エピローグ

284区 あれからの私達(1)

「随分長々とそうしてるけど、あなた何を報告してるの?」

麻子の声に私は目を開けて振り返り、胸の前で合わせていた両手も降ろす。


「いや、ちょっと高校生の頃を色々と思い出してただけ」

麻子につぶやいて、私は晴美のお墓の前から立ち退く。


「なるほど。そりゃ長くなるわけだ。今年で晴美が亡くなって15年。あたし達が都大路を走ったのも同じく15年前……か。懐かしいわね。まるでほんの2、3年前のようだわ」

麻子は私を見てくすっと笑い、私と入れ替わるように晴美のお墓に手を合わせ祈り始めた。


確かに麻子の言うとおり、私が県駅伝で優勝のゴールテープを切ったあの日から、もう15年も経っているのが信じられない気分だ。




あの日、ゴールした私に紘子と永野先生が真っ先に駆け寄って来た。


「聖香さん! やりましたし! 都大路に行けますよ!」

紘子はいつもよりも1オクターブ高い声で、喜びの声を上げていた。


それは、もはや悲鳴に近い感じだった。


「澤野! よくやった! お疲れ」

「永野先生! やりました!」

永野先生の顔を見た瞬間、あまりの嬉しさに私は泣きながら胸に飛び込んだ。

永野先生も私をぎゅっと抱きしめてくれた。


その後、みんなが続々と帰って来た。


病院で点滴を受けていた梓も、テレビ中継はずっと見ていたらしく、由香里さんに支えられながも眼には涙を溜めていた。


麻子にいたっては、私を見つけると同時にものすごい勢いで胸に飛び込んで来て、危うく吹き飛ばされるところだった。


そして朋恵が帰って来ると、誰もが朋恵を称え、最後には朋恵を胴上げする始末。それくらいあの時の朋恵はすごかったのだ。


閉会式で優勝旗をもらう時に全員が泣いてしまい、永野先生から「お前らはいったいどれだけ泣けば気が済むんだ」とあきれられたが、そう言う永野先生も眼が真っ赤になっており、由香里さんに笑われていた。




京都入りした私達がまず最初に驚いたのは、都大路の宣伝ポスターだ。


晴美が書いたあの絵がポスターとして使用され、街のあちこちに貼ってあった。


「わたし達、はるちゃんとの誓いをちゃんと果たせたんだよぉ~。はるちゃんが待っている京都にみんなで来れたんだよぉ~」

京都駅の改札口を出ると同時に大声で叫んだ紗耶の一言が、随分と印象的だった。



そして、二度目に驚いたことは、永野先生が、都大路の1区に紘子ではなく麻子を起用したことだ。


麻子自身、永野先生に言われたのがレース三日前。


なんでもあの年は、インターハイ女子3000mで3位だった住吉慶と4位の紘子。1、2位だった留学生2人の計4人が、記録的に見て他の追随を許さないくらい飛び抜けていたらしい。しかし、住吉慶は県予選で敗退。留学生はルール上1区を走れない。


