ありふれた幸福のある風景

 いつものように、微々たる狂いもなく車はガレージへと吸い込まれていく。私の視界が、ガレージの象牙色を捉え、そこでリクライニングを起こした。頭からガレージに入ったのは、出てすぐ右にあるドアから家に入るためだ。とはいえお尻から入れることに慣れていたので、まだ一瞬これでいいのか、ガレージから出づらくはないかと考えてしまう。少しずつ、ハンドルに触れる時間も減ってきたが、まだ落ち着かないというのが本音だ。頭ではわかっていても、どうしても心の奥で信頼しきれず、走行の際に集中力をはらうところがある。おかげで、見ようと思っていた録画したドラマがまた家で見直しになってしまう。とはいえ、夕暮れの帰り道では逆光を浴びてディスプレイが見づらいことが多いし、自動運転車でもヘッドホンの類はしてはいけないと法律で決まっている。渋滞する高速道路や、狭い市街地で周りのエンジン音や生活音を聴きながら鑑賞するというのも好みではない。

 シートベルトを外し、車から出ると自動で車のドアが閉まる。目の前にある、茶色いドアに掌をかざす。掌紋センサーが反応しカシャッと音が鳴り鍵が開く。同時にドアの隣に置いてある、ガレージのそれによく似た象牙色の、クーラーボックスを縦に置いたような長方形のカプセルが開いた。ああ、まだ妻は帰っていないのか。中から出てくる青年をまじまじと見つめる。身長は私より少し高い、180cm程度であろうか。ドラマで主役を張ってもおかしくないような端正な顔立ちだ。半袖のTシャツからのぞく腕は程よく筋肉がついていて、これは妻が業者に要望しておいた通りであった。数秒たち青年が、正確には青年という表現も違うのかもしれないが、目を覚ます。


「おはよう、今日から一週間よろしく」


その言葉とお辞儀に青年もお辞儀をする。車のキーを渡すと青年は何も言わず助手席からスーパーで買ってきた食材と仕事用の鞄を手に取る。今日は交換の日だったからお願いできなかったが、明日からは彼が買い物をしてくれるからその必要もないだろう。ドアを開けようとすると閉まっている。ああ、この間にまた鍵がかかってしまったようだ。セキュリティというのは重要なものだが、不便なところもある。手は空いているのでまた掌をかざす。靴を脱ぐと彼が即座に直してくれた。私が手を洗いまっすぐ居間に入ると彼はうやうやしく後ろをついてきた。鞄を私が座ったロッキングチェアの脇へ置くと、私が渡した上着をかけ、食材を持ち台所に向かった。水音を聞きながら、私は一旦ロッキングチェアに体を沈める。もう古いからか、体重を預けた際にギィと音がなった。今日は長年の顧客が急に投資のプランを変えたいというのでそれに追われているうちに一日が終わってしまった。そんな日に自分がスーパーの当番だったこともありすっかり疲れていて、テレビが自動で先ほどのドラマのアバンタイトルを流しているのもぼんやりとしか脳で捉えることはできないでいた。包丁の音と女優の叫び声、 それにうめき声のようなものが、その音がどの方向から届いているかさえわからなくなっているまま混ざり、ああ、そういえば前回のラストシーンから女性キャラがゾンビに追われているんだと思いつつ、まどろんでいた。

 アンドロイドの普及と技術の向上というのは予想以上に早く、人間と見まごうかのような見た目と体つきのアンドロイドが量産できるようになった。私がその方面の企業に強い同僚から聞いた話によると、昔からそういうアニメや映画が好きだったある新興企業の創業者が多額の投資をしたこともあったという。その企業が運送会社と共に作った会社が、世話用アンドロイドのレンタルサービスを始めたのだ。もちろん実際にアンドロイドを購入をして毎日同じアンドロイドと暮らしたいという人もいるが、初期費用と月々利用料だけで済み、メンテナンスの手間もなく、合わないと思ったらすぐに違うタイプと変えたり、飽きないように定期的に変更することもできるレンタルサービスはアンドロイドの利用法として一般的なものとなった。私たち夫婦も半年前から一週間に一度アンドロイドを交換するという形でこのサービスを利用している。私も妻も仕事が忙しく、2人の息子も大学へ行くために外国で一人暮らしをし、長男はすでに働いているから家のことは人手が足りない。昔は家政婦を頼んでいたこともあったが、夫婦ともに新しもの好きであることと、人間より機械のほうが頼みやすいことも多いだろうということで話し合った結果そうなったのだった。実際、私達は満足している。今回は妻が望むので逞しい男性型アンドロイドに来てほしいと担当者に連絡をしておいた結果、彼がやってきたのである。家政婦ならこんな簡単に交代を切り出すこともできなかっただろう。

