第8話 補聴器
「モスキート音(おん)?」
新田が首を傾げた。夕陽が差し込む自衛隊の研究室には麗華と麗菜を囲むように新田たちの姿があった。傍らにはマリアも所在なく座っており、アセスとラチの姿もあった。
「ええ」麗華が説明を続ける。「わたしたちの耳は年齢によってきこえる音が変わるの。おそらく、ピノピナは子供たちにしかきこえない音階で流していたのね」
「アセスさんがきこえたのは……」
麗菜が頷く。「いい補聴器を使ってたのね」
アセスが照れ笑いを浮かべた。「人の話をきくのがバーの仕事だからラチょっといい物を買ったんじゃ」
「じゃ、じゃあ」山下が首を傾げる。「なんでマリアちゃんはきこえなかったんでずか?」
麗菜が笑みを浮かべる。「マリアちゃんの体は大人になりかかってるのよ」
「概して、女の子は男の子より、体の成長が早いものよ」麗華がマリアを見る。「胸も大きくなってきているみたいだしね」
マリアの顔が真っ赤になった。
深澤が首を傾げる。「けど、なんのためにそんなことを?」
鼓動がタバコに火を点ける。「子供たちをおびき寄せるためだろう」
「おびき寄せる?」
「ああ。トラッシュマウンテンで暮らしていた子供たちは、ピノピナの子守唄に顔も覚えていない母を思いだしたのだろう。自立したかのようにゴミ山で暮らしても彼らはまだ子供だ。母を求めて、子守唄がきこえてくる方へ導かれてもむりはない」
「アセスさん」佐藤がたずねる。「ピノピナはどこからきこえてきましたか?」
考え込みながらもアセスがこたえる。「……おそらく、……港の方から……」
ラチの表情が曇った。それを見逃さなかった新田がたずねる。「どうしたんですか?」
「……強盗たちが……『船で子供のおもりはメンドくさい』っていってたのを思いだして……」
室内の空気が凍りついた。
……集められた子供たちは、船に乗せられているのだ。強盗たちは、その船を守る傭兵として船に向かう時間まで、アセスのバーで暇を潰していたに違いない……。
「助けに生きましょう!」気づいたら新田は声をあげていた。
「ダメだ」鼓動が諌める。
「え?」新田が戸惑う。「なにいってるんですか? 子供たちが船で監禁されているかもしれないんですよ?」
「俺たちの任務はなんだ?」鼓動がタバコの煙を吐く。
「……猫男を捕まえることです」
「子供たちは関係ないだろう?」
なにをいっているんだ。新田は鼓動の発言が信じられなかった。
「そうだろう?」鼓動が深澤に確認する。
「……たしかに」深澤が言葉をしぼりだす。「……仮にその推測が正しくて、子供たちが船で連れ去られているとしても、それはこの国の事件だ。命令がない以上、俺たちは関わってはいけない……」
新田はマリアの表情が沈んでいくのを確認した。「そんなの関係ないじゃないですか!」
窓から傾いた陽が沈もうとしているのが見える。トラッシュマウンテンの子供たちはマリアを除いて、みんな連れ去られてしまった。船がこの地に留まる理由もないだろう。
「行こう」新田はマリアの手を引いた。「僕だけでもなんとかしてみせます!」
でて行こうとした新田を深澤が止める。「ま、待て! いま上司に確認してみる」
「返答がくるのはいつですか?」
深澤が言葉につまる。
とんとん拍子に進んだとしても、日本基地からの返答は、日本へ確認する、に決まっている。正式な返答がくるのに一週間はかかるだろう。そんな悠長な返事を待っている暇はない。「船はきょう、出航してしまうかもしれないんですよ」
深澤はなにも言い返せないようだった。
「じいさん」鼓動がアセスに声をかけた。「あんた、猫男を見たっていってたよな?」
「へ?」アセスが戸惑う。「わ、わしがか?」
「ああ。舟場で猫男を見たんだろう?」
ラチがはっとする。「ほ、ほら。昨日、一緒にお酒をとりにいったとき、見たじゃない!」
アセスが鼓動の企みに気づいた。「そ、そうだ! そうだ! たしかに舟場で猫の目をした男を見たぞ!」
「……これは調べてみないとなぁ」
わざとらしくつぶやいた鼓動に佐藤がうなずく。「そうですね」
山下が鼻息を荒くする。「も、もしかじたら、船に猫男が乗っているかもしれない……」
「新田、お前も猫男、探すの手伝うか?」
「……はい」呆然としていた新田はやっとのことで鼓動に頷いた。……鼓動は子供たちのために船を調べてみるつもりなのだ。
「これだったら、問題ないよな」
「……あ、ああ」鼓動の言葉に深澤が戸惑いがちに頷いた。「船に猫男がいるという保証はないが、いないという保証もない……。猫男を捕まえにいくというのなら……」
「行くぞ」新田の肩を叩いた鼓動がでて行く。
どうして鼓動が船を捜索しようとしてくれているのかがわからなかった。普段は金目当てでしか動かないのに……。なにか、ほかに企みがあるのだろうか……。
「待って」鼓動のあとを追いかけようとした新田を麗華がとめた。
「あなたたちに、これを渡しておくわ」
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