第四回 お役目

 雨はあがったが、またいつ降り出すか判らない雲行きだった。

 筑後国浮羽郡ちくごこく うきはぐん上月村こうづきむら。草野右京亮の屋敷は、村の中でも一段と小高い一等地にある。

 堀と塀に囲まれたこの屋敷を訪ねたのは、卯平を始末した二日後の事だった。早良郡から上月村までは、〔忍び走りの術〕で一日の距離だが、雨に降られた事もあり、三無は無理をせずに、ゆるりとした帰路を採ったのだ。

 通された広間で暫く待たされた後、右京亮が姿を現した。珍しく直垂姿である。


「すまんな。ちょうど、博多から使者が参っての。その応接をしておった」


 口だけの謝罪に、三無は黙礼で返した。右京亮は、草野組を率いる上忍であるが、それと同時に領地を持つ土豪でもある。本人は武士である事を否定しているが、領地に関する煩わしい政務もしなければならない。三無にしてみれば、それは最早武士ではないか、と思う。


「よう戻ったな」

「お役目、果たして参りました」


 三無は、卯平の首を差し出した。右京亮は無言でそれを一瞥し、深く頷いた。


「見事だの、三無。卯平は下忍ながら、筋があった。仕留めるまで骨だったろう?」

「なんの。まだ若い者には負けませぬ」


 と、三無は莞爾かんじとして笑った。それは強がりでもなく、事実そうだった。まともに斬り合えば一苦労だったろうが、そこは忍び。肝煎りの術を用いて、容易に始末する事が出来た。


「少ないが、多少の色を付けておる。取っておけ」


 そう言って、右京亮が巾着袋を放り投げた。


「これは、ありがたし」


 三無は嬉々として巾着を手に取ったが、その感触から、


(まっこと少ない。相変わらず、吝嗇坊けちんぼうな奴じゃ)


 と、微かに眉を寄せた。

 だが、それも仕方ない。抜け忍狩りは、身内の粛清である。つまり、雇い主は組頭である上忍・右京亮であり、報酬には身銭を切る事になるのだ。身内を殺すという厳しいお役目の割には、手当てが薄い。かつて、その事に文句を言った者がいたが、密かに殺された。貰えるだけでもマシ、と三無は割り切っている。


「しからば、これにて」


 平伏し辞去しようとした三無を、右京亮が呼び止めた。


「一つ忍び働きの依頼を受けた。かなり難しいが、それだけ銭になる話よ」

「ほう、それほどの大仕事でございますか」

「ふむ。活きのいい下忍に任せようと思うたが、おぬしの顔を見て、腕と経験が確かな中忍から選ぶべきだと考えを改めたわ」


 中忍は術達者のみが選ばれる、特別な身分である。三無が、その力量と実績を認められ、先代の右京亮から中忍格を与えられたのは、二十年ほど前だった。中忍になれば、下忍を率いる資格と、姓を名乗る事が許される。柏原という姓も、その時に与えられたものだ。勿論、銭も多く貰え、故に下忍は中忍になる事を目標としている。


「それでお頭は、誰を選ばれるおつもりで?」


 今の草野組には七人の中忍がいて、下忍の指揮や教導に勤しんでいる。三無はその中でも、二番目に年嵩としかさだった。


「小吉か源蔵。或いは一之丞かと考えておるがの」

「……成る程。三人共に脂が乗っておる働き盛り。妥当な人選でございましょう」

「ただ儂はな、おぬしが適任だと思うたが、お役目続きになろう? 幾ら〔名人三無〕と言え、歳を考えねばならぬ。身体が心配じゃ」


 そうは言ったものの、右京亮の声色に心配をしている風は無い。おおよそ、やる気を引き出す為に、心配する素振りを見せたのだろう。上忍にとって、中忍も下忍も銭を運んでくる道具に過ぎない。右京亮も、当然そう思っているはずだ。


「なぁに、ご懸念は無用。どうぞ、そのお役目を儂に申し付け下され。この三無、まだ老いさらばえてはおりませぬ」


 そうとわかっても、敢えて三無は乗ってみた。右京亮をいい気にさせれば、報酬に弾みも付く。何より、難しい役目は望むところだ。


◆◇◆◇◆◇◆◇


 右京亮の屋敷を出た三無は、その足で帰宅した。

 三無の棲家は、村の外れの森の中、不動尊の傍にある。中忍とは言え、棲家は下忍と変わらない。土間に筵を敷いただけの侘しいものだ。

 囲炉裏の脇で、息子の吾市が苦無を研いでいた。戻った三無に一瞥をくれただけで、また苦無を研ぎ出す。特に挨拶は無い。今年で二十歳になる吾市は、無口で不愛想だが、生真面目なのだ。いつお役目を受けてもいいように、修練や準備を怠らない。それが三無の自慢でもある。


「あら、おっ父」


 娘の百合ゆりが、奥から顔を覗かせて言った。


「おう、戻ったぞ」

「ご無事かえ?」

「心配無用じゃ。掠り傷一つもないわい」

「ならええが、暫く戻らんかったけ心配しとったんよ」

「ふむ。ひと月振りか。些か長う掛かってしもうたな。ほれ、銭じゃ」


 と、三無は巾着を百合に放り投げた。女とはいえ、多少仕込まれている百合は、それを素早く掴み取る。


「ご苦労さんでした」


 雀斑顔そばかすがおに満面の笑みを湛えた百合が、ぺこりとこうべを垂れ奥に下がっていく。


「そろそろかのう?」


 二人になると、三無は吾市に問い掛けた。


「何がじゃ?」

「百合の婿の話じゃ。よい歳だて」

「……」


 百合は、十四歳である。四年前に恋女房に先立たれて以来、家事を一切取り仕切っている。百合がいるので暮らしやすいが、一生このまま家に縛りつけておくわけにはいかない。


「お前、誰ぞよい男は知らんか? 勿論、腕の確かな奴がよいが」

「どれも団栗じゃ」

「そうか。ま、百合の事は焦らんでもええわい。じゃが、お前の嫁取りは急がねばのう」

「女はええ」


 吾市は苦無を翳し、その刃紋を確かめながら言った。


「なんじゃ、ぬしは男色か?」

「冗談言うでねえ。俺は暫く一人で構わん」


 それから夕餉になった。山菜の雑炊である。勿論、獣肉や大蒜は使わず、酒も出ない。その辺りは、二人の子どもも心得ている。


「お役目じゃ」


 雑炊を平らげると、三無は二人に向かって言った。


「またか」

「そうじゃ」

「役目を終えたばかりじゃ。早うないか?」


 吾市が言う。そうした時に、百合が口を挟む事は無い。忍びの女としてのあり方は、亡き女房が教え込んだ事らしい。


「断れんのか?」

「無理じゃのう。お頭が申しておったが、儂しか出来んお役目らしい。忍び冥利に尽きるというものだわい」

「なら、下忍を連れてけ」

「吾市、役目は一人でするもんじゃ。いつも教えとるだとうに」


 そこまで言うと、吾市は口を噤んだ。

 中忍になり、下忍を率いる事を許されても、三無はそれをしなかった。自分の腕以外は信用ならない。その結果として命永らえ、名人と呼ばれる術達者になったのだ。

 忍びは一人で働くもの。それが三無の忍道であり、矜持でもある。

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