323区 【青寺 小雪】

【青寺 小雪】あおでら こゆき


この、登場人物紹介が初登場の言わば、本作品の隠しキャラ的存在。


島根県の土師南高校時代は1年から3年生まで3年連続都大路で1区を走る。1年時は区間32位、2年時は区間20位とステップアップしていき、3年の都大路は、のちに現役を引退したのち「人生で一番調子の良いレースだった」と言い切れるくらいに好調で、区間4位の好走をみせる。その青寺小雪の勢いに乗せられ、チームも県最高順位を大幅更新する。


その結果に学校側が動き、数年後、初の留学生としてルチア ワングイ マカヤがやって来る。


青寺小雪自身は、その時の好走により、広島に本拠地を置くもみじ化学へと引っ張られる。本人は自分に推薦が来るとは思っておらず、一般入試で大学を受けるつもりでいたが、受験を辞め、もみじ化学へと進む。


なお、受験を辞めたことが、のちのち桜ケ渕大学で監督兼選手となる一因でもある。


もみじ化学に入り、僅か3日目で水上舞衣子から直々に練習パートナーの指名をうけ、以後練習は水上舞衣子とマンツーマンで行うことになる。


水上舞衣子自身は結婚しており、寮ではなく一般のアパートで生活していたが、青寺小雪はそこにも何度も遊びに言っており、永野綾子ですら2回しか会ったことのない娘の環ちゃんにも何度も会っており、「こーちゃん遊んで」とせがまれるくらいに懐かれている。


また、水上舞衣子が海外で合宿やレースをする際も青寺小雪はすべて帯同しており、澤野聖香が1年時テレビで放映されていた世界選手権にも行っている。ただ、作中にあった、水上舞衣子がゲストランナーとしてやって来たロードレースには、大会側からの交通費が水上舞衣子分しか出なかったこともあり、帯同はしていない。


水上舞衣子の練習パートナーだった間は、レースにはほぼ参加しておらず、水上舞衣子引退後にトラックの5000mをメインにレースへ参加していき、駅伝にも移行していくことを監督と話し合っていたが、それから僅か1年半後に水上舞衣子から、桜ケ渕大学監督の話が舞い込んでくる。


桜ケ渕大学から相談があった時、水上舞衣子は、「いったい何をどうしろと?」と思ってしまったが、澤野聖香の名前を聞いた瞬間に永野綾子と青寺小雪の顔がぱっと浮かび、青寺小雪を選手兼監督にすることを思いつく。


青寺小雪自身、高校の同級生が大学生活を謳歌している話を聞くたびに、羨ましがっており、突然舞い込んできたその話もわりとすんなりと承諾を出す。


なお、この話を大いに喜んだのは、意外にも水上舞衣子の娘、環ちゃんであった。「こーちゃんが引っ越して来るの? またこーちゃんと遊べる?」と目を輝かしながら、水上舞衣子に聞いていた。


青寺小雪の監督としての指導は、積極的に様々なことを取り入れることを信念としており、留学生の活用もその一環である。


なお、澤野聖香の世界選手権出場が決まると、自身が水上舞衣子に帯同して世界選手権に行った時の経験を元に色々とアドバイスをしており、澤野聖香は随分と助かったようである。


監督しては、選手兼監督時代を含め36年という長期間在任している。なお、4年間の学生時も桜ケ渕大学事務員として席があり、監督としての給料も出ていた。学生として卒業後も、事務員として広報課に席を置いている。


また、監督期間中、最初の2年は全国女子駅伝への参加はなく、その後13年間連続でシードを守り、シード落ちも僅か1年で奪回。残りの20年間の間にも2回シード落ちがあったが、どちらも1年で奪回。監督時代全国女子駅伝出場34回で、優勝こそ4回しかないものの、平均順位5位と言う実に安定した記録を残している。

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