第3話 額

 カチャリカチャリと部屋に音が響く。勇者が鎧を丁寧に外しているのだ。

 鎧の下からあらわになったのは、至ってシンプルな布製の服と、動きやすそうなショートパンツ。この格好だけを見ると、彼女が勇者だとは誰も思わないだろう。ちょっと可愛い村娘といった感じだ。


 今日は疲れたから鎧を洗うのは明日にしよう。幸い汚れが落ちやすい材質だし、一晩経っても固まった血なら少し力を入れたら取れるだろうし――。


 そう考えながら鎧を外した勇者は、ベッドの脇に静かに鎧を置いた。

 勇者が鎧を外すその様子を自分のベッドで胡坐をかきながらずっと見守っていた(主に脚を)魔王だったが、不意に言葉を発した。


「いやー。それにしても……」

「――?」

「まさか勇者がこんな子だったとは。あんたになら俺も倒されてもいいかもしんない。なんちって」

「はぁ?」


 突然笑顔で意味のわからないことを言う男に、勇者は眉間に皺を寄せながら思わず変な声を出した。


「いやね、だから俺、魔王なわけよ」

「…………」


 部屋を支配するしばしの沈黙――。

 勇者は突拍子もないこの男の言葉にどう返したものかと考えを巡らせるが、良い切り返しを思い付けなかった。


「冗談にしては下手すぎるわよ……」

「いや、冗談じゃないし。俺マジで魔王だよ?」

「それじゃあ、何で魔王のあなたが、こんな田舎の村にいるわけ?」

「この村の祭が何か面白そうだったから、ちょっと観光に」


 観光、という言葉に、勇者は小さく溜め息をついた。間違いなくこの男は魔王ではない。魔王が観光なんてありえない。この男は自分をからかっているのだと、勇者はそういう結論に達した。


「第一、あなた格好が軽すぎるでしょ? 魔王がそんな姿なわけないじゃない。威厳も何もありゃしないわよ」

「この姿は世を忍ぶ仮の姿だ。そんなに嘘だと言うんなら今見せてやるけど?」

「えっ!?」


 ざわ――――。

 魔王の体から瞬時に広がる、冷たく淀んだ空気。黒い気配の中に折り込められた殺気、憎悪、畏怖――といった様々な負の感情。部屋の温度が急激に下がり、勇者の全身に鳥肌が一気に広がった。


(な、何てこと!)


