第2話 宿


「あ、空いてない……?」


 勇者は双眸を見開きながら信じられない、といった声を洩らした。


「ええ……。申し訳ないのですが、今日はもう満室でして……」


 宿の主人はばつが悪そうに、視線を客室のある二階へとやる。

 あれから何とか村に到着した勇者は、祭には目もくれず真っ先に宿屋を探し、向かったのだが――。主人から今日は部屋が空いていないと、無常にも言い渡されたところだった。


「一部屋も空いていないの?」

「ええ、一部屋も……。今空いている部屋も全て予約済みでして。今日はこの村の祭に参加した観光客の方が一斉にお泊りになられる、一年の内で特別な日なんですよ」

「そ、そんな……」


 宿の主人の説明に、勇者はへなへなとその場にへたり込んでしまった。よりによってそんな特別な日とかち合ってしまうとは。ふかふかのベッドで寝ることしか考えていなかった勇者は、突然のベッドおあずけ状態にただ呆然とする。

 しかし『私は勇者だ。私のために部屋を空けろ』とその立場を利用して強引に部屋を空けさせる、などという発想は勇者にはなかった。世界を救う勇者が、人々に迷惑をかけるなどもっての他だという考えを持っていたからだ。勇者は非常に真面目であった。


「あ、あの。予約のキャンセルとかはないですか?」

「残念ですが今のところは……」

「…………」


 勇者はへたり込んだ状態のまましばらく顎に手をやり何やら考えていたが、意を決したように顔と腰を上げた。


「それじゃあ。ベッドは全部埋まっている状態ですか?」

「えっ?」

「部屋は埋まっていても、ベッドは埋まっているとは限らないですよね?」

「そ、それは確かにそうですか……」


 勇者の問いに、主人は僅かに眉間に皺を寄せる。

 この宿は全室、一部屋にベッドが二つ設置されている仕様だった。普段ほとんど他所の者が泊まることのない田舎の村なので、年に一度の祭のためにと、割り切った部屋割りと経営をしていたのだ。

 当然、一人で宿を利用する場合もベッドは二つだ。その一人客の部屋のベッドをどうにかできないかと、勇者は提案したのだ。


「もしご迷惑でなかったら、こちらの宿の倉庫をお貸し頂けませんか? お客さんには私から直接お願いに伺います。ベッドは自分で運びますし、お金も支払います。だからどうか……」


 勇者は上目遣いで、宿の主人に必死でお願いをする。勇者は何が何でもベッドで休みたかったのだ。何よりこの疲れきった状態で野宿は絶対に嫌だと、彼女の体が訴えていた。


「わ、わかりました。そういう事でしたら、私がお客様に直接交渉しに参りますので」

「ありがとうございます!」


 勇者は腰を九十度に曲げ、無理を聞いてくれた宿の主人に深々と礼をしたのだった。







 二階に上がった宿の主人と勇者は、廊下の一番奥の部屋の前で佇まいを正していた。やがて宿の主人は小さく深呼吸をした後、コンコン、と軽くドアをノックする。


「夜分にすみません。宿の者です」


 続けてドア越しに部屋の中へ呼び掛ける主人だったが――。しばらく待っても返事が返ってこない。


「あれ? もう寝てしまわれたのかな……」


 夜といっても、まだそれほど深くはない。むしろ祭を開催している今日、寝るには少し早い時間でもあった。

 主人がもう一度ノックをしようと再び腕を上げた時、ようやく室内から男の声がした。


「開いてるよー」


 呑気な返事は、若い男の声。二人は一瞬だけ目を合わせた後、主人がドアノブに手をかけた。


「では失礼いたします」


 ゆっくりとドアを押し開け、そろそろと部屋に入った主人と勇者は、その光景を前に思わず目を点にしてしまった。

 その男――魔王は腕を大きく振り上げつつ、腰を激しく横に振りながら部屋の中を縦横無尽に乱舞していたのだ。


「一本!」


 そして決め台詞! と言わんばかりに、魔王は部屋に入ってきた二人に向けてビシッと指を一本突き出し、満面の笑みを作った。


「…………」

「…………」

「…………」


 長い長い長い長い、永遠ともとれるような沈黙。

 魔王は指を突き出したポーズのまま、そして二人は直立不動の状態で、ただ硬直していた。


(え……。何この空気? 俺のせいか? 俺が悪いのか?)


