Tresor 諦めきれない理由

ミーシャ

第1話

彼女はまた、自分が男に捨てられるのだと思った。

その男は用が済んだあと、自分の下半身を不潔なジーンズの中に押し込み、彼女に捨台詞を吐いた。


「さっさと出て行けよ。ダチが来るから」


 男は上着を羽織ると、コンビニに昼食を買いに行った。部屋の中には、そうした食事から出るきらきらしたゴミが散逸していた。誰も片付けやしない。彼女だって、そんなに気にしたことなど無い。それでも自分の家にいられなくなると、ここに押し掛けた。


すがるように彼の胸に顔を押し付けていると、自分がひとりではないと感じた。それに、その男のいい加減さに比べると、自分はずっとマシな人間のような気もした。


男は、自分を拒まなかった。それが最低条件だった。でもそれが、彼女の居場所として唯一の条件でもあったのだから、つくづく自分は安い女だと、彼女は思っていた。


 

 彼女は裸のまま、布団から抜け出ると、長髪を掻き揚げつつ、ベッドの下から小さめのボストンバックを取り出した。その中には彼女の衣類の一切が入っており、彼女はその洗剤の香りに包まれた下着に身を通した。


 男の家で脱ぎ捨てたものは、いつものとおり、男の部屋に置いておくのだ。そうすれば男は、彼女の服から何から、すべて洗えるものを洗い、こうして鞄に詰め込んでおく。別に頼んだ覚えなどないが、男は、彼女の服を洗濯することにだけ、妙な執着を見せていた。


「自分の服なんて、まともに洗ったことなんかないくせ」にと、男をなじったこともあった。しかし、男は決まってこう言った。


「お前の不潔さが、なんか嫌なんだよ」


 その男は自分が不潔であるのを棚に上げて、彼女を不潔だと言った。しかし彼女はそれを許した。誰も、自分の不潔であるのを気付かないはずだ。それは男であろうとなんであろうと、みんなそうだ。


 彼女は、男の洗った前の服を着て、台所に置いてあったジンジャーエールのボトルに口をつけた。気の抜けた炭酸にまじって、自分のだらけた意識が体に戻ってくる感じがした。


 何度か躓きながら洗面所をめざし、石鹸で顔を無造作に洗うと、いよいよ現実が迫ってきた。今日は土曜日。仕事もない。何もすることがない。


 蛇口からひねり出す水に頭を差し出す。じっとりと濡れた髪を手ぐしで梳き、鏡越しに自分の唇を見つめた。


 もし、心中をするなら、自分がもう一人いればいい。彼女は自分とそっくりな人間を思い浮かべた。いや、でもそんな奴と知り合うことなんて、果たして出来るだろうか。


 現実にはそんなこと無理だろうなと、自嘲的な笑いを浮かべた彼女は、髪をゴムで束ねると、玄関に打ち捨てられた鞄を拾い上げ、男の家を出た。


 駅に向かって歩いていると、コンビニから戻ってくる男とすれ違った。しかし、何もしない。まるで赤の他人であるかのように、堂々と彼女は遠方を見つめ、男と擦れ違う。男はちらりと彼女の胸を見、自分の仕事の結果を確認しただけだった。

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