健康診断

@perfume

1時間12分

 今日も検査は続いた。医師たちはまるで、あらかじめぼくの身体の中に何かがあると知っているかのような様子で執拗にぼくの身体を調べ続け、時々何かの数値を見ながら看護婦らしき人に耳打ちする以外は何も言葉を発しなかった。


 四日目の朝、ついにぼくは我慢ができなくなって、一人の医師に「あの、僕の体、何か、悪いんですか」と尋ねた。しかし医師はぼくの方に目を向けることさえせずに「少し検査が長引いているだけですから」とだけ言って、すぐに検査を再開した。

「これ、いつくらいまで続くんですかね」

「……」

「そろそろ職場に連絡しないとマズいんですけど……」

「……」

 それ以降何を訪ねても返事が返ってくることはなく、その後も医師たちは淡々と何かを調べては数値のようなものを書き続け、ようやく太陽が沈んだ頃にその日の検査が終わった。


 部屋へ戻ると既に夕食が用意されていて、それを一人で食べながら今置かれている状況をもう一度考えてみた。どう考えてもこの病院は異常だ。普通の健康診断が四日も続くわけがないし、普通の医師が患者の質問を無視するとは思えない。そもそも携帯電話を初日に没収されたのはなんだったんだろうか。病院からは「精密機械に悪影響を及ぼす」と説明をされて、たしかにその時はそんなものかと思って携帯電話を渡したが、まさか四日経っても返ってこないとは思いもしなかった。今頃会社の上司は怒り狂っているに違いない。あまり考えたくない現実を追い出すように、無理やり病院の異常さについて考えを巡らせ直す。だいたいこの病室もそうだ。窓一つない部屋で、床や壁のところどころにへこみや傷がついている。また、唯一の出入り口であるドアはしっかりと施錠がされている。それも外からだ。つまりぼくは自分一人の意思でこの部屋から出ることさえできないのだ。一体どうしたんだろう。


 ひょっとすると、ぼくの身体から何か重大な問題が見つかったのかもしれない。それは伝染病の類で、何か決定的な証拠や治療法が見つかるまではぼくに対して詳しい説明は控えられているのかもしれない。それならこの隔離されているかのような状況にも説明が付く。検査にかかっている時間も合わせて考えるととびっきりの難病なのだろう。いや待て、そうじゃない。自分の思考を整理する。それだけじゃ携帯電話が没収されたことへの説明がつかない。もしかするとぼくの体から見つかったのは新種のウイルスか何かで、病院や国はその事実を隠そうとしているのではないか。そうだ。おそらくその新種のウイルスは細菌兵器等に流用できる可能性があって、国のトップシークレット扱いになっているのだろう。このことを僕が外部に漏らすことを危惧して、携帯を没収したのではないか。間違いない。全ての筋が通る。


 事実この病院の雰囲気はそれくらい張りつめていたし、思えばぼく以外の患者に会った記憶がない。とにかく何もかもが異常すぎるのだ。しかし理由が分かったところでぼくに何かができるわけではない。むしろぼくが勘付いたことに医師たちが気付けば、より強硬な手段での拘束や検査を受けさせられるかもしれない。そうなる前になんとかしてここから逃げなければ。


 何気なく時計に目をやると午前一時を少し過ぎていた。もうこんな時間か。どうせ明日も訳のわからない検査を延々とされるのだろう。そう考えると気分が欝々としてくるが、とにかくぼくは一刻も早く眠りについて明日の検査に備える必要がある。鍵が掛かっている以上、今夜ここを脱出することはできない。やるなら明日以降の検査の前か後だ。


 部屋に備え付けられている簡易シャワーを浴びながら、いや待てと、ふと思い付いたことがあった。この時間帯は医師や看護婦の人数も少ないはずだ。今ぼくがたとえば何か問題を起こしたり、容態が急変した振りをすれば、少人数の医師がドアの鍵を開けて、この部屋に入ってくるだろう。その隙をついて逃げおおせることができれば。そうだやるしかない。今だ。ぼくは簡易シャワーを床に叩きつけ、裸のまま部屋中の物を壊し始めた。


 しばらくそうしていると、遠くから医師たちが慌てて駆けつけてくる足音が聞こえてきた。「また禁断症状の発作だ!押さえ付けてくれ!」部屋に入ってきた医師の一人が叫んび、数人の医師に体を押さえつけられた。最後に入ってきた医師は手に注射器のようなものを持っていて、ためらうことなくぼくの腕にそれを刺した。全身が一瞬凍えるように冷たくなった後、急激な脱力感に襲われる。ああそうだった。この一瞬だけ、いつもぼくは“正気”を取り戻す。クスリからも禁断症状からも自由な、本来の自分を取り戻せる。


 またやってしまった。

 いつものあの注射だ。


 緩慢な後悔と身体の痛みを客観的に感じながらぼくは自嘲した。それにしても新種のウイルスで国のトップシークレットだなんて今回の妄想は一段と酷かったな。徐々に暗転する意識の中、混濁とも感傷ともつかない思いを抱えながら、そして、突然全ての思考が停止した。


 今日も検査は続いた。医師たちはまるで、あらかじめぼくの身体の中に何かがあると知っているかのような調子で身体を執拗に調べ、時々何かの数値を見ながら看護婦らしき人に耳打ちする以外何も言葉を発しなかった。


 五日目の朝、ついにぼくは我慢できなくなって、一人の医師に「あの、僕の体、何か、悪いんですか」と尋ねた。

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