ダンジョンにめぐり逢いを求めるのは間違っていた

公共の場所で小便をする人

そうして僕は出会った

 俺、神代勇はある日起きるとまた、ダンジョンに居た。


 前の晩は随分たくさん酒を飲んで、薬をやった。一先ず、頭が何かうるさいし、腹の中でゼラチン状の手のひらが蠢いている。そいつは俺の口から這い出したがってきては、食道を登り切れず、また落ちていく。その掌が落ち着くまで足の指の先を見て過ごした。親指を上にあげようとすると上にあがり、下に下げようとすると下に下がる。これ以上、確かなことはない。


 ある程度落ち着いたので防火扉を開け、外に出た。外の様子はだいたい、こんな感じだった。どこまでも、高い壁がアーチ状に頭の上を覆っていて、いつ落ちてくるかわかったもんじゃない。地面は黒い石の床だった。どこまでも続いていた。そこら中を俺と同じぐらいの大きさのワラジムシとナンキンムシとヒメカツオブシムシとその幼虫たちが這いずり回っていて、お互いに体を擦りつけ合った。粘液をまき散らしていて、それが飛び、俺の靴にかかった。たまにヒメカツオブシムシの成虫がすごい速度で俺に突進してくる。そして、ギィィィィ、と甲高い声で鳴く。甲殻の間からうどんほどの太さの蛆虫が蠢いているのが見えて、吐き気がした。俺はここをダンジョンと呼んでいる。


 飯を提供しているらしい、一角に入った。


 観光地においてある、顔を出して、写真をとる看板。わかるかい?


 あれがある。あれの顔の所から、乞食のように汚らしい、貧しそうな人間が、顔を出していた。そいつと俺の間には壁があり、そいつは何か足場に乗っているらしく、俺より小柄に見えるのに、俺より顔の位置が高かった。


 「番号を言え」番号? 何を言ってるんだ? 俺が理解できないでいると、乞食が面倒くさそうに腕を出した。手は真っ黒で、爪の間に垢が溜まっていた。ぽと、と蛆虫が落ち、這って行った。それを目で追うと、どうやら食べ物の紹介をしているらしい絵があった。ゴミ、ゴミ、ゴミ。全部生ごみのようだった。しかし俺は腹が減っていた。何より、この乞食が怒り、その感情をぶつけてくるのが怖くて仕方がなかった。


 二番の生ごみをさした。乞食の腕は引込み、もう一度出てきて、蛆虫を人差し指で潰して、また戻っていった。参ったな。


 二番の生ごみにはバナナの皮が着いているようだった。バナナの皮を燃やすとバナナジンという物質が煙と共に排出される。それはセレトロニン(幸福を感じる脳の分泌物質)を過剰に供給させる、というデマがあった。さあ、皆でバナナを燃やして笑おうぜ。


 バナナの皮と茶色い飯、カビの生えたパンはオーガニック風無農薬自然派食品、バナナジンを添えてミールと言った。そのゴミを持って席に着くと、売人が居た。


 売人は俺に聞く。「よう、お久しぶり。今日は何を? 」コカイン? コデイン? 自然派にマリファナ? オーガニック? マジックマッシュルームかい? へっ、へっ、へっ。お笑い草。百年経てば全員腐って死ぬんだ。いや、明日かもしれない。明日起きた時に見ている景色が現世だなんて誰が保証できる? しかし俺は発がん性を気にしたので、二番を選んだ。一番には着色料とグルテンがたっぷり。


 「一番効くやつをくれ。」俺が言った。「スノーホワイトかい? ぶったまげるぐらい高いぜ。」売人は下品な面で笑った。「安いのはないの? 」俺が聞くと、「ええ、あるよ。ありますよ。クロコディルは、いかが? たんぱく質を分解する。体が溶けるけど、ぶっとべる事は間違いなし。」そりゃ、困るよ。と俺。「体に害のない薬なんてないですよ、え? 旦那。へっ、へっ、へっ。全部どれもこれも、軽くか、重くかは知りませんが、毒なんです。」「どうして? 」「どれもこれも死に近づく事で、体を異常な状態にさせるからですよ。ワクチンと同じです。きっかけさえ与えてやりゃ、体が勝手にやってくれんですよ。」「番号で言っても? 」ええ、どうぞ。と売人。