そのうえ、そこに紘子がいなければ、1区は前半からスローペースになるだろうと、永野先生は予想したのだ。


「湯川がしっかりと先頭集団に喰らい付いてタスキを渡して、若宮で一気に抜き去った方がレースの主導権を握れるはずだ」

ミーティングの時、永野先生はそう私達に説明してくれた。



そしてこの予想は見事に的中する。



その年の都大路1区は、超が付くほどのスロー展開。どの学校も牽制し合い、中間地点の3キロを通過しても47都道府県中42チームが先頭集団というありさま。


ラスト1・5キロから徐々に縦長になり始めるが、ラスト1キロを切っても、まだ17チームが先頭集団に残っていた。


麻子はこの時8番手を走っていた。


ラスト500mから壮絶なスピード争いとなり、一気に集団が崩れる。


麻子はこのラスト500mを本当に頑張った。

必死に前を追い、先頭と5秒差の6位で2区紘子へとタスキを渡す。


ちなみに麻子はこの1区での走りが評価され、1月上旬にめでたく体育大学から推薦をもらうことが出来た。


その時の麻子は、全身からキラキラと星が湧き出ているかのように輝いていた。

その理由が、受験勉強をしなくて良いからと言うのがなんとも麻子らしかった。


2区の紘子はまさに別格。あっと言う間にトップに立つと、どんどんと後続を離して行く。


紘子が3区にタスキを渡したのち、2位を走る鍾愛女子がタスキリレーをしたのは、桂水高校から遅れること19秒後のことだった。


もちろん紘子は2区で区間賞。どの学校も永野先生と同じことを考えてのことか、インターハイ女子3000mで1、2位だった留学生2人が2区にいたにもかかわらずだ。


県駅伝の1区で城華大付属の住吉慶に勝ったのをきっかけに、紘子はわずか一ヶ月の間に急成長を遂げていた。


その成長ぶりは凄まじく、練習中に、昨日の紘子よりも今日の紘子の方が、あきらかに速いと分かるほどだった。


そんな紘子を見て驚く私達に、

「お前らの年代のやつが成長する時は、こんなもんだ。たった一ヶ月あれば、別人のような走りをすることだってある。だが、それは日々の地道な努力があってのことだがな」

と、永野先生は説明してくれた。


初出場の桂水高校が先頭でタスキリレーをするものだから、テレビの解説者はかなり興奮気味に実況をしていた。おかげで後から放送を見ると、なんだかこちらが恥ずかしくなって来た。


3区は県駅伝と同じくアリスが走る。テレビカメラの視点でアリスの走りを見ると、アリスのフォームの美しさがはっきりと分かった。


腕の振り、脚の運びはもちろんのこと、流れる髪や呼吸すらも全く無駄がなく、すべての動きが一つに繋がって前へと進んでいた。


そのフォームよりもすごかったのが、アリスのレース運びだ。


初出場の都大路。

しかも先頭を独走。


さらに、アリスはまともに走り出して1年も経っていないのに、淡々と落ちついてレースを進めていた。


フォームも終始まったく崩れることなくきっちりと3キロを走り抜き、2位に2秒程詰められただけで、しっかりと1位を守り抜き4区へとタスキリレー。


そして4区。


4区を走ったのは紗耶ではなかった。

結局、紗耶の腰は回復が間に合わなかったのだ。


「仕方ないよぉ。人生、山もあれば谷もあるんだよぉ~」

京都へ出発する前に、紗耶は笑顔でそう語り、「都大路のメンバーから外してください」と、自ら永野先生に頼みに行ったことを打ち明けてくれた。


その紗耶と朋恵のユニホームを着て走ったのは梓だった。


「県駅伝の時は、朋恵センパイがうちと紗耶センパイの思いと一緒に走ってくれましたから。今度はうちが2人の思いを運ぶ番です」

梓は前日のミーティングで恥ずかしそうに笑っていた。


4区の梓で2位に4秒ほど詰められたものの、私は13秒もの貯金をもらい、5区をスタートすることが出来た。



5区を走れる。

それだけで私は本当に嬉しかった。


永野先生が走ったコースを自分の脚で走っている。

そう考えるだけで、走りながらも顔がにやけてしまいそうだった。


そのせいか、録画していた都大路の中継をみると、私が走っている場面で解説者が、


「さあ、先頭を走ります山口県代表の桂水高校澤野、もうすぐラスト1キロに差し掛かろうというところですが、やや笑みを浮かべる場面もあるなど、本当にリラックした走りをみせております。なお、澤野はさきほどの3キロの通過が、インターハイ5位の土師南高校1年のルチア・マカヤを4秒抑え、全体のトップタイムで通過しています。日本選手権女子3000m障害で優勝の澤野。監督の永野綾子氏も、澤野の駅伝でのレース運びには絶対的な信頼をおいていると、高く評価しておりました」


と、アリスの走りに続き、またしても、なんとも恥ずかしくなるような解説をしていた。


結果的には、永野先生が走ったコースを自分の脚で走れる嬉しさが心の底から溢れていたおかげで無駄な力が入らずにすんだのだろうか……。


私は、インターハイで5位だった1年生の留学生に僅か1秒差で勝ち、5区で区間賞を獲得したうえに、ゴールテープまで切ってしまった。



つまり、桂水高校女子駅伝部は初出場で初優勝という、とんでもない快挙をやってしまったのだ。

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