ハルカとカナタと宇宙人・地球の歴史はビジネスチャンス

@Sohshing

第1話「谷間と生足」

*テレビがないっ!


 テレビがないっ!

 歴史番組を見ようと、ハルカがリビングのテレビがあるべき

場所にやってくると、ぬあんと、テレビがないっ。

 購入11年目の27インチ・ブラウン管テレビがないのだ。

 うっすら埃をかぶったテレビ台と、外れたコード類が裏側に

あるだけで、テレビだけがそっくり消えているではないか。

「あ~ん・・!」

「どしたの、姉ちゃん」

 帰ってきた弟のカナタが、階段上って、ドーナツくわえて姿

をあらわした。

 こいつ、いっつもなんか食べてるんだから。

 いや、それどころじゃない。

「見よっ」

「あがっ!」

「お前、なんかやったか?」

「んぎゃ」

 ふむ。どうやらパパとママがテレビを隠すような事態ではな

いらしい。だって、ハルカにも身に覚えがないもの。

「ってことは・・・」

 見ると、リビングから廊下に出る敷居あたりに、テレビの上

に置いてあった写真立てが落ちている。

 よその子に手を振ってるミッキーをバックに、小三と年長さんのハルカとカナタが笑ってる写真が入ってるヤツだ。

「ん・・」

 そうっと廊下に出てみると・・奥の階段に点々とテレビの上

にあった品物・・一昨年海で撮った家族写真のほうの写真立て、ヘアピンとヘアピンを入れてあった小さなお皿、カナタが臨海学校で買ってきた下田の通行手形、ハルカの壊れたキーホルダー・・などなどが落ちているではないか。

「盗人は上の窓から逃げ去ったか」

「ムリくね。屋根裏にそんな窓ないし」

 そっ。狭い階段の上は、ハルカとカナタが子供部屋として使っている屋根裏部屋なのだ。

「ってことは・・・」

 たたたっと階段を下りるハルカ、玄関の傘立てにあった富士

登山記念の木刀と金属バットを抜くと、再びたたたっ。

「行くぞ、弟」

「お? お、おう」

 金属バット受け取って、竹刀のように構えるカナタ。

「目に物見せてくれる」

 中二らしくない台詞のハルカを前に、小五のカナタと二人、

そろりそろりと階段を上がってゆく。

 って、かなり勝ち気な姉と弟なんだ。


「はが?」

 階段上がった屋根裏部屋。

 カナタが電気付けっぱだったので、半分明るいその真ん中に、巨大な銀色の筒状の物体が斜めっているではないか。

 おかげでカナタの本棚が倒れてマンガ本が散らばってるし、

物体とカーテンの向こう側にはハルカの整理箪笥があるんだけ

ど、どうなってることやら。

 でもって、物体の内部からなにかがさごそと音がしている。

 そうっと回りこんでみると、そこに開けっぱのドアがあって、中のようすが見える。

 明るい照明に照らされて、計器みたいなものがいっぱい取

り囲んでいる狭いスペースで、小柄な男(だと思うよ、多分)

が、ハルカんちのテレビを膝に抱いて、なにかごそごそやって

いるではないか。

「ちょっと、あんたっ」

 がたっ、どてっ、ごとぼこっ。

 びっくりした小柄な男、テレビを足元に取り落とし、尻餅を

つき、あげくに後ろの計器に頭をぶっつけた。

「おまがっ」

(痛いと言ったらしい)

「そこでなにやってんのっ」

「あ、怪しい者ではありません」

「そーゆーとこが十分怪しいだろっ」

 木刀と金属バット持ったハルカとカナタがぐいと前に出る。

「ごももっともとも・・・」

 びびりまくりで這いつくばった小男、

「いんでけ、あにだ、えれげ、あにぼだ」

 なんだか訳わかんないことをぶつぶつ言いながら、どっかに

手を突っこむと、いきなりおもちゃの電子銃にそっくりな電子

銃を両手で構えた。

「え?」

「あむそっ」

 小男がレバーを引くと、びびびびびっ、ハルカの体が電磁波

に包まれた。

「きゃ~っ・・!」

 んが、すぐ、ぼんって音がして、電磁波が消え、ふわっと風

が起きて、ハルカのミニスカがふわり。

「わ、わらはっ・・?」

 慌てて電子銃を点検している小男。ともかく、なにかうまく

いかなかったらしい。

 けど、ハルカの目が吊り上がった。

「パンツ、見たね」

「え?」

「見ただろ」

「は、はあ」

「あたしのパンツ見たヤツは許しちゃおかんっ」

 木刀振り上げて躍りかかり、金属バットのカナタがつづく。

 どたばたどたばた。ものの7秒ちょっと。組み伏せられた小

男は、ハルカとカナタに馬乗りされ、腕をねじ上げられ、床に

うつぶせっていた。

「何者だっ」

「は、破滅だ・・・」

 小男の目がみるみるうるうる涙目になる。

「ウチのテレビをどうするつもりっ」

「すべっては、なし、マスカラ、キーテイク、ダサい」

 小男、全て話しますから聞いてください、と言ったらしい。



*イポポタス・タブラカス・カバーオ


「わたくしは、惑星クンダーリの二大帝国のひとつヘンピーノ

帝国から派遣された、イポポタス・タブラカス・カバーオと申

します」

 柱に縛りつけられた小男が、仕方なさそうにぼそぼそと名乗

る。

「惑星クンダーリ?」

「どこそれ」

「63億光年ほど離れた惑星です」

「ってことは、あんた、うっちゅ~じんっ?」

「ちだまの方から見ると、そうなります」

「ちだま?」

「この惑星のことを、そう呼ぶのではないのですか」

「そら地球だろ」

「漢字読めないんだ」

「宇宙人ねえ」

 じろりと小男カバーオを見るハルカ。

「で、信じるか?」

「信じるっ」

 カナタ、目を輝かせちゃってる。

「ふむ、ひとまず信じよう」

 もっかい、カバーオを睨みつけるハルカ。

「で、その宇宙人が、なんだって人んちのテレビを盗もうとし

たわけ?」

 見たかったんだから、あの番組。ったくもう。

「宇宙船の、メインモニターが故障しまして・・・」

 カバーオによると、地球上空を、地球人の目には見えないす

んばらしいスピードで航行中、突然、ぼんっとメインモニター

が消えてしまったのだという。

 そこで、仕方なく手動操縦で人気のない場所に不時着を試み

たのだが、なんせ初めての手動操縦。不覚にも、ハルカの家の

屋根に突き刺さってしまったのだという。

「まるっきし町の中じゃんか」

「3800キロほど計算を間違えました」

「算数も弱いんだ」

 カナタの言葉に、カバーオがむっと反抗的な目を向ける。

「で、なんでテレビなのよ」

 こだわるハルカ。

「で、ですから、なんとかモニターを修理できないものかと・・

しかし、このような原始的なモニターでは・・」

「原始的で悪かったな」

「せめて、60インチ8Kクオリティの液晶モニターで、できれば3Dなら」

「ぜーたくっ」

「しかし、それがないと宇宙船は修理できません」

「できないと、どうなるわけ?」

「ずっと、ここに・・・」

「なぬ~っ」

 ぐすん。カバーオ、カバ系の顔をくしゃっとゆがめて、泣き

出しちゃった。

「わたしだって、困ってるんです」

 そりゃそ~だろ~けどさ~。ハルカとカナタ、思わずカオを

見合わせちゃった。

 うう、うううう・・・。

 カバーオ、柱に縛りつけられたまま、ぼろぼろと声をあげて

泣いている。

 よく見ると、身長は155センチのハルカよりちょっと低いく

らい。濃い灰色の冴えないズボンと、同じ色のボタンのない上

着に、丸い庇のついた帽子をかぶっている。

 なんつうか、昔の駅員さんとか郵便配達の人とか、そんな雰

囲気。

 見た目は人間と変わらなくて、人間で言えば情けなさそうな

顔をしている。

 その情けない顔がさらに情けなくなって、大の大人がぼろぼ

ろおいおいと泣いているんだ。

 大の大人、なんだと思うよ、多分。

 ふ~う。溜め息ひとつついたハルカ。

「つまり、60インチ8Kクオリティで、できれば3Dの液晶テレビがあれば、宇宙船を修理してここから出てってくれるわけね」

「はい」

「あんた、お金は?」

「ヘンピーノ通貨なら」

「んなもん使えるわけないでしょ」

 カバーオ、またちょっぴりむっ。

「お金がないなら働けば。ウチ、お店だし」

 お、カナタ、い~こと言う。

 ハルカとカナタのパパとママは、一階でレストランとついで

に古道具屋を経営していて、ハルカとカナタもしょっちゅう手

伝わされているのだ、タダで。

 んが、

「それはダメですっ」

 カバーオ、唾が飛ぶほどきっぱりと言う。

「なんで?」

「他の惑星人に発見されてはいけない規則なのです。発見され

て、公になれば、身の破滅です」

「身の破滅?」

「惑星への帰還が許されないのです、うう、うううう・・・」

 またまた、声を上げて泣き出した。

「けど、あたしたちに発見されてんじゃん」

「ですから、その、お二人が黙っててくれて、公にならなけれ

ば・・・」

「あたしたちに宇宙人をかくまえってわけ?」

「お願いします・・・」

 うう、ううう。泣き続けるカバーオちゃん。

「泣き落としかよ」

「わたしだって困ってるんです。たった一人で遠い惑星にやっ

てきて、宇宙船が故障してしまった気持ち、分かるでしょ」

 分かるかい、んなもん。ハルカ、やれやれと腰に手をあてる

と、

「分かる」

 カナタがとなりでしっかり頷いていた。

「姉ちゃん、なんとかしてやろうよ」

 だって。

 ありゃま。

 けど、ずっとここにいられるのも困るし、誰かに見つかって

オオヤケになって、取り調べを受けたり、身体検査されたり、

おまけに故郷に帰れなくなっちゃうというのもなんか可哀想で

はある。

「しょうがねえなあ」

「60インチ8Kクオリティで、3Dの液晶テレビさえあれ

ば・・・」

「なんか、お金になりそうなもの、持ってないの?」

「宇宙船の備品を売れというのですか。そんなこと出来ません。

宇宙船は帝国のものですし、そもそも他惑星への技術移転は禁

止されています」

 うるさい規則の多い宇宙人だな、こいつ。

「そもそもあんた、なにしにチダマに来たわけよ」

「わたしは、歴史記録官=ヒストリアンであります」

「ヒストリアン?」

 カバーオによると、文明を持つ惑星が発見されると、どのよ

うな歴史と文明を持つ惑星か、危険がないかどうかを、歴史を

通して調査する仕事なんだって。

「歴史を調査するって、どうやって?」

「宇宙船に装備したタイムマシンを使用して、さまざまな時代

の現実を見てくるのであります」

「タイムマシン?」

 ハルカの目が、きらりと光った。



*ヒヒック型タイムマシン


「これがタイムマシンなわけ?」

 斜めってる宇宙船の真ん中あたりに這い上がると、卵形で表

面もつるっと白いカプセルがあった。

「はっ、ヒヒック型タイムマシンであります」

「せまっ」

 早くもカプセルに乗りこんだカナタが、ベンチ式シートの上

で、手足を広げてクモみたいに張りついている。宇宙船が斜めっ

てるからしょうがないんだよね。

「詰めなさいよ」

 後から乗りこむハルカが、お尻でくいとカナタを端に寄せ

る。

「さ、乗って」

「わたしもですか」

「当たり前でしょ、あんたしか使えないんだから」

「つ、使うって?」

「体験試乗よ」

「はあ?」

「いいから、早く」

「し、しかし、タイムマシンの使用には規則がありまして・・・」

「パパ~~、ママ~~」

 急に、外に向かって大声で叫ぶハルカ。

「あたしたちの部屋に宇宙人がいるの~、ケーサツ呼んで~~」

「わぁわぁわぁ」

 慌ててさえぎるカバーオ。

「わかりましたよ」

 てなわけで、小柄なカバーオが、ハルカとカナタのベンチシートの前の、小さな操縦席に渋々乗りこむ。

「で、あの、どの時代に行けばいいんでしょう」

「そうね。先ずはテストってことで、あたしが赤ん坊だった13年前でお願い」

「了解いたしました」

 なにやら計器をがちゃがちゃやっているカバーオ。

「しゅばんこっ」

 ヘンピーノ語でレッツゴーらしき言葉とともに、赤いボタン

をプシュッ。

 すると、ガラガラガラ、ジャ~~ッ・・トイレから水が流れ

るみたいな音とともに、卵形のカプセルがふぉ~んと光りに包

まれる。

 やがて、ぽとん。トイレにう××が落ちるみたいな音がして、光りが止まった。

「到着いたしました」

「感じ悪い音っ」

 言いながら、カプセルのドアを開けるハルカ。

 途端に、ハルカのお目々がきら~んと光った。

「なっつかしいっ」

 そこは、ハルカんちの裏手。

 今ではマンションが建っちゃったところの一部が昔は空き地

で、小さいころのハルカとカナタの遊び場だったんだ。

 でもって、そこには5才くらいの女の子と2才くらいの男の子がいて、女の子が男の子からプラスティックのバットを無理やり取り上げたもんで、男の子がわ~んっと泣き出したところ。

