第六章『希望』
キリエは言った。
『あなたにその覚悟があるのか?』と。
答えは聞くまでもなかった。
ある、だ。
何度も誓った。カイを絶対に守るって。
だから何も迷うことなんてなかった。あの薬を使う以外にもうカイの願いを叶える方法がない。だから、それを使うんだ。
この世界に絶望したわけでも、生きることを本気で諦めたいとそう思ったわけでもない。ただカイとの約束を守るため。
カイを一人ぼっちにしないため。
二人で一緒に死ぬため。
それだけのため。
マキナは目を閉じる。すると頭の中でこれまでの人生がワンシーンずつフラッシュバックしていく。これが俗に言う走馬灯というやつなのか、とマキナは妙に納得する。
優しかった両親。父さんはどんなことがあってもずっと笑顔で見守ってくれていた。俺がどんなに理不尽なことで怒ってもいつも全部受け止めてくれた。
母さんは普段は優しいのに、怒るとものすごく怖かった。それがきっかけで物凄く大きなケンカもした。でも今ではその怖さすら懐かしい。
レン、あまり話せなかった。人食病にさえかかっていなければもっと仲良くなれたかもしれない。でも、大切な姉のために人食衝動を耐え続けた意思の強さと、レンが流した涙の純粋さを俺は絶対に忘れない。
そして、キリエ。好きだった。大好きだった。今ならはっきりと言うことが出来る。雰囲気がどことなく母親に似ていて懐かしさを感じているだけなのかもしれないって、そう思った。懐かしくて少し甘えたくなってしまっただけなのかもしれないって、そう思った。
でもキリエが死んで、やっと気付いたよ。キリエに死んでほしくなかった。キリエと一緒に生きて行きたかった。でもキリエがいてくれたから俺は今ここにいる。キリエが俺に道を示してくれたから、ここにいられる。大切な妹を、カイをここまで守ることが出来る。そして、願い事を叶えてやれる。
ありがとう、キリエ。
マキナはゆっくりと目を開ける。
するとすぐ側にカイがいた。だがその瞳は焦点があっておらず、鼻息は荒い。口からは涎を流し、今にもマキナに飛びかかろうとしていた。薬のせいだろう。人食衝動が強すぎて完全に自我を失っているのだ。マキナの周りを囲んでいた化け物は身体中をちぎられ、バラバラになって死んでいた。カイがやったのだ。
「ごめんな、カイ。守ってやれなくて。こんな頼りないお兄ちゃんでごめんな。でも、お前の最後の願い事はちゃんと叶えてやるからさ」
マキナはそう言って、最後の力を振り絞り、腕をカイの頭に載せる。カイは何の反応も示さない。だがそれで構わなかった。
マキナは人間である前に、カイの兄であることを選んだのだから。
マキナがカイの頭から腕を離すと、カイがその腕へと一気に嚙り付いた。凄まじい力でマキナの腕の骨が粉砕されていく。歯で肉を指先の肉を剥ぎ取り、舌で流れ出す血をすくう。カイはただひたすらにマキナの身体を求めていた。
だが、マキナは不思議と痛みを感じなかった。骨を砕かれる振動、肉が剥ぎ取られていく感覚、それは感じたが痛みはまったくなかった。相手がカイだからなのか、それともマキナのどこかがおかしくなったのか、それはわからない。
だが、今の状況に安心感を感じていた。
これで楽になれる、と。
帝は言っていた。人間は愚かな生き物だ、と。
マキナもそう思った。今までずっとどんなことがあっても必ずカイを守ると、そういっておきながら今自分の死を目前にして、肩の荷が下りたような、そんな気持ちになってしまっているのだから。どれほど自分勝手な生き物なのだろうか。
マキナは小さく笑う。
人間は愚かな生き物なのかもしれない。だが、マキナのカイを守りたいという気持ちまでもが偽物だとは思わない。どんな自分が、自分たちが愚かな生き物だとしても、自分の気持ちまでもなかったことにするなんて出来はしないのだから。
マキナは意識が朦朧とする中で、カイから帝へと視線を移す。
帝の表情は驚愕に染まっていた。カイがマキナを食べているという状況に理解が追いつかなかったのかもしれない。
「俺たちは死ぬ。俺もカイも、死ぬ。けどな、俺もカイもお前の思い通りになったりはしない。お前の言う通り人間は愚かな生き物かもしれない。滅んだ方がいいのかもしれない。でも、それでも、お前の言う世界にカイの幸せがあるとは思えない。だから、俺はお前を認めない。人間を越えた? バカ言うなよ」
そしてマキナは力強く、言い放つ。
「カイも世界も失って、一人孤独に生きろ、人間」
マキナのそばのカイが腕を食べ終え、囁く。
「もう、いらない。これで、一緒に、死ねる、よ」
小さく息を吐き、
「あ、りが、と……。だいす、き、おにいちゃ……」
マキナはゆっくりと微笑み、そして目を閉じた。
梔子マキナ
梔子カイ
この日、二人はその生涯を終えた。
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