権利に関する話
迷ってはいられない、これにしよう。
私は、餓えに苦しむ海外の子どもたちに食事を届ける活動をしているNGOのホームページを見ていた。サイトの表紙に映る、アフリカだと思われる子どもたちのやつれた表情はいかにも悲しいものであり、少しでも貢献したいと思わせるには十分なものであった。そして何より、私には寄付先を厳選している時間がない。これは慈善とか偽善とかそういう問題ではない。私の権利の問題なのだ。
資産の管理をしてもらっている会計士に連絡すると、書類の関係で直接来て欲しいというので早速タクシーをマンションのコンシェルジュに頼んだ。その間スマートフォンを見ると、今日は円高が進んでいるという。しかし、それはあとで確認すればいい。これは緊急事態なのだ。まさか、あの転売用に抑えておいたマンションの価格がこんなことになるなんて思っていなかった。上着を羽織り、財布を取ると、都合よく内線電話が鳴った。
一階へ降りると、コンシェルジュが深くお辞儀をして待っていた。私は「ありがとう」と一言告げる。案内しようとする彼を、とにかく急いでいるのでそれを制して早歩きで自動ドアを出ようとした時、急に背中に強烈な痛みを感じ、その痛みが瞬時に血が混じった嘔吐と共に身体を駆け登った。そこまでだった。
コンシェルジュはその姿を見て笑っていた。住人と関わることが多いので、なんとなくその住人の置かれている状況や、どれだけの資産を持っているかもわかる。そもそもこのようなマンションに住んでいるという段階で相当な蓄えはあるわけだが、この男が最近急激に資産を増やしていて、それに焦っているということは一目瞭然だった。そして、今日慌ててタクシーを呼んだのは、ここ数日のマンション価格の高騰で、ついに一線を超えてしまったのだろう。私はそんなことを考えながら彼のサイフからプラチナカードを三枚取り出た、ブラックカードがないのは意外だったが、まあいいだろう。そんなことを思いながらコンシェルジュは警察に電話した。
「なんで、私が送検されるんですか」
コンシェルジュは、取調室でそう叫んだ。中堅の刑事が、やれやれといった表情を一瞬浮かべてから、コンシェルジュを睨みつける。
「まずさ、あんた人を殺したことに関して、反省とかないの」
「え、だって、あいつは」
「まあ憲法も法律も変わっちゃったから、そういう気持ちもわかるけどさ。でも、人間としての理性みたいなものがあるだろうよ」
刑事はそう言いながら、先ほど部下から渡された書類を見せた。
「ほら、あんたならこれの意味わかるでしょ」
コンシェルジュはその書類に並んだ数字を見て、絶句した。
「え、それじゃ」
「そう。あんたも権特法の隙間を狙ったんだろ。でも、そううまくはいかなかったわけだ。これもよくあることだな」
権特法、諸権利の公共的観点に基づく特別制限法が制定されて、もう2年になった。持つものと持たざるものの格差は、多少累進課税を強化した程度ではどうにもならず、ついに、一部の超富裕層に関しては資産を完全管理し、年に一度改定される基準値を上回った場合公的には人権を認めず、自らで自分の権利を守らなければならないということにし、それによって大きすぎる格差を縮めることにしたのだ。選挙権や被選挙権を失い、公的な年金や保険からも排除され、犯罪にあっても加害者が罪に問われることもない。それにより、民間の年金や保険を何重にもかけたり警備の人員をかけることで雇用や経済効果を生んだり、資産を減らし基準値を下回るために寄付をしたりなどするようになった。しかし、実際に資産が増えてから、その超富裕層が権利を失われてからの準備をする間が「法の隙間」と呼ばれ、殺そうとしたり強盗を働こうとする人間が続出するようになった。今回殺された被害者も、寄付をすることで資産が基準値を下回るようにしようとしていたところ、コンシェルジュによって殺されてしまったのだった。
「資産が」
「そう、本人も気づいていなかったみたいだがな、基準値を超えてなかったんだよ」
「なんでそんな勘違いを」
「その日、急激に円高になってね」
「円高って、まさか」
「そう、彼は多額のドル建ての預金を持っていてね。それが大きく目減りしていたことに気づいていなかったのさ。不運なものだね。彼がそれに気づいていれば死なずに済んだし、君も殺人者にならずに済んだのにね」
コンシェルジュは声を出すこともできず、ただ顔を伏せた。
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