普通戦争

ルーク

1時間目

 広めに取られた通路を一歩一歩踏みしめるように進む。その道は時折散る桜で少しだけピンクに覆われていて、典型的な、言ってしまえばありふれた入学式の光景に思える。だがこんな光景が今日は数千の学校で繰り広げられているのかと思うと少し感慨深くもあった。

 そしてとうとう目の前まで来た中学生が通うには些か巨大な校舎とパンフレットを見比べる。14区西第3中学。偏差値は中の中、街の中心部に近くて交通の便もよく、周辺に学生の喜ぶスポットは程々に点在しているが悪い誘惑は少ないと「普通」を目指す人間にはうってつけの環境なのかこの学校は毎年学園都市全体で見ても入学者数ベスト10にほぼ毎年入っているとかいないとか。現に今年の入学者数も軽く1000人を超えるらしい。入学式を前にして早くも人酔いを起こしそうになるのをどうにか堪え、綺麗な景色もそこそこに校舎に飛び込んだ。


 偏差値52.85。それが秋川壮也が小学校生活の冬に2週間をほぼ丸々費やして行われた知能指数テストで出した数字だった。学校の勉強の総ざらいに始まり発想力を問われる難問や簡単な暗算、記憶力テストなどからはじき出されたその数字とA4用紙9枚に及ぶアンケートの結果、壮也は学園都市の14区西第3中学に通う事が決まった。

 目立って低くも高くもない偏差値とこれと言った特徴のない学校と周囲の環境。強いて言うなら14区全体が地区を挙げて文化的活動にやや活発な事ぐらい。両親が、そして壮也自身が望む学校生活を送るのには申し分ない環境のようだった。トントン拍子に話は進み、入る寮や通う塾も次々決まっていく。やや両親が口を挟みすぎているような気がしたがこれと言って不満もないのでほとんど流されるような形で全てを済ませ、家族と離れて寮生活を初めて早3週間、同室の友人もできてついに本格的な学園生活のスタートを迎える事となった。

 どうにか入学式を済ませ新入生歓迎仕様に飾り立てられた大教室の中でオリエンテーリングを受ける。学生としての心得、学園都市の作法、そして、入学生全員に配られた見た目はスマートフォンによく似た携帯デバイスの事。


 ウォーズ。それがそのデバイスに最初からインストールされているソフトウェアの名前だった。名前は少々物騒だが中身はなんてことのない、勉強用のアプリである。だが、中身は普通のお勉強ソフトではない。壮也も小学校卒業の少し前に受けた知能テストを部分特価させ、それをゲームにし他の学生と対戦してその勝敗やレーティングを競うという代物だ。

 時に暗算力を問われ、時にジグソーパズルをやらされる。一時期流行ったという脳トレを応用させたそのアプリで学生たちは争い、一定期間ごとにレーティング偏差値が30を割ってしまった者はなんと退学にさせるという文字通り戦争を思わせるシステムがこの学園都市には出来上がっている。流石に退学という言葉が出た時は教室の雰囲気が引き締まり、その語感も相まって居心地の悪さを覚えた。すぐにこの街は救済措置が充実しているから退学になっても心配はないというフォローが入ったが、それぐらいでは入学式の日にそんな事を言われた学生の心情を回復する事は出来ない。正直かなり煮え切らない雰囲気でオリエンテーリングは幕を閉じた。


 オリエンテーリングが終わるとほぼ同時に時刻は正午になり、本日は解散となる。ついでだからこれから自分が通う事になる学校の味を堪能しようと学食に向かう壮也になんの断りもなくついてくる1組の男女。厳密に言えば、どちらも壮也の友人であり2人に直接の親交はあまりない。だが、学園都市に来てから今日までの期間外で会うなど壮也経由で話をする機会が何度かあったので、いつの間にか2人は打ち解けていったのだ。今日の入学式やオリエンテーリングだって2人揃ってちゃっかり壮也を挟むようにして席をキープしていた。


「まさかいきなり退学って言葉が出るなんて思わなかったわ」

「だよなー。もうちょい言い方選べねーのかってんだ」

 それぞれ食事を口にしつつ先ほどのオリエンテーションの愚痴をこぼす笠原美咲と伊波小太郎。小太郎は壮也の寮の同室で、美咲は小学校の6年クラスも塾も同じ、ついでに実家も近所のいわゆる腐れ縁という奴だ。

