時限結婚

ペイザンヌ

短編


「あと一週間だな」

「あと一週間ね」

「ぉ……キミはどうだ? 」


 俺は危うく妻のことを“おまえ”と呼びそうになったのをこらえ“キミ”にした。世の女性は“おまえ”と呼ばれるのをあまり好まない。この土壇場でマイナスポイントを加算するのは得策とはいえない。


「どうだって、何が? 」


 わかっているくせに。妻は自分から決してふだを出さない。


「何がって、あと一週間だろ? 」


 そう、あと一週間後には俺たちが入籍して三回目の結婚記念日が訪れるのだ。ノロけているわけではない。今の会話をそうとらえられたとしたらそれは大間違いというものである。




 結婚というものが〈三年契約制度〉に変わって随分経つが、皆うまくやっているのだろうか?

 これはこの国の離婚率が急激に上昇したため、今から三十年前の2025年より施行された案である。


 今更説明するほどのものではないが、まあ簡単に言えばこれは籍を入れた後“結婚”というゲームがスタートし、三年ごとにこのまま継続するかどうかを二人で相談して判定するというシステムだ。


 やってみるとわかるのだがこれは離婚とはまた少し趣が異なる。


 それまで離婚というのは、たとえ嫌気がさしても目的地まで我慢して乗っていなければならない飛行機のようなイメージがあった。途中で飛び降りるにはかなりリスクが高い。だからこそ自分の搭乗する飛行機は徹底的に選んだり検査したり、必要とあらば修理する慎重さが求められていた。


 だが、この三年制度に変わり、飛行機はバスになった。旅とはいえぬ、身近な交通機関。途中で気分が悪くなればバスストップで降りればいい。飛び降りる決意もいらない。最初から停留所は決まっているわけだからあとは“降りるか降りないか”の二択を選ぶだけなのである。


 一番大きいのは他人に迷惑をかけるかもしれないといった罪悪感や羞恥心の減少であろう。


 むしろリセットという意味でポジティブな効果の方がメディアに取り上げられ、今では“結婚式”同様、“離婚式”を盛大に行う夫婦も少なくはない。“ウェディングドレス”ならぬ、透明感のある淡いブルーで施された“セパレーションドレス”が若い女性に支持され、『一度は着てみたい』と、願う女性も増えたという。


「もう決めてるのか? 」と、俺は煙草を取り出す。

「結局やめられなかったわよね」

 

 妻は俺の人差し指と中指の間に挟まっている“結婚したら必ずやめる”と約束していたものをじっと見た。俺はドキリとして、火をつけてもいない煙草をそのまま灰皿に押し潰した。


ー やめられなかったわよね。


 その過去形だけで俺の肺はモヤモヤした煙で充分満たされた。



 三年制度は施行された2025年四月以降に結婚した夫婦からが対象とされる。


 だからそれに怯えるようなカップルは制度が施行される前年の2024年に大慌てで籍を入れたと聞く。


 その当時俺はまだたったの5歳だったわけだが、あとあと大人になってそんな話を聞くと、まるで煙草が値上がりする前に買いだめしようとするヤツらみたいだなと笑った覚えがある。


 だがどうもそれは撤回せざるを得ないようだ。


「あなたはもう決まってるの? 」


 まるで互いにシークレットにしているクリスマスプレゼントを探りあっているような会話だが、この一言一言の駆け引きはそんな悠長なものではなかった。


 こんな核弾頭をお互いに所持しながら夫婦生活がうまくいくかって?



 ふん。



 いくのさ。



 悔しいことにこの制度が発足されてからというもの離婚率がぐんと下がりだしているから皮肉なものだ。


 これは捉え方の問題なんだが、この結婚三年制度に隠されたキーワードは思ったより深い。


 人間てやつは大抵のことは我慢もできるし耐えることもできる。


 だが、自分が、


 相手ではなく自分の方が、


“捨てられる”ことにだけは異様なほど執着心があるもんなんだな。選ばれない自分というものがどうしても許せないのさ。


「おいおい」


 俺はいかにもといった感じで溜め息をついてみせた。自分が演技をしていることを意識し、そして妻はその芝居の観客になっていることを確信しつつだ。


「俺たちがこの三年間なにか言い争いをしたことがあったか? 」


 まるでヘタクソな脚本を読んでいるようだ。たとえ映画にしたって、こんな台詞を吐く主人公がうまくいったためしはない。


 そもそも女ってのは喧嘩しようとしまいと不満があるものなのである。


 ハッキリ言わなきゃ“言いたいことがあれば言えば、男でしょ? ”

 ハッキリ言ったら言ったで“みみっちいこと言わないでよ。男のくせに” とくる。


 結局、こちらが返す言葉は“女だろ? ”やら“女のくせに”となるのは目に見えて明らかだ。


 だが、こんな見飽きた展開も我が家にはない。なぜなら俺たちはお互い三年後にまた同じ相手に選ばれなくてはならないからだ。


 なるだけ自分を良く見せようとする恋愛期間が薄まって持続しているようなものである。釣った魚にもせっせと餌をやり続けなければならない。結果を出さなければ互いが契約社員のように切って捨てられるのは必至だからだ。


「私は…もう決めてあるから」


 妻が意味ありげにそう呟いた。


 嘘だ。


 俺は直感的に感じた。妻はまだカードを選びきれてない。口調には“あなたのカード次第よ”という高低が含まれている。


 俺はなんだか息苦しくなってテレビのリモコンを取った。


 ここぞとばかりにこの制度に便乗したのがブライダルビジネスだ。


“ソンナ・カレナラ・ステチャエバ? ”と、パーティードレスに美しく身を包んだ演技派女優が言えば“エプロンをつけた魔女よ、去れ! さぁ~あ、新しい姫を探しに行こぉぉ! ”と、十字軍の衣装に身を纏った個性派男優が叫ぶ。こんなCMが必ずといっていいほど番組の間に流れている。


