていたらなんて思うか、知っていてやったのかしらね」
強い口調で詰め寄り、二重の大きな目をつり上げて伊佐神をにらんだ。
まともに視線が合った伊佐神は、社員たちには絶対見られたくない、腰を抜かした格好で座りこんでしまった。
冗談ではなく、みやびの眼力は半端ない。
十七歳といえど一流の武芸者としての技術を身につけており、気合をこめた双眸にはそれだけで相手を文字通り圧倒する威力がある。
解散したとはいえヤクザ組織を束ねていた伊佐神でさえ、みやびにはかなわない。
「ヒエーッ、どうかどうかご無礼をお許しくださいませ! け、決っしてやましい気持ちで待ち伏せていたわけでは、ございませーんっ」
伊佐神のあられもない格好に、みやびの怒りはやや沈みかかったようだ。
「じゃあ、なぜあんな所にいたのさ」
伊佐神は震える両手で、パナマ帽を取った。
「も、申し訳ありやせん。実は、どうしても、みやびさまにご同行いただきたいことが起きまして」
伊佐神は尻餅をついたまま、ずれたサングラスから上目遣いでみやびを見た。
「ご同行って? アタシ、これから大切なレッスンがあるのよ。しかも、帰ったら山のような宿題をやっつけなきゃいけないし。
それとも、もしかしたら、また出るのかしら」
みやびは「ヨーワ」と、ピンク色のくちびるだけ動かした。
「い、いえ。そっちじゃねえんです。実は、みやびさまのお仲間が」
「な、か、まー?」
みやびは両目をパチクリとさせたのであった。
つづく
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