「泣くなっ」

 女の子が男の子の頭をバットでぽかり。

「ふっぎゃ~~っ」

 いよいよ激しく泣く男の子。

「ひっど~い」

 と、飛び出したのはカナタ。

「ちっちゃい子いじめちゃダメだろ。返してあげな」

 女の子からバットを取り上げて、男の子に返している。女の

子はというと、むっす~~っと不満そう。

「思い出したわ」

 見ていたハルカがぽつり。

「あん時の知らない大きな子がカナタだったとは」

 そこに戻ってくるカナタ。

「どこの子だろ、ねえ、姉ちゃん」

「あたしとあんただよっ」

「へ?」

 バッとカバーオを睨みつけるハルカ。

「13年前っつったのに、8年前じゃんか。どうなってんのよっ」

「あ、あの、現在の技術では、この程度の誤差はどうしようも

ないんです。ただ、歴史を検証するには、まあ実用になってる

ようなわけでして」

「あ~ん、姉ちゃんがボクをいじめた~」

「るっさいよっ」

 けど、ハルカのお目々がきら~ん。

「これ、使えるかも」

 ねえ、ハルカちゃん、なにか企んでるでしょ。



*マリー・アントワネット


「マリー・アントワネット?」

「そっ、前から憧れてたの」

「マリー・アントワネットに?」

「お~っほほほほっ」

 突然、手の甲を口元に、高笑いするハルカ。

「パンがないなら、ケーキを食べればいいじゃない」

 あ、小芝居だったのね。で、素に戻るハルカ。

「豪華な宮殿、華やかなドレス、優雅な舞踏会、晩餐会のご馳

走に、おいしいお菓子。ね、どんな生活だったか、見てみたく

ない?」

「姉ちゃんらしいや」

 夢見るハルカと呆れるカナタ。

 でもって、堅物のカバーオ。

「あの、そのような理由でタイムマシンを使用することは・・・」

「お黙りっ」

 あれ? まだマリー・アントワネットやってた。

「んじゃ、なに、あんたの存在がオオヤケになって、尋問受け

たり身体検査されたりしたあげくに、あんたのお星さまに帰れ

なくなってもい~わけ?」

「うっ・・・」

 言葉に詰まっちゃうカバーオ。

「それとも、60インチ8Kクオリティの3Dテレビを手に入れて、宇宙船を修理するのと、どっちがいい?」

「そんなの、聞くまでもないじゃないですか」

 しょんぼり俯いて答えるカバーオ。

「けど、マリー・アントワネットとテレビと、ど~ゆ~関係が

あんのさ」

「あたしに考えがあるの」

 きっぱり言うハルカちゃん。あ~ん、そのお目々はやっぱり

なんか企んでるぅ。

「考え?」

「先ずはテストよ。うまくいけば、60インチ8Kクオリティの3Dテレビくらい、すぐに買えるわ」

「ホントですか?」

 がばっと顔を上げるカバーオ。

「あたしを信じる?」

「信じないほうがい~と思うよ」

 横から口を出すカナタ。

「う・・」

 思わずハルカとカナタの顔を見比べるカバーオ。

 その時、カバーオの胸をす~っとさびしい空気が吹き抜けて

いった。

 だってさ、不時着した見知らぬ惑星で、頼れる人間が中学二

年の女の子しかいないんだもん。

「わたくしも、あの、重大な規則違反を犯す訳でありまして・・」

「だから、なに?」

「わたくしが、ダメということには従っていただきたいと・・」

「例えば?」

 うっと言葉に詰まっちゃうカバーオ。

「それは、その時になってみませんと・・・だって」

 不意に顔を上げて訴える。

「あなたたちの文明にはないマシンを利用させるんですよ」

 うるうるした目が、必死の思いを物語っている。

 ふうむ、そうまで言うならしょうがないか。

「だからさ、今回はテストよ。うまくいったら、どうやって60インチ8Kクオリティの3Dテレビを買うお金を稼ぐか説明するから、やるかやらないか、自分で決めればいいじゃない」

