第3話ご近所探検 前編

 遠足や家族で遊園地に行くのが楽しみで眠れない。

 そんなことを誰しも子どもの頃には経験したことがあるのではないか。

 かくいう私もそれを現在進行形で体験している。

「眠れんっ!」

 真っ暗な部屋の中に私の声がこだまする。

 明日は待ちに待った千佳ちゃんとのデートの日だと思うと、いろいろと妄想が膨らんで興奮が止まない。

「し、しかし……ここで眠れずに朝を迎えたらどうなる? そう、万全なコンディションで千佳ちゃんとのデートに臨めないことになるのだ」

 それだけは絶対に避けなければならない。

 そのためにはしっかりと睡眠を取り、完全と言える状態で朝を迎えなければならない。

「なのに、なぜだ私の体! なぜ眠ろうとしない!」

 いくら言い聞かせても私の脳は一向に意識を保ったままである。

「落ち着け……興奮してるから眠れないんだ」

 無理矢理眠ろうと目を閉じてじっとしていても、眠れない。

「仕方ない。軽く気分転換でもするか」

 こういうときは無理して寝ようとすると余計に寝られないものだ。

 手探りで枕元に置いたスマートフォンを探し当てる。

 カメラロールに保存されている幼女フォルダを見て気を紛らわせるとしよう。



「ふう……堪能しました」

 外からは雀の鳴く声が聞こえてくる。窓に視線を向けると、陽の光が部屋に差し込んできている。今日は晴れてよかったなあ。

「……朝!!」

 幼女画像の鑑賞に熱が入りすぎたようだ。徹夜コースを完走してしまった。

 これが普通の休日ならいい。このまま昼過ぎまでのんびり眠ることができる。

 しかし、今日は絶対にそれができない日なのだ。

「今はまだになってて眠くないけど、これが数時間経てば絶対眠くなる……!」

 今日はそこからが本番だというのに、それだけは絶対にまずい。

「こうなったら強化ドーピングしかないだろうが……!」

 ベッドから飛び起き、1階のリビングへと駆け足で降りて行く。

「おはよーっ!」

「おはよう。珍しく早いのね」

「あ、おはようございます」

 母さんと千佳ちゃんは既に起きていたようで、エプロン姿の二人がキッチンから姿を覗かせた。

 それにしても、エプロン姿の千佳ちゃんも眩しいなあ。

 千佳ちゃんに

「お帰りなさいあなた♪」

 なんて言われたいなあ。

 日々の生活に疲れて帰ってきた主人わたしをいつも家庭で支えてくれる千佳ちゃんを一生大切にする所存ですが。

 幼妻千佳ちゃん、今夜はこの妄想で決まりだ。

「そうだ。コーヒー貰える?」

「はいはい。いつも通りでいい?」

「いや、ブラックカフェインマシマシで」

 いつもならミルクと砂糖たっぷりな甘さ極振り、マックスコーヒーに匹敵するレベルのコーヒーを飲むのだが、今回の目的はそう、強化ドーピングによる眠気の排除なのだ。そのためには暗黒物質ブラックコーヒーですら飲み干す覚悟だ。

