第3話 鼓動
「これで大丈夫だろう」アセスの手当をしていた佐藤信一(さとうしんいち)が新田に告げる。
「ありがとうございます」
いくつもの医療備品が並べられた棚に囲まれたベッドの上には、包帯まみれになったアセスの姿があった。
アセスは小さく寝息をたてている。
よかった。血まみれのアセスを発見したときは驚いたが、命に別状はないようだ。やっぱり佐藤さんは頼りになるな。新田は胸を撫でおろした。
医療館にアセスを運んだ新田は佐藤に手当をお願いしたのだ。
チラリと眼鏡ごしに新田を見た佐藤はタブレットへと視線を落とした。おそらく、使用した医療備品を発注しているのだろう。
ひょろりと痩せた長身。ときおり眼鏡から放たれる鋭い眼光。いかにも理系といった風体の佐藤はこの支部のマスターだ。軍隊や自衛隊のように厳しい規律のない新田たちも、佐藤の命令には従わなくてはならない。まぁ、命令というより、上司の指示という感じだが……。
「で、どうしてこんなことをしたんだ?」タブレットを置いた佐藤がたずねる。
「え?」新田が呆然とこたえる。
「こんな血まみれになるまで、殴るなんて、よっぽどのことだろ」
「ち、違いますよ! 初めから血まみれだったんです!」
「……そうか」佐藤は顔色を変えずにつぶやいた。
ときどき、佐藤はよくわからない冗談をいう。おそらく、これが佐藤なりの場の和ましかたなのだろう。
小さく咳払いをした新田が説明を始めた。「僕が駆けつけたときには、すでに血まみれで……。ただ、意識を失う前に、『……鼓動』とだけ……」
うんざりしたように佐藤がため息をつく。「また鼓動か……」
「は、はい……」
鼓動心重(こどうしんじゅう)。この支部にいる伝説の派遣兵士。どんな任務も必ずやり遂げ、敵兵からもスカウトされてしまう人間。ちまたでは『CORE(コア)の鼓動(ビート)』とおそれられているらしい。
「……なにか、相談があってきたんですかね」新田が不安げに佐藤にたずねる。
「だったら、早く、会わせてやらないといけないな」
「え?」
「血だらけになってまで逃げてきたんだ。よっぽどのことだろう」
「に、逃げてきた?」新田は首を傾げた。
「ほら」佐藤がアセスのズボンを指す。「這うようにでも歩かないと、こんなふうには汚れないだろ?」
たしかに、アセスのズボンは膝のあたりが汚れている。佐藤のいうように膝をついて逃げてきたのだろう。まして、血まみれだったのだ。緊急事態だと思わない方がおかしい。
「そうですね」佐藤の推理に関心していた新田の耳にドタドタと足音がきこえてきた。
「ど、どごにもいないよぉ〜〜」
山下大地(やましただいち)が巨体を揺さぶりながら勢いよく飛び込んできた。
「こ、鼓動さん、ど、どこにもいなかっ……だよ」
滝のように流れでる汗をタオルで拭きながら、山下は新田に告げた。どうやら、ハンカチ程度では山下の汗は吸収できないらしい。
「ありがとうございます」息切れをおこしている山下に新田が礼をいう。佐藤を探しているときに山下に遭遇した新田が、鼓動を探すようお願いしていたのだ。
「……鼓動さん、どこにいったんですかねぇ……」
「さ、さぁ」山下が新田の質問にこたえる。「きょ、きょうは非番だから。街にでてるんだと思うよ。ゴホッ、ゴホッ!」いい終わらないうちに山下がむせる。
新田は山下に感謝した。先輩であるにも関わらず、山下は新田のために鼓動を探しまわってくれたのだ。汗だくになりながら、むせるほど必死に……。
そのとき、ドアが開く音がした。
新田が振り返ると、そこには鼓動の姿があった。
破れた制服から顔をだしている盛り上がった筋肉。体のあちこちには、見るも無惨な傷跡が残されていた。最近できたものばかりではない。その傷からは、長い間、鼓動が戦闘に身を捧げていることを物語っていた。鼓動の制服が血で汚れている。
「こ、鼓動さん?」新田は驚いた。
「また二人、殺したぜ」
鼓動が自慢げに新田に告げる。
最低だ。新田は眉間にしわを寄せた。COREは武器も持つことを禁じられている。しかし、紛争を収めるのに健闘した、と人を殺すと報酬がでるという矛盾した決まりがある。しかも、正当防衛に限ってのみ。おかしなルールだ。日本、派遣会社、世界連合、現場を無視したそれぞれの決まりを次からつぎへととり入れたため、いくつもの矛盾したルールがからまっているのだ。
その制度を利用して鼓動は賞金稼ぎのように人を殺しまくっていた。
新田は、そんな鼓動を軽蔑していた。
「なんだ? お前も殺したのか?」腕に包帯を巻いていた鼓動が新田にたずねる。
新田はそのとき初めて、アセスの血が自分の制服にこびりついていることに気づいた。アセスを医療館に運ぶときについたのだろう。こっちは命を助けようとしたときについた血だ。新田は憤慨した。
「ち、違います! 僕は人を殺したりしません!」
ふんと鼓動が鼻で笑った。「まだそんなこといってるのか。ここは戦場だぞ」
