111区 紘子の手料理

「ちょっと葵さん?」

「いま、すごく良い話だったかな」


「いや、ごめんね。ほら、今日は練習でいっぱい走ったじゃない? だからね」

いつもはしっかりしている葵先輩が、珍しくあたふたしている姿は少し新鮮味があった。


でも、言うと怒られそうなので黙っておく。


「そうですね。自分もお腹空きましたし。なんか簡単に作りますね。朋恵、この前と同じようにテーブルお願い」


部屋の主はそれだけ言って、台所に向かう。お願いされた朋恵が、ベッドの下から折りたたみのテーブルを出し始める。こんな所にテーブルを片付けていたのか。別に姉のためとかではなく、純粋に知識として、紘子から片付け術を学びたいと思った。


だが15分後には、それよりも料理術の方が先かも知れないと感じる。


テーブルの上には、チャーハンと野菜炒め、それにコロッケが並んでいた。


「昨日偶然コロッケをいっぱい作ったんですよ。さぁ、食べましょう」

食べましょうと言われて、手を動かしたのは当の本人と朋恵だけだった。私達はあまりの手際の良さにあっけにとられていた。


「あの……料理冷めますよ」

朋恵が不安そうに見て来る。それと同時に私達も、いただきますと言って食べ始める。


一口食べてはっきりと分かる。紘子の料理の腕はかなりすごい。野菜炒めは噛めば噛むほど野菜の旨みが出て来る。チャーハンにいたっては、口の中で溶けそうなくらいに柔らかい。


「紘子。あたし、あなたの作った味噌汁を毎日飲みたい」

あまりの美味しさに、麻子がプロポーズをする始末。


「いや、でも紘子ちゃんはすごいかな。料理は出来るし、頭も良いし、おまけに足も速い。これは男子がほっておかないかな」


なぜかにやにやしながら晴美が紘子にちょっかいを出す。でも紘子は、いたって冷静だった。


「別に自分、男に興味ないですから」


「さすが全国2位は言うことが違うわね。うちもそれくらいの気持ちで頑張らないと、足が速くならないのね」

口ではすごくまじめなことを語っている葵先輩だが、箸は3つ目のコロッケに伸びていた。いや、コロッケは確か14個しかなかったはず。今ここにいるのは全部で7人。つまりは1人2個のはずだが……。


それとも理数科クラスの人にしか計算出来ない方程式があって、それを解くと葵先輩のコロッケの数は3つという答えが出るのだろうか。


「そう言えば……。先輩方は彼氏さんとかいらっしゃるんですか?」

朋恵の質問に私達全員の箸が止まる。


「ともちゃん、わたし達は駅伝部なんだよぉ!」

「はい……。それは知ってます。あ、もしかして恋愛禁止とかですか?」

紗耶の一言に朋恵が少し声を強めて返す。


「少なくとも、駅伝部を立ち上げた時に禁止した覚えはないわね」

「えっと、今彼氏がいる人は正直に手を上げて欲しいかな」

晴美の質問に誰も手を挙げない。


私が周りを見渡すとなぜか紘子と眼が合った。


「と言うか、正直あたし、今は彼氏を作ろうという気にならない。『今年こそは都大路へ!』と言う大事な時期に、彼氏はちょっと……。そんな暇があったら走ってたいのよ」

麻子の発言に紗耶と葵先輩も同意を示す。

正直、私も似たような意見だ。


「でも1年生は素敵な男子がいたら頑張って欲しいかな」

「だから、自分男に興味は……」

「あの……相手にも選ぶ権利があると思うんです。わ…わたしじゃ相手が可哀想です」


あ、これは駅伝部全員彼氏は出来そうにないな。

私の頭に予感めいたものが浮かぶ。


「永野先生はどうなんだろう。彼氏さんいるのかなぁ~」

「それを聞いて、いなかった場合、さやっち殺されちゃうかな」

晴美の冗談とも本気とも取れる発言に、紗耶も「たしかに怖くて聞けないんだよぉ~」と納得をしていた。

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