「はあ」

「いいわね」

「分かりました」

 カバーオ、仕方なさそうに答える。

 やった、マリー・アントワネットに会えるぞ。

「えらいっ、え~と・・名前、なんだっけ?」

「イポポタス・タブラカス・カバーオ」

「じゃ、カバッちでいいか」

「それはいけませんっ」

 カバーオ、激しく抵抗した。

「へ?」

「カバーオですっ、カバッちではありませんっ」

「あ、そ~なの」

「ひと文字違いで、大変な違いなんですから」

 なんだって。ふ~ん。

「分かったわ、カバーオ。んじゃ、マリー・アントワネットの

時代に、ゴ~ッ!」

「んな、いきなり言われても。いつの時代ですか?」

「え~とぉ・・・」

 口ごもっちゃうハルカ。

「自分も知らねんじゃん」

「るっさいね」

「歴史上の人物ですね」

「もっちろん」

「では、ウサンクサペディアで調べれば、なんとか」

「ウサンクサペディア?」

「チダマの大体の歴史を大まかに整理したおおよその目安にな

るデータです」

「アバウトやなあ」

 小さな背中を丸くして、カバーオがなにやら計器をがちゃが

ちゃ。

「あ、出ました。1750年代から1790年代あたりに、フランスらへんに生きてた人」

「ホントに大体なデータやな」

「そこらへんでよろしいですか」

「パリよ、パリッ。花の都パリよっ」

「分かりました」

 また計器をがちゃがちゃのカバーオ。

「ぼくも行くの?」

「宇宙船の突き刺さった子供部屋で、いつパパやママに見つか

るか、どきどきしながら待つのとどっちがいい?」

「行く」

 こういう姉と弟らしい。

「しゅばんこっ」

 再び、ガラガラガラ、ジャ~ッ・・トイレから水が流れるみ

たいな音とともに、卵形のカプセルがふぉ~んと光りに包まれ

た。



*パリ・1772年


 ぽとん。感じ悪い音がして、光りが止まる。

「着いたのねっ」

 いきなりバッとドアを開けるハルカ。

 んが・・。

 目の前に広がっていたのは、いびつなカタチの田んぼと、ぽ

つんとたっているわらぶき屋根の農家、そして、歩いているちょ

んまげつけたお百姓さんの姿だった。

「どこ、ここ」

「ドアを閉めてください」

「ん」

 カバーオに言われて、ドアを閉めるハルカ。

 またまた、ガラガラガラ、ジャ~ッ・・トイレから水が流れ

るみたいな音とともに、卵形のカプセルがふぉ~んと光りに包

まれる。

「またなんか間違ったの?」

「違います。先ず時間を移動してから、空間を移動するんです」

「あん? どういうこと」

「さっきのは、240年ほど前の、あなたがたの家があった場所

です」

「ふ~ん、江戸時代のあたしんちのあたりって、あんなだった

んだ」

「どうして江戸時代だって分かるの?」

「だって、水戸黄門みたいだったじゃない」

「あ、なるほど」

 あっさり納得しちゃうカナタ。

 けど、おおまか間違っちゃいない。マリー・アントワネット

が生きていた時代は、日本でいうと江戸時代の中頃。田沼意次

が老中という職についてて、賄賂が横行したってなことが教科

書に書いてあったでしょ。

 だいたいそんな時代。

 あれ? ウサンクサペディアがうつってきたぞ。

 ま、ともかく、ぽとん。またまたあの感じ悪い音がして、カ

プセルの光りが止まる。

「到着です」

「いよいよねっ」

 ハルカがバッとドアを開けて飛び出すと・・。

 ど~んと広い空の下に、いくつもの屋根やでこぼこの屋上が

ど~んと連なっていた。

「どこ、ここ」

「あ、屋上だ」

 後から出てきたカナタ、足場を探している。

 なにしろ、煙突やら天窓やらで、平らなとこがあんましないんだ。

「それくらい分かるわよ」

 と、あたりを見回すと・・・。

「わおっ」

 ハルカ、思わず声を上げた。

 だって、見覚えのある建物が目に飛びこんできたんだもん。

「パリだッ!」

「はい、1772年のパリ市内です」

 カプセルの中から、計器を見ながらカバーオが言う。

「なんでパリだって分かるの?」

「だって、ほら」

 ハルカが指さす先に、教会らしいふたつの塔が、建物の連な

りの上にぽこんと頭を出していた。

「ノートルダム寺院だよ」

「なにそれ」

「ほら『ノートルダムの鐘』で主人公が住んでた」

「見てねえ」

「ちっ」

「エッフェル塔は?」

「ん~と」

 見回してみたけど、それらしい姿はない。

「こっからは見えないんじゃないの」

 ってハルカちゃん、エッフェル塔は1889年の建設。この時

代まだありませんから。カナタくんも、

「ふ~ん」

 って納得しないの。

「けどさ、なんでこんな屋上に着陸するわけ」

 もそもそカプセルから出てきたカバーオに振り向いて、聞く。

「発見されては困るので、人目につかないところを自動的に選

ぶのです」

「ふ~ん」

 カバーオ、カプセルを隅っこに移動させている。

「わたくしはここで待機しておりますから」

「あ~ん? いっしょに行かないっつの」

「わたしが、他の惑星人に発見されてはいけないのはご存じで

しょ」

「そらそうだけど」

 ハルカ、なんとなく不安になった。

「マリー・アントワネットだよ。歴史を記録するのがあんたの

仕事じゃないの?」

「これは任務ではありませんから」

「そうだけどさあ」

「わたしになにか期待されても困ります」

 きっぱり言われちゃった。

「それに、タイムマシンになにかあったら、元の時代に戻れな

くなりますよ」

 ぎくっ。言われてみりゃ、確かにそうだ。

「分かったわよ。あたしたちだけで行ってくるわよ」

「なんとかなるって」

 カナタったら、ついてくるだけのくせして調子い~んだから。

「これを」

 なにやら小さな機械を手渡すカバーオ。

「なに?」

「イサダホンです」

「イサダホン?」

「ダサい名前」

 むっとやな顔するカバーオ。

「チダマで言うスマホのようなものです」

「スマホ?」

「チウーオというアイコンを押せば、タイムマシンまで道案内してくれます」

「あ~ら、い~とこあるじゃない」

「迷子にでもなられてはこちらが困りますから」

「言ってくれるわね」

「では、なるべく早く戻ってください」

 言いながら、小さなリモコンをぴっ。

 すると、つるんと白いカプセルの表面が、あっという間にま

わりの眺めに同化して、見えなくなっちゃった。

 あ~ら、ハイテク。

「分かった。あんたこそちゃんと待っててよね」

「そこまで不人情ではありません」

 むっとした顔で言うと、周囲と同化したカプセルのドアを開

けて、中に入っちゃった。

 ふ~う。

 ともかく、そんなわけで、ハルカとカナタは、二人だけで

1772年のパリの街へと足を踏み出すことになった。



*マリー・アントワネットさまよっ


 ドアを見つけて、建物の中に入る。

 しんとした廊下の途中に階段をめっけて、たたたたたっ。

 途中で出会った女の人がびっくりしてるのに、「やっ」と挨

拶。

 一階まで降りると、そこが出入り口。

「ちょっと、あんたたちっ」

 コンシェルジュっていう管理人のおばさんが、出入り口脇の

小部屋で立ち上がるのなんかなんのその。先ずは、外に出た。

 そこは裏通りらしくって、人通りもあんまりない。

「どっち行く?」

「ん~~、取りあえず大通りに出てみよ」

 通りの端まで行って左右を見ると、あった、ありました、そ

れらしき大通りが。

 たたたたっとそこまで行くと、公園みたいにうんと緑が多い

中に石畳の大通りがど~んと続いていた。

 でもってそこには、パラソルの貴婦人や立派な身なりの紳士

がそぞろ歩き、制服の御者が操る優雅な馬車なんかも行き交っ

ている。

 通りの両側には重厚な構えの高級そうなお店や通りにテー

ブルと椅子を出したレストランやカフェもある。

「わお、花の都よ」

「ほえ~っ、なんか昔っぽい」

「バカね、昔なのよ」

「あ、そっか」

 ハルカ、うっとりとあたりを眺めながら歩き出す。けど、カ

ナタはなんか場違いな感じがしてしょうがなかった。

 実際、道行く人たちがみ~んなハルカとカナタの二人を不思

議そうに眺めていたんだけど、そんなことにはてんで気づかな

かった。

 すると、

「マリー・アントワネットさまよ」

 パラソルの貴婦人の声が聞こえた。

 ん? と見ると、四頭立てで黒塗りの大型馬車が、両側に数

頭の番犬を従えて走ってきた。

「ホテル・クリヨンで音楽のレッスンを受けてらっしゃるんで

すって」

「ヴェルサイユにお帰りになるところね」

 やってくる馬車の中で、数人の若い貴婦人が楽しそうにおしゃべりしているのが見える。

「マリーさまは?」

「あそこよ、後ろの、こちら側に」

 その席の若い貴婦人が、目の前を通りすぎるとき、ふっと窓

の外に目をやる。

 じっと見ていたハルカは、一瞬、目があったような気がした。

「あの人が、マリー・アントワネット・・・」

 走り去る馬車を見送っていると、

「チャンスじゃん」

 カナタが言う。

「は?」

「追いかけようぜ」

 見ると、馬車の姿はまだそんなに遠くない。

「よっしゃ」

 バッと走り出すハルカにつづくカナタ。

 パリの街に出た途端にマリー・アントワネットに出会えたん

だ。カナタの言うとおり、チャンスかもよ。

 でもって、フレアミニの裾がふわっふわっふわっ。

 けど、四頭立て馬車は思ったより速かった。走っても走って

もどんどん小さくなるし、それどころか、後ろから来た二頭立

ての小型馬車まで追いついてくる。

「カナタ、追いつかないよっ」

「任しときっ」

 たたっと加速するカナタ、小型馬車に追い越されざま、後ろ

にくっついていた小さなステップにバッと飛び乗る。

「姉ちゃん」

 でもって、走るハルカに手を差し伸べる。

「んっ」

 その手をつかむハルカ、カナタに助けられて、無事ステップ

に飛び乗った・・・と、思ったんだけど・・・。

 飛び乗った途端に小型馬車がぐらり。小さなステップの上の

ハルカとカナタ、必死に馬車にしがみつく。

 すると、馬車に乗っていた貴婦人が異変に気づいて振り向い

た。

 目の前の小さな窓の中の貴婦人に向かって、ハルカとカナタ

が、にっ。

 その顔を見た貴婦人の顔がひえっと引きつっちゃった。

「ぎゃ~~~~っ・・・!」

 いわゆる絹を引き裂くようなってヤツね。もんのすごい高音

の悲鳴が楽に7秒7の間はつづいた。

 絹を引き裂くような悲鳴っていうんだけど、絹を引き裂くと、ホントにあんな音がするのかしら・・・(それどころじゃないでしょっ)・・・あ、はい、そうでした。

 これで驚いちゃったのが馬車を引いてた二頭のお馬さん。

 一頭はひひ~んと前足を上げて立ち上がり、もう一頭は、ぶ

るるるっ鼻を鳴らしながらあっちの方に走り出そうとする。

「うっわ~~っ・・・!」

 おかげで馬車は傾きながら斜めに向きを変える。

「どっひゃ~~っ」

 必死に馬車にしがみついてたハルカとカナタなんだけど、見

れば、後ろから来る馬車もパニくってるではないか。

「姉ちゃん、ヤバッ」

 ハルカの手を引いて、カナタが馬車のステップから飛び降り

る。

 その直後、ハルカとカナタの後ろをパニくったお馬さんがど

どどどっ。

「あわわわわっ・・・!」

 後ろから来た馬車、とうとう避けきれずに斜めってた前の馬

車にがっしゃ~ん。衝突しちゃった。

 悪いことに、そのまた後ろにも馬車がいて、もう止めきれな

い。

「のあ~~っ・・・!」

 お馬さんは左右に逃げたんだけど、どっす~~んっ、そのま

ま前の馬車に衝突してようやく止まった。

 あたりはもう大騒ぎ。あっという間に野次馬は集まってくる

し、役人みたいな制服着た人たちは走ってくるわのてんやわん

や。

 そんな中で呆然と突っ立ってたハルカとカナタなんだけど、

「あの子供たちよ~っ」

 悲鳴を上げた貴婦人がこっちを指さしながら叫んでいる。

 え?

 すると、

「怪しいヤツ」

 軍服着て、馬に乗った男の人が、ハルカとカナタに気づいて、向かってくる。

「どうしよ」

「逃げるっきゃないっしょ」

 バッと走り出すカナタに、

「待ってよ」

 ハルカも続いた。

 取りあえず大通りをそれると、なんか公園みたいなとこに出

た。

 走りながら振り向くと、最初一人だった馬の軍人が3人に増

えてて、その後ろを制服着た役人みたいな人たちも大勢走って

いる。

 どうなってんのよ?

「あんたのせいだよっ」

「ぎょえ~っ」

 公園を突っ切ると、道路との境に低い鉄柵があった。

 片手を柵に置いて、そりゃっ、体を横にきれいに飛び越すカ

ナタ。

 ミニスカのハルカも、この際しょうがない、片足がばっと上

げて柵に乗り、カナタの手を借りて飛び降りる。

 パンツ見られたかな。けど、そんなこと行ってる場合じゃな

さそう。

 道路を横切りながら振り向くと、追いかける三頭の馬が、次々とフェンスを跳び越えるのが見えた。

 こっちの行く手には、遊歩道みたいなとことの境に同じような鉄柵がある。

 さっきと同じ要領で、カナタが飛び越え、ハルカも飛び降り

る。

 さて、どうする?

 左右には見通しのいい遊歩道みたいのがず~っと続いてて、

行く手は川沿いの土手らしい低い壁に遮られている。

 追っ手の三頭は二つめの鉄柵をきれいに跳び越したところ。

 あ~ん、相手が馬じゃ追いつかれちゃうよ。

「カナタッ」

 そのカナタ、土手に上がって、向こう側見て、

「カモンッ」

 ハルカを呼んでいる。

 しゃあない。カナタのいる土手の上に上がる。

 けど、三頭のお馬さんと軍人らしい男の人たちが走ってくる

よ。

「ヘイヘイヘイ、こっちこっち」

 お馬さんに呼びかけるカナタ。

 ぶひっ。先頭の馬が鼻を鳴らしてその気になった。

 乗ってた軍人さんが、え? と手綱を引いたけど、もう遅い。

「こいっ」

 カナタの合図でお馬さんがジャンプッ。

 その瞬間、カナタがハルカの手を引いて、土手の向こう側に

ジャンプ。

 うっわ~~っ。

 高さ2メートルくらいの大ジャンプ。当然、ハルカのスカー

トはひらひらひら。

「いでっ」

 尻餅ついて、尾てい骨打ったけど、どうにか無事に着地した。

 その頭の上を・・・。

「わあ~~~っ・・・!」

 軍人さん乗せたお馬さんが飛んでゆく。

「おっあ~~っ・・・!」

 さらに一頭、もう一頭。

 じゃっぼ~~ん、どっぶ~~ん、ばっしゃ~~んっ。

 水しぶき上げてセーヌ川に落っこちちゃった。

 あ~らま。

 けど、軍人たちはちゃんと泳げるみたいだし、お馬さんも馬

掻き(?)で岸に向かっているので、ご安心を。

「こっち」

 ハルカの手を引いて、すかさず走り出すカナタ。

 少し先の立派な橋のたもとに、川岸から上がる階段を見つけ

たのだ。

 たたたっと階段上がると、「いたぞっ、あそこだっ」、制服

の役人たちに見つかっちゃった。

「こっち走ってくるよ」

 サッと橋の上を見るカナタ。

「だいじょぶ」

 立派な橋の上を向こう岸に向かって走り出した。

 橋の上では、たった一頭の馬に引かせた、なが~い荷馬車が

木箱を山ほど積んでのんびりと渡ってゆくところ。

 追いついたカナタ、いきなり馬の手綱を横からつかむと、

「おいで、こっちだよ」

 直角の方向に引っ張ってっちゃった。

「なにするだ」

 御者のおっさんが叫ぶのもなんのその。なが~い荷馬車を橋

の上で横向きにしちゃった。

「おいおいおいっ」

 反対側から走ってきた馬車が大あわて。必死になって止めよ

うとするんだけど、だだだだっ、とうとう横向きになって荷馬

車にぶつかっちゃった。

 その衝撃で、荷馬車に山積みの木箱ががらがらがっしゃ~ん。次々と橋の上に落下して、あたり一面に散乱しちゃった。

「姉ちゃん、今のうち」

 ハルカの手を引くカナタ、隙間を縫って対岸向かって走る。

 で、大勢の役人がやってきたときには、横向き荷馬車と衝突

した馬車と荷馬車から落ちた木箱がごろごろ。

 おまけに両方の御者が、役人捕まえてなんか訴えたりするも

んだから、大勢いる役人もだ~れも事故現場を通り抜けられな

いんだ。

 振り向くカナタ、にやり。

 橋を渡りきると、向こう岸の川沿いの道を横切り、なんでも

いいや、適当な裏道に飛びこんだ。



*ちゃんと履いてますけど


「あんたって、こういうことにはホント天才的だね」

「それほどでも」

「誉めてないし」

「え?」

「そもそも、あんたのせいだかんね」

「ええっ?」

 けど、顔は笑ってますよ、ハルカちゃん。

 とかなんとか、しばらくは小走り状態。後ろを振り向き振り

向き、何度も適当に角を曲がった。

「もうだいじょぶみたい」

「うん」

 そこでようやく息をついて、歩き出す。

「あ~あ、せっかく目の前にマリー・アントワネットがいたの

に」

「惜しかったね」

「ヴェルサイユに帰るって言ってたわよね」

「うん」

「よっしゃ」

 なんとかして、ヴェルサイユに行かねば。

 どうしたものかと考えながら歩いていると、いきなり賑やか

な小路に出会った。

「お店がいっぱいあるよ」

「ホントだ」

 そうなんだ。道の両側に、小さなお店がたくさん並んでいる。

 しかも、狭くて、その上坂道なんだけど、ロバが引く荷馬車

がのろのろと進み、その横を手押し車に荷物をのせて押してゆ

く人がいる。

 屋台っていうのか、荷車や木箱を台にして品物を並べて売っ

ている人たちもいる。

 そこに荷物を運ぶお店で働く人や買い物客などなど、ぐちゃ

ぐちゃとごった返している。

 けど、なんつうか、きれ~くないんだ。

 道の端にはゴミが溜まってるし、古びた樽やら木箱やらが積

んであったりする。道の真ん中にも馬糞や生ゴミっぽいのが落

ちてたりする。

 道行く人の着ているものも、さっきの大通りとは大違い。シャツはよれてるし、ズボンはだぼっ。女の人のスカートも地味だし、しばらく洗濯してないみたいな感じ。

「こんなとこもあるんだ」

 思わず目をみはりながら、歩いてゆく。

 そのうちふっと、まわりの人たちもこっちを見ているのに気

づいた。しかも、こそこそ何か話してたり、くすくす笑ってる

ひとまでいる。

「ねえ、カナタ、あたしたち、なんか注目されてない?」

「俺じゃなくて、姉ちゃんだと思うよ」

「やっぱし」

 さすがに人目が気になってきた、ちょうどその時のこと。

「ちょっと、そこの娘」

 入り口開けっぱの小さな食堂から一人のおばさんが飛び出し

てきた。

「は?」

「は? じゃないよっ。なんだってスカートも履かずに外を歩

いてるんだい」

 なが~いスカートによれたセーター着て、エプロンしたおば

さん、腰に手を当ててハルカを睨みつける。

 なぬ?

