vivreー黒い翼ー

すずね ねね

1章 des magouilles

冒険者

 彼は低い唸り声を上げ、眼前に悠然と佇む女を見上げた。滴る血が、横たわるかつての仲間が視界を掠める。全身を走る痛みを忘れ立上れと己を奮い立たせるが、流しすぎた血に身体は言うことをききそうもなかった。

 誇りを胸に死ねるのならば、種として本望だった。だが、これはどうだ。

 突如として「楽園」を踏みにじり、彼の「家族」を無情にも八つ裂きにされ。

 尊厳ある死とは程遠い、一方的な仕打ちではないか。


「……さすがにこれだけ集まればいいか」


 女の科白であった。

 女が右手を掲げると、彼の仲間の亡骸が虚空へと吸い込まれていく。亡骸だけではなく、彼のように傷つき動けないものたちもだ。


「悔しいか? そんなに悔しいのなら……一つ贈り物をやろう」


 割れた月のような笑みで。女が嗤う。

 闇色の魔法陣が彼の周囲に浮かび上がり、急速に魔力が収束する。

 全身の骨という骨、全ての筋肉が悲鳴をあげ……そして、彼の意識もまた闇の中へと落ちていった。



+++++++



 穏やかな日々など無縁だった。

 傭兵、冒険者、何でも屋。


 呼び方は違えど、例えば街角にありふれた暖かな団欒や、当たり前に与えられる教育、ふと忘れ去りそうになる「幸福」とは、真逆の生活。

 血と錆と欺瞞と死。泥を啜ってでも、ただ生きる為だけに足を踏み出す。


 どんなに欲しいと願ったところで、それは空のように限りなく遠く。ただ無情な現実がのし掛かるだけ。



 茜色の空が石畳を照らす頃、スイング式のドアを開いて室内に入ってきた青年を、脂汗を額に滲ませ丸々と肥えた腹をした男は一瞥した。

 特に珍しいことでもない。度重なる戦争や紛争で、この青年のような身寄りのない者が辿るのは大方二つの道だ。


 奪うものか、奪われるもの。


 青年は前者で、後者は弱く無力故に屠られるか、運が良ければ孤児院に引き取られる。

 よしんば孤児院に引き取られても、それが「幸せ」であるかはまた別の話であるが。


「終わったのかい」


 脂臭い汗を拭いながら、男は青年に声をかけた。

 青年は頷くと、王立騎士団の印章が捺印された書類を目の前にぶら下げた。


「上出来だ。これはお前の取り分だ」


 男から差し出された金貨の袋を確認する。

 中身は確かに間違いないとわかると、青年は書類を男に渡した。


「ごくろうさん。次の依頼もいくつかあるが、どうする?」


「いや、今はいい。また明日来る」


「そうかい。まぁ次も期待してるよ」


 男はそれきり、カウンターの奥で書類を整理し始めた。青年は肩を竦めると、さっさと男の店を後にした。


スラムの入り口付近にあるこの店は、所謂冒険者ギルドの役目を果たしていた。

 冒険者ギルドというのは、迷い猫探しから伝説級の魔物討伐まで幅広く扱うが、身分が割りと確かな者や、冒険者それぞれのランク毎に受けられる依頼が限られるなど、細かな誓約が多い。