「なあ、ソーヤもそう思うだろ?」

 小太郎に話を振られカレーを乗せたスプーンを運ぶ手を止める。その意見自体には大いに賛成だったが今更足掻いた所で自分の一存でシステムを変える事などできない事は分かっていたし、今更抗うつもりもない。正確に言えば、自分が退学になる場面など想像してすらいなかった。

 小学校の6年間、「普通」を絵に描いたような人生を送ってきた自覚がある壮也にとって退学という言葉はどこかの異世界のような言葉にも聞こえていた。テストの度に偏差値30未満、割合で言うなら全体の下位の約2%が切り捨てられ、無事に高校を卒業できるのは毎年全体の半分ぐらいだという説明があっても意外と少ない数なんだな、と思った程度だった。普通は偏差値が30を割るなんてありえない、普通の知能を持ち普通に授業を受けていればまず取る事のない数字だとすら思っていた。全体の上位半分ぐらいになら、自分はなれると思っていたのだ。現に今は一応偏差値50超えの身でもあるので。

「まあな」

 だが、小太郎の問いにはあえてこう返す。食事中にいらぬ議論を巻き起こしたくないという気持ちもあったが、何より小太郎の気持ちも100%わからなくはなかったのだ。寮で親しくなったその日のうちに行った知能テスト結果の見せっこ。自分より少しだけ下の成績だった小太郎のそれを見て安堵感が浮かび直後にほぼ同率で自己嫌悪の気持ちも湧いた事を思い出す。自分より成績が上の人間と自分自身に立場を置き換えたのだ。当然この事は小太郎には話していない。

「でも、今更言ったって仕方ないと思うわ。私たちに出来るのは退学にならないよう頑張る事だけよ」

「それができたら苦労しねーよ」

「伊波くん、そんな事言ってると切り捨てられるわよ。ここでは、数字しか見てもらえないんだから」

 淡々とした口調が無意味に恐怖を煽る。小太郎もこれには黙るしかなかったようで3人の間にはあっという間に沈黙が満ちた。

 美咲はいつもこの調子だ。言葉を選ばず、自分の言いたい事ははっきりという。その性格のおかげか同性の友人は少ないようで、女の子の特定グループに属している姿というのをあまり見た事がない。あっても3~4人の規模の大きくないグループでそのメンツも比較的入れ替わりが激しいように見えた。少なくとも休み時間の度にべったりとしているような間柄ではない。日によっては壮也といる時間の方が多いぐらいだった。

「…美咲」

「ごめん。言いすぎた。でも、それは事実だからね?二人共普通の学園都市生活を送りたいとか言ってたけど、切られてしまっては元も子もないのよ?」

 壮也の窘めもほとんど効果なし。口が達者なのは結構な事だが、あからさまに空気を悪くするような発言は控えて欲しいというのが本心なのだが。

 だが、彼女がその口の悪さを発揮するのは親しい人間の前だけであるのも壮也は知っている。まだ知り合って数日である小太郎の前でもここまで言える辺り、彼にはそれなりに心を開いたようだった。同時に、小太郎が美咲の毒舌に耐えうる精神力の持ち主である事に安堵した。いつもの、特に女同士の付き合いだったら最悪この時点で相手の堪忍袋の緒が切れていただろうから。


 結局その後は満足な会話もなしに3人は食事を終えた。そしてこの空気の原因を作った美咲はというと、バスの関係だとかで真っ先に帰ってしまったのだ。こういう自己中スレスレの言動も小学校の時と変わっていない。

「悪い奴じゃないんだけどな。正論マシーンつーかなんつーか…」

「それ、あいつの昔のあだ名」

「あ、やっぱそういうあだ名ついてたんだ!」

 苦笑いする小太郎。だがその後に続いた言葉は、短いなりにも付き合いのある友人をフォローする言葉だった。

「悪い奴じゃないんだけどな。付き合う人間選ぶタイプだありゃ。でも俺、ああいうの嫌いじゃないぞ」

 その言葉には壮也もどちらかというと頷ける側だった。ズバズバものを言い過ぎるだけで、美咲本人は決して悪い人間ではない。むしろ自分をしっかり持ちそれを正論にするための努力は怠らないという点や本当に言ってはいけない事は言わない所は尊敬に値すると思っているぐらいだ。

「でもやっぱ、頑固な所はな…」

「そこは同感だ」

 そこを突かれると壮也も苦笑いしかできない。その後も美咲がくしゃみをしている姿が容易に想像できる話をしつつ2人は寮の玄関を潜った。

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