電脳八咫烏
木島別弥(旧:へげぞぞ)
第1話
「迷子の人格データを探して欲しい」
という依頼があったのは、七月の熱い夏の頃だったと思う。
おれ、矢田カラスは、この依頼をとても高尚なものだと思ったのだな。いわば、この矢田カラスにも、やっと高貴な風格ある仕事の依頼が来るようになったものだと思ったのだ。それまでの依頼といったら、どこのサイトを炎上させろだの、どこのブログに突撃してくれだの、
「汚物は消毒だ、ヒャッハー」
と叫ぶ荒ぶれどもの巣窟から、気持ちの悪いアスキーアートを削除する仕事などをしていたのだった。
そんな仕事は、おれが本来、求めている仕事じゃない。本当は、世界でも屈指の電脳操作技術をもつであろうおれの力で、おれにしかできないような高度な電脳技術を必要とする仕事を求めていたのだった。
迷子の人格データを探して欲しいか。
悪くない。
実に悪くない仕事ではないか。
ちょっと待て、そこのきみ。まるで、この仕事を「迷子の子猫を探して欲しい」というよくある何でも屋の貧相な仕事と同じだと思ったりしてはいけないよ。
そんなことないよ。
ほら、絶対に、この仕事には絶対の自信があるもの。
おれ、矢田カラスの腕を必要とする高等な電脳技術を必要とする仕事に決まっているもの。そうなんだったら、そうなんだよ。この仕事は、迷子の子猫を探すのとは、わけがちがうんだよ。
「承りました。その仕事を引き受けましょう。では、契約するということでいいですね」
「ああ、きみに問題ないなら、こちらにも問題はない。だが、うまくいくか心配でね。その人格データの身元がわかったら、教えて欲しいのもやまやまなのだが、ついでに一通の電子メールを渡していただきたい」
「わかりました。その件も含めて承諾いたします」
「了解だ」
契約成立。
契約を結ぶ場所は、ここ、矢田カラスの運営するサイト『電脳何でも屋ヤオヨロズ』でのことだ。おれは専用の個室に入って、ネットに神経接続している。サイトのサーバーもここにおいてある。稼動したばかりのインターフェイス『ジャックイン』の性能は最高。おれの大脳と、数百万単位の回路が神経接続している。いずれ、この数百万の単位は、数十億になるだろうが、今は、数百万で我慢だ。
依頼人から、探している人格データの簡易情報ファイル『トチガミ』をコピーして、おれの脳に保存する。
「契約してから警告しておきますが、あなた、誰かに尾行されいますよ。それでも、かまわないなら放っておきますが、念のため、尾行者の調査もさせていただきましょう」
と、親切に依頼人に警告を与えてやったのだった。
これは、おれの電脳技術の高さを見せしめて、恐れおののかせてやろうという遊び半分な気分だったのだが、もちろん、これは仕事であって、遊びではない。
契約を結ぶ前に、依頼人を尾行している鼠のIDを記録してある。万が一、逃げられても探し出せるようにするためだ。
「尾行されたのは、わたしの責任だ。尾行されたまま、契約を結ぶのはやめた方がいいのかな」
「いいえ、むしろ、尾行されてもらった方が好都合です」
「そうか。なら、きみに任せよう。たわいもない仕事なのだが、どうしてもこのメールを届けたいといって、あれがダダをこねるのでね」
「ご苦労をお察しいたしますよ」
と、同時に依頼人を尾行していた鼠がわたしのIDを調べようとしてきた。
そうはいくか。
この神経接続IDは、デジタル回路では計算できないからね。神経回路とデジタル回路を同時に補完して完成する上位回路が、おれの頭の中を走っているんだから。読み込むにはたいていファイル形式が異なるのさ。
おれは、契約書を電脳倉庫に保存すると、依頼の人格データを探すより先に、依頼人を尾行していた尾行者の正体を探ろうとした。
尾行者のIDでログインして、尾行者の位置を確かめる。
鼠の登録データを映し出す。
すると、出てきたのは、すでに死亡したはずの人物の経歴だった。情報機器製造会社ゾニーに勤めて、十年前に死亡したはずの佐々木助三郎のデータだ。
おれは尾行者を、鼠と呼ぶのをやめ、幽霊と呼ぶことにした。
推測一。幽霊は、佐々木助三郎の人物データをどこかで入手して、利用している第三者。
推測二。(こっちの方が恐ろしいのだが)幽霊は佐々木助三郎本人で、本物の電脳代理人。
まさか、死んだふりして生きているんじゃないだろうね、助さん。
幽霊のIDは、市役所の戸籍と照らし合わせても一致することから、推測二が正しいのは、まちがいなさそう。
まさか、おれと勝負することになるとはね。
本物の現役ゾニーの情報代理人。
幽霊の現在位置をグーグルアースで検索する。普通なら、戸籍IDで探せば、一発で出るでしょ、こんな情報。ところが助さんは死亡して、戸籍IDが削除されてるものだから、おれが『電脳何でもヤオヨロズ屋』で付けたアクセスマークを使って、検索することにした。おれが、自分のサイトに接触したすべての人を追跡できるように設定してあることに気づく人は少ない。一度でも、おれのサイトに入ったら、矢田カラスのアクセスマークが付くのだ。
どうやら、助さんは日本にいるみたいだから、正直、ほっとしたね。慣れた電脳環境での戦いは、望むところだ。
助さんは、機能重視の電脳装備をしているようだ。クールだぜ、助さん。機能性をとことん最重視して、部屋の形まで変えてしまったのがわかるような部屋にいる。
助さんがおれのアクセスに気づいて、目的地を変更しようとしたのがわかる。
ダメダメ、もう、こっちは助さんのお気に入りの部屋をひとつ発見したあとだ。その装備を全部捨てるのはさすがにもったいないだろう。
助さんの顔写真も撮ったあ!