 理想と現実のギャップを心理的にあおり、何度も別れさせてはくっつけ顧客を増やす。いわば、こういったコマーシャルの本当の顔は離婚の斡旋である。

 三度目の御離婚ならプラチナコース。なんでもスイスで名のある司教が二人の新しい門出を祝福してくれるらしい。



 笑わせるぜ。



 そんなCMの片隅に“三年契約は無計画的に”といったテロップが流れていることがある。この“無計画的”とは何のことかといえば、逆にいうところの“計画的”、つまり結婚詐欺のことを指し示しているのである。こればっかりは計画的にやられてはたまったものではない。


 そういった意味でこの制度にはちょっとした決まりごとがあるのだ。


 かつて存在した“永久結婚”とは裏腹に、契約を更新した以上はたとえどんなことがあっても三年間は離婚できないのである。

 さらには最初の三年を過ぎないと保険はおろか遺産も相続できない。よってよほどの長期計画でないと結婚詐欺も成り立たないのだ。

 

 保険金殺人など単純に計算しても3×2の最低六年の月日がかかってしまうわけだからどうしてもデメリットの方が目立つ。そのためか、最近ではめっきりそんな事件すら囁かれなくなった。


 とはいえ以前こんな事件もあるにはあった。


 詐欺が目的である女と結婚した男が契約期間の三年をぼんやり待っているうちに相手の女に情が移ってしまい、罪悪感から全ての計画を告白してしまったのである。

 

 女の方はといえば、そんな男をいじらしく思ったのか“正直に言ってくれてありがとう”と、涙ながらに礼まで言ったという。

 その夫婦は今では仲睦まじく暮らしているというから不思議だ。これはこんな特殊な時代における一つの美談であるといっていい。



「あなたは? …もう決まってるの? 」


 初めてこの試合でサーブ権が回ってきた感じがした。様子をみるか、それとも思いきってスマッシュを決めても構わない。


 出会った頃、俺たちは愛に満ちていた。


 その感情が永遠に続くものだと信じていたが実はそうではなかった。


 いや、感情ではない。感情というものは常に変化を求める。それらは皆、勝手気ままに虚空をさ迷い、やがて瞬間こそが永遠だと知る。

 君と俺とが目を合わせた瞬間、初めて口を交わせた瞬間こそが永遠であり、それらを俺たちの限られた時間枠内に閉じ込め、育む。


 限られた時間というのは三年という意味などではない。そうではなく、こう、もっと……


 そう思ったなら何故俺はそのことを口にしないのだろう?


 男と女は付き合って三年も経てば馴染む。さらに三年が過ぎれば飽きるかもしれない。


 そのあとは?


 ずっと耐え続けるか、バスから降りるか……結局それしかないのだろうか?


「俺は、最初から決まってるさ」


 どうとでもとれる、我ながら反吐が出そうな言葉だ。


 三年制度で子供がいた場合はどうかって?

  こんな制度、子供のためによくないと思う人も多いかもしれないが実のところそうでもないんだ。


“子はかすがい”などと言われてはいるが、どんなお偉い制度や法律の前だって責任を感じないやつは感じない。三年制度だろうと永久制度だろうとダメなやつはダメ。


 離婚率が急激に上昇したからこの制度が発足されたと最所に言ったが、それはつまり永久婚時代にシングルマザー度が上がったためとも言い換えられる。結局どちらの時代だろうと傷つくのは罪のない子供たちだってことに変わりはないのは確かだ。


 生憎あいにく俺たち夫婦が子供を授かることはなかった。過去形にしてしまったがこれはあくまで“この三年間は”という意味だ。


 よって俺たちはフリーだ。


 以前は決まった相手がいないことをそう呼んでいたそうだが今となっては子供のいない夫婦のこともそう呼ばれる。


『子供いるの? 』

『それがまだなんだぁ』

『ふ~ん、じゃあフリーなんだ』


 と、いった具合である。


 これはもし、誰かが妻を好きになったとして、三年間待つことができれば結婚できる可能性を示している。


 つまりそれは俺との“契約期間”が終了してからという意味だ。


 もし一週間後、俺たちの結婚が“継続”となった暁にはまたそこから三年間そんな気遣いや不安と共に歩き出すことになるのだろう。


 俺は何ともいえぬ気分になった。


「……愛してるよ」


 沈黙の中、こんな言葉が飛び出した。


 どうやら俺の口かららしい。


『愛してる 』 か。


 子供の頃、何度も何度もテレビや映画で聞いたことのある言葉だ。この言葉はもっと限りない、計り知れない力を持っていると思っていたはずなのに。


ー なのに ……


 これは俺が今まで聞いた中で最もぶざまな『愛してる』だ。


 それにも関わらず“継続”のサインに判を押すであろう自分の姿が想像できるのはなぜなのか?


 キミはどうだろうか?



 押すかもしれないし、


 押さないかもしれない。



 本当の意味でのゴールインは俺たちには遥か遠い先なのだ。


 俺は急にどうしていいのかわからなくなり、飲みかけのビールをあおるとリモコンでテレビのチャンネルを変えた。


 だが、少なくとも今の俺には“どちら側”の番組にしたって、さほど面白さに大差などないように思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時限結婚 ペイザンヌ @peizannu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