第5話 花畑村の人々

「きゃー!! 止めて止めて止めて!! ぐふっ!!」


 スリサズを乗せたソリは崖から勢い良く飛び出し、畑にうずたかく詰まれた雪の塊に突っ込んだ。

 山頂から見た時は白すぎて凹凸が見えなかったのだが、畑には家々の屋根から降ろされた雪が集められていたのだ。


 音を聞きつけて窓を開けた村人が、雪が止んでいるのに気づいて窓から出てくる。

 それは屋根裏部屋の窓だった。

 それより下の出口は雪に完全に埋もれていた。


 スリサズの上半身は雪にめり込み、足だけバタバタさせている。

 村の老若男女がいったい何事かと遠巻きに眺めていると……


   バンッ!


 雪の塊が弾け飛び、魔法の勢いでスリサズの体が宙に浮き上がる。

「よっと!」

 スタッと着地し、村人の注目が自分に集まっているのに気づいて、氷の魔女は杖を掲げて勇ましげなポーズを取って見せた。



 長すぎる冬にすっかりやつれたおじさん、おばさん。

 六年前に逢ったような気がしなくもないおじいさん、おばあさん。

 見覚えのない六歳以下の小さな子供。

 雪が止んだことを喜びつつも、春告げ鳥が来たわけではないと気づいて戸惑っている。


 突然の珍客に身構える男達を押しのけて、威勢のいいおばさんの集団がワッとスリサズを取り囲んだ。

「あらまあ! 誰かと思ったらあなた、スリサズちゃんじゃないの!」

「ええ!? スリサズちゃんって、あのスリサズちゃん!?」

「まあまあこんなに大きくなって! お父様はお元気?」

「おばちゃんのこと覚えてる?」

「スリサズちゃんが春を呼んでくれたのかい?」


 スリサズは気まずげにフードの端を掴み、おばさん達の声で雪崩でも起きやしないかと山を見やった。

「まだ春は来てないデスよ。雪は一時的にやんでるだけデス。山の女神が目を覚ましてくれないと、吹雪はすぐまた戻ってきマス」

 おばさん達から笑顔が消えた。


「ところでポーラは見つかりマシタか?」

 スリサズの問いに、おばさん達は今度は露骨に嫌な顔をした。

 心配、という表情ではなかった。

 一瞬、スリサズは、彼女らが話したくないのかと思ったが……

 すぐに、本当は彼女らはポーラの悪口を言いたくて仕方がないのだと気がついた。


 一番大柄で気の強そうなおばさんが口を開く。

「あの罰当たり。春告げ鳥が居なくても春が来るだなんて大嘘じゃないか。仕事もせずに山の向こうの村をほっつき歩いてろくでもない話ばっかり仕入れてきてさ。それをほっとく親も親だよ」


 遠くで誰かが走り去る足音が聞こえたが、おばさんの勢いは止まらなかった。

「ねえ、みんなもそう思うだろう? だいたいあの家は昔から……」


「ポ、ポーラちゃんのことだったらティム君とボビー君に訊くのがいいんじゃないかしら?」

 青白い顔のおばさん――雪のせいで家の外にもろくに出られない生活をしていたので誰もが青白いが、この人だけはもともとこんな感じなのだろうなという雰囲気のおばさんが――勇気を奮ってさえぎった。