 愛、という薬は? 「お目が高い。そりゃいいですよ。ええ、良い。アッパー系のケミカルドラッグなんですが、何もかもが素晴らしく見えるのです。旦那なら阿片が切れた時の精神はお分かりでしょう。何もかもが敵に見えるもんです。あたしはドアが噛み付いてくるように感じた事もありましたよ。これはその逆。一本体に打てば、どんな醜女でもバビロンの大淫婦に見える事間違いなし。」アッパー系は好みじゃない。社交的になりすぎるからね。「ええ、ええ。おわかりです。ふれあい。これは、いかが? 最近一番売れているブツでしてね。珍しい、目薬型なんですよ。目から入れるのです。依存性は段違いですがね。旦那、孤独にお悩みでしょう? これを使えば、問題なし。常どこからでも、視線を感じるようになります。ええ、ええ。その分旦那も誰かを見なきゃいけませんけどね。中毒者のテント・キャンプを知ってるでしょう。一年着替えていない服で、毛布に包まり、皆で寄り添い、なんとか冬を越す、あれですよ。あれみたいなものです。」餅は餅屋。


 「あんたが使ってる奴をくれ。」売人は少し困った顔をした。

 「うぬぼれ、ですか?」「それがいい。」売人は少し困った顔をして、少しだけですよ。と俺にアンプルを手渡した。二番のパンの食べられそうな所を食べ、バナナに火をつけ、煙を吸い、笑った。ポケット・ナイフで血管の通っている所を抉り、アンプルを折って、うぬぼれ、を入れた。別段何も変わらず、隣を見ると、大きなヒメカツオブシムシがもぞもぞと足を動かし、一番をくちゃくちゃ、不快な音を鳴らし食べていた。でぶだった。ああはなるまい、と思った。


 そうして外に出ると壁が酷く迫ってくる。虫と乞食が俺の近くに寄ってきた。俺は走った。小汚いおかまが居た。「お兄さん、いかが? 」何が? 一瞬間があり、おかまの顔は虫へと変わった。俺は走った。


 瑠璃色の宝珠が、鐘の音を鳴らし弾け飛ぶ。玉虫色の何かに破片が刺さり、痛々しい悲鳴をあげた。フライドチキンのあがる音。三分経過。尻の穴からライトをあげた。引っ張り出し、光をつけた。


 そして、床に投げ出していたシャツをめくった。ワラジムシが五匹這い出した。ああ、ここもか。腐敗は広がる。蛆虫を潰すと、その蛆虫が食べていたものの臭いがする。水に湿ったドッグフードなんかのね。真っ白けで、モンシロチョウなんかが、自分の白さを強調するにはピッタリだ。


 最近は虫達の間で民族大移動が起きている。どういう虫が居るのかと言うと、腹の中で蛆虫を潰し、その粉を尻からまき散らす。その粉はモンシロチョウと売人が欲しがる。その虫を白子虫と呼ぼう。


 モンシロチョウは言う。おい、見ろよあいつら。本当にケツから白粉をまき散らしてる! なんて恥知らずで、馬鹿な連中なんだろう。しかしモンシロチョウは必死で白粉を集める。そのため、白子虫の前では言わない。売人はもっと悪どく、モンシロチョウと白子虫を完全に馬鹿にしている。しかしそれは誰にも言わない。売人同士、口を小さく、言い合うだけ。時々漏れ出すと、そういう意味ではない、と、白子虫の吐き出す粉を独占する事をちらつかせる。そしてその売人より多くの粉を持つ売人は、売人に対してもそうする。


 しかしモンシロチョウは必死で白粉を選んだ。ゴミ、薬を知った。二番のパンの食べられそうな所も。


 それすらも売人にとってはジョークの一つでしかない。モンシロチョウはそれに気づかず、白子虫の上で腰を振っている。売人はついに、白粉を仕入れるための手段すら、モンシロチョウに押し付けた。


 それにすら気づかない、馬鹿な奴ら。


 うぬぼれを使うと、本当の世界が見える。ああ、俺は特別だからね。世界の端に立ち、ただ中心に向かって立って、そして、真ん中には一つの塔が見えるが、頂上は見えない。決して、見えない。本当に塔のてっぺんはあるのだろうか? 