「ちゃんと履いてますけど」

 ミニスカの裾持って、ぴっと広げてみせた。

「そんな短いスカートがあるもんかい」

 あ~ん。そういうことだったのか、それでみんなこっちを見

てたわけね。

 ちなみに、ハルカが着てたのは淡いピンクのフレアミニに濃

いピンクのTシャツ。カナタはサッカーパンツに白のTシャツ。足元は二人ともスニーカーだった。

 今どきのニッポンならどうってことのない恰好なんだけど、

この時代にミニスカは刺激的だったかも。

「あんたたち、どっから来たんだい」

「えと・・・ミライという遠い国から」

「あんたの国じゃみんなそんな恰好してるのかい」

「ええ、そうよ」

 腰に手をあて、足をクロスしてみせた。

「ま~あ、なんてはしたない国だろ」

「い~のっ」

 思わず言い返しちゃった。

 おばさん、目を丸くしてる。

「あ、そうだ、おばさん、ヴェルサイユってどう行けばいいの?」

「ヴェルサイユ?」

「うん」

「宮殿の見物にでも行くのかい」

「いいえ、マリー・アントワネットさまに会いにゆくの」

「なんだって・・・」

 ぽかんと呆れたおばさん、次の瞬間に、

「わ~はっはっは」

 大口開けて笑い出した。

「頭がおかしいんじゃないかい、この娘は。マリー王女さまに

会いに行くだなんて」

 何ごとかと集まってきていた野次馬のおっさんおばさんまで

が「わ~はっはっは」。

「こんにちわって会いに行ったって会えるようなお方じゃない

よ。あちらは宮殿で贅沢三昧。あたしら貧乏暮らしの人間とは

ご身分が違うんだからさ」

 そらそうだ。そらそうなんだけどさ。

「わ~はっはっは・・・!」

 そんなに笑うことないじゃない。

「行こうよ」

 カナタが袖を引っ張るので、

「そだね」

 その場を離れることにした。

 やれやれ。おかげで、歩いてくそばから、通りのみんながこっちを見てにやにやこそこそくすくす。

 さすがに、ハルカとカナタもだんだん早足になった。

 ようやく賑やかな小路を抜けると、真ん中に薄汚れた噴水の

ある小さな広場に出た。

「パリにも、いろんなとこがあるんだね」

 振り向いて、ぽつり。

「ね~、これからどうすんの」

「ともかくさ、なんとかしてヴェルサイユに行かねば」

 腰に手を当てて考える。

「やれやれ」

 ポケットからチョコバー取り出して、パキン、食べ始めるカ

ナタ。

 すると、

「うまそうな菓子だな」

 広場の端に止めた、ロバが引く荷馬車の上から、色の浅黒い

男の子が、こっちを見て声をかけてきた。

「食べる?」

 半かけを差し出すカナタ。

 男の子、一瞬ためらってから、ひらり、軽い身のこなしで馬

車から降りると、こっちにやってきた。

「悪いな」

 受け取って、もぐもぐもぐ。みるみる目が輝いてゆく。

「うめえや」

 年の頃は、ハルカよりいっこにこ上くらいだろうか。どう見

てもこの国の人間じゃない。痩せた体に、あんまりきれいじゃ

ないシャツとズボンを着て、破れた靴を履いている。

「あんたたち、どっから来たんだ?」

「え?」

「シャンゼリゼの騒ぎもあんたたちだろ」

「あ」

「見てたよ」

「あはっ」

 照れ笑いのハルカとカナタ。

「どっか、遠くから来たんじゃねえの」

「ミライっていう、遠い国」

「ふうん」

 珍しそうに二人を眺めている。

「行こうか」

「うん」

 なんか気まずくって、行こうとすると、

「待てよ」

 呼び止めてきた。

「ヴェルサイユに行きたいんだろ」

「うん」

「ちょうどヴェルサイユに荷を運ぶとこなんだ」

 荷馬車を顎で示す。

「よかったら、乗ってけよ」

「ホント?」

「あ~、けど、タダっていうのも、あんたたちも気まずいだろ

うし、その・・・」

 食べかけのチョコバーを合図のように振っている。

「カナタ」

「へいへい」

 ポケットからもう一個チョコバーを出すカナタ。

「これでいい?」

「悪いな」

 色の浅黒い少年、うれしそうににっと笑った。

 てなわけで、ロバが引く荷馬車に乗って、ハルカとカナタは

ヴェルサイユへと向かうことになった。



*がたごとごと


 がたごとごと。

 ロバに引かれた馬車は、歩くような速さでゆっくり進む。

 ヴェルサイユまでどのくらいかかるんだろ? そこはちょっ

と心配だけど、ま、のんびり行きましょ。

 がたごとごと。

 角をひとつ曲がると、街角でキスしてるカップルがいた。

 わお。

 おや? そのあたりは若い人が多くて、カジュアルそうなカフェのテラスで話しこんでる人たちや本を読んでいる人もいる。

 こっちには絵看板を出したお店があって、踊る女の人と帽子

を取って挨拶する紳士が描いてある。

「あれ、なに?」

「ああ、芝居小屋さ」

「へ~え」

 かと思うと、緑の大木を背に、マンドリンを演奏している二

人組がいて、逆さまに置いた帽子は小銭を入れて貰うんだろう。

 その反対側の人だかりの真ん中では、男の人が演説をしてい

る。

「お花いかがですか」

 道にテーブルを出したレストランでは、小さな女の子がカッ

プルにバラの花を売っている。

 その隣には、フランスパンを使ったサンドイッチ売りの屋台

が出ている。

「おいしそ」

「お金、ないよ」

「ちっ」

 がたごとごと。ロバに引かれた馬車は、歩くような速さでゆっくり進む。

 ひとつ通りを渡ると、今度は倉庫みたいな建物が並んでいる。

 荷馬車がいっぱい並んでいて、荷を下ろしたり、積んだり、

よれた服で働いている人たち。なにか紙束を持って指図するお

じさん。

「パリにもいろんなとこがあるのね」

「そりゃ大きな街だからな」

「それに、いろんな人がいる」

「ああ、金持ちもいれば、貧乏人も。ま、貧乏人のがうんと多

いけどな」

「ふうん」

 荷物を落とした人が、ムチを持ったおじさんに叱られている。

ムチ?

「さっきの街の人たちも?」

「ああ。働いても働いても、パンもろくに買えないような連中

さ」

「どうして?」

「どうしてって言われても・・」

 色の浅黒い少年が肩をすくめる。

「税金が高くってどうしようもないのさ」

「税金が?」

「ああ。なんでも、今の王さまや前の王さまが外国といくつも

戦争をして、それで国のお金を使っちまったんだって。だから、身分の低い人間から重い税金を取っているのさ」

「ふ~ん」

「おかげで、貴族たちは贅沢な暮らしをし、貧乏人はもっと貧

乏になるってわけ」

「パンがなければケーキを食べればいいわ」

 パンがないと訴える人たちに、マリー・アントワネットが言ったという言葉。

「なんだい、そりゃ」

「あ、ううん、なんでもないの」

 マリー・アントワネットって、ホントにそんなこと言ったの

かしら。ホントだったら、ひどい人だ。

 がたごとごと。荷馬車は、ゆっくりと進む。

 もう、パリの街の外れにきたらしい。

「ねえ、エッフェル塔どこ?」

「どこだろ?」

 ハルカ、少しづつ遠くなるパリの街を首を伸ばして眺めてい

る。

 だから、まだ出来てないんですってば。

 がたごとごと。

 やがて、呆気ないほど田舎っぽい、緑に囲まれ、遠くに畑も

見える街道みたいなとこに出た。

「遠い国から来たって言ってたよな」

 色の浅黒い少年が、ハルカを見て、言う。

「うん」

「俺もなんだ」

「へ~え、そうなんだ」

「だからかな、あんたたちのことが気になってさ」

「そっか」

「ただもんじゃねえよな」

 チラッと横目で見る。

「え?」

「あんな、うめえ菓子食ってるし」

「お金ならないよ」

 ハルカ、ちょっとばかし身構えながら答えた。

 だって、あたりはだだっ広い野原で、人気もないんだ。もし

も、強盗だったりしたら・・・。

 けど、色の浅黒い少年は、はっはっはと白い歯を見せて笑い

出した。

「疑われたか」

「あ、ごめん」

「仕方ないさ」

 横顔がちょっとさみしそうだ。悪いこと言っちゃったかな。

「あなたの荷馬車なの?」

 取りなすつもりで言ってみた。

「まさか」

 苦笑いしている。

「この仕事してるヤツが、女の子に会いに行くっていうから、

請け負ったのさ、安い銭で」

「へえ、そうなんだ」

「シャンゼリゼの騒ぎも、手紙を届ける仕事を引き受けた帰り

さ」

「ふ~ん」

「俺に稼げるのはそんな仕事ばかり。いくら御者が出来るって

言っても、誰も傭っちゃくれない」

 遠い国から来たって言ってたけど、そのことと関わりがある

んだろうか。ハルカは、色の浅黒い少年の横顔を見ながら思っ

た。

「ベッドで寝てるのか」

「うん、まあ」

 屋根裏部屋の小さなベッドを思い出しながら答えた。

「やっぱりな」

「あなたは?」

「わらの上さ。知り合いの、馬小屋の隅っこで、妹と二人」

「妹がいるんだ」

「ああ」

「ふうん」

 がたごとごと。ロバに引かれた馬車は歩くような速さで進み、やがて行く手に小さな街が見えてきた。

「あそこが、ヴェルサイユだ」

「エッフェル塔は?」

 だからカナタちゃん、まだないの。

 がたごとごと。小さな街をゆっくりと抜けると、それはそれはでかくて立派な宮殿があった。

「あそこが宮殿さ」

「きゅーでんって?」

「王さまの家よ」

「すっげ」

 カナタ、でかくて立派な建物に、改めて目を瞠った。

「いきなり行っても、追い返されるぞ」

「そうよね」

 指を顎に、考えるハルカ。

「魔法使いだとでも言ってみたら」

 色の浅黒い少年の軽口に、ハルカ、なんかピンときちゃった。

「悪くないわね」

「え?」

「マントかなんか持ってない?」

「あるけど」

「カナタッ」

「ん?」

「もう二本持ってるわね」

「なんで知ってるの?」

「出しなさい」

「んもう」

 渋々、ポケットからチョコバー二本取り出すカナタ。ひった

くるハルカ。

「これと交換でどお?」

「けど、ボロだぜ」

「いいわ」

 ふっと、ハルカを見つめる少年。

「分かった」

 てなわけで、チョコバー二本と交換でぼろいマントを受け取ったハルカ。カナタとともに荷馬車を降りる。

「ねえ、マリー・アントワネットさまは、音楽の授業を受けて

るんですって?」

「ああ。音楽がお好きらしいぜ」

「分かったわ。ありがと」

「うまくいくといいな」

 少年に向かって、ハルカ、芝居っけたっぷりのウィンクを送

る。

 あ、そういえば名前も聞いてなかった。

「名前、なんていうの?」

「ジャン=リュックってんだ」

「ジャン=リュック・・・」

「あんたは?」

「ハルカ」

「ハルカ・・」

「俺はカナタ」

 けど、少年はハルカばっか見てた。ん?

「妹さんによろしく」

「ああ」

「今に、いいことあるよ」

「だといいけどな」

 なにかを振り切るように、少年がロバの手綱を引いて、ごと

ごとと荷馬車を動き出させる。

 ちょっとだけ見送ると、ハルカはパッと宮殿のほうを見た。

 宮殿の手前には背の高い鉄柵があって、その真ん中に正面の

入り口がある。

 さあて、いよいよ乗りこむぞ。



*我らは使者である


「なんでこんなもん着るのさ」

 チョコバーと交換したマント着ながら、カナタが言う。

「いい、あたしたちは遠いミライの国から着た使者だかんね」

「シシャ?」

「あんたは従者」

「ジューシャ?」

「あたしの横でもっともらしくしてなさい」

「はが」

 もっともらしくって、どうすればいいんだ?

