150区 明彩大合宿始まる

「次は明彩大学前、明彩大学前。降り口は右側です」

電車のアナウンスが、目的地に着いたことを知らせてくれる。


盆が終わり、私は永野先生に言われたとおり、大学生との合宿へと向かっていた。


家から新幹線と在来線を乗り継いで2時間半。もっと時間がかかると思っていたが、予想以上に関西は近かった。


永野先生に渡された要項には、駅に降りて北側出口に行くようにと書かれている。


それに従って出口に行くと、Tシャツにハーフパンツ姿で、陸上用のサングラスを頭にかけた女性が立っていた。


「あなたが澤野聖香?」

その女性の質問に「はい」とだけ答えて頷く。


「オッケイ。早速だけど、すぐに出発するわよ。あれに乗って。荷物は後部座席」

女性が指差した先には、ものすごく車高の低い白のRX=7が停まっているのが見えた。


言われたとおり荷物を後部座席に入れ、助手席に座る。それを確認すると同時に、アクセルが思いっきり踏み込まれ、ものすごい速度で車が走り出した。


「まだ自己紹介してなかったわね。わたし、牧村里美。聞いていると思うけど、永野とは実業団時代の先輩後輩の仲ね」

ミッションのシフトを華麗にチェンジし、アクセルを踏み込みながら牧村さんが言う。車高が低いせいだろうか。ものすごくスピードが出ているように思える。


いや、左車線の車を次々に追い抜いている辺り、本当に出ているのだろう。


「永野から色々聞いているわよ。この合宿が終わる頃には、きっと違う世界も見えて来るわ。試合のことも聞いているんでしょ?」

合宿が終わった二日後に記録会があり、これにも参加して来るように指示されていた。


なんでも明彩大の人達も毎年出ているらしい。


「記録会は気楽に走っていいから。永野からは『3000mを走らせておいてください』としか聞いてないし」

なるほど。記録に関しては、とやかく言わないと言う意味なのだろう。


そんなことを考えていると、車はなぜか高速の料金所へと進んでいく。


「もう他のメンバーは合宿先に向かっているのよ。わたしはあなたを迎えに来たから遅くなったの。すぐに追いついて見せるけどね。って、さっさと行きなさいよ! 前の車!」


ETCを抜け本線に入ると、さっきまでの速度が徐行に思える程、車の速度が上がる。


それは不思議な体験だった。まず、高速を走っている他の車が停まって見える。さらには遥か前にいたはずの車が一瞬で目の前にいる。


いったい牧村さんはどれだけの速度で走っているのだろうか。さっきから、自分が死と隣り合わせにいるような気がしてならない。


「お、見つけた」

牧村さんの声を聞き、目の前を見ると、バスが2台ほど走っていた。


「うちの部員は総勢52名だから、移動も大がかりでね」

牧村さんの説明を聞きながら、私は胸をなで下ろす。先行した他のメンバーに追いついたので、速度も緩むと思ったからだ。


だが、牧村さんはそのままバスを抜き、今までと変わらない速度で走り続ける。


「あの? 抜いちゃうんですか?」


「先に行って合宿所の手続きをしないといけないのよ。合宿所まであと100キロくらいだし、もう30分あれば着くから」


何かが間違っていると思ったが、もう何も言い返す気力がなかった。


合宿所に着くと、すぐに牧村さんは事務所で打ち合わせを初めてしまった。1人残された私はロビーで大人しく座っていた。いや、正確に言うと立っていられなかった。


この合宿所はわりと高地にあり、高速を降りてから山を登って来たのだが、曲がりくねった道を牧村さんは速度を落とすことなく突っ走った。おかげで私は体ごと何度も右へ左へと持って行かれてしまった。


まさか帰りもあの車に乗らなければならないのだろうか。そう考えると、紗耶ではないが、一生合宿のままでも良い気がして来た。


15分程座っていると、気持ちも落ち着いたので、ロビーの中を見て回る。


「利用者の足跡」と書かれた一冊のアルバムが目に留まり、何気なくページをめくる。ふと、あるページで手が停まった。


「もみじ化学陸上部のみなさま」そう書かれたページには、ユニホーム姿の女性が15人程写っていた。


世界選手権に出場した水上さん、今日出会ったばかりの牧村さん。そして、まだ現役だった永野先生も笑顔で写っている。


永野先生の実業団時代を見るのはこれが初めてだ。前に見た高校駅伝の時よりも、髪の毛が少しだけ伸び、耳が隠れるくらいになっており、薄く茶色に染められていた。


「随分と懐かしい写真ね」

いきなり後ろから声がして、私はビクッとする。夢中で写真を見ていたせいで、牧村さんに気付かなかった。


「実業団の時、毎年ここで合宿をしてたのよ。その名残で大学の監督になっても使わせてもらってるの。ああ、これ永野が最後に参加した年ね。この年に永野が辞めて、翌年にわたしが辞めたの。永野はすごく明るい子でね。部内ではかなり人気者だったわ。高校時代にすごい成績を持っていたからね。試合とかでも色んな人が声を掛けて来て……」


牧村さんが懐かしそうに当時を語り始める。もっと色々な話を聞きたいと思ったが、さっき追い抜いたバスが到着したようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る