3話 素直な気持ちと本当の始まり
そう言うと『奴』が楽しそうに、試すように笑いながらこう告げる。
『ふふ、そんな風にお礼を言っていられるのも今のうちだけかもしれないよ?』
『これから君達の行く先には、このチュートリアルを憎く思うような絶望が待っているかもしれない』
『強くなったと思っている君達でも手が届かず、残酷な現実というものに心折られるときがくるかもしれない』
『どうせなら最初から期待させないでくれればよかった、そう思うときが来るかもしれない』
『なのにお礼を言うのかい?君達の世界を奪ったこの私に?』
…ああ、いつかそう思うときが来るかもしれない。
元の世界で母が亡くなってから、なにをしていても虚しかった。
達成感なんてものを感じられない、目に見える形で反映されないから。
ずっとそこに在った人が、明日もまたいるとは限らない。
纏められない、いろんな想いが俺のここに在る。
それがこう言ってるんだ。
いつか恨むときが来るとしても、今、俺は感謝しているよ。
生きていたいって思っている、残してくれたものがあるから。
元の世界では実感することがなかったんだ。
確かに勝手な召喚だったんだろう。
これから先に何が起きるのもわからない。
それでも、俺はこの世界に来れて良かった。
そう思える今だから、もう一度伝えるよ。
「ありがとう」
俺は笑ってそう伝える。
『奴』も笑う、楽しそうに、嬉しそうに。
そうして、ひとしきり笑いあった後に、『奴』は続ける。
『先程言ったことは、間違いなくこの世界で起きてもおかしくないこと』
『魔物、魔族、魔王、ドラゴン、人、数多の想いが残酷なまでにあなた達では抗えないくらいに容赦なく』
『魔王やドラゴンは言うまでもなく、国同士が起こすかもしれない戦争も今のあなた達では抗えない』
『それほどまでに、今のあなた達の強さはちっぽけなもの』
『それでも、私を笑わせてくれたあなたがこの世界で生きることで、また私を楽しませてくれるように、ちいさな加護 ―呪い― を贈ろう』
ふと見ると『奴』の顔が目の前にある。
俺が反応する前に、その唇が俺の唇に重ねられる。
わずかに触れただけの『奴』 ―神様― の祝福という名の呪い。
すぐにわかる、視える世界が変わったのだと。
どこがどうとは説明できない。
だが、確かに視える、そしてわかる。
自分自身にも変化があったことを。
さっきまでの俺なら今視えるものに恐怖していたのかもしれない。
この目の前の『奴』、邪神の存在に。
『それは魔眼、そして心が壊れないための祝福』
『どう使うかは好きにすればいい、だが私は祈ろう』
『私の玩具にして、我が神子よ』
『汝の行く末に幸在らんことを』
『そして、私を楽しませておくれ』
これが本当の始まりだったんだろう、幸運か不運かはわからない。
勇者でも英雄でもない俺の語る、ただひとつの異世界譚の。
…それはそれとして、だ。
『どうしてそんな苦渋に満ちた顔をする?』
いや、いきなり唇奪われて、そんなこと言われたら仕方ないと思う。
『奴』が男か女かもわからないのも理由のひとつなのだろう。
どっちだとしても、反応は似たようなものになるのかもしれないが。
『私は男だよ、これでもそれなりに高位に位置しているのだがね』
『大多数の神から忌み嫌われてはいるが、私の権能にとってはそれもまた都合が良い』
『そんな私の
その言葉を聞いて、喜んでいいのかと心から思う。
高位の神というのはまだいい、大多数から忌み嫌われている神の祝福(呪い)がどんなことを引き起こすのか、それが問題なのだと思う。
『君はたった今、神に選ばれたのだ』
『それは喜ばしいことだと思えばいいと思うよ』
…つまり、俺はやはり適当に拾われてきた方だったわけだ。
だが、特別というものは、確かに魅力的ではある。
もらえるものはもらっておこう、後と先は後から来るから考えるだけ無駄だろう。
できれば魔眼と祝福の具体的な効果は教えて欲しいところだが…。
『魔眼は単純に視えなかったものが視えるようになる、使い続ければより視えるようになるだろう』
『祝福は視えるようになったものが、良いものとは限らないからな』
『そのための肉体と精神の耐性、と思えばいい…あとは私のマーキングのようなものだ』
そのマーキングによるメリットとデメリットは?
『私を消したいほど憎く思っている相手がいるとしても、そういう神は基本的には善神だ』
『だから、敬遠されることはあっても、突然殺されることはないだろう』
『もし、そういう事態になったとしても、それがあればすぐに拾える』
…いろいろ問題はありそうだが、今は気にしても仕方がないことばかりか。
なら、そのときになったら都度対応、だな。
普通に生きる分にはそこまでのデメリットではないだろう、多分。
『そういうことだ、後は好きに生きればいい』
『では、そろそろ失礼しよう、仲間との交流もするのだろう?』
ああ、そうだった。
突然すぎて、忘れていたよ。
それじゃあ行くよ…またいつか、でいいのか?
『ああ、またいつか』
そう言って『奴』から離れる。
ふと、振り向くと『奴』はまだ手を振っていた。
軽く手を振り返して、今度こそ次へと向かう。
そうして、グループのメンバーとの交流の時間だ。
グループのメンバーのところに行くとなにかあったのかと聞かれた。
『奴』の祝福とやらがなにかしてるのだろうかと思い、どうしてそう思うのかと聞いてみる。
「いや、今まで見たことがないような顔してればそう思うだろ」
「うん、なんて表現していいかわからないけど…」
「困っているというか、苦いものでも食べたか飲んだかしたような感じ?」
ああ、なるほど、思ったより引きずってたのか…。
ファーストキスだったしな、神様とはいえいきなり男に奪われれば、こうなるのか。
別に口づけじゃなくても良かったんじゃないだろうか…。
うん、大丈夫、多分大したことじゃないはずだから…。
「…そうか、無理はするなよ?」
「明日出発だからやっぱり不安とかあるのかな?」
そうだなって、とりあえず肯定しておこうか。
そういう気持ちもあるはずだし。
気持ちの切り替えもした方がいいだろうし。
「そっか、そうだよね…みんな不安はあるよね」
「期待もあるけど、不安もあるよね…多分みんなそうだと思うけど」
「うん、どっちもあるよ」
「楽しみな気持ちがあるのも間違いないけどな」
できるだけの準備はしてきたとは言っても、実際に行ってみないとわからないこともあるだろうし、こればかりは仕方ないんだろう。
それでも、これまでできることはやってきたんだから、後は今まで通り安全マージンを取って行くだけなんだけどさ。
「そうだな、やることは変わらないか」
「気負いすぎても仕方ないしな」
そうそう、考えすぎても仕方ないってことなんだろう。
そうやって話してると夜も更けてきたから、そろそろ部屋に戻ろうと挨拶をする。
それじゃ、このあたりで、また明日。
「ああ、おやすみ、また明日」
「うん、また明日ね、おやすみなさい!」
「おやすみー」
いつもの挨拶返しにも慣れたものだと、軽く手を降って部屋に戻る。
明日は出発だ、チュートリアルが終わり、始まりの町へ。
そこでしばらくしたら、メンバーとの別れも待っているのだろう。
いつになるかはわからないが、生きていればまた逢える。
だから、俺は生きていこう、勇者や英雄のようには生きられなくても。
俺が望み、語るべき、ただひとつの俺だけの異世界譚を。
その先に待っているものが、どんなものなのだとしても。
いつかの未来でまた笑い合えるときが来てくれると思いたいから。
俺は、今を生きて行く。
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