 訳わかんないまま、マントを羽織り、フードまでかぶったハ

ルカの後ろをくっついてった。

 でもってハルカはすたすたすた。宮殿の正面入り口に向かっ

て歩いてゆく。

 当然、そこには門番役の兵隊が立っている。

「待てっ」

 兵隊が、行く手を遮る。

 けど、ハルカったら胸を張って、堂々としたもんだ。

「わたしは、遠いミライの国から、マリー・アントワネットさ

まにお見せするものがあって使わされた使者である」

「なに?」

「マリー・アントワネットさまにミライの国の使者が来たとお

取り次ぎ願いたい」

 なんだ? こいつら。思わず顔を見合わせる二人の兵隊。け

どすぐ、怖い顔になっちゃった。

「子供の来るところではない。あっちへ行け」

 あらま、まるっきし子供扱い。邪険に追い返そうとする。

 けど、それくらいは想定内。これならどうだ、二百数十年昔

の人たちよ。

「これをお聞かせしたいのだ」

 取り出したのは、小さなスピーカー内臓のMPプレイヤー。

 ピッと再生を押すと、ちゃ~んちゃちゃっかちゃっかちゃ~

ん・・『栄冠は君に輝く』のブラバン演奏が鳴り出した。

「おおっ」

 びっくりして後ずさる門番の兵隊。

 へへ、どうだ。

 んが・・・。

「怪しいヤツッ」

 手を剣の柄に、身構えちゃった。

「あ、怪しい者ではないっ」

「そ~ゆ~ヤツほど怪しいんだよっ」

 反射的に逃亡準備のカナタ。

「捕らえろっ」

 飛びかかってきたその途端、

「来てッ」

 ハルカを引っ張り、パッと脱出するカナタ。

「待てっ」

 ちぇっ、追いかけてきやがんの。仕方ないから、『栄冠は君

に輝く』響かせながら、ハルカとカナタはそら逃げろ。

 と、そこに、からからから、軽快な音をさせて、小型の馬車

が走りこんできた。

「何ごとです」

 ちょっと偉そうな女の人が、馬車の窓から兵隊に声をかける。

「怪しげな子供らがおりまして」

「子供?」

 そのスキに、ハルカを引っ張って、馬車の下をくぐり、反対

側に出るカナタ。

「シシャなんです」

 え? と、馬車の女の人がこっちを見る。

「そう、わたしたちは、遠いミライの国からやってきた使者。

マリー・アントワネットさまが音楽好きと聞いて、これをお聞

かせに参ったのです」

 MPプレイヤー掲げて、ちゃ~んちゃちゃっかちゃっかちゃ~ん。おっ? とびっくりする女の人。

「それは・・・?」

「わたしたちの国の、音楽を聞くための新しい道具でございま

す」

「ほう・・・」

 ハルカとカナタのようすをしげしげと眺める。

 と言っても、足まで隠れるマント羽織って、フードまでかぶってるんだけどね。

「そなたたち、どこから来たと?」

「遠いミライの国から参りました」

「ミライの国? それはどこにある」

「ずっと、ずっと東の方に」

「東の方?」

「マリー・アントワネットさまもご存じないほど遠くでござい

ます。しかし、マリー・アントワネットさまのお名前は、わた

しの国まで届いております」

 それでもやっぱり、不審そうにハルカとカナタを観察する女

の人。

 目線が来たところで、カナタ、ニッとVサイン。

 むっとたじろぐ女の人。

「これはいかがでしょう」

 違う曲をセレクトして、再生ぴっ。ショパンの『子犬のワル

ツ』ってピアノ曲が流れ出す。

 この曲、知ってるかしら?

 残念でした、ハルカちゃん。ショパンは19世紀前半の人。

今は18世紀の後半でございます。

 でもまあ『栄冠は君に輝く』よりは、この時代の音楽に近い

わな。

「これを、マリー・アントワネットさまに聞いていただきたい

のです」

 ようやく、ほ~おと感心したように体を起こす女の人。しば

らく考えてから、兵に命じた。

「武器はないか、改めよ」

「はっ」

 兵隊がこっちに向かってくる。

 え~い、もう。

「武器など持っていませんっ」

 パッとマントを脱ぎ捨てちゃった。

 え? と目を丸くする女の人。

「これは、わたしの国ではちゃんとした服装です」

 どうせスカートが短いとか言うんでしょ。先手打ってやる。

「なんでこんなん着たのか意味分かんね」

 ぶつぶつ言いながらカナタもマントを脱いでいる。

 ちょっと怪しげな雰囲気出そうと思ったんだけど、こういう

成り行きになっちゃったの。

 ちゃんとした服装ったって、まるっきし普段着なんだけどさ。

ともかく、堂々としていろ。

 ハルカ、片手を腰に、胸を張って女の人を見た。

「どうか、マリー・アントワネットさまにお取り次ぎを」

 宇宙人でも見るように・・って、ほとんど宇宙人みたいなも

んなんだけどさ・・ともかく、しばらく不思議そうにハルカと

カナタを見ていた女の人が、ようやく意を決した。

「ここで待っていなさい」

 それだけ言うと、門番に合図をし、からからから、宮殿の中

に入っていった。

「あの方、どなたですの?」

「マリー王女さま付きの女官だ」

 わお、やった。きっと取り次いでくれるんだ。

 思わず門番の兵隊に、にっ。

 兵隊、気味悪そうに後ずさる。

 やれやれ。カナタは、またまたチョコバー取り出し、鉄柵に

もたれてもぐもぐもぐ。こいつ、いくつ持ってきたんだ?

 けどさ、その姿、現代のヴェルサイユに来た観光客みたい。

 やがて、カナタがチョコバー食べ終わったころ、黒くて長い

ドレスの裾を揺らしながら、王女付きの女官が戻ってきた。

「来なさい。マリー王女さまが、お会いになるとおっしゃって

います」

 やった。

「ありがとうございます」

 優雅に一礼しながら、カナタの頭ひっぱたいて真似させた。



*谷間と生足


 鉄柵のゲートをくぐり、すたすたすた、意外と早足の黒いド

レスの女官にくっついてゆくと、宮殿の建物がぐんぐん近づい

てくる。

 だんだん全体が見えなくなって、圧倒されそう。それくらい、堂々とした立派な建物なんだもん。

 宮殿の前の広場のようなところを横切って、正面ではなく、

左手の入り口から建物の中に入る。

 すると、まあ、わおっ。思ってた以上の豪華さなんだな、こ

れが。

 柱にも壁にも飾りが施されているし、たか~い天井には飾り

だけでなくきれいな絵まで描いてある。もう、そこらじゅうデ

コデコ。

 すっげえっと、あたり見回しながら黒いドレスの女官にくっ

ついてゆくと、これまた立派な大理石の階段に出る。そこを、

たんたんたん、三階まで上がる。

 すたすたすた。黒いドレスの女官は、馴れた足取りで豪華な

廊下を通り抜けると、

「こちらでお待ちを」

 とある部屋に通された。

 けど、あれ? 「お待ちを」だって。敬語じゃん。

 うれしくなって部屋の中を見回してみる。

 謁見の間みたいなとこを想像してたんだけど、そこは、なん

つうの、サロンみたいな部屋だった。

 真ん中にクラシックな・・って当たり前か・・ともかく立派

なソファとテーブルがあって、少し離れたところにもっと立派

な椅子がある。

 あと、ピアノがあって、脇テーブルには大きな花瓶に花が飾ってある。窓にはきれいなカーテン。窓の向こうには、すっげえ広々とした庭園が見えていた。

 壁には女の人の肖像画がかかってる。これ、マリー・アント

ワネットさまかな。

 脇テーブルのポットの蓋を開けてみたのはカナタ。中には色

とりどりのマカロンが入ってた。

「うまそ」

 パッとハルカを見て、

「食べてい~かな」

「やめときな」

「ちぇっ」

 渋々ポットのふたを閉じるカナタ。

 ハルカは、壁のもう一枚の肖像画の前へ。若い男の人だ。マ

リー・アントワネットの旦那さま? ってことは王子?

