255区 3000mの攻防


朋恵をひとしきり笑ったところで、紘子と紗耶、梓がアップへと出かける。


ちなみに今回も全員が速い方の組、2組目に入っていた。


「あの……。3000mが始まる前にダウンに行ってきます」

「じゃぁ、私達も明日に備えて軽めのジョグに行くわよ」

朋恵、麻子、アリスもそれぞれ出かけて行く。


わずか二分足らずの間で、残ったのは私だけとなってしまった。

いや、正確に言うと永野先生と由香里さんはいるのだが。


「私も走って来て良いですか? ほら、もう藍葉達にもばれちゃってますし」

けっして、この場から逃げたかったわけではなく、1人はなんだか寂しかったので提案してみたのが、あっさりと永野先生に却下されてしまった。


順調に体力は戻って来ているので、焦らなくても良いとのことだった。


「そう言えば澤野さん。あの平均台みたいなのって役にたったのかしら? 以前私が持っていたあれ。持って行った時、澤野さんが飛んだのは見たのだけど」

最初、由香里さんが何を言っているのか本気で分からなかった。


頭の中で平均台を想像し、3000m障害用の障害だと言うことに気付く。


「もちろんですよ。あれがなかったら、日本選手権で優勝してませんから。あの障害を何度も飛び越えたからこその、日本選手権での走りですから」


「あら。そんなに役にやってたんだ、あれって。ちょっと意外だったわ」

どうやら由香里さんは、自分が運んだ物が何に使われていたのか、知らなかったようだ。


「あ、そうだ澤野。あの障害、卒業記念にやるから。ほら、昨年は大和にタスキをあげただろ? 同じように澤野には障害をやるよ。大学に持って行くといい。どう考えてもこれから先、3000m障害をやる奴はいないだろうし。私もやらせる気はないからな」


「いりませんよ! 大体どうやって持って帰るですか」

「あら、私がまた運んであげるわよ」

さらりと由香里さんが答える。なんだか本気でやってくれそうな気がしてならない。


そんな雑談からしばらくすると、まずは朋恵が、後から麻子とアリスが帰って来た。それから10分もすると3000mの1組が始まる。


1組目が終わり、2組目の選手がスタートラインに並びだす。


800mでは1人も見ることがなかった蛍光オレンジのユニホームが今度は3人もいる。


やっぱりあのユニホームが3人そろうと威圧感が出る。


そしてスタートした2組目。

1000mを通過すると、なんとも面白い展開となった。


「見事にペアが出来てるわね」

トラックを見ながら麻子が笑う。


そうなのだ。

先頭を行くのは住吉慶と紘子の2人。

今回もこの2人は競り合っていた。


気になったのが、いつもなら住吉慶の後ろにぴったりと付く紘子が、今回は横に並んでいることだ。なにかの作戦なのだろうか。


その15m後ろでは、工藤知恵と藍葉が抜きつ抜かれつの3位争いをしいる。


さらにその後ろは、泉原学院と聖ルートリアの選手が紘子達のように並んで5位争いをしていた。


そして7位争いをしているのは紗耶と梓だ。


今の駅伝部の顔ぶれを見る限り、紘子、麻子、アリスは、駅伝メンバー入り決定だろう。


私もこのまま体力が戻れば入れるはずだ。

いや、晴美のためにも、ここは何としてでも入りたい。


そうなると、最後の一枠は紗耶と梓、勝った方のどちらかとなる。


2人も今回のメンバー発表の時からそれを理解しており、さっきからどちらも一歩も引こうとしない。


「どっちが勝っても複雑ね。藤木さんも3年生だし、大和さんだって、お姉さんの夢を果たすために頑張っているんだし」


「私はそう言う事情は一切抜きでメンバーを選ぶわよ。そんなことを言いだしたら、誰だって走りたいに決まってるもの。私だって高校時代、自分が1年生でレギュラーに入った代わりに、メンバーから外れてしまった3年生の先輩を見てるわ。でもだからこそ、タスキを掛けて走る時は、死に物狂いだったけど」

由香里さんと永野先生の話を聞いて、急に複雑な気分になってしまう。


そうなのだ。

我が桂水高校女子駅伝部が未だに経験していないことがそれだ。


具体的には、レギュラー落ち。


一昨年、私が1年生の時は逆に補欠0で全員が即レギュラー。


昨年は選手が6人いたが、朋恵がまだまだみんなとの実力差が大きかったため、事実上は残りの5人全員がレギュラー確定状態だった。


だが、今年は違う。紘子、私、麻子、アリス、紗耶、梓、さらに朋恵も随分と記録が伸びて来た。7人中2人は絶対に走れない。


いつもみんなで練習をして来た分、誰かが走れないというのは何とも複雑な気分だ。


と、みんなが大騒ぎを始めた。その理由はトラックを見てすぐに分かった。


住吉慶と並んでいた紘子が先頭に出たのだ。

紘子が住吉慶の前を走る姿を、私は初めて見た。

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