すでに、街角カメラで歩く助さんを撮影終了だ。どんどん、正体を暴いていくよ。助さんをとっ捕まえて、尾行していた理由を聞き出そう。そうすれば、今回の依頼の背景がより詳しくわかるってなもんだ。
助さんをカメラで追って尾行しながら、同時進行して、助さんの経歴を見ていく。
どっひゃあ、びっくり、東京工業大学出身だよ、助さん。
学歴も充分。
小学校から我流でやってきたおれとは、格がちがうね。
だけど、そんなことで怖気ずくおれじゃないよ。
おれ、矢田カラスは、十九歳、地方の二流大学に進学して、親の仕送りで生活するネット廃人だ。十九歳ですでに神経接続手術を受けていることからもわかるであろう、ネット中毒者だ。だけど、大人顔負けの天才ハッカー様なのだな、これが。
十九歳で、若々しいといえば、若々しいんだけど、人によっては、ネット廃人のおれを決して若々しいと表現しないから、おれは特に若さを誇ったりはしないよ。
彼女いない歴一年で、性行為は経験者だ。
おれと同じようなネット廃人の女を見つけた時に、勢いでやってしまった。
その後、彼女とはあまりべたべたしなかったけど、なぜか彼女がおれのことを理由もなく怒り出して、それにキレたおれが別れを言い出した。
だから、現在、彼女なしだ。
助さんの奥さん、すっごい美人だ。びっくりだね。
助さんは、二男一女の父親でありながら、交通事故で死んだことになっている。
奥さんが未亡人のまま、助さんの個室の隣に住んでいる。もう、迷彩するつもりもなく、あっさりしたものだ。助さんがなぜ、死んだふりをしているのかはわからないが、普段の暮らしは堂々としたものだ。
助さんの奥さんの写真も撮ったあ!
ちょっと老けてきてるけど、昔は美女だった風貌を残している。
助さんが自動車に乗った。
自動車は軽快に走って、街角カメラから姿を消した。
おれは、助さんの自動車のカーナビをハッキングして、目的地を探す。
助さんの目的地は、最寄のゾニーの支社だったようだけど、こちらの追跡に気づいた様子はない。
あまいぜ、助さん。おれは助さんの携帯電話のナビウォークを勝手に会員登録して、起動し、助さんの尾行を継続する。
おれは人型ロボットを起動して、助さんの目的地に先回りするように手配する。
と同時に、おれは依頼人の身元について調べ始める。
依頼人を疑え、とは古びた推理小説の名台詞だけど、おれはこのことばが気にいっている。依頼人は嘘をつく、というのもたまらないね。陰謀、策略、大好きだからね、おれは。
依頼人は匿名希望。
報酬は、十分の一を前払い。
全額で百万円。
きりのいい数字が好きなおれの決めた金額。ほとんど言い値。この値段は交渉次第で上がったり、下がったりするけど、今回の依頼人は特に何の反応もなかった。だから、そのまま、百万円で交渉成立だ。
どこかのサイトを炎上させる仕事なんて、一件数千円で請け負っているから、それに比べれば、べらぼうに高い仕事だといえる。
正直、依頼料百万円を支払ってくれる依頼人に出会ったのは、これでわずか二回目である。
助さんの現在位置がネット地図に映し出される。完全におれが助さんを捕らえている証拠だ。
おれが調べてみたところ、依頼人は、小さな情報機器会社サイバーキャラクターの社員だったようだ。
驚くべきことに、今、助さんが依頼人の会社に向かってる。
助さんが尾行をまこうと、道をわざと一回転している。道を一回転すると、尾行している人も一回転するので、そんな不自然な行動をするやつは尾行者だとわかるわけだ。
だが、あまい。
現代の最先端を行くおれ様は、助さんのカーナビをハッキングしているのだ。助さんが道を曲がるたびに、カーナビが、
「目的地はこの先、三百メートルを左です」
というのが聞こえてくるのだ。
「目的地はこの先、三百メートルを左です」
が何度もなる。
おれがハッキングしているカーナビが、道路を四角くまわる助さんを探知しつづけているのだ。
助さんはゾニーの支社に行くのはあきらめたらしく、助さんの目的地はなんとサイバーキャラクターに変更された。
これはやばい。
感づかれたか。
おれはちょっと冷や汗がした。