 乳製品の匂いに、おぼろげだった意識が急にはっきりとする。テレビは私のうたた寝をセンサーが読み取って停止されていた。まあ、また見なおせばいい。エプロンをしたアンドロイドがテーブルへ皿を置き、台所へ戻っていく。夕食の準備はもう終わっていたらしい。ということは30分以上経っていたということなのだろうか。欠伸をしながらテーブルへ向かう。彼が冷蔵庫のミネラルウォーターとグラスを持ってきてくれた。


「ありがとう」


 彼は軽く会釈するだけですぐに台所へ戻る。洗い物をして、妻の分を戸棚に入れておいてくれるのだろう。テーブルには白い皿にクリームシチューと、今日買ってきたきゅうりとパプリカのピクルス、そして茶碗一杯のご飯が置かれていて、私はそれを見て喜んだ。ちゃんと学習データの引き継ぎはできているようだ。私たち夫婦は、こうしてクリームシチューをご飯と一緒に食べるのが好きなのだ。初めて来たアンドロイドが、クリームシチューとパンを一緒に出してきて、今度からはご飯と出すようにと言ってからはそのデータが蓄積され引き継がれ、何度アンドロイドを交換してもらっても必ずクリームシチューには茶碗一杯のご飯を置いてくれようになったのだ。私はスプーンでまずクリームシチューを口に運ぶ。クリームの優しい甘さと、ほんの少し粉が残ったような食感に、私はとても満足した。料理は少しずつおいしくなっているように感じられる。データが更新されているか、アンドロイドの性能自体が向上しているかは私にはわからない。続いてこれをご飯にかけて食べる。白いご飯の湯気を、白いクリームシチューが包み、色合いは全く変わらないが、具の人参が赤みを与えてくれ食欲を誘う。人参をうまく下ごしらえをしてくれたようで柔らかく甘みもあり、鶏肉の弾力が歯を喜ばせ、もちろん肉の旨味がシチューの味によく染み込んでいて、一気にご飯をかきこむ。こんな行儀の悪いことは家でしかできないだろうし、家であったとしても人間の家政婦が仮に見ているとしたらやはりシチューをパンで食べるか、ご飯を並べるにしても分けてスープのようにしながら食べることになるだろう。気遣いをしなくていいというのも機械のいいところだ。

 食べ終わった食事をそのままにして席を立つと、アンドロイドがすっとその皿を運んでくれる。妻が帰ってきたら、妻の食事も食事も終わったところで一斉に食洗機にかけてくれるだろう。本来なら妻とも一緒に食べたいものだが、私立高校の教頭をしている妻はどうしても帰りが私より遅くなりがちだ。しかし、2人で頑張って来たからこそこのようないい家で生活ができるというものだ。居間は妻の好みに合わせて物が少なく、殺風景と思う人もいるかもしれないが実際に暮らすにはこれくらいの方がいい。少しずつ体力も落ちてきているし、物が多いと整理するのも把握するのも大変だ。もちろんアンドロイドに片付けてもらうということもできないわけではないのだが。とはいえ、私はこの何の飾り気もない白い壁の部屋を好ましく思うし、父が死んだ時に実家から引き取ったあのロッキングチェアの、年季を重ねた美しさが、むしろこの飾り気のなさによって引き立てられているように感じるのだ。本音を言えば暖炉が欲しいのだが、費用もかさむというので仕方ない。私はそのまま洗面所へ向かい、今日の昼引き取られていった前のアンドロイドが用意していてくれたタオルとバスローブを確認するとシャワールームへ入った。

 シャワーを終え、寝室へ向かう階段を上りながら私は前のアンドロイドのことを思い出していた。女性型だった。これは私の要望であった。白と黒のツートーンのメイド服を着ていて、とてもかわいらしく、今回のアンドロイドと負けず劣らずよく働いてくれた。もちろん、データが引き継がれているから同じように働いてくれるのも当たり前なのだが。肌も要求したとおりに白く透き通っていて、感触もよかっ たのを鮮明に覚えている。それにしてもここ数年この十数段の階段に疲れを覚えるようになってきた。40代も半ばを超えて、少しずつ体にも衰えが出てきた。将来的にはホームエレベーターをつける必要があるかもしれない。ただそうなるとまた暖炉への道は遠ざかってしまうし、これからさらに優秀なアンドロイドをレンタルしたり、あるいは気に入った個体を買い取るなどとなった時にはさらに負担がかかるかもしれない。ただ、この前読んだ経済新聞に、介護用であればアンドロイドにも保険が適用されるようになる可能性がという記事があったので、期待したいものだ。そんなことを考えている間に私の寝室についた。ここはもともと長男の部屋であった、子どもが独立した時に、許可をとって部屋を空け時に寝室を分けたのだ。とはいえ別に夫婦の仲が悪くなったとかそういうことではない。互いに帰る時間も違うし、帰る前に寝てしまうこともあるので、その方が気兼ねなくいられるだろうということだ。

