月のあなた 卯月
熾(おき)
第1話 しろの夢
小麦色に焼き上げられた円いパン。
その中心に一つ、円いふくらみ――ここが鼻で。
その両脇に、輝きを帯びた同じ半分のふくらみ――こことこれがほっぺで。
上半分に二つ並んだつぶらなレーズンの瞳と、下半分にチョコレートで描かれた笑顔の口。
「ね、かわいいでしょ」
その日体調が良かったのか、朝の七時まで起きていた母さんは、そのパンを飽きることなく見つめていた。
母にとっておそらく百個以上はある「大好きなアニメ」。この主人公は、空を飛ぶあんパンであるという。
「あんパンが空を飛んで、良い子を守ってくれるの」
「…そんなこと、できるわけないよ」
いわなきゃよかったと直ぐに思ったが、母は銀の瞳を細めてこういうだけだった。
「できるわけない、なんてことは無いのよ」
跪き両腕を拡げられて、わたしは吸い込まれる様ににんじん色のエプロンの中に納まる。
顔をうずめる、マシュマロみたいなおっぱいの感触。
髪からこぼれるラヴェンダーの匂い。手には切りたてのイチゴとクッキーの匂い。
「ねえひなた、お日様をとってきて」
胸の中から、その人を見上げる。自分とは目の色も髪の色も違う母親。
「お願い」
わたしは台所から駆けだすと、リビングの窓の鍵を開けて、その窓を引いて、つっかけを穿いて小さな庭に出た。
屋根と木々に四角く切り取られた明るい空に、清潔な白い太陽がまるく輝いていた。
わたしは、その太陽に向かって手を伸ばした。
手の甲で太陽が視界から隠れるようにすると、ぎゅっと手を握り込む。
それをもう一つの手で庇って、こぼさないように、こぼさないように、リビングに佇む母さんの所まで持っていく。
手の中のそれを、母さんが両手で作った器の中に流し込む。母さんは、水を飲むように、そこに口付けた。
「ありがと」
本当に美味しそうな顔をすると、台所に戻り、エプロンを取って冷蔵庫の脇にある壁掛けに掛けた。
「おかずはもう人数分並べてあるから、ご飯とお味噌汁はお姉ちゃんによそってもらって」
テーブルの上にあった空飛ぶアンパンを、両手で大事そうに取り上げると
「おやつね」
手渡してくれた。
半透明の白水晶の腕輪が、手首に光った。
そして二階へ戻る間際、腰まで届く銀の髪を翻しながら微笑んだ。
「ひなた、おはよう」
「おはよう、かあさん」
おやすみ、かあさん。
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