210区 紘子激走

「さぁ、城華大附属の住吉さん。桂水高校の若宮さんを先頭に、先頭は1000m。1000mの通過は2分台。2分55秒。2分55秒であります。このままのペースで行きますと、県記録の更新はもちろんのこと、8分台と言う大変素晴らしい記録も期待できます」


タイムを告げるアナウンサーですら、あまりのハイペースにやや興奮気味だった。


2人ともスタートすると同時に飛び出し、お互い牽制する気もまったく見せず、ハイペースのまま走り続けた。その結果がこのタイムだ。


ちなみに3位を走っているのが工藤知恵。どちらかと言えば、人の後ろをひたすら付いて行くイメージがある彼女が、第二集団を引っ張っている姿は、少しだけ不思議な光景だった。


でも、今まで人の後ろをひたすら付いて行くだけだった人間が、集団を引っ張るようになっていると言うのは、敵ながら大きな進歩だ。


と、私は昨年の高校駅伝のことを思い出す。


中継所から競技場の戻るのバスの中で「先頭を引っ張る練習もしてみれば?」と、工藤知恵に喋った気がする。


もしかして、私は敵に思いっきり塩を送ってしまったのだろうか。


その工藤知恵の後ろにもう1人城華大附属の選手がいる。プログラムを見ると1年生だった。藍葉が1500mに回った分、この1年生が出場したのだろう。


そして5番目に泉原学院が、6番目にアリスが付いている。

間もなくアリスが集団で1000mを通過しようというところ。

アリスの1000m通過タイムが3分6秒だ。

遅れて3分10秒で紗耶が1000mを通過。順位は8番目だ。


レースに初めて出るアリスも、久々に3000mを走る紗耶もしっかりと頑張っている。桂水高校女子駅伝部全体の底力が上がって来たことを、はっきりと感じる。


ただ、こうしてレースを見ていると、永野先生がなぜえいりんの転校を笑えないと嘆いていたのかが分かる気がする。


住吉慶、工藤知恵、山崎藍葉、貴島祐梨。さらには今4番手を走っている1年生、名前をみると三輪なずなと書いてあった。


さらにえいりんが加わるのだ。なんとも強力な布陣だ。


「それにしても、紘子も住吉って子もとんでもないわね。あたし普段は紘子と一緒に3000mに出場することが多かったけど、外から彼女達の走りを見ると、恐怖すら感じるわ」


「あの……。ひろちゃんの1500mの通過が4分26秒なんですけど、わ……わたし、1500m一本を走っても多分この記録出ません。と言うか、1000mで2分台を出すことがまず不可能です」


冷静にレースを見る麻子と、記録を見て愕然とする朋恵。その横にいた梓は、言葉すら出ないと言った感じで、レースを食い入るように見ていた。


2人の先頭争いに勝負が着いたのはラスト100m。住吉慶がラストスパートをかけ、紘子を振り切る。


私達も声を必死に張り上げ紘子を応援するが、残念ながら紘子は住吉慶に追いつけず、2位でゴールする。


しかしながら、住吉慶の記録が8分56秒32、紘子も8分57秒95と、8分台を出しての県記録更新に会場中から歓声が上がった。


工藤知恵が引っ張る3位集団の争いも、最後まで目が離せない展開となっていた。

ラスト1周になり、その集団から抜け出したのは泉原学院の選手だった。


この三年間で山口県内の勢力図が大きく変わったと、永野先生が前に語っていた。


桂水高校女子駅伝部が発足する前は、城華大附属の圧勝。それに泉原学院、聖ルートリアの二強が随分と力の違いはあるものの、それを追っていたらしい。


それが我が部が発足してからは、城華大附属と桂水高校の二強へと変わったそうだ。


現に昨年の県高校総体3000mでは、中国地区総体に出場出来る6位までを、城華大附属と桂水高校ですべて埋めてしまった。


それゆえに、泉原学院の選手が3位となるのは、ちょっと新鮮な気がしたのだ。


その後に4位で工藤知恵が入る。自分でレースを引っ張る力強さを見せつつも、得意のぴったりと付いて行く走りも健在で、3位になった泉原学院の選手に張り付き、4位でゴールした。


