青は藍より出でて

雪瀬ひうろ

第1話

「こうちゃん、もしも、あいが死んじゃったら、あいのこと、食べてくれる?」

 まだ僕が何も知らない小さな子供だったときのことだ。

 僕の幼馴染みのあいという女の子は、僕のことをこうちゃんと呼んだ。笑うと八重歯が見える可愛らしい女の子だった。

 僕達はいつも二人で遊んでいた。うちの両親は農家、彼女の両親は畜産家で、昔からの土地持ちだった。だから、僕達の家の周囲には見渡すばかりのじゃがいも畑と牛舎しかなかった。近所には同年代の子供は僕達しか居なかった。

「ねえ、あいのこと食べてくれる?」

 彼女は無邪気に笑いながら言った。可愛らしい八重歯がちらりと顔を出した。

 僕はなんと答えていいのかわからず、もごもごと口を動かすことしかできなかった。もともと、言葉が達者でなかったこともあったが、「あいのことを食べる」という言葉の意味が純粋に理解できなかったからだ。ただ、人間はたとえ死んでしまったとしても食べる対象ではないはずだよな、そんなことを考えていた。

「パパが言ってたの。『ぐるぐる』居たでしょ」

「うん」

「『ぐるぐる』、お肉にされちゃった」

 『ぐるぐる』というのは、彼女の家で飼われていた牛のことだった。角がぐるぐるしているから『ぐるぐる』。もちろん、たくさんいる彼女の家の家畜の一頭に過ぎなかったので、本来は名前なんてない。僕達が勝手に呼んでいただけだ。ぐるぐるした角がなんとなく面白くて、一時は毎日の様に見に行っていた。

「………………」

 僕は突然の知らせに頭が真っ白になって、何を言っていいのかわからなくなった。僕だって農家の子供だ。家畜である牛達は最後は殺されて食べられる。それくらいのことは知っていた。でも、僕達が『ぐるぐる』と呼んだあの牛も同じ様に食べられるんだということは、よくわかっていなかった。『ぐるぐる』は、ぐるぐるだから普通の牛じゃないと思っていた。

 でも違った。

 『ぐるぐる』はもういないんだと思うと、『ぐるぐる』のあの渦巻き状の角が僕の中でコマのように回転し始めた。

「パパは『ぐるぐる』を『ぐるぐる』と思ってなかったの。普通の牛だと思ってたの。だから、お肉にしちゃった」

「うん」

「あい、パパに『ぐるぐる』を返してって言ったの。そうしたら、『ぐるぐる』を食べようって」

「食べるの?」

 他の牛は何度も美味しく食べてきたけど、『ぐるぐる』を食べるなんて想像も出来ないことだった。

「食べるっていうのは、愛してるって印なんだって」

 彼女は遠くの見渡す限りの草原を見ながら言った。僕はその横顔に吸い込まれていく。

「愛してる?」

「死んだら悲しいけど、食べるの。残したり、捨てちゃったらダメなんだって。愛してるからちゃんと食べて一つの命になるの」

「一つの命……」

 幼い僕には意味はわからなかったけど、なんだか素敵な言葉に思えた。

「そっか、死んじゃったら食べなきゃいけないんだね」

 愛しているなら食べなくちゃいけない。それが一つになるっていうことだから。

「うん。だから、もし、あいが死んだら、こうちゃんもあいのことを食べてね」

「うん、わかった」

 僕はよく考えもせずにそう答えた。

「じゃあ、こうちゃんも『ぐるぐる』食べよ」

 彼女は立ち上がり、白いワンピースの裾についた草を払いながら言った。

「うん」

 彼女は僕の手を引いて、家へ連れていった。そこで僕は『ぐるぐる』を食べた。焼き肉にされていたぐるぐるは、目が回るくらい美味しかった。いつも、彼女の家から分けてもらって食べる他の牛なんか目じゃないと思った。

 きっとそれは僕が『ぐるぐる』を愛していたからなんだと思った。これが愛の味なんだと思った。

 ふと、彼女に目をやると彼女は目に涙を、いっぱいに溜めながら、肉を噛んでいた。その姿を見ているとなぜだか僕まで悲しくなってきて、彼女と同じ様に涙を流した。

 そのとき、僕は気が付いた。

 僕はあいという女の子が愛していた『ぐるぐる』を愛していたんだと。

 僕は彼女のことを愛していたんだと。

 そのとき、僕は決めた。

 もしも、いつか彼女が死んでしまう時が来たら、絶対に彼女を食べよう、と。さっきの約束が頭を過る。

 そうしないと、僕と彼女は一つになれないのだから。

 だから、彼女が交通事故で死んでしまったと聞いたとき、僕は悲しみよりもまず彼女をどうやって食べればいいのかを考え始めていた。

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