 部屋に入ると、ここは私の趣味あって、少し散らかっている。それをアンドロイドが整理していた。改めて私は、アンドロイド、まあ男性型なので「彼」と言ってもいいだろう、「彼」の立ち姿を見た。先ほどとは違って脱ぎやすいTシャツとスウェット姿になっている彼は、力のある男性というだけあって筋肉が程よくついている。これは妻の好みがそのまま反映されているのだろう。そうしている間にも彼の手が本棚に伸びた。ああ、そうだ、この前も注意しそびれていたのだ。


「あ、本棚は触らないようにしてくれ」


 彼はその言葉に手を止め、声も出さず一礼した。声を出さないようにというのも、依頼して設定してもらっている。実際には機械合成とはいえ本物の人間と区別がつかないような声を、これも人間と紛うようにスムーズに会話してくれるのだが、やはり私は古い人間なのか機械が話しているのは受け入れがたい。スマートフォンの音声ガイドも好きじゃなくて使っていない。


「じゃあ、お願いね」


 私にあまり埃がつくのも嫌なのでそう言うと、彼はベッドへ腰掛ける。私はそれを見てからバスローブを脱ぎ、彼の口の前に仁王立ちする。彼は表情を一切変えることなく私の男性器を口へと運ぶ。下腹部にいつもと同じようなくすぐったさと快感が滲み出す。このあたりも過去のデータをしっかり引き継いでいてくれるらしく、私は膝が少し落ちそうになるのをこらえながら私好みの奉仕に身を任せていた。視線を落とすと、何も感じていないかのように、もちろん実際に何も感じていないのだろうが、ただ咥えている彼の表情が見える。豊かな筋肉があるために意識はしていなかったが、目は少年というより最早少女という方が合っているような大きく丸い二重まぶたで、そもそも口でしてもらっている時は相手がかわいく見えやすいものだが、それを差し引いてもとても魅力的に感じられた。そのあたりもデザインの際に工夫がされているのだろう。数分ほど咥えたり舐めたりしたあと、彼は口を離した。口から抜ける際の感触にまた立ち姿勢が崩れそうになるが、それを抑えて、彼の腰に手をかけ下のスウェットを脱がす。彼は相変わらず表情一つ変えていない。もちろん設定すれば恥ずかしがったり、嬌声をあげたり、逆にこちらを脱がさせることもできるのだが、私はこのように、まるで事務的でさえあるようなする方が気が楽だ。やはり機械には機械でいて欲しいのだし、きっと私にとってこれは愛とかそういうことではなく、あるいは、一瞬でも現実をわすれるための儀式のようなものなのだろう。彼のスウェットを脱がすと男性器がむき出しになっていた。私には必要のないものであると学習しているので彼のそれは勃起していない。私はその様子を見てから彼の肩をとんと押すと、彼は敷布団がたたまれてあるベッドへ仰向けになった。白いシーツが彼の締まった筋肉を引き立たせるように輝いて、私はその姿に、これもよく思うのだがこのアンドロイドたちは本当は人間じゃないのかと思わさせられる。もし、彼が人間であったら、自分や妻がしていることは奴隷を扱うようなことだ。許されるはずがない。そんなことを考えた時は、また彼の顔を見るようにしている。彼はもちろん表情一つ変えず、私の動向を見守っているかのようであった。その表情が、私を安心させてくれる。こんな状況で恐怖や、あるいは逆に快感を覚えているような表情が出ないというのは人間では考えられない。これは機械だ。だからこんなことしても問題にはならないのだ。私は安心すると、あまり葛藤をしている間に小さくなってはいけないと、彼の左の膝に右手をかけ、足を開かせた。彼の小さいままになっている男性器の下に空いている女性器に近い形の穴へ自分の男性器を挿入した。これも人間ではありえない、機械ならではの穴だ。男性型アンドロイドには男性器の下に挿入用の擬似女性器がついている。これはそういうマンガにあった描写を元にしたらしいが詳しいことはわからない。もちろん、女性型には擬似男性器がついている。それは女性器、取り外し式になっている。入った瞬間、いつもよりも暖かいと感じた。これが擬似女性器に変更があったのか、あるいはアンドロイド自体が発熱しているのかはわからないけれども、私はこれは好ましいと感じた。腰を動かしてみると、湿り気もいつものように適度で、感触もいい。そのまま動いていると、少しずつ下腹部から全身に気持ちよさを感じ、体が上気していくのを感じた。もちろん彼はこの時にも表情を崩していない。それを見てまた安心した私は腰を動かしつづけながら部屋を見回していた。先ほどの本棚には、最近は電子書籍もあり、何より老眼も始まってきたせいであまり読まなくなったが、私が20代や30代の頃に流行っていた小説や、妻と結婚した頃に一緒に行っていたキャンプや釣りなどのアウトドアのガイドブックが並んでいる。互いに忙しいが、また時間を見つけていくのもいいかもしれない。ベッドの脇には長男が独立する前に撮った家族写真が立ててある。この前送られてきた今の息子たちの写真と比べるとまだあどけなさを感じる。子どもというのは数年でも随分変わってしまうものだ。ふと、右を向きクローゼットを見てみる。確かこの中には子ども服がまだ入っていたはずだ。そこにはアルバムと、そういえば子どもに昔やってみるといいと言って半年ほどさせていた新聞のスクラップもあるはずだ。この部屋には私と家族の歴史が詰まっている。それは、ささやかな幸せかもしれないが、とてもかけがえのないものであり、こうやって部屋を見回す度に、私はそれを改めて思い知るのだ。

