159区 食べ物の恨みは恐ろしい

「どうだった? 合宿は?」

高速に入ったところで牧村さんが聞いてくる。


「思ったより、楽しかったです。大学の合宿って、もっと規則とか厳しいと思ってましたけど、全然違いました」

牧村さんの相変わらずな運転から現実逃避をしようと、私は牧村さんの方を見て話す。


「そっかそっか。それはよかったわ。で、澤野は高校出たらどうするの? もしあなたさえ良ければ、明彩大に来ない? もちろんS級推薦で」


「誘ってくれるのは嬉しいんですが、実は私……」

牧村さんにはきちんと事情を話しておこうと、永野先生に憧れていること、理科の教員免許が欲しいこと、姉がいる大学に行きたいこと、すべてを説明する。


「そっか。うちの大学は文系だから教員免許は社会と国語、あと英語だけのはず。それにしても、永野も偉くなったわね。あれが尊敬されるような人間になるとは……」

きつい言葉を発するが、牧村さんの顔はどこか嬉しそうだった。


「でもお願いですから、永野先生には私が憧れてるって、内緒にしておいてくださいね。恥ずかしいですから」


「なんだ……。やっぱり、憧れるには恥ずかしい相手なんだ」

「そう言う意味じゃないです!」

思わず慌てる私を見て、牧村さんは声を出して笑う。


いや、お願いですから前を見ててください。ほら、さっきまであんなに遠くで光っていた車のテールランプが目の前に。


「冗談よ。でも、もしも明彩大に来たくなったらいつでも言ってね。なんなら、受験に失敗して行く当てがないですって連絡して来ても、どうにか入学出来るように学長に掛け合ってあげるから。って、喋ってばかりだと、いつまでたっても着かないわね。のんびり運転してる場合じゃなかった」


私は耳を疑った。これでも十分速い……。というより恐怖を感じているのだが……。


もしかしたら、ものの例えかとも思ったのだが、牧村さんは本当に車の速度を上げてしまった。それも二段階くらい……。


私が次に気付いた時は、広島の宮島サービスエリア。兵庫、岡山、広島の半分当たりの記憶がすっぽり抜け落ちていた。


「思ったよりも美味しいわね」

注文したアナゴ丼を一口食べ、牧村さんは嬉しそうな顔をする。ちなみに私はカツカレーを食べていた。


お互い晩御飯を食べておらず、宮島サービスエリアで食事休憩となったのだ。すでに日付が変わり、時刻は0時半だ。


「そういえば澤野、お土産を買ってなかったけど良かったの? いや、買う時間は確かになかったけど」

思わずスプーンを持つ手が止まる。


「な……永野先生にお土産を頼まれてたのを、すっかり忘れていました。どうしよう?」


「ありゃ。そうだ良い知恵を貸しあてあげるわ」

にやっと笑い、そう前置きした後で牧村さんが私にアドバイスをしてくれる。でも、永野先生にその方法が通用するかすごく疑問だった。確かに、間違ったことを言っているわけではないのだが。


しかし今はダメ元で、それにかけるしかない。


その後、家へと無事に辿り着いた時には2時を回っていた。おかげで、翌日はあまりの眠たさに、長期休み明けの学校集会でほぼ寝かけていた。


私が高校新を出したことを集会で校長先生が話されたが、あまり大きな騒ぎにもならず、少しだけ寂しい思いをした。


でもその分、部活では大いに盛り上がっていた。


「聖香、すごいかな」

「そうだよぉ~せいちゃん。初めて走った3000m障害で高校新だなんて」

「わ…わたしが普通に3000mを走るより随分速いです」

「それに大学生と練習で張り合うなんて。考えられませんし」


みんな、部室で私を見ると次々に言葉をかけて来る。


「はいはい。みんな落ち着け。何はともあれ、お疲れだったな澤野。で、無粋な話しだが、頼んでおいたお土産は?」

やっぱり永野先生は覚えていたか。


「ちゃんと買ってますよ。どうぞ」

後は牧村さんを信じるしかない。


「って、待て澤野。なんで関西まで行っておきながら、広島名物のもみじ饅頭しか入っていないんだ?」

永野先生のその問いに、私は肺に思いっきり空気を入れ、それを吐き出すようにしながら、一気に返答を返す。


「特にどこで買って来るように指定されなかったから、広島で買っただけですよ。それに本来は家に帰るまでが合宿なんですから、広島で買っても何も問題はないかと?」

昨日の夜、牧村さんに教えられたそのままを喋ってみた。


それを聞いて、もみじ饅頭を持っている永野先生の手が震える。


「それ、牧村さんの入れ知恵だろ? 本当にあの人は変わってないなぁ。だが澤野。食べ物の恨みは恐ろしいことを、身を持って経験させてやろう」

悔しさのせいなのだろうか。永野先生は目にうっすら涙を溜めている。


「大和!」

「は……はい」

突然名前を呼ばれ、葵先輩はビックリしていた。


「一昨日、お前らが言っていた文化祭の案件。あれ、了承してやる。お前の提案どおり進めていいぞ」

「本当ですか! ありがとうございます」

葵先輩はまるで太陽のような明るい笑顔で、飛び跳ねるように喜んでいた。


よく考えると、今年は明彩大の合宿に参加していたので、駅伝部で何をやるのかまったく聞いていない。


「じゃぁ聖香、よろしくね」

葵先輩に両手を握られるが、私には意味がまったく分からなかった。それに気付いたのか、葵先輩が私から手を離し説明を始める。


「実は聖香が合宿に行っている間に、今年の文化祭をどうするか話し合ったのよね。で、昨年は屋台でお好み焼きをやったでしょ。だから今年は教室を借りて喫茶店をやろうと思って。その名もずばり! メイド喫茶」

