86区 動き出すレース

2キロを通過すると先頭集団が5人になる。先頭は相変わらず聖ルートリアと泉原学院が並走で引っ張っている。城華大附属の宮本さんは、私のすぐ前を走っており4番手だ。


なぜ宮本さんが前に出ないのか、理由は分からない。城華大附属レベルになると、県大会は勝って当たり前、目標はあくまで全国での入賞ということなのだろうか。つまりこの県駅伝も練習の一環でしかないと。


そんな私の考えが間違いだと気付いたのは、中間点である3キロの看板が見え始めたときだった。中間点直前で、泉原学院がすっと前に出て単独トップにあがる。それと同時に団子状態だった先頭集団が縦一列に変わった。


宮本さんはその瞬間を見逃さなかった。縦になると同時に、4番手から2番手へと位置取りを変え、泉原学院にぴったりと付いたのだ。


そこからレースは過酷さを増してくる。縦一列になり、ペースが上がる。先頭集団も4人となった。城華大附属、聖ルートリア、泉原学院、そして私だ。他の3つは昨年の上位3チーム。それに私が挑んでいる形だ。


中間点の通過が9分38秒。やはりこの1キロのペースが上がっている。まだ体力的には余裕がある。ここは無理に出る必要もないし、しっかりと我慢する時だ。


私は昨日見たエントリーリストを思い出してみる。ここにいる4人のうち、私以外は3年生だったはずだ。3年生3人に挑む1年生。しかも創部1年目で初出場。


きっとテレビのアナウンサーもそんなことを言っているのではなかろうか。


テレビと言えば、母はきちんとこの駅伝を予約できたのだろうか。


今日、どうしても仕事が休めなかった父は、一週間も前から、母に録画をするように何度も念を押し、最後には「耳にタコが出来るくらい聞いた。自分で操作出来ないなら黙ってなさい」と母に怒られていた。


私が高校で走ることを反対していた頃の父とは、まるで別人だ。


クラスの友達は、私と父の事情を聞いて「なんて身勝手な父親。そんなに反対して、今は手のひらを返したように応援して」と怒っていた。


でも、不思議と私は怒る気はなかった。それを聞いた友達は「澤野っちは人が良すぎる」とやっぱり怒っていたが……。


理由は簡単だ。今の環境が素晴らしいからだ。本当に偶然だが、桂水高校で女子駅伝部に入れて良かったと心の底から思っている。


だからこそ、このメンバーで都大路を走りたい。そのためにも、私が頑張らないといけない。


少し遠くに行っていた意識がまた戻って来る。私は軽く息を吐きながらタスキを握る。ここまで走って来た私の汗で、タスキは濡れていた。その汗の分だけ、タスキに自分の思いが加わっている気がする。


4人が縦一列で走っているのは先ほどから変わってない。


でも、お互いの差が少しずつ広がり始めていた。2位を走る宮本さんと3位の聖ルートリアの差が広がり始め、4位を走る私も必然的に宮本さんから離れつつある。


今ここで離されるわけにはいかない。私は意を決して聖ルートリアを抜き、3位へ上がると、そのまま宮本さんの横に並ぶ。


私の位置取りにより、縦一列だった集団がまた一塊になる。


4キロを通過する時、後ろからの足音が聞こえなくなった。

沿道の観客が私達3人を応援したのち、4秒くらいたってまた応援の声が聞こえる。


私はふと、ある日の練習を思い出す。


「湯川。さっき気になったんだが、タイムトライをやってる時に後ろを振り返るな。もちろんレース中もだぞ」


「え? なぜです?」

麻子は意味が分からないといった顔で、永野先生を見ていた。


「後ろを振り返るのは、余裕がない証拠なんだよ。追われたりする恐怖や、自分の体力に限界が近付いて来て、後ろが気になって振り返ってしまうんだ。でもこれは後ろの相手を楽にするだけだ。『あ、こいつ余裕がないな。頑張れば抜ける』と思われてしまう」


麻子は感心したように何度も頷きながら、永野先生の話に聞き入る。


「それでも後ろが気になる場合は?」


「まずは足音や呼吸が聞こえるか。聞こえるようなら、すぐ真後ろにいる。駅伝だと観客の応援する声だな。自分への応援から次の応援までの秒差が、相手との大まかな差になる。もしもそのどちらも分からなかったら、後ろを気にすることをやめろ。ひたすら前を見て走るのみだ」


質問した麻子に、永野先生は即座に返答していた。


つまり4位に落ちた聖ルートリアとは約4秒差。

多分これからもう少し離れていくだろう。


4キロ通過して200mもいかないうちに、先頭集団3人の中で順位変動が起きた。


宮本さんがついに先頭へと出たのだ。

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