3「弁解編」

「で、貴方。名前は」

「……ガルディア・ハイマン」

「そう。ガルディアさん」

「ガルドで良い。皆、そう呼ぶ」


 殺害対象に名前を聞かれ、本来秘匿すべき情報すらも、律儀に答えてしまうエージェントの青年。

 青年――ガルドは、己よりも身体の小さな凛音に気圧され、まるで蛇に睨まれた蛙の様に萎縮してしまっていた。


「ガルドさん。ちょっとそこに正座」

「は?」

「良いから」

「は、はい」


 正座を促され、知識の中にある日本の文化に倣い、産まれて初めての正座を体験する羽目になる。

 白月凛音もまた律儀な性格であった。

 一目散に逃げてしまえば良い物を、彼女は青年に対して物申そうと、彼をその場に座らせたのである。

 物臭と思われがちな凛音だが、実は結構な無鉄砲さが彼女の中には存在し、トラブルに自分から首を突っ込むのも日常茶飯事であったりする。

 有無を言わさずに組み伏してしまえば良い物を、そうしないで少女の指示に従ってしまっているガルドもガルドではあるが。

 二人の律儀さと律儀さが絡まり、何とも奇妙な空間が形成されてしまっていた。


「……貴方、本当に、アタシの身体が目当てなの?」

「ちょっと待て。今までの会話の中に、一度もそんな話は出て来ていないぞ」


 否定の為に立ち上がろうとするも、少女の鋭い眼光に射抜かれた事で、ガルドは直ぐに踏み留まってしまう。

 男の威厳も全く無い、何とも情けない図であった。


「アタシは、今時の十代でありながら未だ未開のフロンティア」

「頼むから、話を聞いてくれ」

「そんなアタシに劣情を抱く気持ちも、解らないでもないわ」

「君、命を狙われていると言う自覚はあるのか?」

「男なら有無を言わさず押し倒しなさい。既成事実さえ作ってしまえば後の祭りよ」

「何か話が変わってないか? 俺の日本語、そんなにおかしいか?」


 どんどんとおかしな方向へ話が展開して行く凛音の言動。

 彼女の頭の中では、果たして現在、どの様な修羅場が渦巻いているのであろうか。

 その様子を眺めていたガルドは、自分の日本語がどこか間違っているのではと、疑問を感じ始めるが、それこそ『後の祭り』であった。


「で、でも……アタシも、ね。そう言うのに興味が無い……ってワケじゃあないし……」


 そこで凛音が何故か顔を赤らめる。


「そ、その……初めてだから、さ」


 若干の羞恥を感じさせる表情で、彼女は伏し目がちに青年を見つめつつ、彼から少しだけ顔を背けた。


「……優しく、してね?」


 そして、脳内妄想の展開の果てに、彼女はそんなトンデモ発言を口走る。

 流石のガルドも少女の様子から、それがどういう意味なのか理解した様であった。


「そうか。初めから俺の話を聞く気が無いだけなんだな! ファ○ク!」


 話が全く通じない事への苛立ちが、彼の声と言葉を荒らげさせた。


「ほら! 今、フ○ックって! やっぱりソレ目的なんでしょう!」

「ち、違う! 今のはそう言う意味の言葉じゃあ無く!」


 その結果、彼はますます少女に誤解を与える羽目になる。

 何処までも並行線な会話は、いつ終わりを迎えるとも解らず、青年から気力をどんどん奪っていく。


「ああ、なんて罪作りなアタシ」


 凛音は再び自身の身体を腕で抱きかかえる。


「アタシの見事に整った、このゴッド・プロポーションが、この変体野郎を魅了してしまったと言うのね」


 明後日の方向を見つめながら、まるで己に陶酔したかの様な表情で、少女は自分の身体を讃えるのであった。


「見事に整った、プロポーション、だと?」


 凛音の一言が、青年の身体に一筋の稲妻を走らせる。

 少女の言葉に従い、彼女の身体を眺めてみる。

 そう。凛音の身体は側から眺めて見ても、確かにスタイルは良いと感じさせる物であった。

 決して痩せすぎでは無いが、制服のブレザー越しでも解る引き締まったウエスト、チェック柄の赤いスカートからスラッと長く伸びる細い脚や、その根本辺りから若干判別できる小振りなヒップ――そう言った面を見れば確かに神懸かり的と言えなくも無い。