葵先輩はものすごく嬉しそうな顔しているが、嫌な予感しかしない。


小さい頃にメイド服に憧れ、昨年の修学旅行でメイド服を買ってしまった葵先輩。

ここまで来ると、葵先輩のメイド服好きは、もはや凶器だ……。


そういえば今年の部活紹介の時もメイド服姿だった。


「でね。役割分担もすでに決まってるの。うちと麻子、紗耶がウエイトレス。朋恵と晴美と紘子が調理担当」

料理が上手いはずの葵先輩が調理担当から外れているのは、どう考えてもメイド服を着るためだろう。


紘子と、晴美が調理担当なのは分かる。この2人は、駅伝部の中でも料理の上手さが別格だ。


でもなぜ朋恵が? 不思議に思い朋恵を見ると、私の言いたいことがわかったのだろう。


「あの……。確かにわたし、料理の腕はないかもしれません。でも……。それ以上にメイド服を着たくないんです。恥ずかしいから」

と苦笑いをしていた。


あと、麻子がウエイトレスなのも理解が出来る。麻子の料理はおおいに問題がある。まさに選択の余地なしだ。


紗耶がウエイトレスを選んだ理由を聞いてみると、「一生に一度はメイド服を着てみてもいいかなと思たんだよぉ~」と笑顔で答えてくれた。


で、私は何をするのだろうか。葵先輩に尋ねてみる。


「もちろん、聖香は呼び込みよ。昨年度のミス桂水だからね。効果は抜群よ」

一体その自信はどこから来るのかと聞きたくなるくらい、葵先輩は自信に満ち溢れた顔をしていた。


「じつは、喫茶店の名前も決まってるかな」

葵先輩の一言に、晴美が部室の壁にかかっているホワイトボードへ、マグネットで紙を貼り付ける。横断幕のように長いその紙に、喫茶店の名前が書かれていたのだが……。


『昨年度ミス桂水・澤野聖香のいるメイド喫茶』


どこからツッコめばよいのだろうか……。いけない、本気で頭が痛くなってきた。


「ちなみに看板も美術室でほぼ完成間近かな」


「いや、そもそも私、自分がミス桂水だったなんてすっかり忘れてましたよ。だいたい、この人気って文化祭の時だけでしたよね?」


「そうよ。ちなみに年度は関係ないわ。毎年文化祭になるとミス桂水は人気が出るのよ。あぁ、そうそう。聖香に生徒会からプリントが来てたわね。なんでも、ミス桂水のルールが今年から変わるからよろしくって」


葵先輩が部室に置いてある銀色の事務机の引き出しを開け、一枚の紙を私に渡してくる。


『この度、ミス桂水のルールが変更になりました。今年から、タイトルマッチを行います。今年のミス桂水と昨年度ミス桂水・澤野聖香さんで勝負をしていただきます。なお、今年から新たに教員参加枠も出来ました』


その後には、私宛に細かい説明が箇条書きで書かれていた。


「ミス桂水ってすごいですし。せ…聖香さん、可愛いですし」

言いながら照れる紘子。それを見て笑う晴美。いや、どう考えても私の容姿は関係ない気がする。なぜなら昨年度のミス桂水はあきらかに運を使う要素しかなかった。


「と、いうわけでだいたい分かったかしら?」

葵先輩の一言に私は頷く。


「じゃぁ、さっそくだけど、これがが聖香専用のメイド服ね」

なぜ私専用のメイド服があるのか。と聞く前に、別のことが気になった。


「いやいや、葵先輩。それなんですか? そもそもなんでセパレーツなんですか」

葵先輩が持っている服は、見るからに布の面積が少なかった。


「だから聖香のメイド服だって。呼び込だもん、目立たなきゃ。わざわざ改造したんだからね」


一瞬目まいがした。スカートはランパンよりも短いのではないかと思わせる超ミニスカート。上は、私がいつも付けているスポーツブラの方がよっぽど布面積が多いと感じるくらいにきわどく、胸元もかなり開いており、なんともセクシー仕様だ。


ただ、胸の部分にパットがしっかりと入っているのが私の心をえぐる。


あれですよね、私の胸は水増ししないと、見栄えが悪いんですよね……。


あ、セパレーツということは、お腹周りは露出することになるのか。


というか、このメイド服を着ると下着が着れない気が……。それを葵先輩に訴えると、絆創膏を3枚ほど渡された。


いや、これでどうしろと?


想像はつくが怖くて聞けない。この問題については、後々自分で解決策を考えよう。


それに今は、永野先生に質問をする方が先だ。


「永野先生? 文化祭ってこんなに露出が多い服は許可されるんですか?」

「まぁ、私も教師だ。さすがに一昨日これを見せられた時には反対したがな。だが、関西の美味しいお菓子を食べられないって分かったしな」


あぁ……。やっと私の中ですべての意味がつながった。


つまりあれか? 私は明彩大に合宿に行って、現地でお土産を買うのを忘れたから、こんな恥ずかしい恰好をしなければならないと言うことなのか?


なんとも厳しい世の中だ。

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