82区 前夜のミーティング

今回の宿泊所も選手権と同じ古びた……。いや趣きのある宿だ。入口でまず最初に気付いたのは城華大附属の名前がないこと。てっきり今回も同じだと思っていた。


永野先生にそのことを話すと、あっさりとその理由が返ってくる。


「城華大附属は、駅伝の時だけは別の旅館を使うんだ。なんでも、この旅館が使えなくて別の旅館に泊った年に、都大路初出場を決めたらしくてな。私の時も駅伝の時だけはそっちの旅館だったぞ。きっとゲン担ぎなんだろうな」


永野先生の説明を聞き、チェックインをして部屋へと行く。偶然なのか、それとも永野先生が指定したのかは分からないが、選手権で泊った時と同じ部屋だった。


もちろん部屋割りもまったく同じで、永野先生と由香里さんで一部屋、私達全員で一部屋だ。


その後、全員で軽めのジョグへと出かける。明日が駅伝本番なので本当に軽く体をほぐす程度だ。帰って来ると永野先生が玄関で待っていた。


「お前ら、そのまま風呂入ってこい。もう旅館の人に許可は取ってあるから。風邪を引いてもらっても困る」


その一言を聞き、みんなでお風呂へ。そして、その後に夕食。食べ終わると永野先生達の部屋でミーティングとなった。



「よし、書けた」

麻子が満足げに頷き、私にペンとタスキを渡して来る。


この県高校駅伝は各参加校が自分達でタスキを準備することになっているそうだ。


永野先生は、ユニホームのランパンと同じ綺麗な青色に金色の文字で『桂水高校』と書かれたタスキを準備していた。都大路出場、つまりは1位が取れますようにと、文字を金色にしたというあたりが随分と粋な計らいだと思った。


タスキに思いを込めるため、一言書こうと提案したのは紗耶だった。全員それに賛成し、こうしてミーティング中に書いている。


タスキに書かれた麻子の言葉を見ると『一走不乱』と書かれていた。おそらく一心不乱をもじった麻子の造語なのだろうが……。なんとも微妙だ。


 私は『全力疾走あるのみ』と書いて紗耶にペンとタスキを渡す。永野先生と由香里さんを含め全員が書き終わると、永野先生が話し始める。


「常々言って来たが、うちは初出場だからな。失う物は何もない。とにかく積極的に攻めて行こう。後手に回る必要は全くない。挑戦者だと言うことを絶対に忘れるな。それと最後の一歩まで絶対に諦めないこと。私が実業団選手の時に出場したレースで、1位を走っていた選手がラスト100mで棄権したという例もあるからな。本当にレースは何が起こるかわからないぞ」


永野先生は全員に向かって力強く言葉を発したのち、今度は各個人と対話しながら簡単なアドバイスをしていく。


麻子はアンカーのせいか予想外に緊張していたし、紗耶も自分の走力を不安がっていた。


逆に久美子先輩は特に緊張した感じもなく、葵先輩にいたっては会話に割って入り、麻子と紗耶を励ます余裕を見せる。


私はというと、心の底から湧き上がるワクワクを押さえる方が大変なくらいだった。


『このメンバーで都大路をかけて戦える』と言う思いからなのか。それとも、生まれて初めて走る1区が楽しみなのか、理由は定かではないが……。


もちろん永野先生もそれを見抜いており、「澤野は遠足前日の子供のようだな」と笑われてしまう。


「なるほど。緊張すると胸がドキドキするっていうけど、聖香はその胸がないから緊張もないのか」

永野先生の言葉を聞き、「理解しました」とばかりに発言した麻子の頭を私は思いっきり叩く。


そもそも私がないのはバストであって、ドキドキの胸は……。

いや、悲しくなるのでこれ以上は考えないようにしよう。


「よし、じゃあ後は大和に任せる」

「え?」

いきなり指名され、葵先輩の動きが止まってしまう。


「こう言うのはな、上から指示を出されるより、お前達だけでしっかりと目標と思いを共有した方が心に留まるんだよ。大和もキャプテンとして思っていることあるだろ?」


永野先生は優しく笑うと、「さぁどうぞ」と手でジェスチャーしながら、葵先輩にその思いを話すよう催促する。


「まったく。綾子先生は……」

と文句を言いつつも、葵先輩は大きく息を吐いて私達を見渡す。


「うちがみんなに言いたいことは一つだけ。明日つなぐタスキは未来にもつながっていることを忘れないでね」


「未来ですかぁ?」

葵先輩の言葉に紗耶は不思議そうに首を傾げる。


「そうよ。うちと久美子はまだ2年生。つまり、ここにいる全員が来年も残るわけ」

「つまり来年は最強ってことですね」

麻子の発言に葵先輩は少しだけ苦笑いする。


「それが最強になるかどうかは明日の走り次第よ。都大路に行ける行けないは関係なくね。たとえ優勝出来たとしても、どこか手を抜いた走りをすれば、来年は油断が生まれてしまうと思うの。逆に負けたとしても、全員が一歩たりとも気持ちを切らすことなく走り抜けば、来年は良い結果が出せると思う。それに、来年の走りは再来年に、再来年の走りはさらに次の年につながるわ。未来につながっていると言うのはそう言う意味。桂水高校女子駅伝部は今から伝統を作って行くの。明日のレースは、これから積み重ねて行く伝統の土台となるのよ。来年の自分達のために、その先のまだ見ぬ後輩のために。明日はどんな状況になっても、一瞬たりとも気持ちを切らすことなく頑張りましょう」


葵先輩の言葉に「はい!」と声を揃え、私達は頷く。


「さすが大和だな」

まるで独り言のように永野先生はつぶやいていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る