 ものにもよるが、高難易度と思われるものほど報酬も上がり、何人かでパーティを組まなくてはならない場合もある。


 青年のような「世間のはみ出しもの」は、大抵低難易度の依頼か、そもそも依頼自体受けられない事もある。

 そんな人間達のためというわけではないが、これまた表に出せないような依頼が集まるのが、先程の男が営業するもぐりのギルドだ。


 合法的な冒険者ギルドとは違い、報酬も桁違いなかわりに危険度も最高峰ということも多い。

 それでも青年のように、それで食いつなぐ人間はかなりの数がいる。


 中には国家の秘匿に関わるような依頼もあるというのだから、世の中何があるかわからない。


 青年はスラムの入り口から表通りに足を向けていた。

 スラムから一本通りを出てしまえば、それまでの陰鬱で寂しげな雰囲気は成りを潜め、かわりに賑やかな喧騒が辺りを包む。

 夕飯時の街中はどこも暖かな光が漏れ、青年はそれをどこか遠くに見つめながら暮れゆく石畳を歩んでいた。どこか遠くで、子供たちがはしゃぐ声が響く。

 どこかもの寂しさを覚える風景にも、青年が足を止めることはなかった。

 自分には関わりのない世界なのだと、理解しているからなのか。


 ふと湿り気を帯びた風が、青年の漆黒の髪をさらう。

 瞳はエメラルドのように澄んでいたが、その表情もまたスラムとかわらず陰鬱で、この世の美しいものなど何一つ映してはいないのだった。



+++++++



 青年が滞在しているのは、レイダリアという国の首都の、そう大きくはない宿屋だった。

 大きくはないわりに盛況なようで、そこそこ評判もいい。高級宿とはいえないが、青年のような素性の知れない人間も泊まれる場所の中では、最高級と言っていい。


「いらっしゃ…あら、おかえりなさい」


 青年が宿屋の扉を開くと、宿帳のチェックをしていた少女が顔をあげた。

 オイルランプの灯りに照らされた金髪、そして緋色の瞳。白と水色のストライプのエプロンをつけた彼女は、青年から外套を受け取りつつ微笑んだ。

 年の頃は18くらいだろうか。人好きしそうな懐っこい笑顔で、看板娘らしい振る舞いだった。


「…その、おかえりとは?」


 大人しく外套を手渡していた青年が、ふと疑問を口にする。少女は照れくさそうに笑うと頷いた。


「ふふ、うちの宿に泊まってくれた方にはそう言ってるんです。あ、私ヴァレリーって言います」


 少女の名前は、ヴァレリー・ボードレール。宿屋の看板娘で、昼間は王立の魔術学校に通う傍ら、こうして両親の宿屋も手伝っている。

 働き者で勉強熱心。宿屋の客の中には、彼女目当てのリピーターも多いのだが……そんなことは青年にはどうでもいいことだった。


「えっと、ルーさん? でしたっけ。お食事はまだですか? そろそろ食堂も開けようかと思ってたんで、良かったらどうぞ」


 ルーというのは勿論偽名なのだが、彼は頷いた。

 ヴァレリーに伴われ食堂に足を踏み入れる。質素ながら、幾つかの丸テーブルとカウンター席が用意された食堂だった。当然ながら、まだルーの他に客はいない。

 もう少し遅い時間になれば、宿泊客だけではなく、街の酒飲み達が立ち寄るだろう。


 ルーは手頃な席に座ると、パンと肉とスープを注文した。

 ヴァレリーが笑顔で食堂を後にするのを見届けると、青年は何枚かの金貨をテーブルに置いた。


 暫くすると、ヴァレリーではなく宿屋の女将が食事を運んでやってきた。

 ルーは用意してあった代金よりも少し多い金貨を女将に渡す。

 チップなのだが、大抵の商売がわかっている人間はその意味するところを理解する。

 余計な詮索も、自分を探る者への無用な情報提供もするな、ということだ。


 女将はごゆっくり、とだけ言うと、さっさとその場を離れてしまった。


 ルーがレイダリアという国へやってきてから2週間。

 この宿は女将も主人も余計なことを差し挟むこともなく、ルーにとっては都合が良かった。

 そもそも、レイダリアの首都である王都ガレイアは、歴史も古くスラムこそあれど戦争や紛争による孤児が少なく、また数少ない孤児などは能力さえあれば王立の騎士団や学院が引き取り、国に登用している。

 そのスラムも、ほとんどが国外から流れてきたものが王都の目を掻い潜り不正に住んでいたり、ごく一部の性根の腐った貴族に飼われる悪党だったりするのだ。


 騎士団が大々的に鎮圧に乗り出さないのは、その悪党と国外からの移住者の区別が尽きにくいことにある。

 いくら不正に入国しているとはいえ、下手に弾圧すれば諸外国に戦争をする理由を与えてしまう事になりかねない。


 当代の国王はそれに頭を悩ませ、やむ無くスラムの存在を黙認している形だ。

 だからこそ、ルーのような人間もこの王都ガレイアで生活することができるわけだが。


「ルーさん、お食事終わったんですか?」


 ぽつらぽつらと客の入り始めた食堂から出ると、宿の入り口にあるカウンター越しにヴァレリーが声を掛けてきた。


「ああ」


「そうですか……」


 何か言いたそうに俯くヴァレリーに、青年は気がつかないふりを決め込む。元より住む世界が違う以上、無闇に関わるのはお互いのために避けるべきだ。


「あの!」


 立ち去りかけたルーの背に、ヴァレリーの思い詰めた声が追いすがる。


「何か用か?」


「あの……。魔術学校からの課題がどうしてもクリア出来なくて。よければ、お手伝いしていただけたらと……。ルーさん、冒険者、ですよね?」


「魔術の事は街のギルドで魔術師にでも聞けばいいだろう」


 青年のアドバイスはもっともなことなのだが、ヴァレリーは首を横に振る。


「違うんです、課題というのは実技で、ギルドで二人以上のパーティを組んで、ある依頼を達成しなくてはいけなくて」


「学校の友人と行ったらどうだ。もしくは、ギルドで誰か募集するとか」


「私は魔術師で、友人はヒーラーなんです。残りの前衛職の方をギルドで探してみたんですけど、私達のランクが低いからとお断りされてしまって」


 ルーは眉根を寄せた。ヴァレリーを助けるメリットは全くない。

 だが、断ればまだ数週間この街に、というかこの宿に滞在する以上やりにくくなるのも事実だ。

 暫し考えて、ルーは溜め息をこぼした。


「……依頼、という形でなら協力してやってもいい」


「ホントですか?!」


瞳を輝かせるヴァレリーを遮るように、ルーは右手をあげた。


「ただし、いくつか条件がある。それがお前もお前の友人も飲めないというなら、この話は無しだ。いいな」


「もちろんです! ありがとうございます!」


「じゃあ、明日の夕方お前の友人とやらも連れて俺の部屋に来い、ビジネスの話はそれからだ」


 言い捨てて踵を返す背に、ヴァレリーは何度も嬉しそうに手を振りながら礼を言っていた。

 ゆっくりと回り始めた運命の歯車の音に、気がつかないまま。

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