氷の魔女スリサズの冒険(短編集)

ヤミヲミルメ

氷の魔女の春捜し

第1話 花咲く野道と氷の魔法

 北国の遅い春の陽気に包まれて、小柄な少女は上機嫌で花咲く野道を歩いていた。

 いかにも流れ者といった丈夫なだけの衣服の上に、さまざまな文様の描かれた魔法使いらしいローブ。

 背負い鞄に刺した樫の杖。

 氷の巨人を意味する名前……スリサズ。


 やがて小さな町に着き、薄汚れた酒場を見つけて迷わず入る。

 ドアベルの音に店内の客達の視線が集まり、ガハハと荒々しい笑い声があふれた。


「お嬢ちゃんにはミルクぐらいしか出せねーぜ」

 いかつい顔のマスターが、フードを脱いだ十三歳の少女のふわふわした銀髪を見下ろす。

「品ぞろえ悪いわね。ホットで。しっかり火を通してよ」


 マスターにとってはスリサズのような客は珍しくても、年の割りに長く旅をしているスリサズにしてみれば慣れたものだ。

 まさか本当に注文されるとは思っていなかったマスターが慌てて鍋を捜す間に、スリサズはツリ目がちだがクリクリした目で素早く店内を見回した。


 掲示板を見つける。

 そこには冒険者へのさまざまな依頼が張られている。

 護衛、魔物退治、手配犯の捜索。

 いずれも物騒で、いずれも馴染み深いものばかりだ。


「あれ? 君、もしかしてスリサズちゃん?」

 その掲示板に今まさにポスターを貼ろうとしていた青年が、画鋲を手にしたまま声を上げた。

「……誰だっけ?」

 スリサズは眉根を寄せて青年を見やった。


 この世界に魔法を使える人間は少なく、若い魔女などすれ違っただけの人の記憶にも残る。

 対する青年は、顔が季節外れの雪焼けをしている点を除けば、取り立てて特徴のないどこにでも居そうな男性だった。


「ジェフリーだよ! 覚えてないかなぁ、ほら、花畑村の……あれって何年前だったかな?」

「ああ! あたしがかくれんぼして遊んであげた子!」

 スリサズがポンと手をたたく。

「いや、俺が遊んであげたつもりだったんだけどな」


 どう見てもスリサズよりも思い切り年上の青年が苦笑いで頭を掻いている間に、貼りかけのポスターがくるくるとめくれて、慌てて抑える。

 スリサズの目は、そこに書かれた文字を無意識のうちに追っていた。



   ――春告げ鳥を探しています――



 その一文は、事情を知らない人にの目はお寒いポエムのようにしか映らないだろう。

 しかしスリサズにはこれだけで村の危機が伝わった。

「うそ! ハロルドが居なくなっちゃったの!?」






 それは今から六年前、スリサズが七歳の頃。

 時期的には今より早い、冬の終わりのことだった。


 人が住める北限とされる、山深きウィンタリア地方。

 その最北の花畑村。

 途中で通った他の村にはすでに春が来ていたが、スリサズとその父親が花畑村に着いた時には雪が降っていた。


「ちょうど良いタイミングだったな」

 父がつぶやいた。


 雪が周囲の音を吸い込む静けさの中、笛の音色が流れていた。


「春告げ鳥だよ」

 父はそう教えてくれた。


 鳥が鳴いているのかと思い、スリサズはその音色のもとへ駆けていったが、そこに居たのは鳥ではなくて、二人の人間の男性だった。


 一人は老人。

 一人は少年。


「春告げ鳥というのは旅の楽師の称号のようなものなんだよ」

 父に言われても当時のスリサズには何が何だかわからなかった。



 笛は少年が吹いていた。

 老人も笛を手にしていたが、ただ持っているだけで、ニコニコと少年の演奏を聴いていた。


 笛の音色に誘われるように雪がみるみる解けていき、その下から色とりどりの花々が顔を出す。

「おお、山の女神がお目覚めになられたぞ」

 老人の声にスリサズが辺りを見回したが、それらしき姿は見つけられなかった。


