第2章 聖なる乙女8
2日後、若者と少女は賑やかな街道沿いの界隈に入っていった。宿場は南北の交通を結び、旅人や商人の往来が絶えず、商業的な交流地点として大いに賑わっていた。
街の通りは人でごった返し、食べ物や土産物、美術品、武具……なんでも揃っていた。この辺りでは、地方ではほとんど流通していない通貨も当たり前にやりとりされていた。
北へ進むと王城へと繋がっている。王国北部へと繋がる、重要な中継地点になっていた。
そこまでやってくると、パンテオンはそのすぐ向こうだった。家並みの向こうに霊妙なる山脈の麓が見えた。あれこそ、この王国でもっとも大きなパンテオンが置かれる場所である。
少女も慣れた様子で、信心深い商人達の挨拶に丁寧に応じつつ、雑踏をするするとすり抜けてパンテオンに向かう道を進んだ。少女はこの辺りではそれなりに知られた存在のようだ。
賑やかな市場を通り抜けると、辺りの騒々しさは潮を引くように去って行き、人家もまばらで、パンテオンに近付くにつれて厳粛な空気へと入れ替わっていくのをひしひしと感じられた。
参道は最低限以上の人の手は加えられず、ほとんどが自然のままで、古い時代の石のモニュメントが点々と配置されていた。
少女
「随分、遠回りしましたね。お体は大丈夫ですか?」
×××
「まだ何も。僧侶のまじないが効いたのでしょう」
少女
「それはよかった。大パンテオンにお越しになられたのは初めてですか」
×××
「一度結婚の儀の時に訪ねて、洗礼を受けました」
少女
「結婚……していらしたの?」
×××
「はい。しかし4年前の戦で亡くなりました」
少女
「そうでしたか……。すみません」
×××
「いいえ」
少女
「それでは大パンテオンは不案内ですね。私に案内をさせてください。――パンテオンは、私たちケルトの宗教的祭事を担う場所で、大パンテオンはその総本山となる場所になります。ケルト宗教の中心地……ですから聖地ですね。パンテオンでは冠婚葬祭はもちろんですが、教育や医術、それに裁判も請け負っています。古くはここで神官らの手によって、神との対話が持たれ、政も行われていました。ですが、政治は司法の大部分とともに、国と分離しています。祭事の進行と主導権は今でもドルイドが一手に引き受け、日々の精神の鍛錬とともに、あらゆる口述、祝詞、記録を取得するために、修行僧は師と1対1となり、口伝とそのすべてを継承します」
×××
「私も寺院に通って、言葉を教わりました」
少女
「ならば、ドルイドの教えが身についているはずだわ」
×××
「ドルイドには教典や書物の類がないと聞きます」
少女
「はい。ドルイドは文字を使いません。しかしだからといって教えがないというわけではなく、全てが口伝で伝承します。文字は長く残せますが、読まない人が現れますし、言葉の変節で文字のほうが古くなり、読めなくなってしまうことがあります。口伝のほうが長く生き、ひとつの伝承を正確に残していけるのです。先程、文字は使用しないと説明しましたが、まったく使用されないというわけではなく、必要な時にルーンが使われます。ルーンは文字への置き換えができない言語で、我々が感知し得ない神秘の力で万物に働きかけます。ただ、ルーンを習得するのは、どんな国の言語を学ぶよりも難しく、だからドルイドは厳しい修行を通して一生をかけて習得する必要があります」
山脈の麓にやって来ると、ぽつぽつと神社が現れ、修行中の僧侶や巡礼の旅人たちが行き交う姿が見られた。大パンテオンの入口である。
入口にはロイヤル・オークの大木が頭上を覆い、それが門のようになって訪れる者はその下をくぐらなければならなかった。
大パンテオンの敷地に入ると、山の斜面に沿って長い長い石階段が作られているのが見えた。その要所要所となる場所に、森の景色を侵害しないように社がいくつも作られていた。
日々の務めに従事する僧侶や巫女が、旅人を連れた少女を見ると、畏まって頭を下げる。
ここでは何もかもが厳粛さに包まれ、自然と訪ねる者の居住まいを正させる何かがあった。しかしそれでいて、空気は清浄で、体も心も清められるような穏やかさがあった。木の枝の先、密やかに巡る風にも、精霊や神が宿るのを感じた。霊感のない人間であっても、ここに来れば神の御座す場所であると確信できるものがあるように思えた。
そんな山の石段をしばし登っていくと、少女は老僧侶を見付けて駆け寄った。
少女
「老師様。私の師ですの。老師様、ただいま戻りました」
少女は老師の前に膝を着いて挨拶をする。
若者の目にも、その老師の物腰や気風の中に只者ではないものが感じられ、できる限りの丁寧な挨拶をした。
かの老人こそ、この寺院の、ひいては全ドルイドを束ねる最高指揮者のドルイドであった。
老師
「ふむ。巡礼の旅はどうであったかな」
少女
「滞りなく済みました。ただ、風は穏やかではなく、土地土地の地霊は何かに怯えるように健やかではありません。まるで嵐の前の静けさのよう。語りかけるものは言葉を失っておりました」
老師
「そうか。時代の混乱は人の手が届くうちに何とかしたいものだが……しかし神のご意志には逆らえん。――それで、そちらの人は」
少女
「私の友人です。旅の最中に出会った、心許せる人です。――実はあの人のことでお願いがあるのですが……」
老師
「何かね」
少女
「かの者は、訳あって名前を失っておられるのです。もし支障がなければ、場所を与えてくれませんか。儀式を執り行い、相応しい名前を与えたいと思うのですが……」
老師
「……ほう。その若者が、新しい名前を?」
少女
「お願いです」
少女は老師だけに聞こえる声で言った。
老師
「……ふむ。ならば3時に13番目の宮が開くから、そこを使いなさい」
少女
「ありがとうございます」
少女と若者が偉大なる老師に頭を下げた。
老師
「まずは2人とも身を清めなさい。長旅で疲れたでしょう。食事を用意させましょう。ゆるりと休んで、疲れを癒やすといいでしょう」
※ ケルトの名前が使われていますが、実際のケルトとは無関係です。この物語はあくまでもファンタジーです。
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