第14話:送るは牙無き狼よ
ウォルズは自室の中で、ベッドに腰掛け静かに瞑目していた。深く息を吸い、ゆっくりと長く息を吐く。何度かそれを繰り返した後、ウォルズは目を開ける。その右手には、潰れた指輪と小さな巾着袋。見る度に込み上がる、寂寥感と悔恨の念。浮かぶ未練を振り払うように、それらをズボンのポケットにしまい込む。
迷いを捨て置き、立ち上がる。包帯の無い右の手の平を見つめる。そこに全ての恨みと怒りを握りしめ、ウォルズは夜の闇に足を踏み入れた。
色街にある
そんな夜の庭で、ヘンドリクはパイプの煙を吸っていた。壁が分厚いのか、外に出れば屋内の声はほとんど聞こえない。逆に言えば外の声も中にはほとんど聞こえない。目当ての娼婦を待つ間の煙草くらいは、姦しく響く嬌声から離れ静かに吸いたい。そう思って建物を抜け出してきたのだ。
至福の一時を過ごすヘンドリク。しかしふと、誰もいないはずの庭先に人の気配を感じ、その身に緊張を走らせた。
ゆっくりと、忍び足で歩み寄る人影。ヘンドリクが誰何する。
「誰だ?」
人影は答えなかったが、すぐに正体は知れた。館から漏れる明かりに、相手の顔が照らし出される。
その顔には見覚えがあった。同じ東部区域配属の、平民の衛兵だ。腕以外の防具を外したような格好で、ヘンドリクと対峙してくる。
「何だ、誰かと思ったら平民衛兵じゃないか。よくもまぁ、こんなところに来れるもんだ。なけなしの金でも集めたのか?」
「女をとりに来たわけじゃねぇよ。
露骨な嘲りを聞き流し、神妙な面持ちで対峙してくるウォルズ。ヘンドリクは怪訝な表情を浮かべる。
「仇?」
「あぁ。テメェが玩具にして切り捨てた町娘と、その真実を暴こうとした真面目な衛兵のな」
「何っ!?」
自らの悪事を晒され、狼狽える。人を呼ぶわけにもいかない。バラされれば終いだ。
どうにかならないものかと必死で頭を動かす。一つの案が浮かんだ。それを実行すべく、ヘンドリクは腰にあった剣を引き抜いた。
「へ、ヘヘ、だからなんだというんだ。お前が消えれば、真相は闇の中だ」
「やろうってのか」
「ハッ、剣も使えねぇお前に何が出来る!!」
ウォルズの腰に剣は無かった。それどころか、得物のようなものは何一つ持っていない。そうでなくても、剣の腕がからっきしなのは周知の事実。丸腰の相手に負ける道理など無いと、ヘンドリクは笑みを浮かべる。
意気込んで向かってくるヘンドリクを見ても焦ることなく、自然体でその動きを見る。平坦な声が口から洩れる。
「確かに剣は使えない。使う必要が無かったからな」
「なっ!?」
上段から振り下ろされる剣。腰を落とし、左の籠手でその刃を受け止める。手首を回して剣を掴むと、渾身の力を入れて捻る。軽い音と共に、剣が折れた。怯んだヘンドリクの懐に潜り込み、右手でその喉笛を捉える。徐々に力を入れていく。
「グッ、ガッ……!?」
折れた剣を手放し、ウォルズの指を引き剥がそうと必死にもがく。だが彼の握力は異様に強く、指の一本を外すこともできなかった。
「俺はな、冒険者時代からこの腕っぷし一つでやってきたんだ。大して器用でもないんでな」
呟きながら、左手にある折れた刃をヘンドリクの足に突き刺す。塞がった気道から、声にならない悲鳴が上がる。
「索敵はあいつの仕事だった。どんなに逃げ足が速い獲物でも、一度探し当てれば怖いぐらいの執念で追いすがってみせた。その執念に敬意を表し、応えるため、俺は全力でぶつかった。いつしかついたあだ名が、【猟犬】と【狼】だった」
ヘンドリクの顔から、血の気が失せていく。口を動かしているが、何も聞こえてはこない。聞きたいとも思わない。
「【
一際強く力を入れた瞬間、ウォルズの手に何かが砕けた感覚が伝わる。どうやら首の骨が折れたらしい。脱力したヘンドリクの亡骸を、そっと庭の端に寝かせる。
「『追うは牙持つ猟犬よ。送るは牙無き狼よ』……きっちり、地獄に送ったぞ」
小さな独白を済ませると、ウォルズは深い闇の中へと身を沈めていった。今は亡き親友と、想い人を偲びながら。
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