「え? 本当にいいの?」

「もち」

「そう言うならいいけど……」

 リビングで椅子に座って少し経つと母さんがコーヒーを持ってきてくれた。

 カップの中身はいつもの幼女の笑顔のような優しさを持ったミルクの色は一切なく、ただひたすらに闇だった。

「ぬくく……乙女は度胸!」

 カップの口に運ぶ。熱いものが口の中に広がっていく。

「!?」

 思わず吐き出しそうになるのを必死で堪えて口の中の液体を喉の奥へと流し込む。

 苦い。苦すぎる。こんなの人間の飲み物じゃない。

「うぶ……」

 だが、これで千佳ちゃんとのデートで眠気に負けるなんて失態を犯さずに済むというのなら――この液体を全て飲み干してみせる。

 さすがに熱々のコーヒー、しかもブラックを一気飲みできる訳はないので、ちびちびと苦みを味わい続ける。これは一種の修業ではないかと思えてきた。

「や、やっと……! でも、まだ……!」

 一杯だけじゃ不安だ。だから――

「おかわり! もちろんブラックで!」

「えぇ? 無理してブラックなんて飲んで、なんか変なこと考えてないでしょうね?」

「まさか。私ともあろうものが、そのようなことあろうはずがございません」

 HAHAHA! とアメリカ人顔負けのスマイルで答える。もういろいろおかしくなっているような気がしなくもないが。

「はい。ほどほどにしときなさいよ」

 2杯目がやってきた。私の口の中は既に苦みに蹂躙されている。私の舌は限界なんてとっくに超えているが、それでも私はやらなければいけないのだ。

「琴葉お姉さんすごいですね。ブラックコーヒーなんて大人です」

「い、いやあ、そんなことないよ。あはは」

 キッチンから戻ってきた千佳ちゃんが尊敬の眼差しを向けてくれている。なんとか笑顔を作るが、間違いなく引き攣っているだろう。

 


 なんとか朝食でコーヒーの悪夢からは逃れ、着替えやらの準備を済ませる。

 今日は遠出はしないとはいえ、千佳ちゃんとの初デートである。気合を入れない訳が無い。

「よし、完璧」

 下着までいつもより気合を入れた秘蔵っ子を持ちだしてまで来たのだ。今の私は最強装備、最終決戦仕様とでもいうべきだろう。

「私も準備できました」

 一階に降りると、千佳ちゃんも準備ができていたみたいだ。リュックを背負って気合十分といったところだ。

「それじゃあ行こうか」

「はい!」

 


「今日は晴れてよかったね」

「はい。暖かくて気持ちいいですね」

 春爛漫。暖かい日差しと風が心地よい。絶好のお出かけ日和だ。

「まずは商店街から行こうか。商店街を抜けたらすぐに学校もあるしね」

「はい。……あの、一つお願いしてもいいですか?」

「うん。なんでも言ってよ」

「手を、繋いでもいいですか?」

 千佳ちゃんはもじもじと恥ずかしそうに頬を染めながら風にかき消されてしまいそうな声でそう言った。

 私の耳は幼女の声を聞くことに特化している仕様なので、もちろん聞き逃すことはなかったですとも。

「もちろん!」

「あ、ありがとうございます」

 おっと、ちょっと昂りすぎてしまったようだ。そう、あくまでも私は模範的お姉ちゃんでいなければならない。

 COOL&エレガントだ。

「こほん。言ったでしょ。私のことは本当のお姉ちゃんだと思ってってさ。だから、千佳ちゃんは何も遠慮しないでいいんだよ」

「はい。ありがとうございます」

「うん。さ、行こう」

 手を差し出すと。千佳ちゃんはやはりまだ恥ずかしさや遠慮があるのか、少し躊躇うようにして私の手を握ってくれた。

 しっかし柔らかいなあ千佳ちゃんの手。なぜ、私とこうも違うのだろうか。ずっと繋いでいたいと思わせる感触だ。

 千佳ちゃんと手を繋いでいるだけで後十年は戦えるね。

 猫の肉球に癒されるという人は多くいるが、猫好きの人たちも同じような気持ちなのだろうか。



「ここが商店街だよ。基本的にはここで生活に必要なものはだいたい揃うかな」

 近頃は大型のスーパーなどができて商店街がやばいみたいな話を聞くが、この辺は微妙に田舎なこともあって、そういった施設ができることもなく、割と元気な商店街を維持している。

