136区 澤野聖香出陣!
総体3日目。いよいよ私の出番だ。
昨日は紗耶の物音で目を覚ましたが、今日は自分の意志で朝早くに起きる。散歩をして体をほぐすためだ。
みんなはまだ寝てるので、起こさないように静かに着替え、そっと部屋を出る。玄関まで行くと由香里さんがいた。
「あら澤野さん。今日も早いのね」
「はい。散歩して体をほぐそうと思って……って今日も?」
「ええ。昨日は藤木さんと散歩に出たでしょ」
喋りながら由香里さんが外に出るので、続けて私も外へ出る。
よく考えたら、由香里さんと2人きりなのは随分と珍しい気がする。
今日も空気が冷たく、気持ちがよかった。
ただ、空には厚い雲が出ている。
午後から雨が降ると昨夜の天気予報で言っていたことを思い出す。
まぁ、雨のレースは好きなのであまり気にならないが。
「音楽って結構体力使うのよ。だから毎日散歩をして筋トレをしているの」
「そうなんですか。色々と大変なんですね」
「いや。あなた達程ではないわよ。約一年近く、ほとんど試合の時だけとはいえ、あなた達のことを見てるけど素直に尊敬するわ。そうそう、澤野さんって随分と綾子に信頼されてるのね。昨日寝る前に綾子がべた褒めしてたわよ。見てて安心出来るとか、安定性は抜群だとか。まぁ、お酒も入ってたけど」
思わず私は照れてしまう。こういうのは、他人を通して聞くと、嬉しさよりも恥ずかしさが先に来るのだと、この時初めて理解した。
一瞬、「期待を裏切ることなく今日の1500mも優勝してみせます」と宣言しようとしたが、なんだか自信過剰に思われそうなので黙っておいた。
そして1500mの予選が終わった時、言わなくて正解だったと感じる。
女子1500m予選は全部で3組あった。各組4着までと4着以下記録の良かった上位3名が決勝に進出する。
1組目には昨日800mで優勝した貴島祐梨が登場。彼女は終始3位の位置をキープし、決勝進出を決める。ラスト1周はしきりに後ろを見て、流しているような感じだった。
2組目を走った私は、対照的に最初から最後までトップを走り続ける。決勝のことを考え、体力を温存しつつも、ある程度はリズム良く走ることを心掛ける。それでも4分33秒12が出たので、調子は良いようだ。この分だと決勝はしっかりと走れるかもしれない。
みんなには黙っているが、今回私の中で大きな目標があった。
えいりんが熊本県選手権で出した4分19秒44を上回ることだ。
確かにあの時、一瞬だけえいりんの走りに負けても良いと思った。
えいりんは気の迷いだと笑っていたが……。
あれから数週間、自分なりに色々と考え気付いたことがあった。
あの走りに負けても良いと思ったが、記録では負けたくないのだ。
自分自身、なんとも不思議な感じだ。
「ちょっと……。予選で飛ばし過ぎじゃないの?」
ゴール後、トラックの端っこでスパイクを脱いでいると、1組目を走った貴島祐梨が私の所へやって来る。そういえば、中学の時は一度も話したことがないが、いつのまにか貴島祐梨とも仲良くなっていた。
「そう? これでもまだかなり余裕あるけど。そっちこそ、もうちょっと速くてもいいんじゃない? 『着順で入ればいいや』くらいの走りだったけど」
「無茶苦茶言わないでよ。この予選で4本目なのよ。一昨日の800m予選、準決、昨日の決勝。体中ガタガタよ。まぁ、1500mは6位以内で良いって、阿部監督に言われてるから気持ちは楽だけど。てか、澤野さん。今のままだと優勝決まりじゃない?」
貴島祐梨が笑った直後だった。
「野田川高校の清木さんを先頭に400m。400mの通過は70秒。70秒であります」
そのアナウンスに、私と貴島祐梨はトラックに眼をやる。
400mを70秒といえば1500mを4分27秒くらいのペースだ。もしかしたら、さっきの私よりも400mの通過は早いのではないだろうか。現に先頭を走る清木という子は2位と40m近い差を付け、独走していた。
そのままのペースでトラックを4分の3ほど走り、先頭が私達の前を通過する。
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