 今まで相対してきたどんな魔獣よりも強力な負のそれ。その気配で彼が冗談を言っているのではなく、本物の魔王であると勇者はようやく確信した。と同時に後悔もしていた。

 こんな満身創痍の状態で真の姿で襲いかかられたりしたら――。

 勇者は奥歯を強く噛み、変な挑発をしてしまった自分を恨んだ。こんな場所で世界の命運を決定付けてしまうのだろうか……。

 緊張で四肢が少し震える勇者を前に、魔王はニヤリと口を弓なりに曲げる。そして次の瞬間、茶色の前髪を大きくかき上げひたいを丸出しにした。

 ごくり。

 思わず勇者は生唾を飲み込む。魔王は一体どんな変化を遂げるのか? その手が無意識にベッドの上に放置していた剣に伸びる。

 だが魔王は一向に変化する様子がない。額を出したその状態で、ただ立ちつくすばかりであった。


「………………何してんの?」

「えっ!? だからこのデコ出し状態が俺の真のすが――ぐわああぁぁっっ! 俺の脇腹に! 脇腹に鋭利な物体が刺さっているんだけどぉっ!?」

「ふざけるのも大概にしときなさいよこのチャラ魔王が」

「俺はふざけてなんかいない! 大真面目だし! とにかく剣を抜けぐふっ!」


 魔王の言う通り剣を引き抜いた勇者だったが、抜く際にちょっとだけ剣に捻りを加えた。


「いいか? 俺は普段ワックスでこの髪を固めて後ろに流しているんだ。お前が俺の城に来た時も当然、ちょっと大人っぽくなったナイスなその姿で迎える予定なんだよ!」


 脇腹から血をドクドクと流しつつ、魔王は青い顔でそう答えた。

 胡乱げな瞳を魔王に送る勇者だったが、そこで小さく溜め息を吐いた。そして一度外した汚れた鎧を、再び装着し始める。


「え? 何その無駄な動作。何のために鎧外したわけ?」

「ここから出て行くからに決まってるでしょ? 敵と同室なんて冗談じゃない。どうせ私が寝ている間に、ばっさりやるつもりだったんでしょ?」

「そ、そんなこと全く考えてないって! 俺は本当にただの親切心(とちょっとばかりの下心)で――」

「魔王のあなたの言うことなんて信用できない」

「本当だってば。そもそも寝ている間にあんたをるつもりだったら、最初から正体ばらしたりしないって!」


 勇者はそこで手を止めた。確かに彼の言うことは一理ある。一理はあるが、だがそれで到底、納得も信用もできるわけがない。


「……どうして?」

「え? あんたに同室でいいよ、って俺が言った理由?」


 勇者は無言のまま首を縦に振る。


「俺は確かに魔王だけれど、今はこの村の祭を楽しんでいる、ただの観光客なわけね。だから例えあんたじゃなくて違う人間が同じことを頼みに来てたとしても、俺は同じ返事をしてたよ。それに……」

「それに?」

「あんたと話をしてみたかった、ってのもある」


 そこで魔王はフッと口の端に笑みを浮かべた。


「あんたさ、各地でことごとく俺の邪魔してきたわけじゃん。部下達はあんたの容姿までは報告してこなかったし、一体勇者ってどんな筋肉ダルマだよって思ってたんだけど。実際はこんなに可愛い女の子でさ。それでちょっと興味が湧いたわけ」

「かっ! かかかかかかっ!?」


 魔王の言葉に、勇者は何かの動物の鳴き声の如くひたすら『か』の一文字を連発する。その顔は耳まで真っ赤に染まっていた。


「あー、もしかして照れてる? これで照れちゃうなんて可愛いね」


 からかう魔王に勇者は思いっきり回し蹴りを放つが、あっさりとスウェーバックで回避されてしまった。


「と、とにかく。あんたは本当に観光目的でこの村に来たわけね? 私を狙って同室を許したわけじゃないのね?」

「あんた結構しつこいなー。そうだって言ってんじゃん」

「それじゃあ今日のところは、一時休戦ということでいい?」

「いいも何も、俺は最初から戦う気なんてないし……」


 口を尖らせぶつぶつと言う魔王の姿を見て、ようやく勇者は肩の力を抜いた。

 本当は勇者は、今すぐにでも魔王に戦いを挑みたかった。しかし体力の残っていないこの体では、十中八九負けることは目に見えている。ならば一晩ゆっくり休んで、魔力も体力も全快したところで勝負を挑めばよい。そうすれば魔王の城に乗り込む手間が省けるというものだ。

 全く戦闘意欲の無い魔王に今だけは感謝しつつ、勇者はそう決意したのだった。





 勇者がそんなことを考えているとはつゆ知らず、魔王は天井を仰ぎ見ながら全く別のことを考えていた。


(そういやそろそろケンちゃんの餌の時間か。あいつ上手くやれたかなー)


 ちょとどんな様子だったか聞いてみるか、と魔王は精神通話を大臣に繋げてみる事にした。


(おーい。大……)

(ぎゃああああ! ケンちゃん! お、お願いだから落ち着いて! 熱っ! っつぅ! やめて! 地獄の火炎はやめて! えっ!? い、いや、違う! それはお肉じゃなくて私の――)

(…………)


 真顔で精神通話をフェードアウトさせた魔王は、窓の外に目をやり、今のは幻聴だったのさ、と無理矢理忘れることにした。




 外の広場では大勢の人間が月の見守る中、焚き火と石像を囲って踊りを続けている。

 祭はまだ、終わらない。

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