62区 聖香の思い

服を着替え、みんなの所へと戻る。

私が帰って来たのを見つけるなり、麻子が目を輝かせながら近付いて来る。


「ちょっと聖香。あなたどれだけ速いのよ。断トツの1位じゃない! いや、もちろん聖香が速いのは知ってるんだけどね」


興奮のせいか、麻子は喋りながらどんどん私に迫ってくる。暑苦しいので、両手で必死に麻子を押しのける。


「うむ、本当に良い走りだったぞ。さすがだな。表彰が終わったら、しっかりとダウンをしとけよ」

永野先生の指示に返事を返し、さっそく私は表彰式へと出かける。


表彰式は、メインスタンド中央付近のフィールド部分で行われた。駅伝部のみんなも表彰台の真上まで来てくれ、私が賞状を受け取ると携帯電話のカメラで私を撮影していた。


そんなみんなに、私も笑顔で手を振る。


表彰台の一番高い所に登るのは一年振りだ。それも高校初レースでの1位。あまりの嬉しさに私は笑みが止まらなかった。特に、この一年間のことを考えると余計にだ。


父から高校での部活を反対され、推薦をすべて断り、陸上部のない桂水高校へ入学。

その時点では走ることをあきらめていたし、それは私にとって、生きる意味すら分からなくなるくらい暗い出来事だった。


だが、そこから女子駅伝部を見つけ、麻子に声を掛けられ、さらには生まれて初めて父と大喧嘩をして、駅伝部に入部。


そして今ここに立っている。


良き仲間と素晴らしい環境に巡り合えたことに、改めて感謝したい気持ちでいっぱいだ。


父も、最初は部活に対して何も聞いて来なかったが、私が熊本にいる姉の所から帰って来た辺りから、少しずつ色々と聞いてくるようになった。私も最初は聞かれたことだけを答えていたが、徐々に自分から部活での出来事も話すようになっていった。


今回も父は、「頑張って来いよ」と見送ってくれた。


もう一度一年前からやり直せるとしても、私はきっとこの道を選ぶだろう。

誰かに与えられたわけではない。自分の意志でつかみ取った仲間と環境。これほどまで素晴らしいものは、これから先の人生でも二度と手に入らない気がする。私にとって桂水高校女子駅伝部は、それほどまでに大きな存在になっていた。


だからこそ、このメンバーで都大路に行きたいと、最近は心の底から強く思う。


そのせいだろうか。表彰式が終わり、玄関ホールの隅に山崎藍葉が立っているのを発見した時「都大路は私達が行くから」という言葉が真っ先に出てしまった。


「澤野聖香、あなたは突然何を言い出すの? まずは、おめでとうの一言くらい言わせて欲しいのだけど」

藍葉の顔を見ると少しだけ拗ねていた。


「走る姿をみて安心したわ。走力は落ちていないようね」

「ちゃんと見てくれたんだ。ありがとう」

それを聞いた藍葉は苦虫を噛み潰したような顔で私を見る。


「ふん。私が自分の手で叩き潰したい相手が、勝手に自滅したんじゃ面白くないでしょ。ただそれだけよ。それと、都大路は絶対に渡さない。確かにあなたのいる桂水高校も良いチームだと思う。でも、それだけ。私達が負ける要素は何もないわ」


喋り終わると、私の方を振り返りもせずに藍葉はすたすたと歩いて行ってしまった。仕方ないので私もダウンをしてからみんなのところへと戻る。


あまりにもお腹が空いたため、戻るとすぐにバックからサンドイッチを取り出し食べ始める。大好きなトマトサンドだ。


「ちょっと聖香。何をしてるのかな」

一口目を口に含むと同時に、晴美が私の頭を軽く叩いて来た。含んでいた分をもぐもぐとしてから「お腹空いたからサンドイッチを食べてるんだけど」と晴美の問いに答える。


「それは見たら分かるかな。私が言いたいのは、北原先輩とさやっちの3000mがもうすぐ始まるのに……ってことかな」


晴美が笑顔で指差す先に眼をやると、3000mの3組目を走る選手がスタートラインに並び始めていた。


それを見て私は慌ててサンドイッチを頬張る。どうも思った以上にダウンで時間を消費していたようだ。


「まったく澤野は……。きちんと見とけよ」

「すいません。しっかり応援します」


「そう言うことじゃなくてだな……。いや、それも十分にあるんだが。この3組目に出ているメンバーが、ほぼ間違いなく県高校駅伝で1区に来るからな」


永野先生がプログラムを広げ、私にそのメンバーを教えてくれる。


城華大附属の宮本さんは前の県総体で見た。他にも聖ルートリア高校、泉原学院高校など、いくつかの高校名をピックアップして行く。確かにそのメンバーも、総体の時に見覚えがあった。


「それにしても綾子先生。なんで久美子と紗耶がこの3組目なんですか?」

オーロラビジョンに映った出走リストを見ながら、葵先輩が疑問を口にする。


「3000mで記録を出してもらいたいからだ。それには自分達より速い人間が多い方が良いだろう。それと、強豪校に対して恐怖心を持たないためにも、あえてこの組にしたというのもある。駅伝でいきなり対戦するより、一度でも対戦しておけば気持ちも違うだろうし。だから2人には、遠慮なくガンガン行って来いと指示を出しておいた」


あと一ヶ月半もすれば駅伝本番。駅伝部の私達にとって、まさにそれこそが部の存在意義と言っていいだろう。永野先生も色々と考えているようだ。

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