「ちょうどそこに……」


「ああ、ちょうどそこに居るね。ティム!! ボビー!! そんなとこに突っ立ってないでさっさとこっちへ来な!!」

 気の強そうなおばさんが一瞬で主導権を取り返す。


 遠巻きに見ていたおじさん集団よりも、さらに後ろの二人組みが、おずおずと進み出た。






 ティムとボビー。

 彼らのことはスリサズも覚えていた。

 六年前に遊んだ友達だ。

 酒場で逢ったジェフリーははっきりと大人になっていたが、この二人は少年か青年かまだ微妙だった。


 スリサズの記憶では彼らは“ノッポとチビの仲良しコンビ”だった。

 六年前は年齢の割りに背の高かったティムは、その後はあまり伸びなかったようで、年相応の平均身長に収まっている。

 一方、年の割りに小柄だったボビーは、ティムとほとんど変わらなくなっていた。


 ポーラが雪山で行方不明になって、普通なら道に迷って凍死したのだと考えてあきらめるところだが……

 ポーラはたくさんの炎の魔石を持っていたはずなのだから、きっとどこかでビバークしている。

 ティムとボビーはそう信じて、吹雪の中で危険を冒してポーラを捜し続けていたのだそうだ。



 二人はスリサズをティムの家に案内した。

 この家も他の家と同様、玄関が雪で埋もれているので屋根裏部屋の窓から入った。

 二階より下の全ての窓を雪で塞がれているせいで、家の中は昼間でも暗く、ティムの部屋までろうそくを持って移動する。


 ティムの母親はスリサズがこの村のミルクをおいしいと言ったのを覚えていた。

「寒さで牛が死んでしまって」

 そう言って申し訳なさそうに白湯を出した。



 母親がティムの部屋から出るのを待って、ティムは机の上に包みを広げた。

 ろうそくの火がため息で揺れる。

 その明かりに浮かび上がる……

 布の切れ端と、ヒビの入ったレンズ、片方だけのブーツ、そしてもう一つ奇妙な物。


「山で見つけたんだ。これ、ポーラの服だよ」

「これは熊の毛。ポーラは山で熊に襲われたんだ」

 ティムとボビーが指で示す。

 色が似ていたのですぐにはわからなかったが、黒っぽい布には時間が経って黒ずんだ血がついていた。


「ポーラの両親に見せたら、おふくろさんが倒れちゃってさ。おふくろさんが落ち着くまで預かっててくれって親父さんに言われて……」

「おれ達、頑張ったのにな。早く知らせた方がいいって思ったのに、何だか恨まれちゃったみたいでさ」

 憂うつそうに目を伏せる。


「ポーラのやつ、もともと派手好きだったのに、去年の秋に急に男みたいな地味な色のコートを買ってきたんだよ」

「やっぱあいつ、ハロルドにフラれて性格変わったよね」


「フラれた? ポーラが? ハロルドに?」

 スリサズは目を丸くした。

 それはスリサズの思い出の中のポーラの姿とは異なって……

 時の重さがのしかかってきたような気がした。


「うん。去年の春の終わりに」

「それでポーラは去年の夏は、もっといい男を探すんだって、今までそんなこと全然しなかったのに近くの村を遊び歩いて……」

「でさ、変なことを言うんだよ。よその村では春告げ鳥なんか居なくたって春は来るんだって。本当かなぁ?」

「そんなわけないよな?」

「行商人にもそんなこと言ってる人が居たけど冗談だよな?」

「冗談に決まってるよな?」


「本当よ。普通はそう。花畑村は特別なのよ」

 スリサズがあっさりと答えた。

「よその村って全部ここより南にあるのよね? 南の山を越えた向こう。北の山を越えるとね、氷の魔力に支配された春の来ない大地があるのよ。花畑村はその狭間。ポーラも南じゃなく北へ行っていれば春告げ鳥がどんなに大事かわかっただろうけど、北の山は険しいからね。人間って、楽な道ばっか歩きたがるくせに、一部を知っただけで全部知ったみたいな気に簡単になっちゃうから」


 ティムとボビーは口をつぐんでしばらく顔を見合わせた。


「ポーラがさ、ハロルドのこと、すごく悪く言ってたんだよ。春告げ鳥なんか必要ないのに、村人を騙して、ただでごちそうを出させてるんだって」

「でもさ、悪口言ってるのに悲しそうだったんだよな」

「なんかさ、証明してやるとか言っていたよな。ハロルドと山の女神を引き離してやるとかも」

「なんか知らないけど春告げ鳥が来ないと春が来ないってのは証明されたよな」


 そしてまたしばし黙って、それからモソモソと口を開く。


「ポーラが持ってた魔石がさ、不思議なんだけど一個も見つからなかったんだ。それを村の皆がさ、オレ達が隠して自分達だけの物にしているなんて言いがかりをつけてきてさ」

「寒さのせいで皆、ギスギスしてるんだ。心までかじかんじゃってるんだよ。おれ達もジェフリーと一緒に行けば良かったよ。ここに居たってもうどうしようもないや」



 スリサズは、ポーラのブーツを手に取った。

 歩きにくそうな馬鹿みたいな厚底の物で、スリサズの感性では商人に騙されたとしか思えないが、閉鎖的な村で暮らす彼女なりのおしゃれだったのだろう。

 熊に見つかったらどんな靴で走ったところで人間の足で逃げられるものではないが、それでも折れた踵は痛ましく思えた。


 もしかしたら春告げ鳥も、熊に食べられてしまったのかもしれない。

 そうだとしたら、何て愚かな熊なのだろう。

 熊だって春を待ちわびているはずなのに。



「それはそうとこれは何なの?」

 スリサズは父の忘れ物のレンズを事情を話して返してもらった後、ポーラのもう一つの奇妙な遺品を手に取り、眺めた。

 行商人から買ったのだろうか?

 それは、デザインからすると南方の民芸品であろう、顔全体を覆う仮面だった。

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