「いろんなお店があるんですね」

「うん。私のお勧めは駄菓子屋さんかな」

 なぜなら、幼女がいっぱい集まるから。

「行ってみたいです! 駄菓子屋さんって私が住んでたところにはなかったので」

「じゃ駄菓子屋さんから行こうか」

 駄菓子屋と言う名の子どもの楽園(私にとっても)を目指し、商店街に踏み込んでいく。

 千佳ちゃんはあっちへこっちへ視線が移り変わってとても忙しそうだ。そんな千佳ちゃんも小動物的で愛らしい。

「ここがその駄菓子屋だよ」

「へえ……なんだか楽しそうですね」

 休日とはいえ、昼前でも既に結構な子どもたちが遊びに来ている。

「む……!?」

 私の視線が一人の女の子を捉えた。背中まで届くくらいの艶やかな黒い髪の少し大人しそうな印象の女の子が友達と話しながら飴をなめている。

 ああいう大人しそうな子に心を開かれる存在になって思いっきり甘えられてみたいものだ。

 いや、それよりもだ。あの飴になってなめられるたい。私の全身の神経であの子の舌になめられる感覚を味わいたい。きっとそれは至上の感覚であろう。

「――さん。琴葉お姉さん?」

「……はっ! あ、ああ、ごめんね千佳ちゃん」

 千佳ちゃんの声で妄想の世界へダイブしていた私の意識が引き戻された。

 いかんいかん。今は千佳ちゃんとのデート中だというのに、他の女の子に現を抜かすとは……恥を知れ私。

「おや、いらっしゃい琴葉ちゃん。そっちの子は初めてだね」

 自らの不甲斐なさを悔いていると、駄菓子屋の店主のおばあちゃんに声をかけられた。

 この駄菓子屋にはみちると一緒に来たり、個人的に幼女ウォッチングしに来たり(ちゃんと駄菓子も買っているのでセーフ)するので、所謂私は常連客の一人になっている。そのおかげでおばあちゃんに顔も覚えてもらって、サービスしてくれたりとお世話になっている。

「こんにちわ。おばあちゃん。この子は私のはとこの子で今家で一緒に暮らしてる千佳ちゃん」

「初めまして、鳴海千佳です」

「はい。初めまして。行儀のいい子だね。これ食べるかい?」

 行儀よくお辞儀をした。千佳ちゃんにおばあちゃんは優しい笑顔でうまい棒を渡してくれた。

「いいんですか?」

「ああ。いいのいいの。初めての子にはサービスだよ」

「ありがとうございます。いただきます」

「よかったね」

「はい!」

 千佳ちゃんはおばあちゃんからうまい棒を受け取ってハムスターのように両手で一生懸命食べている。その様子は私の脳内の幼女永久保存庫に刻まれることだろう。

「私も何か食べようかな」

 色とりどりの駄菓子の山を見ると、いつも迷ってしまう。

「琴葉お姉さん。この糸引き飴ってなんですか?」

 千佳ちゃんが無数に束ねてある糸の束を指差して聞いてきた。

「ああ、これは、この糸の束の中から一本選んで引くと飴がついてくるんだ。何味が出るかは運次第っていうくじ引きみたいな駄菓子だよ。やってみる?」

「でも、いいんですか?」

「いいのいいの。私と一緒にやろう」

「ありがとうございます。それじゃ……私はこれ」

「私はこっち」

 おばあちゃんに私と千佳ちゃんの分の20円を支払って、二人でせーのの合図で糸を引っ張る。

 私の方は三角錐型の赤い飴。所謂ハズレ枠だ。私はこのイチゴ味も好きなので問題ないが。

「おお、千佳ちゃん。それバナナ味だよね? あたりだよ!」

「え? そうなんですか?」

「うん。まさか一発でとはすごいな」

 そう言うと千佳ちゃんは、はにかんで微笑んだ。まさに天使の微笑み。

「これってどうやって食べるんですか?」

「そのまま食べて大丈夫だよ。こうやって」

 千佳ちゃんに見せるように、糸にくっついている飴をそのままぱくりと口の中に放りこむ。

 初めて見た人は糸が口から出ているのが行儀悪いって思うかもしれないが、これはそういうものなのだ。

「私もいただきます。あむっ……この飴も美味しいですね」

 口から糸が出ている千佳ちゃんもかわいいなあ。普段からかわいいけど、これはレアバージョン千佳ちゃんだね。

 そしてその時、飴の味を楽しむ千佳ちゃんを見て、私の中に一つのが芽生えた。

 もしも、千佳ちゃんの口から垂れているあの糸を自分の物にできたなら――そしてあの糸を私の口に含むことができたならば。

 私の脳がフルスロットルで稼働し、いかにしてあの糸をゴミ箱でなく、私の物とするかを思考する。

 待てよ、千佳ちゃんは純粋でいい子だから、私が捨てておくよと言えば、何も疑わずにそのまま渡してくれるのでは? 深く考える必要はないか。ここは言ってみるとしよう。

 しかし、駄菓子屋にはちゃんとお菓子の袋などを捨てるゴミ箱がある。わざわざ私が預かるというのは不自然ではないだろうか。ここはこの駄菓子屋を出ることから始めるべきと見た。