 はい、その通り。後にルイ16世になるマリー・アントワネットの旦那さまの肖像画でした。

 でもってこっちでは、カナタが今度はソファに触ってみてる。これがさらさらでとっても気持ちいいんだ。

 座ってみようとすると、ん? ハルカが見とがめた。

「座っていいって言われるまでダメ」

「い~じゃん」

 腰下ろしちゃうんだけど、その途端に、ドアががちゃ。カナ

タ、慌てて立ち上がった。

 ハルカも、ぎいっと開くドアの方を見る。

 入ってきたのは、さっきの黒いドレスの女官。

「マリー・アントワネットさまだ」

 その言葉に、ハルカとカナタ、ソファの横のスペースに急い

で並んで立った。

 やがて、まるで踊るような軽い足取りで、きれいな女の人が

入ってくる。

 この人が、マリー・アントワネットさま・・・。

 若い。つやつやした横顔は、まるで高校生のお姉さんって感

じ。

 それもそのはず、このとき、マリー・アントワネットはまだ

16才だった。

 で、その16才のマリーは、ぽかんと眺めているハルカとカナタの視線を気にもせず、先ず脇テーブルに行って、ポットのふたを取り、マカロンをつまんで、ぱくり。

「あ・・」

 思わず声に出しちゃったカナタを見ると、

「食べる?」

「あ、はい」

 もひとつとって、ひょい、カナタに投げてくれた。

 そんなようすも、とてもオトナとは言えない雰囲気。ハルカ、急に親しみがわいちゃった。

 カナタも、

「ども」

 もぐもぐもぐ。い~人じゃん。

 長い髪はすっと束ねただけ。ドレスも、目も覚めるような美

しいブルーの生地だけど、レースの飾りもごく控えめな、シン

プルなもの。ふわりと広がった裾は床に引きずるくらい長いけ

れど、胸元は大きく開いていて、谷間どころか斜面まで見えて

いる。

 ぱくりとマカロンかじりながら、大きくて立派な椅子に座る

マリー、優雅に足を組んだ。

 この人が、マリー・アントワネットなんだ。どきどきどき。

ハルカ、改めて緊張してきちゃった。

「どこか、遠くから来たとか」

「あ、はい」

 ハルカちゃん、あわててご挨拶。

「遠いミライの国から参りました、ハルカと申します」

「あ、俺、カナタっす」

 マリー、マカロン食べながら、物珍しそうに、どこかいたず

らっぽい目で二人を眺めている。

「スカート、履き忘れたの?」

 ん、いきなりそう来たか。

「ちゃんと履いております」

 フレアミニの裾をピッと引っ張ってみせる。

「まるで下着ね。いくら子供でも、みだらじゃない?」

 みだら? いくらなんでもそりゃないだろ。

「王女さまこそ、胸元があらわですわ」

 え? と胸元に手を当てるマリー。それから、ゆらりと笑み

を浮かべる。

「これは母性の表現。いわば女らしさをあらわすもの。殿方の

目を引くためではないことよ」

「それなら・・」

 ハルカ、こういうときは負けてない。

「このスカートの短さも、あたしたちの女の子らしさをあらわ

すもの。男子の目を引くためではありません」

 ほうっと目を上げるマリー。

「あなたたちの、女らしさって?」

「それは・・・」

 大急ぎで脳みそを回転させるハルカ。

「元気」

 一言で答えた。

「元気?」

「はい」

 ハルカ、真っ直ぐにマリーを見て答える。

「自分で物事を決め、自分から行動し、なにかを実現してゆく

力。そのための元気を持つこと。それが、あたしたちの求める

女の子らしさですわ」

 ふっと驚いたようなようすのマリー。

「それが、女の子らしさ?」

「ええ、あたしの国、あたしの時代では」

 ふ~ん。感心したような、疑うような、うらやむような、不

思議なものを見るような、とっても複雑な目でハルカを見る。

 言い過ぎちゃった? どきどきのハルカ。

 けど、ふいに、ニコリと、面白そうな笑顔になる。

「面白い子ね、あなた」

 ほっ。

「ありがとうございます」

 答えながら、ハルカは、笑顔の可愛い人だと思った。

「座って」

 言いながら、自分は立って、脇テーブルへ。マカロンのポッ

トを持つと、ソファに座ったカナタの前に置いて、ふたを取る。

 先ず自分がひとつ取ってから、

「食べて」

 カナタに笑いかける。

「あ、ありゃとざいっす」

 こら、噛んでるぞ。

 うれしそうにマカロン取っちゃって、もう。

「それで、なにか見せてくれるそうね」

「はい」

 スピーカー内臓MPプレイヤーをテーブルに置くハルカ。

「これでございます」

 なにがいいかな? 古いのがいいよね。んじゃ、ハルカのお

めざ曲で。

 セレクトしてから、プレイをピッ。

 チャン、チャチャン、チャチャチャチャチャチャ~ン・・・

ヴィバルディの四季が流れ出した。

 途端に、マリーが体を前に乗り出す。

「すごい・・・」

 びっくりしてた顔が、じきにうれしそうな表情に変わる。

「ステキ。あなたの国のもの?」

「はい、わたしたちの国で、音楽を楽しむためのあたらしい道

具でございます」

「なんて素晴らしいの・・他には? そうだ、あなたの国の音

楽はないの?」

「はい」

 って答えたものの、どうしよう。えい、この際だ、元気いっ

ぱいで行こう。

 セレクト、プレイ、ぴっ。

 いきなりエレクトリック・ギター、そしてドラム。

 きゃりーぱみゅぱみゅの曲が流れ出した。

 わっとのけぞるマリー。

「これが、あなたの国の音楽?」

「はい、女の子の元気を表現した音楽でございます」

 すまして答えちゃった。

 するとマリーが、面白そうに笑ってる。

 ホント、笑顔の可愛い人だ。

「元気。いい言葉ね」

「はい」

「触ってもいい?」

「どうぞ」

 立って、うれしそうに小走りでやってくる。優雅なんだけど、はつらつ。

 あなただって、元気を持ってるじゃない。

「どうするの?」

「あ、ここを、こうして・・・」

 床に膝をついて、MPプレイヤーをいじり出す。

 次々に飛び出すいろんな音楽。

 嵐、モーツァルト、レディ・ガガ、栄冠は君に輝く、

Perfume、ラヴェル、テイラー・スウィフト、ももいろクローバーZ・・・。

 んもう、ハルカちゃんったら趣味が雑多なんだから。

 けど、16才のマリーは、目をキラキラさせて、ときどきしかめっ面になったり、笑顔になったり、ほうっと感心したり、楽しそうにMPプレイヤーをいじくっている。

 この人だって、同じ10代の女の子なんだ。好奇心わくわく、新しいことにうずうずの。

 夢中になってるマリーを見て、ハルカは思った。

 やることのないカナタは、マカロンをもいっこぱくっ。

 すると、不意にマリーが顔を上げる。

「これ、くれない?」

「それは・・・」

「ダメ?」

 あげちゃおかな。プレイヤーはまた買えるし。けど、中の曲、結構必死で集めたんだよな。

 ごめん。

「わたしの国でも貴重な品物。差し上げるわけには参らぬので

す」

「そっかあ」

 あれ? マリー・アントワネットが10代っぽいしゃべり方になってるぞ。

 またしばらくMPプレイヤーをいじっているマリー。

 関ジャニ∞、ショパン、ファンモン、ケイティ・ペ

リー、ワーグナー、スーパーフライ、モー娘。、リスト、ドビュッシー、椎名林檎・・・。

 林檎ちゃんのところで、マリーがいたずらっぽい顔でハルカを見る。

「賭けしない?」

「賭け?」

「今夜、仮面舞踏会があるの。あなたも連れてゆくわ」

「あたしも?」

「いいでしょ」

「あのぅ・・」

「もちろん、君もいっしょだよ」

「やった」

 ホッとするカナタ。

「そこで、ダイスゲームがあるの。そのゲームであたしが勝っ

たら、これをちょうだい」

「もしも、王女さまが負けたら?」

 恐るおそる、尋ねてみる。

「あたしの持っているもので、あなたの欲しいものをなんでも

あげるわ」

「ひえっ・・?」

 ハルカ、目がきらめいちゃった。カナタまで、口あんぐり。

 だって、マリー・アントワネットの持ち物だよ。それも、な

んでも、だって・・・。

「いいでしょ」

 マリーの、いたずらっぽい目。

 けど、ここは賭けるっきゃない。

「分かりました」

 ハルカ、しっかりと頷いた。

「でも、そのスカートはダメよ」

 いたずらっぽい顔で、ハルカのスカートを指さしている。

 ホント、笑顔が可愛い人だ。



*オーギュストは退屈な人


 ハルカはとってもい~気分だった。

 だって、ドレスなんて着たの、幼稚園の学芸会以来だもの。

それも、ママが間に合わせに作ったドレスじゃない。ホンモノ

の18世紀フランス貴族のドレスだぞ。

 ピンクの生地にレースのもよう。ふわっと広がるスカートは

引きずるほど長くて、サイズはちょっと合わなかったけど、着

心地はとってもいい。子供用だから胸元も開いてないし。

 そして髪も、簡単に結い上げて、飾りをつけてもらった。

 オトナにまじって、パーティーにお出かけする女の子なんだ

ぞ。

 隣には、編み上げのブーツにだぶっとしたズボン、襟なしの

ジャケットを着せてもらったカナタがかしこまっている。

 最初、

「決まってるじゃん」

 声をかけると、

「ちょっと窮屈」

 肩の辺りをもぞもぞさせてたけど、今はどうやら馴れたらし

い。おとなしくちょこんと座っている。

 そして向かい側には、豪奢なドレスのマリー・アントワネッ

トが座っている。

 髪もちゃんと結い上げてあって、パーティーに出かけるとき

は、こんなに優雅なんだ。

 三人、ハルカとカナタとマリー・アントワネットは、今、四

頭立ての馬車に揺られて、仮面舞踏会があるパリの社交場に向

かっているところ。

 からからからから。四頭立て馬車は、ジャン=リュックのロ

バが引く荷馬車とは大違い。軽快に、そして結構な速さで走っ

ている。

 乗り心地も荷馬車の荷台とは全然違う。ベンチ式の皮シート

はとっても座り心地がいいし、外は真っ暗だけど、馬車の中は

備え付けのカンテラの明かりでほんのりと明るい。

「ハルカは、何才?」

 着替えてる間くらいから、マリーはハルカのことを名前で呼

んでくれるようになった。

「13才です」

「13才。あたしはウィーンでフランス語を習っていたわ。オーギュストと結婚するためにね」

「結婚したのは、何才のとき?」

「フランス語が話せるようになってすぐ。14才の時よ」

「14才で結婚ッ・・?」

 カナタが素っ頓狂な声を上げる。そらそうだわな、14才で結婚なんて。

「こらっ」

「あぐ」

 カナタの膝を叩くハルカを、マリーが笑って見ている。

「あれから、二年か」

 ふっと遠くを見ている。

「ウィーンにいたんですか?」

「ええ、あたしの父はオーストリアの皇帝だから」

「ほえっ」

 驚くカナタ。

「だからあたしも、ウィーンで生まれたの」

「ずいぶん、遠くに来たんですね」

 キラキラした目が、ハルカを見る。

「あたしの国、オーストリアは、もともとフランスとは仲が悪

かったの。戦争をしたこともあるわ。でも、フランスとオース

トリアの間にあるプロイセンが、オーストリアの領土を狙って

いるので、フランスと仲良くするしかなかったの。そのために、あたしのママは、あたしをオーギュストと結婚させたのよ」

「政略結婚・・・」

 ハルカ、思わず口の中でつぶやいた。

 聞こえちゃったかな?

