アケビ

エンドケイプ

第1話

この街嫌い。

だって葡萄の皮の味がするんだもん。

渋くて苦くて酸素薄くて。

「あんたの言ってること本当意味が解らない」

アケビはそう言って笑うけど、本当に笑っている訳じゃない事くらいはあたしでも判る。

あたしは駅前の小さなロータリーが見える喫茶店でメロンソーダを飲みアケビは水だけをずっと飲んでいた。

飲むというより舐めているようだ。

表を走る市営バスがアケビの右のコメカミに入り、反対側から出てきた。

もちろん本当にバスがアケビの頭の中に進入してきた訳じゃない事くらいあたしでも判る。

ただ、そう見えただけ。

ガラスって不思議。

なんで透明なのに《存在》する物質なんだろう。

ロータリーのバスからアケビの背後の大きな窓に視点を合わせながらそう思った。

「ねぇ」とあたし。

アケビは無言であたしを見る。

「ガラスって不思議じゃない?」

「カラス?」

「ガラス」

「ガラス?」

「そう、ガラス」

空は曇っている。

雲は昔飼っていたウサギと同じ色をしていた。だから好きじゃない。あまり空を見ないようにしていた。

「で、どうすんの?」とアケビ。

「ガラスの事?」とあたし。

「ガラスの話はどうだっていいよ、やるのかやらないのか、時間ないんだよ」

あたしは再びアケビの背後に広がる景色を見た。

バスバスタクシーバスタクシー、そして小さな駅。

「この街やっぱり嫌いだな」

あたしはそう言いながら立ち上がった。

この喫茶店は少し好き。コーヒー臭くないから。

「いいよアケビ、その話やるよ」

そう言うあたしの目を見てアケビは微笑む。

「本当に?」とアケビ。

「本当に」とあたし。

「明日、またここで」とアケビ。

「十四時ね」とあたし。

「そう十四時」



高校は去年の暮れにやめた。

その方がシンプルだから。

妹はあたしの事を最低だと言う。

母親は何も言わない。

父親はいない。

去年から家に棲みついた知らない男はそんなあたしを笑う。どうして笑うのか判らない。でも笑う。

自分の部屋がないから家にはあまり寄らない。

ビール臭いから家にはあまり寄らない。

知らない男が笑うから家にはあまり寄らない。

お金もないから出来るだけ静かに街を彷徨う。

朝も昼も夜も真夜中も明け方も静かに街を彷徨う。

時間の隙間を見つけて家に寄ってシャワーを浴びて服を着替えて居間の小銭を盗んでまた街に出る。

選挙のポスターは嫌い。街を醜くしているから。

道路標識も嫌い。街を醜くしているから。

ゴミのポイ捨て禁止の看板が何よりも街を醜くしていると思う。

みんなセンスがないんだな。

あたしは素直にそう思う。


この街には昔細い川が流れていた。数週間雨が降らないと枯れてしまうような川だ。

あたしが小学生の頃には少なくともまだそんな貧弱な川が存在していた。

それがいつの間にか埋め立てられて、とても細長い公園になった。

公園といっても等間隔にベンチを設置しただけの簡単なものだ。

アケビと会ったのはその公園のベンチに座って空を眺めていた時だった。

「キミ、いつも座ってるね。高校どこ?」

それがアケビの最初の言葉だった。

「高校は行ってない、あなた誰?」

それがあたしの最初の言葉だった。

アタシ達はそれから毎日のように会って話をした。

三十分だけの時もあれば十時間一緒にいる時もあった。会話というより単語を発し合うそんな交差がほとんどだ。でも、ひとりでいるよりずっと良かった。


アケビはあたしより二つ上で、あたしより背が高くて、あたしより男を知っていた。

そんなアケビが「お金欲しくない?」と言ってきた。

「働くのは嫌」とあたしが答えると「だから稼ぐの」とアケビは言った。



明日の十四時。アケビの計画がうまくいけば、あたしはお金を得るはずだ。

あたしはアケビの話に乗る事にした。

理由は特になかったのかもしれない。

喫茶店から見えた雲が昔飼っていたウサギと同じ色をしていたからだと思う。

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