助さんは契約前から依頼人を尾行していたのだから、依頼人の会社をすでに知っていてもおかしくはない。だが、突然の目的地変更はどういう意味だ。おれの尾行に気づかれ、目的地の変更をした可能性が高い。たぶん、追跡されても困らない場所として、助さんにとっての敵地を目的地にしたのだろう。
おれは助さんのカーナビも携帯も征圧した体勢で、助さんが依頼人の会社に向かっているのを確認した。
おれは街角カメラを作動して、助さんの様子を見るが、どうやら、助さんはしばらく人を待っているようだ。
誰を待っているのかわからないが、おれは起動した人型ロボットを依頼人の会社サイバーキャラクターへ向かわせる。
にぎやかな昼間の繁華街を人型ロボットが歩いていく。今では、人型ロボットもそんなに珍しいものじゃないだろう。のっし、のっし、とおれの人型ロボットは歩く。
このまま、行けば、ネット地図を見る限り、助さんの待機している場所におれの人型ロボットが着く。おれは助さんを取り押さえて、身元を確認しなければならない。
そして、おれは百貨店の中にある情報会社サイバーキャラクターに人型ロボットでたどり着いたのだった。この人型ロボットは警備ロボットを改良したものなので、戦闘になればただの人類には負けたりしないと思うのだが。
さて、助さん、どう動くだろうか。
おれは依頼人の会社サイバーキャラクターに着いてみて、不思議な感覚に包まれた。
依頼人の会社サイバーキャラクターは、幅三十センチしかない百貨店の隙間に置かれたサーバーだけの会社だったのだ。
当然、社員は一人も勤務しておらず、見当たらない。
いったい、おれの依頼人は今どこで何をしているのだろうか。
おれの人型ロボットのカメラが助さんを見かけると、助さんがにたっと笑った。
「おやおや、どうやら、意気のいい情報代理人を雇ったようだな。面倒を増やしてくれるよ」
と助さんがいう。
すぐに、自分の尾行者だとバレてしまったようだ。
「ここであったのも何かの縁だよ。なぜ、依頼人を尾行していたのか、教えてもらおうか」
おれは人型ロボットの音声をいじって喋らせる。
「悪いが、あんたのロボットにちょっと手入れをさせてもらうよ」
助さんがおれの人型ロボットから情報を抜き取ったようだった。
だが、人型ロボットからおれを逆探知するのは無理だ。
「あなたの身元は調べさせてもらったよ。十年前に死んだことになってるんだって。叩けば埃が出るのはそっちじゃないのかな」
「知りすぎると、危険だよ、ぼーや。矢田カラス、十九歳ね」
速い。速攻で特定された。
何が、逆探知するのは無理だ。自分でいってて恥ずかしくなるよ。
「カラスくん、契約書を見せてもらった。残念だけど、きみ、一歩でも踏み外すと死ぬことになる」
おいおい、助さんマジかよ。こんなヤバい仕事は初めてだ。
まさか、命がけだとはね。勘弁してよ、こっちはただの情報屋だよ。
「助さん、あんた、殺し屋か?」
「冗談いうねえ。こうみえても、陽の当たる道を歩いていける身分だよ。そこまで落ちぶれていない」
「依頼人を尾行していた理由は?」
「黙秘だ」
「ゾニーはこの事件でどんな利権を得るんだ?」
「利権なんてあるものか。ただの野次馬だよ、我が社はね。カラスくん、話せばおれが口を割るとでも思ってるのかね」
「いいや。でも、いろいろと参考になるからね」
おれは、助さんがおれとの会話でどんな情報機器をどう使うかを待ってるんだ。
ほらね。
助さんが、会社に向けて打ったメールを入手。
全自動で、メール内容を複製。メール内容によると、
「運び屋は跳ねたぼうやだ。手を引き、ぼうやの観察に移行する」
だってさ。
どうやら、今度は、助さんがおれを尾行することになったみたいだ。
しくじったかな。
わざわざ、助さんにおれの正体をバラしてしまった。こんなことなら、助さんを追ってくるんじゃなかった。
仕事としては失敗だけど、でも、この方が面白いじゃない。
気分を切りかえて、助さんの身元を探ろうとしたら、カメラが見えなくなってる。
助さんに手を打たれた。
そのまま、助さんはおれの探知範囲から姿を消した。
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