 その中心へ向かい、男と、女が乱交パーティをしながら踊り狂っている。ペニスをヴァギナに入れ、ヴァギナでペニスを喰い、またある人間とある人間の間では、ヴァギナをアナルに変えてその行為を行っていて、それを愛と呼ぶが、誰も彼も、相手を踏みつけ、中心に向かう事しか考えていない。


 今、中心のある程度の高さに老人チームが居る。老人は古代ギリシャの戦術ーPhalanx。密集隊形をとっている。人が人を踏みつけ、中心に向かって登ろうとする。その人は老人である事もあるが、若者である事もある。そうすると、その人をそのPhalanxの一人が踏みつける。踏みつけた人間はこういう。「あら、何か当たったわ。悪い事しちゃったかしら」周りの人間は、そんな事はない、仕方なかったという。踏んだ人間は、そうよね。と納得する。踏まれた人間は、最悪、人の波に飲まれ、そのまま死んでしまう。


 また、こういう若者も居る。同じ格好をして、同じになり、同じ顔に整形する。違ったものを見るとこういう。キモイ。逆に、同じカラーギャングの仲間を見るとこう言う。カワイイ。こいつらも老人と同じくPhalanxを組んでいて、ある程度の高さに座り込み、こういう。あたしだけの、小さな幸せ。幸せ探し、自分探し、オンリーワン。


 誰もこうは考えない。自分の足元には、死体が転がっている。

 自分も明日は、そうなるかもしれない。


 売人は下品な面で笑う。それにすら気づかない。そいつは俺の口から這い出したかったもんじゃない。「旦那、馬鹿な連中なんだろう。」


「どこまでも」お笑い草。「問題なし。」それを表すにはピッタリだ。ここもか。


 コカイン。別段何も変わらず、と、その感情を見て過ごした。俺は世界の端でジグダンスを踊り、蛆虫を数匹踏み殺した。バナナに火をつけ、煙を吸い、仕方なかったと笑った。


 「……てなわけなんですよ、先生。」俺がそこまで言うと、俺の目の前、安っぽいワーキングチェアに座った白衣の男性は俺のカルテから目をあげた。「そうだったか。大変だったねえ。」"訳知り顔"。心の底から慈しむような目線を俺に向ける。「神代くん……非常に言いにくい事なんだが……」先生は眼鏡を左手で上にあげ、俯き、目の内側を右手の親指と人差し指で押さえた。「それは、多分……その、君の妄想だと思うんだ。」そう言って、足置きにしていた死体から足を離した。死体の基本原則は三つ。無表情・無感動・無自覚。そこらへんを歩き回っている。「君はうぬぼれを過度に服用している、と言ったね。」俺がええ、と言うと先生はわざとらしく右手で拳を作り、左の掌を叩いた。「そうだ! ウィリアム・リー式精神鑑定を行ってみよう。何か解決方法が見つかるかもしれないよ」先生がワーキングデスクの三段目を開け、写真を取り出した。「この写真をどう思う? 」男のペニスが男のアナルに挿入されている写真だった。「気味が悪いです。」「そうか、そうか、そうか。興味深い……これは? 」二枚目はペニスを男がフェラチオしている写真だった。うえっ、と俺は言った。「聞くまでもないね……最後の、これは? 」男と女がディープキスをしている写真だった。「悪くないですね。」「そうか、しかし彼女が男だったとしたら? 」「それは……いや、気味が悪いです。」「なるほど、わかったぞ。」


 先生は興奮した様子でカルテに何かを書き込む。「何がです? 」俺が聞く。「君は同性愛者じゃない。いたってヘテロセクシュアルだ。」「俺が聞きたいのはそんな事じゃないです。」先生の足置きの死体と、後ろに立っていた死体が拍手をする。おお、おお、と機械的な声をあげる。「いや、いや。これは根本の問題だよ。君のようなうぬぼれ服用者は自分で何もかもを決めすぎる。」「うぬぼれは俺の妄想なんでしょう? 」「私がいつそんな事を言ったかな? いや、これで問題解決。解熱剤とアスピリンを出しておくので、症状が酷くなれば飲むように。次の患者! 」俺は死体に引きずられ、病室の外へほっぽり出された。ポスターが貼っていて、腐乱死体と骸骨が肩を組み、こう書かれていた。「老後に第二の人生をスタートさせよう! 」


 そうして俺は、中毒者のテント・キャンプに居る。お互いに身を寄せ合っている。中毒者同士こう言い合う。世間の死体共は……キモイ……何もわかっていない……我々は特別……カワイイ……そうしてうぬぼれを鼻から吸うか、口から飲むか、血管に注射する。末期患者は皮膚に水疱が出来る。身を寄せ合うと、その水疱が破裂し、体液がお互いにかかる。それはとても温かい。


 俺は藍色のスカーフを身に着けている。他の服は一年か二年変えていないが、これだけはサッパリしている。それは俺を詩人であると証明するもので、それがなければ、俺も周りの末期患者と何も変わりがない。


 なんて恥知らずで、いや、へっ。へっ。へっ。なんとか冬を完全に馬鹿にしている。


 出典 裸のランチ    ウィリアム・バロウズ

    勝手に生きろ!  チャールズ・ブコウスキー

    考える葦     太宰治

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