41区 由香里さんと永野先生

この5日間走りっぱなしだった私達にとって、バーベキューは普段以上に美味しく感じられた。麻子にいたっては、美味しすぎて泣きそうになると熱く語っていた。


「あぁ、飲み過ぎた。由香里、トイレって奥にあったわよね」

少しだけ顔を赤らめた永野先生が独り言のようにつぶやき、海の家へと消えて行く。


それを眼で追っていた由香里さんが急に私達の方に寄って来る。


「ねぇ、実際どうなの? 綾子って、ちゃんと教師が務まってる?」

まるで自分の娘を心配するような口調で、由香里さんが私達に質問をして来る。


「はい。とてもいい先生ですよ。うちと久美子は部活だけでなく、授業も習ってますが、非常に分かりやすいです。部活も凄く熱心で、1人1人をきちんと見てくれてますね」

葵先輩の説明に全員が頷く。「たまにセクハラしますけど」と言おうとしたが、私は口を開かないでいた。


「そっか。頑張ってるんだ綾子。安心した。正直、あの綾子が教師っていうのがいまだに信じられないのよね。どっちかと言うと、ランナーのイメージがすごく強いし。私達が高校3年の全国駅伝なんて、アンカーを走ったんだけど、9位でタスキをもらってどんどん抜いていって優勝しちゃったし。まぁ、社会人になってから色々あって、大変だったのも事実だけどね。綾子が実業団を辞めて帰って来て、すぐに会いに行ったの。そのころは私もまだ実家にいたし。そしたら……、自分の部屋で大泣きしてたのよね、綾子」


その時のことを思い出したのだろうか。由香里さんは、少し黙ってしまう。


「なんて声を掛けて良いのか分からないぐらい、落ち込んでてさ、綾子。結局、私が家に行ってもずっと泣きっぱなしだったわ。それから一週間経ったくらいかな? いきなり高校教師になるって言いだしたのは……。その後は、何かに目覚めたように勉強を頑張って。ちょっと時間はかかったけど、無事に大学にも受かって、本当に教師になったってわけ」


そこまで喋ると由香里さんが私達の方をじっと見て微笑む。


「これからもよろしくね、綾子のこと」

由香里さんの言葉に、私達は笑顔で頷いた。


「由香里、花火やっていい?」

トイレから戻って来た永野先生は、どこで見つけたのだろうか、両手に山のように花火を持っていた。


「もう。せっかくの良い場面だったのに。いいわ、好きにやりなさい」

由香里さんが言うやいなや、永野先生は砂浜へと走って行く。

私以外の部員も我先にと続く。


「その代り、綾子の自腹だけどね」

まるで秘密を打ち明ける子供のように小声で由香里さんがつぶやく。


驚く私の顔が面白かったのか、由香里さんはにやりと笑っていた。


結局、永野先生は、駅伝部のみんなが遊んだ分を含め、由香里さんから計3万円を請求されていた。最初は「聞いてない」と必死に抵抗していたが、「あれ、売り物の花火よ」と言う由香里さんの一言にどうやら観念したようだった。

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