「神様の姿は人間の目では見えないんだよ」

 そう言いながら父がスリサズにレンズを手渡した。

 スリサズが、当時の自分の掌よりも少し大きいぐらいのレンズを覗き込むと……

 その向こうの世界には、寝ぼけ顔でもなお美しい女性が目をこすりながら立っていた。


 花畑村に春が訪れた瞬間だった。



 老人が女神の手の甲にうやうやしくキスをした。

「わしはこれにて引退ですじゃ。これからはこのハロルドが春告げ鳥でございます」

 少年が、笛を胸に当て、お辞儀をした。

 後で訊けば当時十二歳。

 今のスリサズより一つ下だった。



 窓辺の雪がすっかり消えて、春が来たことに気づいた村人達が次々に家から飛び出してくる。

 父はスリサズからレンズを取り上げ、さっとポケットにしまい込んだ。


「神様の姿は、人間がむやみに見てはいけないんだ。このレンズは私が作った世界に一つしかない特別な道具でね。こんなものが存在するなんて噂が広まれば、神様にひいきされたがる悪い人間を呼び集めてしまうんだよ。だから秘密にしないといけないんだ」


 ……この話も、当時のスリサズには理解できなかった。



 父がスリサズを花畑村に連れてきたのは魔法の修業をさせるためだったけれど、スリサズは村の子供達と遊んでばかりいた。

 父はそれを温かく見守っていた。


 村の子供の中で最年長なのがジェフリーだった。


 特に仲良くなったのは、当時十歳のポーラという女の子で、スリサズに花の冠の作り方を教えてくれた。

 ポーラはスリサズがそういったことを全く知らないのを驚いていた。

 スリサズはお礼に父のレンズをこっそり持ち出してポーラに覗かせてあげた。

 初めて見る女神の姿にポーラは「わたしもあんな美人になりたい」とウットリとつぶやいていた。


 村には仔犬が一匹居た。

 誰の飼い犬というのではなく、どこからともなく迷い込んできて、皆で残飯を与えていた。

 コロンという名前のコロコロと可愛い犬で、スリサズにもすぐに懐いた。


 新人の春告げ鳥のハロルドは、スリサズ達と遊ぶこともあったが、だいたいいつも村のあちこちで笛を吹いて回っていた。

 山の女神に奉げるメロディー。

 村人は春告げ鳥が村を守るために誰も居ない場所でたった一人で笛を吹いていると思っていた。

 しかしスリサズがレンズ越しに見るとハロルドは一人ではなく、少年が笛を吹く時はいつも山の女神が寄り添っていた。



 夏の初めに春告げ鳥は村を去った。

 これから何ヶ月もかけて、南へ向かって旅をする。

 南国を通り過ぎて寒さの戻る、はるか南の果ての地に、春を届けに行くのだそうだ。


 夏の間、女神は忙しく働いた。

 そのおかげで麦は豊かに実り、山も森も恵みにあふれた。


 秋が深まる頃、山の女神はうたた寝をすることが多くなった。

 ある日、スリサズがレンズを覗いていると、女神がスリサズのすぐ目の前までやってきた。

 まるまる半年、村で暮らして、こんなことは初めてだった。

 スリサズは自分の覗き見が女神に気づかれているとは思っていなかった。

 女神はスリサズに何かを言い残して姿を消した。

 声は聞こえなかったが、唇の動きは「またね」と見えた。



 スリサズと父は、村の友達に「来年の春にまた来る」と約束をして、雪が降る前に山を離れた。

 その約束は果たされなかった。


 冬の間に父が死に、スリサズは親戚の勧めで魔法学校に入ったが、ずっと父に連れられて旅ばかりしていた少女には由緒ある寮での暮らしは監獄のように感じられ、卒業を待たずに逃げ出した。

 以来、冒険者となった少女は、父と通った道をたった一人でたどる旅を続けている。


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