「ねえ、千佳ちゃん。そろそろ他の所も見に行こうか」

「あ、はい」

 千佳ちゃんは何も疑うことなく素直に頷いた。ここまでは計画通り。

「それじゃ、おばあちゃんまた来るよ」

「お菓子ありがとうございました」

「はい。いつでも遊びにおいで」

 おばあちゃんに挨拶をして店を出る。

 口の中にはまだ飴は残っている。この調子でいけば、問題無く千佳ちゃんの口に含まれた糸が私の物となる。

 思わず笑いが零れそうになるのを必死で堪える。まだだ、まだ勝利を確信するのは早いぞ琴葉。


 

 駄菓子屋の後にもいろんなお店を見ながら商店街を進んでいく。

「商店街って楽しいですね。いろんなお店があって。一日じゃ回り切れなさそうです」

「あはは、今日で回り切ろうって思わなくたっていいんだよ。いつでも来れるしさ。千佳ちゃんさえ良ければ、また一緒に来ようよ」

「はい。また、一緒に琴葉お姉さんと一緒に来たいです」

 もう分かり切っていることだが、千佳ちゃんは超いい子だなあ。

 そんな子から口に含んだ糸を欲しがる私の浅ましさをどうか許してください神様。

「……あっ。飴無くなっちゃいました」

 瞬間、私に電流が私の全身を駆け抜けて行った。

 この瞬間を私は待っていたのだ!

「千佳ちゃん! その糸は私が捨てておくよ!」

「え? でも、汚いですし、そんなものを琴葉お姉さんに捨てさせるなんてできませんよ」

 し、しまった! 千佳ちゃんのいい子さがここで災いするとは!

 ええい、どうすればこの宝を我が手中に収められるのだ!?

「あはは、汚いなんて。そんなことないよ。ほら、遠慮しないで」

 あくまでも、なんでもない風を装って笑顔で手を差し伸べる。

「で、でも……」

 このまま押し勝てるか? 

 千佳ちゃんの小さくてかわいいお口から垂れている白い糸がもう私の目の前にある。もう少しだ。もう少しなのだ。

「ほらほら、大丈夫だから」

「やっぱりできません。琴葉お姉さんにそんなことしてもらうのは悪いです。あとで、ゴミ箱を見つけたら捨てておくから大丈夫ですよ。それまでちゃんとこれに包んでおきますから」

 そう言って千佳ちゃんはポケットからティッシュを取り出した。

「ま、まずい……!」

 止める間もなく千佳ちゃんはティッシュ中に糸を吐き出して、ティッシュにくるめてポケットに入れてしまった。

「しょ、しょんな……」

「? どうしたんですか? 琴葉お姉さん」

「あ、ううん……なんでもないよ……」

 こうなってしまっては、もう私には手に入れることができない。

 嗚呼、さようなら千佳ちゃんの口に含まれた糸よ。君は私に夢を与えてくれたよ。

 糸を手に入れることができなかったのは非常に残念ではあるが、まだ千佳ちゃんとのデートは始まったばかりだ。

 まだまだ千佳ちゃんと触れ合う機会はたくさんあるだろう。さあ、気を取り直していこう。

「よーしっ。次はいよいよ学校だよ!」

「はい! ……まだ登校日じゃないのに、緊張してきちゃいました」

「あはは、先に下見しておけば、本番は気楽になるかもだしさ」

「そう、ですね。やっぱり楽しみです!」

 商店街の出口ももう見えてきた。千佳ちゃんのこの春の陽気のように暖かな手を握りながら、私たちは小学校を目指す。




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