「国のためよ」

 どうか分からないけど、マリーはあっさりと言った。

「オーストリアと、そして、フランスのため」

「ふうん」

 パパが皇帝って、簡単なことじゃなさそうだ。

「くしゅっ」

 いきなりくしゃみするカナタ。

「もう」

 膝を叩くハルカ。

 笑っているマリー。

「仲がいいのね」

「ええ、まあ・・」

「そうでもないです」

 言うか、カナタ。

「あたしも、姉とは仲が良かったのよ」

「お姉さんは、ウィーンに?」

 首を振るマリー。

「16才のときに、スペイン王の三男で、ナポリ王に就いた人の元に嫁いだわ。あたしが、13才のときだった」

「そうなんですか」

「悲しかったな。だって、ずっと同じ部屋で育ったんだもの」

「あ、俺んちも。姉ちゃんと、屋根裏部屋をカーテンで仕切っ

て・・」

「いっしょにしないっ」

 カナタの膝をぱこんしてから、顔を戻すと、マリーが、懐かしそうな笑みを浮かべていた。

「ウィーンの家はね、家族を大切にする家だったの。みんなで

オペラやバレエを見に行ったり、狩りに出かけたこともあった

わ。楽しかったなあ」

「でも、今は旦那さまがいらっしゃるでしょ」

 マリーの顔から笑みが消え、ふいにオトナっぽい表情を見せ

る。というか、表情が消えている。

「つまらない男よ」

「え?」

「退屈な人」

 虚ろな目で、吐き捨てるように言う。

 なんつうか、それ以上、なにか聞けない雰囲気。

 政略結婚って、そんなもんなのかな。だって、愛し合って結

婚するわけじゃないものね。それどころか、顔も知らないまま

結婚したのかもしれない。

 だって、フランスの王子が、オーストリアの王女と結婚したっていう事実が大切なわけだから。

「ヴェルサイユの王宮はウィーンとは大違い」

「そうなんですか」

「家族的なところなんてひとつもないの」

 首を振りながら言う。

「つまらないしきたりや決まりばかり。誰が私に下着を渡すか

まで決まっているのよ」

「ウチも決まってる。ママ」

「そ~ゆ~んじゃないの」

「つまらない決まりなのに、その役に就けば鼻にかけ、一方は

やっかみ。あげくに告げ口や陰口、ありもしないうわさ話。そ

んなことに明け暮れているのよ」

 マリーの顔を見ていると、たったの2年なのに、ずいぶんイ

ヤな思いもしたみたいだ。14才から16才の間に。

「だからあたしは贅沢を楽しむの。他になにかできて?」

「あたしには、そんなことは・・・」

 ハルカ、口ごもるっきゃない。けどマリーは、返事を期待し

てたわけじゃないみたいだった。

「ヴェルサイユで覚えたのは仮面舞踏会と賭け事だけだな」

 パーティーとギャンブル。ど~ゆ~暮らしなんだ、一体。

「ママが知ったら怒るだろうな。ウィーンでは、仮面舞踏会を

禁止した人だから」

 仮面舞踏会って、禁止されるようなパーティーなの? 今か

らそのパーティーに行くんだぞ。

 ハルカ、期待と不安と両方で、なんかどきどきしてきちゃっ

た。

 でも、そんな楽しみしかないんだ。この人には。

 着飾って、パーティーに出かけるっていうのに、どこか虚ろ

なマリーの顔を見ながら、ハルカは思った。

 いつしか、馬車はパリの市街に入っていた。

 もう夜が更けていて、通りはひっそりとしている。

 チャッチャッチャッ・・軽快な四頭の馬の蹄の音と、からか

らから・・軽快にまわる車輪の音。

 怒鳴り声が聞こえる。

 ふっと見ると、なにかしたのだろうか、通りの隅で貧しい身

なりの男の人が、制服の男たちにどやされている。

 それを遠巻きに見ているやっぱり貧しい身なりの女の人や男

の人。

 ふいに、まるで目をそらすように、その光景とは反対側の戸

棚に手を伸ばすマリー。

 マカロンの入ったポットを取り出し、カナタに差し出す。

「食べる?」

「あ、はい」

 カナタといっしょにマカロンつまんでぱくり。

「ハルカは?」

「いただきます」

 もうさっきの光景は後ろに遠ざかった。でも、この通りには、ぽつりぽつりと貧しい人の姿がある。

「パリには・・・」

 思わず口に出すハルカ。

「ん?」

 えい、思いきって言っちゃえ。

「パリの街には、貧しい人もたくさんいるんですね」

「パンがないとか騒いでいる者もいるわ」

 マカロンもぐもぐしながら答えるマリー。

「パンがなければ、お菓子でも食べていればいいのに」

 もいっこ、マカロンをぱくり。

 そんな・・・。

 マカロン手に持ったままのハルカ、あらぬ方を見てもぐもぐ

やっているマリーの顔を見た。

 カンテラのほのかな明かりが、その顔に細かい影を作ってい

る。

 貧しい人たちを、見ようとはしないんだ。わざと、そうして

いるんだ。

 向き合うことを、避けているんだ。

 なぜだか、ハルカはそう思えた。



*仮面舞踏会


 やがて馬車は、劇場みたいな建物の前に滑りこんだ。

「さあ、楽しみましょう」

 ハルカの手を引いて、マリーが跳ねるような足取りでロビー

に入ってゆく。

 カナタも、顔の仮面を直しながらくっついてゆく。だって、

見にくいんだもん。

 馬車の中で、ハルカとカナタは仮面をつけてもらったんだ。

もちろん、マリーもね。

 仮面っていっても、白くてつるんとした大きめの目隠しみた

いなの。目のとこに小さな穴があって、外が見えるようになっ

てるんだけど、はっきり言って、醜い・・じゃなくって、見に

くい。

 ハルカは、マリーといっしょに大きなひさしに羽根飾りがいっぱいついた帽子もかぶせてもらった。

 なるほど、これじゃ誰が誰なのか分からない。

 ロビーに入ると・・お、陽気な音楽が聞こえてきたぞ。

 でもって、大きな扉を開けてもらってホールに入ると、わおっ、思ってた以上の賑やかさなんだな、これが。

 フロアの真ん中では、男の人と女の人がペアになってダンス

を踊っている。

 奥の方でオーケストラが演奏していて、クラシックと同じよ

うな楽器編成なんだけど、ハルカの知っているクラシックとは

違う、陽気でリズミカルな音楽だった。

 でも、ダンスのほうはいたって優雅。

 何組ものカップルが、体を寄せ合い、くるくると回転してゆ

くようすは、とっても華やかだった。

 まわりには、女の人をからかう男の人たちや、男性の気を引

こうとしている女の人たちもいる。

 仕切りのない隣のフロアには、ご馳走が山盛りのテーブルに

お酒のボトルがた~っくさん並んでいて、食べたり飲んだりし

ている人たちもみ~んな楽しそう。

 もちろん、誰もが仮面をして、帽子をかぶってる人もいる。

中には仮面どころか仮装している人もいて、ひょうきんな仕草

でまわりの人を笑わせている。

 わいわいがやがや、うきうきわくわく。

 ハルカやカナタまでなんだかうきうきしてきちゃった。

「行ってくるわね」

 マリーが、意味ありげにハルカに言う。

「え?」

「ダイスゲームよ」

「ああ」

 別室に向かうマリーにハルカもくっついていって、覗いてみ

ることにした。

 そこは、ドアを開け放したサロンみたいな部屋で、大きなテーブルを男の人や女の人が囲んでいる。まわりには、立ったまま見ている人たちも。

 テーブルの上には、羅紗を張った台と、革製のコップとサイ

コロ。そして、たくさんの金貨が山積みになってたり、崩れて

たり、散らばってたり。

 はは~ん。これがマリーが覚えたっていう賭け事なわけね。

「さあ、今夜は真剣勝負よ。大切なモノがかかっているんだか

ら」

 マリーが、テーブルに着き、ダイス・ゲームに加わる。

 テーブルの金貨が動き、ダイスが転がる。

「きゃうっ、あたしの目だわ」

 金貨が集まり、はしゃぐマリー。

 それからまた金貨が動き、ダイスが転がり、喜んだり、悔し

がったり、夢中になってはしゃいでいる。

 その姿は、やっぱり16才の女の子だ。女子高生のお姉さんたちと変わらない。

 けど、あの金貨って、ひとつでいくらぐらいするんだろう。

 目をキラキラさせて、芯から楽しそうなマリーの姿に、ハル

カはなんだか複雑な思いがした。

 ふいに、マリーが顔を上げて、ハルカを見る。

「あたしはもう少しここにいるから、楽しんでくるといいわ」

 ホールをのほうを示して、言う。

 ハルカも頷いて、

「そうします」

 煙草の煙も目にしみてきたので、その場を離れて、ホールに

戻ることにした。

 そうよね、こんな機会、絶対に二度とないんだもの。雰囲気

だけでも楽しんで行かなくっちゃね。

 でも、目立たないように端のほうを通ってゆく。なのに、

「踊らない?」

 声をかけられちゃった。

 振り向けば、男の人が三人もいた。もちろん顔は仮面で分か

らないんだけど、口元が親しげに微笑んでいる。

「あ、あたしは・・」

「ボクじゃお嫌かな?」

 まるでナンパだな、こりゃ。

「そうじゃなくて・・・」

 なんとか断らなくっちゃ。

「遠い国から来たので、踊りは、その・・・」

「出来ない?」

「ええ」

 うまくいった。と、思ったら、

「じゃ、キミの国の踊りを見せてよ」

 左の男の人が割りこんできて、

「いいね、見せてよ」

 右の男の人も乗ると、

「それいいね」

 盛り上がっちゃった。

「あ、あの・・・」

 ハルカの言葉なんかてんで聞いてない。一人が両手を広げて、曲の合間のダンスフロアに出て行っちゃった。

「ご来場のみなさん、遠い国からやってきた美少女が・・美少

女? きっとそうだよね」

 この手のお決まりって昔からあったんだ。どっと受けるフロ

アの仮面の人たち。

「その美少女が、遠い国の踊りを見せてくれるそうです。さあ、拍手を」

 ぱちぱちぱち。フロアの人たち、一斉に盛大な拍手でこっち

を見ている。

「さあ、踊って踊って」

 声かけてきた男の人が、ハルカの背中を押して、フロアの真

ん中に押し出す。

 ぽっかり空いたフロアの真ん中で、みんなの注目と拍手を浴

びちゃった。

 どうする? ハルカ。こりゃ逃げられないぞ。

 しゃあない。体育祭でやったヤツ、やってやるか。

 バッと腕を突き出して、最初のポーズ。

「へ~いへいへい、へ~いへいっ」

 アカペラで『学園天国』歌いながら腰を振り始めるハルカ。

「へいっ」

「へいっ」

「へいっ」

「へいっ」

 よ~っしゃ。仮面の人たちも乗ってきたぞ。

 ♪♪♪・・・。

 ハルカ、調子のって歌い出した。

 これ振り付けてくれたの、高校でダンス部に入った先輩なん

だ。だから、ヒップホップってほどじゃないけど、かなり今風

の振り付け。

 受けた・・んだか、笑われてるんだかわからないけど、見て

いる人たちはやんやの大喝采。

 ハルカ、かなり調子に乗って来ちゃいました。はい。

 フロアの騒ぎに、マリーもゲームを中座して、なんだろうと

覗きに来る。

 そこには、見たこともない不思議なダンスを踊るハルカの姿

と喝采する人々。

 人気者ね。

 にっこりと笑うマリー。

 ホントに笑顔が可愛いんだ。

 ところで、カナタは?

 あ、いたいた。奥のフロアの壁際の椅子に座って、左手にご

馳走の乗った大きなお皿、右手に銀のフォークで、ぱくぱくぱ

く。

 よく食べるね、まったく。

 え? 三皿目?

 *

 ところで、その頃、カバーオはというと、ちゅ~っ。

 いや、誰かとキスしてたわけじゃない。歯磨き粉くらいのチューブを持って、ちゅ~っと中身を吸っていたんだ。

 なんなんだろ、一体。

 と、チューブを口から離すと、無邪気そうに見えた顔が、そ

うでもないことが分かった。

 眉間に皺を寄せて、口はむすっと閉じている。

 急に眉毛が上がったかと思うと、

「早く戻るというのは、チダマでは何時間を意味するのですか、まったく」

 だって。

 待ちくたびれて、怒ってるらしい。

 *

 何時頃なんだろう。

「引き上げましょうか」

 マリーに声をかけられたとき、カナタは隅っこのソファでぐ

うぐう眠っていた。

「起こさなくてもいいわ」

 給仕みたいな人に馬車まで運んでもらった。けど、行きにカ

ナタと二人で乗ってた席は占領されちゃった。

 それで、帰りはマリーと並んで座ることになった。

 からからから。四頭立て馬車がヴェルサイユに向かって走り

出す。

「楽しかった?」

「ええ」

 ハルカ、にこっと答える。

 だって、ホントに楽しかったんだもの。

 あのあと、大勢の男の人や女の人が、その踊りを教えて欲し

いとやってきて、歌といっしょに教えてあげたり。

 おかげですっかり人気者になって、誰かがご馳走を運んでく

れたり、飲み物を持ってきてくれたり。もちろん、アルコール

はお断りしたので、果物の入った甘いパンチだったけど。

 それから、簡単なゲームを教えてもらって、みんなでわいわ

い騒いだり、へへ、ダンスも少しだけ教えてもらっちゃった。

 でも、どんちゃん騒ぎって、意外と楽しい。

 クラブにも行ってみたいかも。

 ハルカは、はたちになったらクラブに連れてってやるって言

われてるんだ。パパのレストランにときどきやってくるヒップ

ホップ系の人たちから。

 商店街で働いてる人たちなんだけど、クラブが大好きで、週

末になると「ウィークエンドはオールだぜ」とか言って、朝ま

で踊って騒ぎに行く。

 仮面舞踏会も、それと同じだ。

 もちろん、21世紀のクラブとは違う。

 DJのかわりにオーケストラ、ヒップホップ・ダンスのかわり

にソシアル・ダンス、カジュアルウェアじゃなくって優雅なド

レスに長い上着。

 見た目は優雅だけど、やってることはクラブといっしょ。

「あそこに集まっていた方たちって?」

 ハルカは、隣に座っているマリーに聞いてみた。

「貴族ばかりよ。みんな仮面をつけて、自分を隠しているから、だからハメを外せるの」

 やっぱり、そうなんだ。

 普段は、貴族としてしきたりや制度に縛られている人たちが、仮面で自分を隠して、自由に、のびのびと騒いでいるんだ。

 クラブはお金を出せば誰でも行けるけど、仮面舞踏会に集ま

るのは、特権階級の人たちばかり。

「パリで楽しいのは、これだけ」

 マリーが、ぽつりと言う。

 ハルカは、ふっとその横顔を見た。

 この人は、なにかを忘れるために、なにかから逃げるために、仮面舞踏会と賭け事にはしゃいでいるんだ。

 どうして?

