285区 あれからの私達(2)

「それにしても、はるちゃんの会全員が集まるのって何年ぶりかなぁ?」

いつのまにか紗耶が私と麻子の側にやって来て訊ねる。


私達が高校を卒業した次の年。

つまりは晴美が亡くなって1年経った時に、麻子から電話が掛かって来た。


晴美の命日がある週の土曜に、みんなで地元に帰ってお墓参りをしようと言う電話だった。


結局それは毎年続き、いつの間にか晴美の会と言う名前となり、こうして毎年みんなが集まることになっている。


メンバーは葵先輩、久美子先輩、私、麻子、紗耶、紘子、朋恵、アリス、梓、それに永野先生、由香里さんの計11人だ。


「うーん……。三年ぶりじゃない? みんな近頃は忙しいしね。私も二年前はこれなかったし。もちろん別の日にちゃんとお参りしたけど」

私が紗耶の質問に答えると、紗耶も「ああ」と納得する。


「とくに葵さんは忙しいでしょうからね」

麻子は喋りつつも、遠くで久美子先輩と話しをしている葵先輩を眺ていた。


葵先輩は防衛大学を卒業後、陸上自衛隊の幹部として日本全国あちこちで忙しく働いている。数年前には海外派遣にも参加したそうだ。


久美子先輩は大阪で保育士の免許を取ったのち、3年間保育士として働き、結婚。相手はなんと麻子のお兄さんだ。


つまり、麻子にとって久美子先輩は、部活の先輩であると同時に義理のお姉さんということにもなる。


どうやら、私と久美子先輩が麻子の家を訪れた時に久美子先輩が一目惚れをしたらしい。


まぁ、あの時の久美子先輩の行動を見れば納得だ。


その後、電話やメールでやり取りを続け、久美子先輩が広島にいる時は、麻子のお兄さんが月に一度広島まで会いに行き、久美子先輩が大阪に進学してからは同棲をしていたそうだ。


と言うより、同棲するために大阪に進学したらしい。

なんとも積極的だが、よくよく考えてみれば、桂水高校へと入学するまでの経緯も含め、久美子先輩はここぞという時は積極的な行動が多い気がした。


ちなみに、2人の歩みは久美子先輩の結婚式の二次会ですべて聞くことが出来た。


お兄さんは数年前に転職をして、広島市内の会社で働いており、久美子先輩も広島市で再び保育士の仕事をしている。


「なにより、社会人になると休みがね。特にあたしなんて土日が稼ぎ時だし。その点、紗耶は良いわよね」

「そんなことないよぉ、あさちゃん。自営業も楽じゃないんだよぉ~」

麻子の一言に対して、紗耶は気難しい顔をする。


そんな2人を置いて、私は景色がよく見える場所へと1人歩き始める。

歩きながら、ふと麻子と紗耶の高校卒業後を思い出す。


推薦で体育大に進学した麻子は、もちろん大学4年間陸上部に所属。

トラックに駅伝と、大いに活躍する。


卒業後は、桂水市のスポーツジムでインストラクターとして働きながら、市民ランナーとして走り続け、マラソンを2時間45分で完走。


そのかたわらで、地域のバスケットチームでも活躍。


さらにはジムに通っていた男性と結婚し、良き主婦と二児の母と言う大役までこなすという、まさにスパーレディーへと変貌を遂げていた。


ちなみに麻子の子供は2人とも男の子で、久美子先輩には女の子が1人いる。


麻子の子供が男の子だからだろうか。

麻子にとって姪にあたる久美子先輩の子供を、麻子はめちゃくちゃ可愛がっているらしい。


あまりにも可愛がりすぎたせいで、久美子先輩の子供が

「わたし、麻子ちゃん家の子供になりたい! ママ怖いもん」

と発言し、久美子先輩が本気でショックを受け、大騒動を起こしたこともあった。



麻子とは対照的に、紗耶は進学で随分と迷ったようだ。


大学への願書も提出していたが、結局受験せず、急遽進路を変更して、鍼灸師の専門学校へと進学した。


「故障して色々苦しんだからさぁ、同じように苦しんでいる人のためになりたいなぁ~って、思ったのがきっかけなんだよぉ~。それにお世話になった方の影響もかなり大きいんだよぉ~」


高校3年生の1月に、私と麻子に説明してくれた紗耶の笑顔が、とっても印象的だった。


どうやら、紗耶はまほさんの影響を存分に受けたらしい。


紗耶は専門学校を卒業後、八年ほど東京で鍼灸師として働いたのち、桂水市に戻って来て独立。今では桂水高校の近くに藤木鍼灸院という立派なお店を出している。


たまに私も顔を出すが、なぜか5回に1回くらいの割合で、元城華大附属の貴島祐梨に出会う。彼女は別の市で働いているのに、わざわざ遠いところから車でやって来ては紗耶のお世話になっているようだ。


