第3話 グレゴリウス

(どちらかと言うと分類はお魚なのかしら?)


 


 アギレウスに背負われたリリィは、想像通りぬめっとした彼の触感にそんな感想を抱いた。


 あの後、排尿を見られた恥ずかしさから石を投げ続けたが、最初の一投以外全くと言っていいほどあたらなかった。


 彼は、「オラがワリガったケンど、イタイのはカンベンダベ」と言いながら、手にした刀を抜くと向かってくる石をすべて真っ二つにしてしまった。


 素人のリリィからみても、とんでもない技量を彼が持っていることがわかる。


 呆気にとられたのと、なんとなく毒気を抜かれたのも相まって、足が折れて歩けないことを伝えると、有無を言わさずに背負われたのだった。




 素肌に張り付くぬめりを全身で感じながら、そういえば〝拭いてなかった"などと思いリリィは恥ずかしいやら背中を汚して申し訳ないやらで、赤面した。


 その反面、リリィはそういった感情の動きがまだ自分に合ったことに驚いていた。


 バージェスの元にいた時、最初こそ激しい感情の波に襲われていたが、最近では何をされてもまるで人形のように何も感じなかった。


 故に、自分は凡そ人として必要なものを根こそぎ無くしてしまったのだとすら思っていた。


 その抑圧から解放され、僅かながらにも意志ある生物との邂逅により、徐々に人間性を取り戻しつつある事にリリィは驚きと、少しの戸惑いを覚えてたのである。




 だが――




 首元の冷たい感触を思い出し、リリィの中からその情動は消え去っていった。




「ドシタんダべ?」




 びくりと体を震わせたリリィに反応し、アギレウスが首をかしげる。




「なんでもないわ」




 短く告げると、「ンダべか」と言ってその後は気にせずに歩みを進めた。


 どれくらい負ぶわれていたのか、時間の感覚があいまいになってきたころ、ふとアギレウスが口を開いた。




「オメサンのソノクビワ。キッドゴシュジンサマがドウにかシテクレルッぺヨ」




 リリィは思わず目を見張っていた。


 アギレウスはリリィの心情に気づいていなかったわけではなかったのだ。


 ただ、そっとしていてくれた。


 リリィは、この3年間でこの魔物の背に負ぶわれているこの時こそが、久々に心安らいでいる事に気が付いた。


 ぽつり、とアギレウスの背中に何かが染み込んでいく。




「あなたのご主人様って、何者なのよ?」




 それを誤魔化す様にリリィが尋ねると、アギレウスは首を傾げた。


 そして一言。




「ホネダべか?」


「は?」




 間抜けた声をリリィがあげたのは、仕方が無い事ではあった――。






          ☆




 それからしばらくして、二人の目の前には巨大な扉が現れた。


 道中、なにが気をよくさせたのか、アギレウスの「ゴシュジンサマ」自慢を――やれ人間語を教えてくれただとか、道具を使うことを教えてくれただとか、そのおかげで文化を持つことができただとか――延々と聞かされ、少し嫌気がさしていたリリィはなんとなく目的地が近いことを察し、ほっと溜息をつく。


 無機質な岩肌に取り付けられた、大きな鉄製の扉。


 要所要所に金や銀でこしらえれた乙女の意匠が施され、ドアノブは不思議な輝きの得体のしれない金属でできている。




「この装飾を持ち帰るだけで、ひと財産作れるんじゃないかしら……」




 アギレウスの背中から手を伸ばし、乙女細工の指で撫でる。つるりとした冷たい感触が思いのほか気持ちよく、思わず何度もリリィは繰り返してしまった。




「モウイイダべか?」




 そんなアギレウスの言葉に我に返り、慌ててリリィは手を放した。




「ンダバ、イクべ。コッカラサキニンゲンガハイルノハハジメテダっぺヨ。タイテイココまでクルマエニシヌ」




 なにやら物騒なことを言い出したアギレウスにリリィは沈黙を返す。


 アギレウスは気にする風もなく、その扉を押し開けた。


 すると――。




 リリィが最初に感じたのは、熱だった。


 ざわざわとした喧騒と、どこからともなく漂ってくる、胃を刺激する臭い。


 その匂いに腹の虫がきゅるるとなり、リリィは長い事食事をとっていないことを思い出した。


 だが。


 彼女の瞳に飛び込んできたのは、大量の魔物。ゴブリン、オーガ、トロール、サハギン、リザードマン、サイクロプスにレッドキャップ、妖精や妖魔、死霊の類まで。


 多種多様なモンスターが住居を構え、会話し、くだらない冗談で笑い、怒り、喧嘩し、飯を作り、あまつさえ商いをし、そこには暮らしていた。


 リリィが最初に感じた熱は、いわゆる活気だった。


 彼女はあんぐりと口を開ける。


 目をまん丸に見開いた彼女の様子を見ながら、アギレウスはその魚めいた口の端を得意げに吊り上げる。




「ヨウコソ、ワレラガマチ、スラフターへ! ニンゲンハハジメテダベ。カンゲイスルダよ!」




 リリィが初めて見たアギレウスの笑顔であった。




「アギ……レウス……か」


 


 そんな二人に、どこかつっかえたような話し方でかけられる声。




「オウ。グレゴリウスじゃネェベか」




 リリィはアギレウスにつられて背後を見る。


 のっぺりとした緑色の肌に象嵌された、つぶらな瞳。ときおりちろちろと細い舌が飛び出ては戻っていく。


 がっしりとした体に白いつるりとした軽鎧ライトメイルを着こみ、その尻からは一本の太いしっぽが生えている。


 その背中に両手剣クレイモアを背負い、それは立っていた。




「ド、竜戦士ドラグニュート!?」




 ドラグニュートとはドラゴンの眷族である。


 ドラゴンとリザードマンが交配した結果生まれた種族であり、人間より小柄な体躯でありながら、その戦闘力は下級ドラゴンに匹敵する。


 そんな伝説とも呼べる魔物がリリィの目の前にいる。


 一瞬恐怖に支配されそうになったが、サハギンに背負われているという状況を思い出し、なにかバカバカしくなったリリィは渇いた笑いを浮かべるのだった。




「そ……その……人間……は?」


「ンダバ、タオレテタカラヒロってキタ。ゴシュジンサマのトコツレテクベ」


「そう……か……」




 ドラゴニュートのグレゴリウスはその瞳でリリィを見つめ、そしてその緑色肌を紫色に染めた。




「オレ……女……の裸……なん……て……初めて見た……っ!」




 アギレウスがそうしたように、その両手で瞳を覆い、恥ずかしそうにしゃがみ込んだのだった。




 その様子をアギレウスはなぜだか若干胸を逸らして、見下ろすと、




「オラはモウミタコトアッタガラナぁ! オラのカチダべ!」




 得意げにそういったのだった。




(見たことあるって、つい数時間前じゃない……)




 そんな二匹の魔物をみやり、なんだかとてつもない疲労感をリリィは覚えて、盛大なため息を一つついたのだった。


 

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