「僕は正当防衛以外の殺しはしません!」
「俺だってそうさ」鼓動が笑みをこぼす。「全部、正当防衛だよ」
うそつけ。いつも、自分から進んで人を殺しているじゃないか……。ムッとする新田に鼓動がたずねてきた。
「正当防衛ってなんだと思ってる?」
「え、……」新田が困惑する。「……自分の命を守るために、……やむなく相手を殺すことです……」
「俺には目に写るすべてのものが自分の命を狙ってるようにみえるんだよ」
新田は無言で鼓動を睨んだ。
「何年も戦場で暮らしてればわかるようになる」
……意味がわからない。鼓動はいつもそうだ。相手の話を煙に巻くように話すことが多く、なかなか本心をみせてこない。呆れるようにため息をついた新田が椅子に座ろうとした瞬間、鼓動が椅子を蹴り払った。
激しい音をたてて椅子が壁にぶつかる。
「な、なんですかっ?」
「……椅子で俺を殴りつけるのかと思ったのさ」
新田が絶句する。
「お前も、俺の命を狙ってるのか?」
「……バカなこといわないでください」新田はしぼりだすように声をもらした。
「……だといいけどな」そういうと鼓動は椅子に座った。
……どこまでもバカにしている。
「……こ、鼓動」
鼓動を睨んでいた新田の耳がしわがれた声を捕らえた。振り返ると、アセスが目を覚ましていた。
「あ、アセスさん! 大丈夫ですかっ?」
新田はアセスに飛びついたが、アセスの視線はまっすぐに鼓動を捕らえていた。
「……助けてくれ」
鼓動はタバコに火をつけた。
佐藤がたずねる。「なにがあったんですか?」
「……ラチが捕まった」
「え?」思わず新田が声をあげた。アセスのバーで働いているアセスの娘、ラチは二十三、四と七十を過ぎたアセスの娘にしては若く、誰にでも打ち解ける愛嬌とモデルのようなスタイルからラチ目当ての客でバーは賑わっていた。職場に女気のないCOREのメンバーも休日にはラチの元へ通うものが少なくない。
「……きょうの朝方、閉店作業をしていたとき、二人組の強盗に店を乗っとられてな。奴らは金と酒が目当てだったんだが、ラチに気づいてしまい……。わしは縄で縛られて、地下へ放り込まれたんだ。だが、奴らは地下の入り口は一つしかないと思い込んでおってな、外へとつながるドアから命からがらここへやってきたんだ」
鼓動が煙を吐く。「娘を置いて逃げてきたのか?」
アセスが言葉につまる。
「鼓動さん!」新田が怒鳴る。
「……わしじゃ、……助けられないんだ」アセスが言葉をしぼりだす。「……頼む。ラチを助けてくれ。助けてくれるんだったら、なんだってする」
鼓動がアセスを見る。「もういないんじゃねぇのか?」
「いや」時間を確認したアセスが鼓動に告げる。「奴らはきょうの夜に波止場に泊まっている船へ行くといっていた。わしが逃げたことを知らない奴らは、それまで時間を潰すことだろう。頼む。鼓動。ラチを助けてくれ!」
アセスは頭をさげた。
助けてあげないと。新田が考えをめぐらせる。けれど、どうすればいいだろう。間違いなく強盗は銃を持っている。しかし、僕たちCOREは武器の使用を禁じられている。いや。禁じられているだけならともかく、この支部には武器と呼べるようなものがないのだ。いくら、身の回りのものを武器にしろといったって、さすがに銃にはかなわない。
鼓動はアセスに歩み寄った。「いくらだす?」
「え?」新田が思わず声をあげる。
アセスも凍りついた表情で鼓動を見つめていた。
「娘を助けたら、いくらだす」
「こ、鼓動さん!」新田が怒鳴る。「人の命がかかってるんですよ! そんなこといってる場合じゃないでしょ!」
「こっちだって命をかけるんだ」鼓動がふたたびたずねる。「娘を助けたらいくらだす」
考え込んでいたアセスが口を開いた。「……いくらでも、……いくらでも払う。……だから、ラチを助けてくれ……」
懇願するアセスに笑みをこぼした鼓動が、佐藤に視線を送る。
佐藤があきれるようにため息をついた。「……これは任務じゃないぞ」
「さ、佐藤さん!」新田が声をあげた。
「……私たちは与えられた任務を遂行するために、ここへやってきたんだ。目の前でなにが起こっていようと、その国の事件や問題にクビを突っ込むのは越権行為だ」
「けど、それじゃ、……ラチさんが……」山下の瞳から涙がこぼれおちる。
「だが」佐藤が告げる。「きょうは休日だ。休みの日になにをしても問題ないだろう」
「佐藤さん!」思わず新田が感激の声をもらした。
「バカ」鼓動が新田にタバコを投げつける。
「熱っ!」
「喜ぶのは助けてからにしろ」
「す、すいません」新田が謝る。けれど、鼓動のいう通りだ。これから僕たちはラチを助けにいくんだ。手ぶらの僕たちがどうやって、強盗からラチを助けるのか……。そう考えあぐねながら新田は医療館をあとにした。
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