「最近運動不足でまずい。高校を卒業してからもう何年も走ってないもの。もう一度走り出そうかな」

会うたびに貴島祐梨の口からそんな言葉が出るが、一向に走り出す気配を見せないのは、どう言ったことなのだろうか。


でも紗耶は以前こっそりと私に教えてくれた。


「せいちゃんの手前、ああは言ってるけど、実はこっそりジョグを始めたみたいなんだよぉ。脚を触ったら一発でわかるんだよぉ~」

一応、貴島祐梨が言い出すまでは黙っておこうと思った。


ちなみに、紗耶がまほさんの影響を受けて鍼灸師になったので、見た目もまほさんのようになるのではと思っていたが、その辺りの影響はまったく受けなかったようだ。


「あれはさすがに無理だよぉ~。わたしのキャラじゃないんだよぉ~」

以前、紗耶に聞いた時に、笑いながらキッパリと否定していた。


そのまほさんは、紗耶がお店を出すのと同じタイミングで、お店を閉店してしまった。


「後は、藤木様が私の分まで頑張ってくれます。私は、世界に羽ばたこうと考えております」

まほさんにお世話なった最後の日。まほさんは、笑顔で宣言してた。


その後、まほさんは訪れた国々でお金を稼いでは、世界各地を旅して回り、その都度私にもメールを送って来てくれた。


アジアからオーストラリア、中東、ヨーロッパと巡り、アフリカ、南米、北米とほぼ世界一周をしていた。


しかも、一周した後も周り続け、なんと今では3周目に入っている。


それと、世界一周を始める前に、あっさりと髪の色を黒色に戻していた。


「黒髪は日本人の心だと私は考えているんですよ。世界に出るなら黒髪ですよ」

何年も、青や緑、黄色、赤など色んな色に髪を染めているまほさんを見慣れていたせいで、黒髪のまほさんを初めて見た時は、随分を違和感を感じてしまった。


ちなみに、貴島祐梨と同じように、桂水高校ではアリスと梓が高校で陸上を辞めている。


梓は現役で医学部に合格し、今や立派な医者として両親と共に働いている。


「大学在学中と研修期間中、勉強漬けだったせいでしょうか。最近、体力の低下が酷くて。走って体力を戻さないとまずいです」

さきほど梓と2人で、お墓参り用の水を汲みに行った時、そう口にしながら梓が苦笑いしていた。


アリスは高校卒業後、父親の親戚を頼ってイタリアへと渡る。


「アリス的にもよく分からない状況ですよ。見た目は金髪碧眼でしょ。なのに向こうで言葉がきちんと話せるかが不安って……。心は完全に日本人ですよ。今、両親にイタリア語を猛特訓してもらってます」

一番最初にみんなでここに集まった時。

つまりはアリスが3年生の夏には、イタリアに行く決意をしていたらしく、私に笑いながら話してくれた。


アリスはその後、イタリアで大学に進学し、大学院まで出て帰国。

帰国後はイタリア語の通訳で生計を立てているそうだ。


「アリス的にはルーツを知って自分の道が大きく開けた気がします」

昨年集まった時に、アリスがそんなことを言っていたのを思い出す。


ちなみに、高校卒業後も走り続けたのが紘子と朋恵だ。


紘子は高校を卒業すると実業団へと進む。


もちろん大学からの推薦も多々あったのだが、「もう勉強はしたくないですし」と大学推薦をすべて断ったらしい。実業団では、駅伝、トラックと全国でもかなり上位の方で活躍。3年前に競技生活を終え、今は実家の近くにある一般企業に勤務。


市民ランナーとして復活しようと考え、先週からジョグを始めたと、霊園の駐車場で会った時に話してくれた。


「だいたい、慶が現役市民ランナーなのに、自分が何もしてないって悔しいですし」

どうやら、紘子と住吉慶のライバル心は、未だに火が付いたままのようだ。


ただ、住吉慶は紘子とは随分違った道を歩んでいる。


紘子同様、住吉慶も高校卒業後は実業団へと進む。


が……。

わずか九ヶ月で辞めてしまった。

実業団で走ったレースは全日本実業団女子駅伝のみだ。


紘子の説明によると「この九ヶ月ではっきりと分かった。わたしに実業団は向いていない!」と、周囲の反対を押し切り、あっさりと辞めたのだという。


その後は市民ランナーとしてマラソンに出場し、2時間21分18秒という市民ランナーとしては、考えられない記録を出し、あちこちの実業団から再度誘いを受けたが、そのすべてを断り、今も市民ランナーとして競技を続けているそうだ。


ちなみに当時は、史上最強の市民ランナーとして、全国的にもかなりの有名人となっていた。



そして朋恵は私が卒業した後からがすごかった。


私が桂水高校女子駅伝部に在籍していた時、朋恵は走るたびに3000mの記録を更新していたが、それは朋恵自身が卒業するまで続いていたらしい。


なんと、3年生の時には県駅伝でレギュラーとして3区を勝ち取り、城華大附属を抑えて区間賞を獲得。


さらには、学力で進学したとある国立大学では、元々陸上部が強くなかったということもあり、気付けばチームのエースへと成長。


長い距離の方が好きだからと、大学2年生で試しに走ったマラソンで、いきなり2時間55分を出し、今度はマラソンを走るたびに記録を短縮。


4年生の時に走った人生6回目のマラソンで2時間32分というとんでもない記録を作り、実業団へと引っ張られた。


あの朋恵がである。


「それが……。わたし、今、世界選手権のマラソン代表、ボーダーラインギリギリなんですよ。選考レースをもう一本走って確実に代表を決めたいです。そのためにも三日後からヨーロッパで合宿です」

先ほど朋恵が私にこんなことを報告して来た。


まさか朋恵がフルマラソンで全国ランキング5位となり、その上世界選手権を狙う様な選手になるとは……。15年前には想像もつかなかった。

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