 魔王は固まったまま、凍り付いてしまった空気に額から汗をだらだらと流していた。

 この激しい踊りがすっかり気に入ってしまった魔王は、宿に着いてからも部屋の中で一人踊り続けていたのだ。そこへノックの音が割って入ったのだが、踊りを中断する気にならなかった魔王は、そのまま区切りの良い箇所まで踊り続け――そして今、これである。


「よ、よっぽどこの踊りをお気に召してくださったようですね。この村の者として大変嬉しいです。あ、ありがとうございます」


 この如何いかんともしがたい空気を救ったのは、宿の主人だった。いくら田舎の寂れた宿とはいえ、そこはさすがに接客業。客に対するフォローは完璧だ。魔王は主人に、ありがてぇ感謝感激助かったと惜しみなくお礼と拍手を送った。ただし心の中で。


「いやー、そうなんすよ。最近運動してなかった体にはちょっとキツイんすけど、この全身に効く感じがたまらんっすね! それで一体、何の用で?」


 そこでようやく我に返った勇者が、一歩前へ躍り出た。


「あ、あの。非常に申し訳ないお願いなのですが、そちらの利用していないベッドの方をお貸し頂きたいなと思いまして。もちろん、ご迷惑なら無理にとは言いません」

「んー?」


 あまり良い反応を示さない魔王に、主人が慌てて勇者の言葉をフォローする。


「この宿、今日はもう満室になってしまいまして。でもこちらのお嬢さんは非常にお疲れの様子。それで今日唯一お一人でお泊りになられているあなた様に、こちらのベッドを譲って頂けないかと、お願いしに参った次第であります」

「へー」


 気のない返事を返しつつ、魔王は藍色の目で勇者を見つめる。頭のてっぺんから足のつま先まで一通り勇者に視線を這わせた後、魔王は腕を組みながらツカツカと勇者の前まで近寄った。


「んんんん!?」

「えっ!? な、何か!?」


 魔王は腕を組んだ状態で、勇者の鎧へと顔を近づけ凝視する。傍目から見たら、胸を凝視しているようにしか見えない体勢であった。


「えっ!? なっ!? あ、あの」

「この鎧、今は汚れてるけど、本当は白銀だったりする?」

「そ、そうだけど……」

「てことは、あんたもしかして、勇者?」

「なっ!?」


 魔王の言葉に驚いたのは、宿の主人だった。まさかこの少女が魔王討伐を命じられた勇者だったとは。主人は勇者のことを、旅する傭兵のたぐいだろうと思っていたのだ。

 勇者は紅色の双眸を見開き、半ば呆然としながら魔王の顔を見据えていた。


「この鎧のこと、知っているんですか?」

「いっ!? いや! ほら、何かの本で見たことがあるんだよ! それでその、良く似てるなぁって!」


 魔王は両手をぶんぶんと振って否定するが、もちろん今のは嘘である。

 知っているも何も、つい先日、魔王が部下に命じたばかりだったのだ。魔法の威力を半減させるこの鎧を、王が勇者に渡す前に奪ってこいと――。

 しかしそれは失敗に終わり、結局勇者の手に渡ってしまったのであった。その鎧をこの少女が身に着けているということは、つまりそういうことなのだろうと、魔王は咄嗟に口に出してしまったのだ。


「私が勇者とか、そんなことは今はいいんです。とにかく、ベッドを貸していただけるかどうか――」

「そんなん、超オッケーに決まってんじゃん。ベッドも運び出さなくていいよ。どうせ運ぶとしても倉庫とか家畜小屋だろ? そんな場所じゃロクに休めねーじゃん。だったらこの部屋遠慮なく使いなよ」

『ええっ!?』


 魔王の申し出に、勇者と主人は同時に驚愕した。


「確かにそうしてもらえると、私としては凄くありがたいですけれど」

「い、いやでもお客様。さすがにそれは……」


 どこか慌てた様子で主人が勇者に視線を送る。

 若い男と少女が同じ部屋で一晩過ごす――。間違いが起きないとはとてもではないが言い切れない。何よりこの魔王の軽い感じが、性にだらしない印象を主人に与えていた。主人としても他人同士の男女に「昨晩はお楽しみでしたね」などという台詞を、チェックアウトの時に言いたくはなかったのである。


「あー、もしかして俺、疑われてる? 大丈夫だって。いくら何でも、天下の勇者様に手を出すようなことはしないって」

「そう申されましても――」

「いえ……。せっかくのご厚意ですし、ここは遠慮なく甘えさせてもらうことにします。私なら大丈夫です。これまでも何度か男の人と同室になったこともありますし。それに不穏な動きを見せたら、急所に閃熱魔法をぶっ放しますので」


 顔は主人の方へ向けていたが、しかし勇者のその言葉は確実に魔王への脅しである。

 そう、これこそ今まで彼女が何度か男と同室になっていたのに無事だった理由。あわよくば……と狙う男達に、こう脅しをかけていたからだ。そして実はその男達と同じことを企んでいた、見た目がチャラい魔王。しかし言葉の節々から勇者の本気を感じ取った魔王の顔は、瞬時に引きるのであった。

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