 しかし、ガルドの中の女性に対する主義主張の上で、どうしてもそう評価するには許せない部分が、彼女の身体には一箇所だけ存在したのだ。


「……すまない」


 何故か少女に対し、謝罪する青年。

 彼は、おもむろに彼女の胸部へと視線を向ける。

 その視線の動きを察し、彼の視線が行き着くであろう箇所を予測した事で、凛音は羞恥に顔を染め、再び自らの身体を両腕で隠そうとする。


――少女の胸部は、彼がその昔写真で見た、地球の何処までも広く続く、大草原の様に平坦であった。


 お世辞にも、ゴッドプロポーションと言うには、程遠い位に。

 そう。ぺったんこすぎるのだ。

 さながら、この地面に拡がるアスファルトの様に真っ平らで、何も無いのである。

 身体を動かしても微塵も揺れない。

 そもそも揺れるべき物が存在しない。


「俺、君ぐらいのちっぱいには、全く興味が無いんだよ」


 そんなバストが、青年にはどうしても許せなかったのだ。


「あぁ?」


 ちっぱい――その一言を向けられた少女の顔が、暗い色へと染まっていく。


「仮にもゴッド・プロポーションを自称するのならば、もっとこう……バイーンと、ボイーンとしたダイナマイトなバストをだね」


 少女の様子の変化に気付く事無く、自分からどんどんと地雷原へ脚を突っ込んで行くガルド。

 踏み抜いた地雷の数々が、少女の傷口を刺激していく。

 やがて、彼女の中の何かが臨界点へと達した時、凛音の中で何かが切れる音が響いた。


 凛音は己の主張をペラペラと話し続ける青年をよそに、未だ律儀に正座を続けるガルドの前へと屈み込むと、彼の幅広い肩を両手で掴む。


「え。な、何だ? どうした?」


 そこで漸く少女の変化――異変に気が付く青年。

 いつの間にか己の目の前に、見目麗しい少女の顔が近付いていた。

 だが、こんなに顔が近いのに、少女の表情が全く理解できない。

 羞恥、怒り、悲しみ、怨嗟。

 様々な感情が入り混じった少女の表情は、青年の理解の範疇を超えていた。

 何よりも、彼女から発せられる怒りのオーラが凄まじい。

 呆気に取られながらも、少女の顔が悪鬼の如く歪んでいくのを彼は見逃さなかった。


「ねえ、貴方」


 声が恐ろしく低い。

 先程までと同じ少女が発しているとは思えない程の豹変ぶりであった。


「は、はい」

「チューペットって言う名前のアイス、知っている?」

「え? チューペット? アイス?」


 突拍子も無い少女の質問に、ガルドは戸惑いを覚えた。


「あ、ああ、知ってはいる。残念ながら、食べた事は無いが」

「へー」

「これでも一応、日本の事にはそれなりに詳しいつもりだからな」


 彼の母は、日本人だったのだ。その事からも彼は幼少の頃から話に聞く日本と言う国に憧れを抱いており、様々な事を知る為に、日本の知識を深めようとした事もあった。

 彼が日本語を話せるのも、そうした憧れから来る努力の結晶であるのだ。


「ふーん。そっかー。ふーん」


 だが、当の質問を投げかけた当人は、彼の答えなどには微塵の興味も無いようで、ひたすら小さな声で「ちっぱい……ちっぱい……」と呟き続けている。


「でもそれが、一体今の状況と何ぐぇッ!?」


 刹那――青年の首を何かが締め上げた。

 一瞬の出来事に頭の理解が追い付かない。

 器官の空気が遮られる。

 息が、できない。

 その圧迫が、いつの間にか肩から移動していた少女の両手によって、彼の首が握り締められた為に与えられた物であると、青年は数秒の後に理解する。

 チューペット――地域によってその呼び名は様々であるが、日本人にとっては馴染み深いアイスである。

 棒状のポリエチレン製容器に清涼飲料水を詰め、氷らせた物であり、カラフルな色どりと、多彩な味が特徴である。

 幼少時、多くの人が一度は口にした事がある物であろう。

 そして、その何よりの特徴は――


「あのアイスのさー、中心のくびれた部分ってさー、何かこう、コキッてやりたくなるよね?」

「な、何をするんだ……!」

「コキッと真っ二つに……ね?」

「え、笑顔で俺の首を両手で掴みながら、猟奇的な事を言うのは止めて貰えないか」


 ギリギリと音を上げながら、青年の首に少女の細く長い指が食い込んでいく。

 筋肉に覆われた彼の太い首が、意外にも力強い少女の握力によって、みるみる内にミシミシと音を立てて締めあげられていった。


「た、たぶんそれ、コキッてだけじゃあ済まない。頼む、思い直してくれ!」

「断る。アタシはとても面白いと思うし、イマスグニデモ、アイスガタベタイ」

「め、目が据わっている! コワイ!」


 こうして、ガルディア・ハイマンによる必死の弁解は、白月凛音には一切伝わる事無く、幕を閉じた。

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