 きっと、自分の人生を自分で決めるっていう、ホントの意味

での自由がないからだ。

 目をそらせて、窓の外を見た。

 楽しかったけど、ぐったり疲れちゃった。パリの連なる建物

の上の、夜明け近い空が、なんだか切なく感じられるのはどう

してだろう。

 意外と速いスピードで走る四頭立て馬車の窓から、道ばたで

寝ている人の姿が、ちらっと見えた。

「勝ったわよ」

 マリーが、耳元で言う。

「え?」

 顔を向けると、にこっと笑って、小さなポーチをぱちんと開

ける。中には、金貨がざっくざく。

「約束よ。あなたの、音楽の小さな箱は、もらうわね」

 勝っちゃったんだ。仕方ない。

「分かりました」

 ハルカはこくりと頷いた。

 やがて馬車は、パリの市街を抜ける。

 今頃、ジャン=リュックはわらの上で寝ているのだろうか。

妹と二人で。



*規則違反ですっ


「それは絶対に許されないことですっ」

 カバーオが唾を飛ばして厳しく言う。

「だって、あたしのだよ。あたしのものをどうしようと、あた

しの勝手でしょ」

「そうはいきませんっ」

「なんでよっ」

 帰って、経緯を話して、MPプレイヤー上げちゃったこと話したら、カバーオが急に怒り出す・・っつうか、焦り出しちゃったんだ。

「のちの時代の技術を、前の時代に残してゆくことは、じゅ~っだいな規則違反なのですっ。だってそうでしょ」

 なんにも言ってないのに、一人でしゃべっている。

「刀で戦っている時代に、機関銃残してきたらどうなりますかっ」

「そうだけど・・・」

「あなた方をタイムマシンに乗せること自体規則違反なんです

から、それ以外の規則には従ってもらうと言った筈です。言い

ましたよね」

 あ、そ~ゆ~言い方する。

「言った。けど・・・」

「ま~ったく、だからイヤだったんだ」

 ハルカの言い分なんか聞きもしないで、ぶつぶつ言いながら

カプセルに入ってなにやらごちゃごちゃ。

「どうするの?」

「取り戻しにゆきます」

「どうやって?」

「その、マリーさんとはネットさんにプレイヤーを渡したのは

何時ごろなんです?」

「マリー・アントワネットっ」

「プレイヤーを渡したのは何時なんですっ」

 うっ。やっぱいけないことしちゃったのかな。

「んと・・・」

 あれから馬車でヴェルサイユに帰って、その後すぐに渡した

んだ。

「ありがと」

 彼女はうれしそうに笑った。

 ホントに、笑顔が可愛い人なんだ。

 ハルカの肩に手を置いて、

「ゆっくりしてゆくといいわ」

 って、言ってくれた。

「楽しかったです。ありがとうございました」

「こちらこそ、楽しかったわ」

「おやすみなさい」

「おやすみ」

 ハルカの頬にそっと手を置いて、くるり、眠そうなようすで、疲れたようすで、去っていった・・・。

「何時なんですっ」

 るっせえな、もう。

「だから、明け方よ」

「五時とか六時とか、そんなもんですね」

「うん」

「分かりました」

 また、カプセルの中でごちゃごちゃごちゃ。

「どうするの?」

「タイムマシンを、マリーさんとはネットさんが熟睡している

時間帯の、ミヤドノに移動させます」

「ミヤドノ?」

「きゅうでんだと思うよ」

 カナタが口をはさむ。

「そんなこと問題じゃありませんっ」

 こいつ、ヒステリーかよ。

「今はプレイヤーを取り戻すことが重要なんですっ」

 こら、唾飛んできたぞ。もう。

「朝飯、美味かったね」

 両手を頭の後ろに、足伸ばしてでれっと座ったカナタが言う。

 そう。寝間着まで用意してもらって、立派なベッドで眠って、起きると朝ご飯が用意してあったんだ。

 暖かいミルク、焼きたてのパン、卵とソーセージ、それに、

紅茶まで。

 いや、あれ食べたの、もうお昼近かったのかも。

「さ、乗ってください」

 カバーオの言葉に、ハルカとカナタがのろのろと動き出す。

「乗って下さいっ」

 分かったわよ。二人が乗り込み、ドアを閉めると、タイムマ

シンががらがらじゃ~っ。

「マリーさんとはネットさんが眠っているミヤドノの屋根裏に

微移動します」

「初めっから宮殿に移動すりゃよかったじゃない」

「こちらに来て、細かい移動だから可能なんです」

「そ~ゆ~もんなの?」

「じゃ、あなた、遠くからボール投げるのと、近くからとじゃ、どっちが命中率高くなります?」

「そら、近いほう」

「そういうことです」

 ふ~ん。なんか分からんけど、そ~ゆ~ことなんだってさ。

 ぽとっ。

 到着したらしい。

 ドアを開けて外に出ると、なるほど、がらんとした広い屋根

裏らしき場所だった。

「で、どうするの?」

「マリーさんとはネットさんが眠っている間に、プレイヤーを

取り戻します」

「そんな・・・」

「だいじょうぶ。きっと夢だと思います」

 マジかよ。

 上げたもの、取り返すのって、なんかイヤだな。けど、カバーオのこの剣幕だと、かなりいけないことしちゃったみたいだし。

 あれこれ考えながら、腰をかがめて前進するカバーオにくっ

ついてゆく。

 なんか適当な場所をめっけたらしくて、小さな道具使って、

板を一枚外すと、下に廊下が見えた。

 すっ。

 身軽に飛び降りるカバーオ。

 こいつ、スパイか忍者か。

「さ」

 促されて、ハルカとカナタも廊下に飛び降りる。

「マリーさんとはネットさんの寝室はどこです」

「三階」

「けど、見張りとかいるんじゃね?」

「考えてあります」

 サッと、上着の下から小さな銃を取り出した。

「撃つの?」

「まさか、眠ってもらうだけです」

 さささっ。泥棒かスパイみたいに、廊下の端を低い姿勢で小

走りに移動を始める。

 カバーオってやっぱこういう訓練も受けてるのかな?

 ともかく、真似してくっついてゆく。

 階段を三階に下りる。

 するとそこに、召使いの女の人がいた。

 バシュッ。

 すかさずガンを放つカバーオ。

 ぼわっと白い煙が召使いを包んだかと思うと、へなへなと膝

からその場にくずおれちゃった。

「ちょっと・・?」

「だいじょうぶ、一時間ほどで目が覚めます」

 ふ~ん。

「あんた、結構いろんな武器持ってるんじゃない」

「あくまでも緊急用です」

 さささっ。

 ハルカの指示で廊下を移動し、角をひとつ曲がる。

 するとそこにも、給仕みたいな男の人。

 腰をかがめて、カバーオがバシュッ。

 白い煙とともに眠っちゃう給仕。

 いよいよスパイ映画みたい。

「こっち・・・あそこだよ」

 てなわけで、ともかく、マリーの寝室の前に無事到着する。

「あたしがやる」

 ドアノブに手を伸ばすカバーを押しのけて、ハルカは自分で

ドアを開けることにした。だって、あたしの上げたものだもの。

 かちゃ。鍵はかかってなくて、ドアはスムーズに開いた。

 そうっと三人で寝室に体を入れ、ドアを閉めた。

 カーテンは閉まっているけれど、夜明けの明かりが隙間から

差しこんでいて、ほのかに明るい。

 見回すと、すんげえ広い部屋で、ドアに近い半分がサロンみ

たいになっていて、その奥に、天蓋つきの大きなベッドがあっ

た。

 そおっと近づくハルカとカバーオとカナタ。

 天蓋から降りるヴェールの向こうで、マリーの眠っている姿

が見えた。

 カバーオが、そっとヴェールを上げ、そこからガンを差しこ

む。

「なんのつもり?」

「目を覚まされては困ります」

 言うのと同時に、レバーを引くカバーオ。

 が、ぷすって音がしただけで、白い煙は出なかった。

「あ・・」

「どしたの?」

「ガスが切れました」

「結構役に立たないわよね、あんたの武器」

 むすってイヤな顔してるけど、どうよ、カバーオ。

 けど、見ると、MPプレイヤーはマリーの枕元に置いてある。

 じっと見ていたハルカ、意を決して、ヴェールの中に腕を差

し入れた。

 もう少しでMPプレイヤーに手が届く、その時、

「誰・・?」

 マリーが、背中を向けたまま、言った。

 はっと手を引っこめるハルカ。

 慌ててばっとしゃがみこみ、ベッドの下にもぐるカバーオ。

ついでに、カナタの足を引っ張って、いっしょに隠れさせた。

 けど、ハルカはそのまま、マリーがゆっくりと体をこちらに

向けるのを見ていた。

 目が合う。しばし、険しい顔でハルカを見ているマリー。

「やっぱりね」

 やっとハルカだと分かったみたいに、表情がやわらいだ。

「取り返しに来たんだ」

「ごめんなさい」

 マリーが、ふっと口元で微笑む。

「あたしが、ムリを言ったのよね」

 体を起こし、ヴェールを上げて、ハルカと向き合った。

 それから、MPプレイヤーを手に取り、少し名残惜しそうにしてから、ハルカに向かって差し出した。

「どうぞ」

「ホントに、いいの?」

「諦めるわ、夢だと思って」

 そうか、そう思ってくれるなら。

 ハルカは、マリーの手からMPプレイヤーを受け取った。

 すると、ふいにくすりとマリーが笑う。

「まるで、あたしの人生みたいね」

「そんな・・・あなたには、まだ・・・」

「いいえ、いいの」

 遮るように言って、じっとハルカを見つめている。

「帰るのね。あなたの、元気が女の子らしさの国に」

「ええ」

「羨ましいわ、あなたが」

 そっと、ハルカの頬に手をあてた。

 ずいぶん近いところに、マリーの顔がある。その目が、いろ

いろな意味を浮かべながら、ハルカを見ている。

 が、思いを振り切るように、パッと体を離すと、今度はいた

ずらっぽい目でハルカを見た。

「あたしね、ウソをついたの」

「え?」

「ホントは、ダイスゲームに負けたの」

「あ・・」

「だから、あたしにそれを貰う権利はなかったのよ」

 なんですって? こらこら。

 ちょっぴり咎めるような目のハルカを、いたずらっぽく笑い

ながら見ている。

 それから、サッと軽い身のこなしでベッドを降りて、ハルカ

の前に立った。

「さ、約束通り、欲しいものをあげるわ」

 あ・・考えてなかった。だって、もう貰えないと思ってたか

ら・・。

 ハルカは、急いであたりを見回してみた。すると、ベッドサ

イドテーブルに、ミルクでも飲んだのだろうか、カップとスプーンが残っていた。

「じゃ、そのスプーンを」

 マリーが、え? とスプーンを手に取る。

「こんなものでいいの?」

「ええ、あなたに会えた記念ですから」

「そう」

 マリーがスプーンを差し出す。

 ハルカはそれを大切に受け取った。

「そうだ」

「え?」

「プチトリアノンを田舎の家みたいにしよう」

 思いつきを楽しむように、歩きながらしゃべりだした。

「田舎のね、農家みたいに改造するの。そこであたしも、田舎

娘みたいな恰好をして暮らすの。どお?」

「仮面舞踏会より、いいかも」

「でしょ。その時は、遊びに来てね」

「そうしたいです」

「約束して。いつかまた、会えるって」

 どうしてだろ、マリーの顔を見てたら、涙目になった。

「ええ、いつか、また」

 それから笑顔のマリーが近づいてきて、そっとハグしてくれ

る。首筋に暖かい感触があったのは、キスしてくれたんだ。

 だからハルカも、マリーの首筋にそっと唇を寄せる。

「さよなら」

 ハルカの方から言った。

 頷くマリー、くるりと背を向けてから、

「さよなら」

 言って、トイレにでも行くのかな。疲れた足取りで奥のドア

の向こうに消えていった。

 MPプレイヤーと銀のスプーンを手に持ったまま、ハルカはじっと閉じたドアを見ていた。

 と、いきなり足を引っ張られた。

「今の内ですっ」

 あ、そうでした。

 カバーオを先頭に、ハルカとカナタ、たたたたたっ、部屋を

飛び出し、階段を上がり、屋根裏へと駆け戻った。



*いつか、また


「このまま、元の時代に戻りますから」

 カプセルに戻るなり、計器をがちゃがちゃやりながら、カバーオが言う。

「え~、もう帰っちゃうのぉ」

 あらカナタ、18世紀フランスが気に入っちゃった?

「いつまでもぐずぐずできません。わたしをこれ以上困らせな

いでください」

 とても言い返せない強い調子で言うんだ、これが。

「分かったわよ」

 ハルカも、渋々納得した。

 がらがら、じゃ~っ・・・。

 いつもの音とともに、カプセルが白い光りに包まれる。

「ねえ、マリー・アントワネットさんって、あのあとどうなっ

ちゃうの?」

「え~とですね」

 ウサンクサペディアのデータを呼び出すカバーオ。

「革命に反対し、ギロチンにかけられた、とあります」

「ギロチンって?」

「それは・・」

「言わないでっ」

 ハルカ、思わず耳を塞ぎながら叫んだ。

 だって、だって、あの人がギロチンにかけられるところなん

て、想像もしたくない。

 顔を上げると、カナタが、え? カバーオが、ん? と、こっちを見ていた。

「だって、だってそんなの、あんまり・・・」

 するとカバーオが、バカに静かな目でこっちを見ていた。

「人は、いつか死にます」

「そうだけど・・・」

「あなたも、そしてわたしも」

 それはなんだか、小さい子に言い聞かせているみたいな言い方だった。

 それから、

「でも、いつかまた会えますよ」

 顔を前に戻しながら、言う。

「え?」

「だって、約束したんでしょ」

 そのまま、お仕事の顔して澄ましてる。

 そんなカバーオを、ハルカは不思議そうに、見た。

 ぽとっ。

 あ、到着したようです。



*起業するわっ


 カプセルは、きちんと斜めった宇宙船のしかるべきポジショ

ンに戻っていた。

 転げ落ちるように、カナタ、ハルカ、そしてカバーオが降り

立ったのは、もちろん、ハルカんちの屋根裏部屋。

 どっと日常と現実が三人を襲う。

「面白かったぁ」

「うん」

 カナタの一言にハルカも同意。

「ちっとも面白くありませんっ」

 カバーオだけは怒っている。

「もうこれっきりに・・・」

「そうはいかないわっ」

 言葉を遮られ、え? とハルカを見るカバーオ。

「あんた、宇宙船を修理するためには、60インチ8Kクオリティで、3Dの液晶テレビがいるんだったわよね」

「は、はい」

「それには、お金を稼がなきゃいけないんだったわよね」

「はい」

「いけるわ、この商売」

 バッとマリー・アントワネットに貰った銀のスプーンを差し

出している。

「そのスプーンが、売れるんですか」

「これはあたしのっ」

「は?」

「起業するのよ」

「え?」

「は?」

 ぽかんのカバーオとカナタの前で、一人にんまり。

 お~や、なにか考えついちゃったのね、ハルカちゃん。


[つづく]

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