そして5位で入ったのはアリスだ。これには正直私達も驚いた。


もちろん、普段の練習でもアリスは麻子にぴったりと付いて行くので、走力的に十分力はあるのだが、人生初レースでこれだけの成績を収めることが出来るのはすごいと思う。


「やっぱりブレロはレースで他校の生徒と比べると際立つな」

アリスがゴールすると同時に、永野先生が独り言のようにつぶやく。


「アリスがですか? それはやっぱり金髪碧眼の見た目がってことですか? 晴美もよく、アリスが走ると金髪がなびいて綺麗とか言ってますけど……」

永野先生の独り言に答えながら、何気なく晴美を見ると、私の声が聞こえていたのだろう。ずいぶんと気まずそうな顔をしながら私を睨んでいた。


あれ? これって喋ってはいけないことだったのだろうか。


「なんだそれ? 私が言ってるのはブレロのランニングフォームのことだ」

苦笑いしている永野先生の言葉に、私は思わず隣にいた麻子を見る。

だが、麻子の目は「どう言うこと?」と私に訴えかけていた。


「まぁ、私はフォームと言うのは個人の筋肉バランスや体格で変わってくると考えているから、画一的に走り方を矯正はしないが……。それでもあえてランニングフォームのお手本を示すとすれば、それはブレロの走りそのものだな」


トラックに目をやると、ちょうどアリスがスタンド下に入って行くところだった。


まさかこうして永野先生にべた褒めされてるとはつゆ知らず、アリスは肩で息をし、ずいぶんときつそうな表情を見せていた。


「あいつの場合、体幹の強さだけなら、うちの部で一番なんじゃないか? 那須川も随分と努力しているみたいだが。ブレロは腹筋背筋がしっかりとしてるから軸がぶれないんだよ。それに腰も高い位置で安定してる。お前らも今度チャンスがあったらそう言う視点でブレロを見てみろ。別にそれが良いか悪いかは別として、フォームの綺麗さとバランスだけなら、若宮や住吉よりもブレロの方が二段階くらい上だぞ」


永野先生の説明に、麻子が何度も頷きながら

「なるほど。アリスの強さの秘密はそこか」

と納得の表情を見せていた。


その説明の間に紗耶がゴールする。


紗耶は順位こそ7位だったものの、9分38秒44と自己記録を更新。今回もお得意のラスト200mのダッシュは健在で、最後に城華大附属の1年生、三輪なずなを抜き去り順位を一つ上げてのゴールだった。


と、私はある疑問が浮かんだ。


「そう言えば永野先生。今年はなんで紗耶が3000mなんですか? いつもだったら麻子が3000mですけど。それに紗耶なら、トラックは1500mや800mの方が上位に食い込めると思いますが?」


私の質問に永野先生がため息をつく。


「正直に話すと、私も藤木は800mにエントリーさせようと思ってたんだ。だが、藤木からの強い要望でな。今年はどうしても3000mを走りたいと。駅伝と違って個人種目だし、詳しくは聞かなかったが、藤木なりに色々考えがあるようだったから許可したんだ」


紗耶も今年が最後だから、なにか思うことがあるのだろうか。現に、昨年の県高校駅伝が終わってから、練習を必死で頑張っている。梓が入部して来てからは、さらに力が入っている気がする。今回の自己新も練習のたまものだろう。


ただ晴美は、ちょっと追い込み過ぎてる気がしてならないと心配する。それを紗耶に話すと、「まだまだ頑張らなければならないんだよぉ~」と奮起していたそうだ。


3000m出場メンバーが帰って来ると、私達応援組はお祭りモードだった。


紘子の8分台突入。アリスの中国地区総体出場、紗耶の自己記録更新と、うれしいことばかりだったからだ。


しかしながら、意外にも走ったメンバーは全員悔しさをにじませていた。


「記録はともかく、ラストで慶に離されたのが悔しいですし」

「あの集団のトップになってやるって、アリスは考えてたんですけどね」

「まだまだだよぉ~。中国地区総体に出場するつもりで走ってたのに」


そんな3人を見て、我が部も個人の意識が随分と上がって来たんだなと感じた。

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