 そんな自分の思考を快感が邪魔をした。気づけば少しずつ腰が速くなっていき、男性器のあたりにはまるで全身から少しずつエネルギーを吸って集めたような塊が、すでに出る準備を始めていた。こうなると早く出してしまいと言う気持ちが出てきて、より動きを速くすることに心身を傾ける。そうすると自然と彼と目が合う。その、少年のような顔立ちが、気のせいかほんの少し赤みを帯びているように感じられた。しかし彼は、まるで、何かを諦めたかのように、もちろん機械が何かを諦めたなんてことはないのだろうが、表情を変えようとはしない。私はそれを見ていると不思議と興奮が強まり、さらに動きを激しくしていき、それとともに湧き上がったエネルギーがさらに男性器に向けて流れていく。少し集まりすぎているとかんじるほどだった。もう部屋や家族のことなど気にもならなくなっていた。中も先程より湿り気を増していように感じられた。これは新しい機能なのだろうか。やがて、エネルギーが限界に達しているのを感じると共に、


「あ、あ、あ」


と声にならない声が出てきて、そのまま出した。私は意識を失うほどではないものの、視界と認識に白が混ざっているかのような感覚に襲われ、何度か腰を押し出すようにしながら残りを出すと引き抜き、そのまま彼が寝ている隣へとうつ伏せに倒れこんだ。彼はそれを見て立ち上がるとティッシュを取り出そうとする。私は、


「いいよ、自分の掃除をしなさい。あ、その前にクローゼットの奥に子ども服って書いてある段ボールがあるからそれを出しておいてくれるかな」


と一言注げると、手際よく段ボールを取り出しベッドの隣に置くと、到底セックスをしたあととは思えないほどあっさりと軽い会釈だけをして去っていった。これから浴室で擬似女性器を取り出して掃除するのだろう。そして妻が帰ってくれば妻の夕食を温め、その後今度は男性器を大きくさせて、妻の相手をするのだ。私達はここ数ヶ月、ずっとこうして過ごしている。気がつくと仕事の疲れやイライラはだいぶ収まっていた。今日の話をするのは、妻が終わってからでいいだろう。その方が妻も機嫌が良い。妻とセックスすることはほとんどなくなってしまったが、こうして私達夫婦は前よりも穏やかに過ごせるようになった。これもアンドロイドが来てくれたおかげである。

 久しぶりにと思っていたのだが、もう段ボールを開けて中の子ども服を見ようという気はなくなっていた。その、引っ越し屋さんからもらった大きな段ボールと、妻が書いた文字だけで十分だった。今はそれを見ながら、少しウトウトとしていたい気分だった。ふと、自分の子ども時代が浮かんでくる。子どもの頃は、野球選手になりたいと思っていた。今はそれとは遠い仕事をしているが、それでもこうやって家族もいるし、家もある。お金だってそこそこあるし、こうやって世話してくれるアンドロイドまでいる。ささやかな幸福を噛み締め、充実した気分でいた。意識の奥に、1階のドアが開いた音がした気がした。

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