240区 呼び戻すもの

家の電話が鳴る音で目が覚める。

コール音が3回鳴った所で誰かが電話に出たようだ。

ふと、眠りに落ちる前に、台所で母親を見たのを思い出した。


それからしばらくすると、今度は玄関のチャイムが鳴る。


来客なんて珍しい。


少なくとも、私がこうして引きこもるようになってからは一度もなかったはずだ。

宅配でも来たのだろうか。

そう思いながら、私はまた眠りにつきかけていた。


と、誰かが家に上がる音がした。母親の知り合いなのかもしれない。


面倒くさい。

誰であろうと、他人と会うなんてごめんだ。


まぁ、このまま寝てしまえば問題はないか。


夢と現実の狭間で、私はぼんやりとそんなことを思っていた。


だが、来客の足音がまっすぐ私の部屋へ向かって来る。

夢の中へと行きかけていた意識が、現実へと引き戻される。


「聖香。入るわよ」

私が返事をする前にドアが静かに開く。「しまった。カギを掛けておけばよかった」と、一瞬だけ思った。


開いたドアから入って来る光は、カーテンを閉め切った私の部屋を必要以上に照らす。


その光の中に麻子が立っていた。


「久しぶり……」

麻子は一言だけ言葉を発すると、すぐに黙り込んでしまう。

まるで先生に叱られた子供のように、うつむいていた。


「座りなよ」

私はベッドから体を起こし、手でポンポンとベッドを叩く。

家族以外の人と喋ったのは、晴美の通夜以来だ。


麻子は「うん」と頷き、ドアを閉めるものの、結局その場に立ったままだ。


ふと、麻子が手にプリントを持っていることに気付いた。


私と麻子の間でしばらくの間沈黙が流れる。

あきらかに麻子は眼で何かを訴えていた。


その後もしばらく、お互いに沈黙したままだったが、しびれを切らしたのだろう……。


「ねぇ、聖香」

精一杯絞り出しました。と言う様な声で麻子が私を呼ぶ。


麻子にしては珍しく声が震えていた。


その声を聞くだけで、麻子がここに来た目的が分かってしまった。


いや正直に言うと、最初に麻子の顔を見た時になんとなく想像はついていた。


「ごめん、麻子。心配かけて……。でも、私……」


「うん。聖香が辛いのは分かってる。晴美とは幼馴染なんだし。でもやっぱりさ、聖香がいないと始まらないんだよ。都大路に行こうって1年生の時から約束してたじゃない……」


「正直……今は走ることなんて考えられない……」

私の一言に麻子は泣きそうな顔をする。

でも、これが今の私の本心だった。


「駅伝部どうするの? 晴美が都大路で待ってるんだよ」

麻子の言葉に自分の感情が一瞬で沸騰する。


「晴美はもういないじゃん!! 亡くなった晴美の感情を勝手に推測して、適当なこと言わないで! 晴美が都大路で待ってるとか、そんなのただの妄想でしょ! 私がどれだけショックを受けてるかもしらないくせに! お願いだからほっといて!」


心の底から湧き上がる「怒り」と言う名の熱を思いっきり麻子にぶつける。


相手が晴美だったら、その熱に一歩引いていただろう。だが麻子は違った。



私の言葉を聞いた麻子が、手に持っていたプリントをぐしゃっと握りつぶした。


その手には血管が浮き出ており、かなりの力が加わっているのが分かる。


「聖香のバカ! あたし達だって大切な仲間を失ったことに変わりはないのよ。あなた部活に来てないから、どれだけみんなが泣いたかも知らないでしょ! みんな辛いのよ。あたしだって今でも泣きそうになる。それでも……それでもあたし達は前に進むしかないじゃない! 一緒に前に進んで行きたいって思ったのに。もういい! 知らない! あなたはそうやって一生自分の殻に閉じこもっていればいいわ。あなた抜きでも、あたし達は晴美が待っている都大路に行ってみせる!」


麻子は大声で怒鳴り散らし、握りつぶしたプリントを私に向かって思いっきり投げつける。そのまま回れ右をすると、力任せにドアを閉め、「バタン!」と言う耳を塞ぎたくなるような大音を残して部屋を出て行った。


どうやらそのまま帰ってしまったようだ。


麻子がいなくなり、部屋はまた静けさを取り戻す。


私は麻子が投げつけて来たプリントが気になり、手に取る。


ぐちゃぐちゃになったものを広げて行き、そこに書かれていたものを見て言葉を失った。

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